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引っ越した先で高校生が家に逃げ込んできたけど、嘘はつけない  作者: 白川
未来を予約する前に

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21/25

【完結】キャンセル不可の予約。四年後の約束と、今の体温。

 バイトが無くなってからの数日、自堕落な生活をしていた、と思う。

 昼まで寝て、TV、配信、動画を見たり、誰かと通話やゲームをしたりして、夕方になれば、スーパーに寄って、割引シールの貼られた安い惣菜を選んで、レジに並ぶ。

 特別、予定がなければ、それで一日が終わることも多かった。

 予定が消えて、時間だけが残る。

 やることは、探せばいくらでもあるが、やらなくていいことも、また同じくらいあった。


 そうして、今日。

 さくらの勉強を見る約束をしている日が来た。

 それはもう特別じゃなくて、いつも通りの、日常の延長みたいなもので……それが、今は少しだけ、ありがたかった。


 机の上を片づけて、ノートを一冊だけ出す。

 使いかけのペンを転がして、時計を見る。


 ――そろそろ、来る時間だ。


 チャイムが鳴って、反射的にドアを開ける。

 細かいことは覚えていないが、たぶん、いつもと同じだった。

 靴が並んで、鞄が置かれて、二人で机に向かう。

 机の上に、さくらのノートが広がる。

 質問があって、答える……その流れ自体は、変わらない。


「ここ、もう一回やろうか」


 そんな中、自分の声が少しだけ低いことに、言ってから気づいて――喉を鳴らした。

 さくらは、ノートに視線を落としたまま、少しだけ黙った。

 それは考えている、というより――確かめている、みたいな間だった。


「……ねえ、海斗くん」

「ん?」

「最近さ」


 そこで一拍、間が空く。


「バイト、行ってないよね」


 心臓が、ほんの少しだけ跳ねた。


「別に、そんなこと——」


 言いかけたところで、さくらが首を振る。


「責めてるわけじゃないよ」


 声は落ち着いていて、感情の起伏もなく、静かだった。


「シフトの話、聞かなくなったし。この前、お店の前を通ったときも、いなかったから」


 淡々と、事実だけが並ぶ。言い切りも、決めつけもない。

 ――ああ、あの時と同じだ。

 ノートを広げて、「分かってることだけを書こう」って言った、あの場面を思い出す。


「……よく見てるな」


 そう言うと、さくらは少しだけ眉を寄せた。


「だって……」


 一瞬だけ言葉を探して、続ける。


「見たこと、って……大事だって言ってたでしょ」


 ……参ったな。

 一度、息を吐いて、誤魔化す言葉を探しかけて、やめた。


「今月で、バイト、終わった」


 短く言うと、部屋の空気が、ほんの一瞬だけ張り詰める。

 さくらは驚いた顔をせず、ただ視線を上げて、俺を見た。


「……クビ?」

「そうなるな」

「理由は?」

「店の都合、ってやつ」


 それ以上は聞かれなかった。

 さくらはノートを閉じ、短く息を吐いた。


「隠すつもりだったでしょ」

「まあ……最後までな」

「でも、無理だったね」

「ああ、無理だった」


 そう認めると、不思議と肩が軽くなった。

 さくらは、少し考えるみたいに視線を落としてから、言った。


「ね。海斗くん」

「ん?」

「かっこつけなくていいよ」

「え?」


 その一言が、思ったより深く刺さった。


「私、もう高校生だから、守られるだけじゃないって、ちゃんと示したい」


 顔を上げ、俺を見るその目は、まっすぐで、揺れていない。


「だからさ。今の話も、ちゃんと聞かせて」


 逃げ道は、もう無かった。

 でも――嫌じゃなかった。


「……参ったな。最後までカッコいい先輩のままでいたかったんだけど」


 苦笑い混じりに白旗を上げると、さくらは「ふふっ」と、どこか誇らしげに口角を上げた。


「残念でした!もう、隠しごとは禁止だよ?」


 そう言って、さくらは鞄から一冊のパンフレットを取り出した。専門学校の、入学案内。


「私、ここに行くって決めた。お母さんとも、学費のこと、ちゃんと話せたよ。……あと三回春が来たら、私、ここに入るね」


 パンフレットを見つめるさくらの指先は、もう震えていなかった。高校卒業まで二年、専門学校で二年。


「でも四年か。……長いよね、海斗くん」


 少しだけ不安そうに首を傾げるさくらに、俺は迷わず答えた。


「いや、短いだろ。俺が大学卒業して、働き始めて……ちょうど仕事に慣れた頃だ」

「……そっか。私の四年後には、もう『社会人の海斗くん』がいるんだね」


 さくらはページをめくり、中にある美容実習の写真を見つめた。


「じゃあ、予約……とっていい?」

「予約?」

「海斗くんの髪、私が一番に切るっていう予約。……四年後になっちゃうけど」


 俺は、テーブルの上に置かれた彼女の手に、自分の手を重ねた。


「ああ。いいよ。楽しみにしてる」

「……っ」


 さくらが小さく息を呑む。重ねた手から、彼女の熱が伝わってくるようだった。


「……今の私でも、いいの?」


 その問いは、髪を予約することだけを指していない。俺を頼り、巻き込み、バイトという居場所すら失わせてしまった。――そんな自分に、隣にいる資格があるのか。震える指先が、言葉にならない後悔を伝えていた。だけど、そんなものは代償でも何でもないのだと、俺は伝えたかった。


「いいに決まってるだろ」


 守るとか、助けるとか。そんな言葉で自分を正当化する必要は、もうなかった。


「今のさくらがいい。……好きだ」


 部屋の時計の音が、急に大きく聞こえた。さくらは顔を真っ赤にして、でも、視線だけは真っ直ぐに俺を射抜いた。


「……予約、取れるって言ったよね」

「言った」

「じゃあ……今から、付き合うってことでいいの?」

「ああ。よろしくな、さくら」


 すると、さくらは一瞬だけ泣きそうな顔をして、それから今日一番の、最高に意地悪で愛らしい笑みを浮かべた。


「――はい!キャンセル不可ですから、覚悟しておいてね?」


 窓の外では、もうすぐ本格的な春が来ようとしていた。

 失ったものはある。けれど、四年後の未来を語る二人の間には、昨日よりもずっと確かな体温が通っていた。

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