無計画なショッピングモール巡り。縮まる二人の距離感
春休みに入ってから、勉強を見る約束は何度か続いていた。
最初は英語だけのつもりだったのが、気づけば他の教科も混ざり、時間も少しずつ伸びていく。
机を挟んで向かい合い、問題を解いて、説明して、休憩して。
やっていること自体は変わらないのに、回数を重ねるごとに空気だけが変わっていった。
さくらの質問の仕方が、少しずつ遠慮のないものになった。
「分からない」「これの回答って何」じゃなく、「ここ、何でこの表現にするの」「ここで公式を使うが何で分かるの」と言うようになったのも、その頃だ。
そうして勉強の合間、何気ない会話が増えた。学校の話、友達の話、進路の話。重くならない範囲だけど、そういった話題も避けなくなった。
――春休みのうちに、一回ちゃんと出かけよう。
その約束だけが、曖昧なまま残っていた。
ある日の勉強会で、その話が自然に出た。
いつにするか。昼にするか、夕方までに戻れる時間か。
遠すぎない場所がいい、という点だけは意見が一致していた。
さくらはいくつか候補を挙げて、スマホを見ながら首を傾げる。
都会すぎるのは落ち着かないし、近すぎると「お出かけ」じゃなくなる。
「ここ、どう? ちょうどよくない?」
そう言って見せてきたのは、郊外のショッピングモールだった。
友達と行ったことはあるけれど、最近は行っていないとのことだ。
決めてしまうと、あとは早かった。
日にちを合わせて、バスで行くことだけ確認して、それで終わりだ。
特別な計画は立てなかった。「行ってから決めればいい」という、さくらの言葉に従った形になる。
その日から、勉強の進みが少しだけ良くなった。
後で楽しみが待っていると思うだけで、集中できるらしい。
そして迎えた当日。
駅前から出ているバスに乗ると、車内はそれなりに混んでいた。買い物袋を持った家族連れ、高校生、大学生らしい集団。背広を着たサラリーマン。平日と休日が混ざった匂いがした。
さくらは二人掛けの窓際の席に座り、外を見ながら落ち着きなく足を揺らしている。
「そんなに楽しみか?」
「うん。だって、久しぶりだし」
即答だった。
「前はさ、友達と来てたんだけど……最近は色々あって。今日はちゃんと“遊びに来た”って感じ」
それを聞いて、俺は小さく頷いた。
バスを降り案内板に従って数分歩くと、目の前にモールが広がっていた。ガラス張りの入口、流れる音楽、人の多さ。都会ほどじゃないけど、退屈もしない、日常と非日常が混ざったみたいな場所だ。
「まずどこ行く?」
「えっとね——」
さくらは迷わなかった。
「あっち。2階の雑貨屋。新作出てるって聞いたんだ」
店舗の中に入ると、さくらの歩幅が一段階速くなる。
棚と棚の間を縫うみたいに進んで、立ち止まっては戻って、また進む。
「これ可愛くない?」
「うん」
「……反応薄くない?」
「いや、可愛いと思うけど」
スマホケース、ペン、メモ帳。実用性より見た目重視のものを、さくらは一つ一つ手に取り、気に入ったものをカゴに入れていく。
「こういうのさ、意味ないって言う人もいるじゃん」
「まあ、いるな」
「でも、意味ない時間があるのって大事じゃない?」
さくらは真面目な顔でそう言って、すぐに笑った。
「今の……ちょっと語っちゃったね」
「自覚あるのな。あ……これなんか可愛いな」
そう言ってパンダの置物を指差す。
「わ、7800円……」
「値段見ると、急に現実に戻されるな」
「うんうん」
レジに向かう途中、さくらは小さなキーホルダーを一つだけ追加した。
会計を終えて袋を受け取ると、満足そうに息をつく。
「次は?」
「ゲーセン!見ていい?」
「ああ」
そう言いながら、二人で中に入る。
クレーンゲームの音、ビデオゲームの画面の光。
さくらは一つの台の前で足を止めた。
「これ、欲しい」
ガラス越しに見えるのは、小さなぬいぐるみだ。
