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引っ越した先で高校生が家に逃げ込んできたけど、嘘はつけない  作者: 白川


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消えた写真と、残った言葉

 見られた、と思っただけで胸がざわつくのに、さくらは平気な顔で笑った。


「海斗くん、気にしすぎだって。ほら、もういないし」


 さくらはそう言って、いつもの調子でマフラーの端を整えた。夕方の風がまだ冷たくて、白い息が一瞬だけほどける。


 俺は返事を探して、喉の奥で一度引っかかった。さっきの視線の感触が、簡単には抜けない。


「……うん」


 うなずいたら、さくらは「よし」とでも言いたげに小さく頷いて、歩き出す。俺も遅れないように足を出す。


 カフェのガラスの反射が遠ざかって、代わりに自動ドアの開閉音とか、コンビニのチャイムとか、そんなものが耳に入ってくる。


「海斗くん、今日バイトだっけ?」


 さくらが前を向いたまま聞いた。


「うん。閉めまで」

「閉めって、何すんの?」

「レジ締めて、床にモップかけて、ゴミまとめて、最後にシャッター閉めて解散かな」

「え、シャッター閉めるの海斗くん?」

「いや。俺は横で見てるだけ。店長か正社員の人が鍵持ってるから」


「へぇ。……そうそう、レジ締めってなに? お金数えるの?」

「うん。レジの数字と、現金が合ってるか見る。合わないとやり直しだし、地味に地獄」

「こわ……じゃあ終わるって何時くらい?」

「うーん、ラストオーダーが二十一時半、閉店が二十二時で、そこから片付けだから……順調なら二十三時。引っかかったら二十三時半くらい」

「おっそ……じゃあ朝に店開けるのも社員さん?」

「たぶん。開けも閉めも鍵いるし」


「大変そう……」

「まあな。さくらは?」

「私は明日も学校だし、そんな時間まで外にいないよ。ママに怒られちゃう」

「だよな」


 その返事のあと、少しだけ沈黙が落ちた。会話が切れたというより、二人とも同じことを考えてるのに言葉にしない、みたいな間があった。


 さくらは歩きながら、鞄の持ち手を握り直した。口元まで上げるでもなく、下げるでもなく、ただ触っているだけだ。


 大通りをもう少し行くと、道が自然に分かれる。住宅街へ入る角と、店が並ぶまま伸びる歩道。


 さくらが足を緩めた。俺も合わせて止まる。


「じゃ、ここで」

「うん。気をつけて」


 さくらは手を振った。

 俺も同じくらいの大きさで返す。


「あ、今日遅いんだっけ、帰り。気をつけてね。暗いし」

「ああ。ありがとう」


 さくらはそれだけ言って、住宅街のほうへ向き直った。

 数歩で、制服の背中が街灯の明かりに紛れる。


 俺は大通り側へ視線を戻す。

 息を吐いたら、冷たい空気が胸の奥まで落ちてきた。



 ――夜。



 バイト先のバックヤードは、いつもと同じ洗剤の匂いがした。段ボールの角が潰れた跡。床のテープ。忙しい時間帯が終わって、店内の空気が少しだけ軽くなる。


「おつかれ。今日助かった。急に代わってもらって」


 俺がそう言うと、先輩――三浦さんはレジ横で片手を振った。エプロンの紐を結び直しながら、軽く笑う。


「いいって。どうせ暇だったし。てか店長、急に振ってくるよな」

「ほんとそれ。……すみません」

「謝んなって。代わった分、あとでまかない一口寄越せ」

「それ、三浦さんの皿のほうが多いじゃないですか」

「うるせ。今日だけな」


 冗談みたいに言って、三浦さんは「でさ」と続けた。


「今日さ」


 言いながら、ポケットからスマホを出す。画面の明るさが一瞬だけ目に刺さった。俺は無意識に視線を落として、レジ下の袋を整えるふりをした。


「なに」

「これ。駅前で見えたやつ」


 三浦さんは俺の返事を待たずに、スマホを軽く掲げた。カメラロールの写真が並ぶ中の一枚で指が止まる。


 夕方の駅前っぽい背景。ガラス。光。人の肩の連なり。その手前に、俺の横顔が写っていた。隣に、マフラーを巻いた制服の肩が少しだけ入ってる。


「高瀬と、制服の子。並んで歩いてたやつ~」

 三浦さんは写真をもう一回タップして拡大した。指先だけが忙しい。


「これって……高校生?」


 喉の奥が冷えた。高校生、って言葉が頭の中で別の音に変わる――未成年。

 言葉が続かない。何を言っても、どれも言い訳に聞こえる気がした。


「……たまたま」

「まあ、そうだよな」


 三浦さんは画面をもう一度触って、今度はメッセージ画面を開いた。さっきの写真が小さく貼り付いていて、送信ボタンの横で親指が止まる。


「送んない。送んないけどさ」


 そこで、三浦さんは親指を浮かせたまま、こっちを見る。


「これ、……大丈夫なやつ?」


 三浦さんの口元は笑ってる。けど、目だけが動かない。

 俺の指先が、紙袋の取っ手をきつく握っていた。


