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引っ越した先で高校生が家に逃げ込んできたけど、嘘はつけない  作者: 白川
未来を予約する前に

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15/25

逃げ道がなくなった朝の約束

チェーンを外し、鍵に手をかけ、回そうとして、一瞬止まった。

金属が冷たい。

喉が乾く。息が浅い。

俺は深呼吸した。吸って、吐いて、もう一回。肺の奥まで入れるつもりで。

それから、鍵を回した。


ガチャ、と音がして、ドアを開けた。

廊下の冷気が流れ込んでくる。

目の前に、さくらの母と思われる女性が立っていた。


コートの襟がきっちり立っていて、髪も崩れてない。

けど、目だけが忙しい。俺の顔を一度見て、そのまま俺の肩の横を抜ける。

視線が部屋の奥を捉えたのが分かった。


同時に、視線が下がった。

玄関に揃えてある靴。俺のスニーカーの隣に、さくらのローファー。

さくらの母の目が、そこに止まる。

俺の口が動きそうになる。


さくらの母は、段差の手前で止まったまま、もう一度部屋の奥を見る。

その瞬間、部屋の奥から声がした。


「ママ?」


さくらの声だった。

さくらの母のまぶたが、ほんの一瞬だけ動いた。

俺は喉が鳴るのを止められなかった。


「……あの」


出た声が、自分でも驚くくらい低かった。

さくらの母が俺を見る。今度は目が逸れない。


「こんにちは……あなたが」


名前を聞かれてないのに、聞かれた気がして、背筋が固くなる。


「はい。高瀬です」


さくらの母の目が、また一度だけ靴へ落ちて、俺の顔に戻ってくる。


「……田辺さくらは。……お邪魔しても?」


空気が変わった。

俺は一歩、横に退く。通すためじゃなくて、邪魔にならないための動き。

けれど、結果的に道を作ったみたいになって、胸が重くなった。


「どうぞ」


さくらの母は靴を脱いで、室内に入る。

コートの裾が、静かに揺れた。

リビングに入った母は、ソファとテーブルを一通り見る。

付箋は、まとめて端に寄せてある。

ノートは閉じて、伏せたまま。


「……思ったより、きちんとしてるのね」


独り言みたいな声。

俺は、どう返していいか分からず、立ったままでいた。

さくらの母が、さくらを見るが、さくらは視線を合わせて、すぐ逸らした。


「どうぞ座ってください」


俺はソファを手で示した。

さくらが、少しだけ俺を見る。それに小さく頷き、視線を返す。

さくらはソファの右端に座り直し、さくらの母は左側に。

俺は、ソファではなく、反対側の椅子に座った。


「……今日は、話があって来ました」


母の声は、低いまま。


「昨日から、連絡がつかなくて」


さくらが、唇を開く。


「……ちゃんと、帰った」

「帰った“あと”の話よ」


母の声が、一段だけ下がる。

俺は、膝の上で手を組んだ……指先が少し冷たい。


「……高瀬さん」


呼ばれて、顔を上げる。


「あなた、さくらを……ここに泊めました?」


隠しようのない、問い。

確信があって聞いている声だ。

俺は、すぐに答えなかった。

一拍置いて、息を吸う。


「はい」


それだけ言った。

母の視線が、俺の目から外れない。


長い沈黙。


「……理由は?」


理由――頭の中で、言葉がぶつかる。

俺は、さくらを見る。

さくらは、手を、膝の上に置いて、背筋を伸ばしている。


「……家に、いられないって言われて……話を聞きました。それで」


事実だけを拾う。

母の眉が、わずかに動く。


「……聞いただけ?」

「はい」


それ以上、踏み込まなかった。

さくらの母は、ゆっくり息を吐いた。


「……さくら」


名前を呼ばれて、さくらが顔を上げる。


「あなた、自分が何してるか……分かってる?」

「……分かってる」


さくらの指が、膝の上で絡まる。


「本当に?」


問いが、重なる。


「……分かってる」


声は震えていない……でも、強くもない。

さくらの母は、俺を見る。


「……あなたは?」


俺は、一瞬、何を聞かれているのか、分からず答えに迷った。


「分かってます」


でも、そう答えた。

俺は、目線を落とす。フローリングの木目がやけにうるさい。


「……年齢のことも。立場も」


そこから先――続きを探して、言葉が見つからない。

母は、しばらく黙っていた。

沈黙が、部屋に溜まる。

さくらの母が、ゆっくり言う。


「じゃあ……どうして、止めなかったの?」


止める?