正直、簡単そうにも難しそうにも見える。
「……取れるかな」
「いけると思う。たぶん」
その「たぶん」に、妙な自信が混じっている。
さくらは自分の財布を出して、迷いなくコインを入れた。
一回目。
アームは景品をかすめただけで、ほとんど動かない。
「あー……」
「今のは、さすがに無理だったな」
二回目。
今度は少し揺れた。
「今の見た?」
「見た。ちょっと動いたな」
「でしょ?」
さくらは画面を覗き込み、少し位置をずらす。
「次、ここからいく」
「お、変えるんだ」
「うん。さっきより、こっちの方が良さそう」
三回目。
アームが降りて、引っかかる。
一瞬、期待したが──落ちない。
「……だめかぁ」
さくらは悔しそうに口を尖らせて、俺を見る。
「海斗くん、やってみる?」
「え、俺?」
「うん。さっきの、悪くなかったし」
なんとなく断る流れでもなくて、俺は前に出た。
「じゃあ……一回だけな」
「そこ、もうちょい左」
「このへん?」
「そう、そこ!」
言われるままに位置を合わせる。
アームが降りる。
「……お」
「あ、引っかかった」
少し持ち上がって、
そのまま、転がり落ちた。
「うわ」
「取れた!」
さくらが一歩前に出て、ぬいぐるみを受け取る。
両手で抱えて、すぐにこっちを見る。
「やったね」
「……やったな」
思ったより声が弾んで、自分で少し驚く。
「タイミング、よかったよ」
「いや、さくらの指示が的確だった」
「ほんと?」
「ほんと」
さくらは嬉しそうに笑って、ぬいぐるみを胸に寄せた。
「大事にする」
「……そりゃ、よかった」
思ったより、声が小さくなった。
目を合わせるのも、なんとなく気恥ずかしくて、視線を外す。
「その……取れてよかったな」
「うん」
さくらが短く頷く。
それだけなのに、胸のあたりが少し落ち着かない。
俺はそれ以上、何も言えなかった。
昼過ぎ、フードコートは混んでいたけど、少し探せば空席があった。
さくらは天ぷらうどん、俺は焼肉定食。
「こういうとこ来るとさ」
「うん?」
「変に周り見なくていいのが、楽」
箸を持ったまま、さくらが言う。
「食べる早さとか……気にしなくていいし」
「そうだな」
それを“安心”って言わずに、ただ「楽」って言うところが、さくららしい。
食べ終わって、モール内を歩き回っていると、映画のポスターが目に留まった。
「これ、気になる」
「ホラーだぞ」
「え、無理」
「じゃあ却下だな」
「ひどい」
笑いながら歩く。
人混みの中でも、自然と距離が近かった。
帰りのバスを待つ間、ベンチに並んで座る。さくらはビニール袋に入れたぬいぐるみを膝に乗せて、空を見上げた。
「今日さ……ありがとう」
少し間を置いて。
「私ね、楽しいって思うと、ちゃんと前向けるみたい」
「うん」
「海斗くんといると、それが出来る」
俺は返事をしなかった。
代わりに、さくらの隣に座り直す。
バスが来る。
帰り道は、行きより少し静かだった。
駅前のバスロータリーに降りると、さくらが伸びをした。
見慣れた景色に、帰ってきたという感覚が生まれる。
帰りは駅前から伸びる大通りを並んで歩く。
行きよりも人は少なく、夕方の空気が混じっている。
会話は途切れがちだったけれど、気まずさはなかった。
むしろ、静かなままでいられる距離だった。
しばらく歩くと、見慣れた分かれ道が見えてくる。
「ここで、だね」
さくらが足を止める。
「また行こうね」
「ああ」
「今度は……海斗くんの行きたいところでもいいよ」
そう言われて、少しだけ考える。
「……じゃあ、そのうち」
「うん」
さくらは一歩下がって、軽く手を振った。
「今日は楽しかった」
「俺も」
それだけ言って、さくらは自分の帰り道へ向かう。
背中を見送ってから、俺はそのまま自分の道を歩き出した。
理由を考えなくても、今日が楽しかったのは事実だった。