「なに、マジなやつ?」

「マジっていうか……」


 言葉が続かない。口を開いた瞬間、空気が変わりそうで、舌が動かない。

 三浦さんがスマホを少し傾けた。写真の中のさくらがちらりと見える。肩のライン。マフラーの色。あのときの空気まで戻ってくる。


 俺は反射で、三浦さんのスマホに手を伸ばしそうになって、途中で止めた。


「……消してもらえますか」


 自分で言ってから、声が硬いことに気づいた。三浦さんの眉が一瞬だけ動いた。驚いたような、でもすぐ笑いに戻るような。


「お、おう? そんな怒る? ごめんごめん。いや、悪い意味じゃなくてさ」


 三浦さんは慌てたみたいに笑って、画面を戻す。親指が一度だけ動いて、写真が長押しされる。メニューが出る。削除の文字。


「ほら。消す消す」


 タップ。


 画面から、俺の横顔と制服が消えた。消えたのに、胸の奥はそのままだ。俺は息を吸って、吐くのを忘れていたことに気づく。


「……すみません。なんか」

「いや、いいって。逆に俺が悪い。てかさ」


 三浦さんはスマホをしまいながら、俺の顔を見て笑った。笑い声はさっきより小さい。


「制服ってさ……高校の子? どこの知り合い?」

「……」


 俺は返事を一拍遅らせた。遅らせたぶんだけ、頭の中で余計な言葉が渋滞した。

“近所の子です”って言えば、それっぽい。“知り合いです”でもいい。


「……近所の子です」


 結局、出てきたのは、それだった。

 三浦さんは「へぇ」とだけ言って、肩をすくめる。


「ふーん。まぁ、そっか。……でもさ」


 三浦さんが何か言いかけた、そのタイミングで、バックヤードのドアが開く。

 ホールから戻ってきたやつが、トレーを抱えたまま顔を出してきた。制服のままじゃない。黒いポロシャツに名札。


「ういーっす」


 そいつは一拍だけ目を止めた。俺と三浦さんと、さっきまでの間。

 口元が、にやっと動く。


「なに、なんの話?」

「いや、こいつさ〜」


 三浦さんが軽く笑って、話を続けようとする。俺は咄嗟に段ボールを持ち上げた。手を動かしてないと落ち着かない。


 三浦さんは、さっきスマホを見せたときみたいに、軽い調子で話しかけていた。


「駅前でさ、高瀬と制服の子が、たまたま一緒に歩いてるの見えてさ。……で、な?」


 三浦さんの言葉尻が、ほんの少しだけ跳ねた。俺が何か言うのを待つみたいに。

 俺はそれを無視して、段ボールを棚に押し込んだ。押し込む力が余計に入って、角が指に当たった。痛い。


 何か言わなきゃいけないのに、口が動かない。

 三浦さんが笑って、同僚が笑って、空気が勝手に軽くなる。


「彼女?」って笑い声が、俺の返事より先に広がった。


 三浦さんの声は軽かった。

 軽いのに、胸の奥だけが変に固まる。


「……違いますよ。近所の子」


 それが精一杯だった。

 否定というより、反射に近い。

 声が少しだけ遅れて出た。


 三浦さんは「はいはい」と笑って、スマホをポケットに戻した。

 悪気はないんだろう。


「じゃ、片付け終わらせよーぜ。店長に怒られんの俺らだし」


 三浦さんは何事もなかったみたいに棚のほうへ歩いていった。

 俺も続く。足が少しだけ重かった。


 閉め作業は、いつも通りで、レジ締め。ゴミの分別。床のモップがけ。

 全部、手順は身体が覚えている。なのに、今日はどれも少しだけ遅れた。


 モップを押すたび、さくらの顔が浮かぶ……駅前で笑っていた顔。

 そして——先輩のスマホに映っていた写真。

 遠くから撮られた、ぼやけた俺たち。俺の横顔と、制服の肩と、街の光。

 それだけなのに、喉の奥がきゅっと狭くなった。


 モップを押す手に余計な力が入る。

 さくらの笑い方が浮かんで、次の瞬間、先輩の軽い声が重なる。

 俺はモップを止めて、息を吸う。

 さくらの顔がよぎって――吸ったまま、吐き忘れていた。


 作業が全部終わって、最後にシャッター。


「高瀬、押さえとけ」

「はい」


 重い金属が、ガラガラ、と降りる。冷たい音。最後にガチャンと止まって、店長が鍵を回す。


「おつかれ。じゃ、解散」

「おつかれっしたー」

「おつかれさまです」


 先輩は手を振って、駅のほうへ歩いていった。背中がすぐに人混みに紛れる。


 外に出た瞬間、夜の冷気が頬に刺さった。

 さっきまでの店の匂いが、一気に遠のく。息が白い。

 街灯の下、アスファルトが少し濡れて光っていた。


 ポケットのスマホが重く感じる。

 さくらからのメッセージは来ていない。来ていないのに、無意味に何度も画面を見てしまう。


「近所の子」


 言った言葉が、まだ舌に残ってる。


 さくらの笑い方と、

 先輩の軽い声と、

 テラス席の視線と、

 スマホの画面。


 俺はリュックの肩紐を背負い直して、住宅街の暗い道へ足を向けた。

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