その言葉が、胸に引っかかる。

俺は、すぐに答えられなかった。

その間に、さくらが口を開く。


「……私が」


母の視線が、さくらに戻る。


「私が、行くって言った」


さくらは、視線を逸らさない。


「一人じゃ、無理だった」


さくらの母の眉が、きゅっと寄る。


「……だからって」


俺は口を開いた。


「勝手に決めたのは、俺です。俺が、泊まっていいって」

「……どういうつもりで?」


さくらの母の目線が、俺に戻る。

問いが、声が、重い。

俺は、背筋を伸ばす。目をそらさないよう、体勢を置きなおす。


「話を、聞くつもりで」


それだけ言った。

さくらの母は、何か言いかけて、止めた……バッグの持ち手を、ぎゅっと握る。


「……話、ね」


小さな声。


「……その結果が、これ?」


そして部屋を見渡す仕草。

さくらが、息を吸う音がした。


「……ママ」


呼びかける。


「私の話、聞いて」


母が、さくらを見る。


「聞いてる」

「……聞いてない」


短い否定。でも、声は震えていない。


「……高校、やめたいって言ったら、そこで終わるじゃん」


母の表情が、硬くなる。


「……それは」

「理由、言わせて」


さくらの声が、少しだけ強くなる。

俺は、何も言わない。

母は、口を閉じた。

閉じて、頷く。


「……言いなさい」


重たい声。けれど許可は下りた。

さくらは、一度だけ目を閉じて、開く。


「……学校が嫌なわけじゃない」


言葉が、ゆっくり出る。


「……でも、ずっと……待ってる感じがする」


母は、黙っている。


「やりたいことがあって……それが、今じゃないと……」


声が少し詰まるが、でも、止めない。


「美容師になりたい」


母の目が、わずかに動く。


「……それで?」

「……通信の、高等課程とか……調べて」


母の眉が、また寄る。


「そんな話、今まで……」

「……言おうとした。でも」


さくらの言葉が切れる。

俺は、テーブルの端に置いたノートを、そっと押し出した。

開かないまま。


母の視線が、ノートに落ちる。


「……これは?」

「さくらのお母さんに話すために、まとめました」

「……さくらが」


母は、俺を見る。


「……はい」


さくらが、頷く。

母は、ノートに手を伸ばしかけて、止めた。


「……今日は、ここまでにしましょう」


突然の区切り。


「……頭が、追いつかないわ」


さくらの肩が、わずかに落ちる。


「……明日。改めて、話します」


視線が、俺に向く。


「あなたも、同席で。……いいですか?」


逃げ道が、閉じる音がした気がした。


「はい」


そう答えるしかなかった。


さくらの母は、立ち上がるとコートを手に取る。


「……さくら」


名前を呼ぶ。


「……今日は、帰るわよ」


さくらは、一瞬だけ俺を見る。

それから、頷いた。


「……うん」


それを聞いたさくらの母は、部屋を出て行った。

部屋に、静けさが戻る。

戻ったけど、元には戻らない。

さくらは、立ったまま動かない。


「……明日。……明日、ちゃんと話す」


さくらがぽつりと言う。

俺は、頷く。


「うん」


それだけ。


玄関で、靴を履く音がする。

「お邪魔しました」という声が聞こえると、ドアが閉まる。

さくらは、それを追いかけるように靴を履いて、ドアの前に立つと、こちらを、振り返った。


「ありがと」


小さい声。だけど目は真っすぐ俺を見ていた。


「さくらが頑張ったからだよ」


俺は、そう返事をして、ノートをさくらに手渡す。


「これ……?」

「持って行って。明日、話をするなら見返した方がいいと思う」

「わかった。明日、だね……」


俺が頷くと、さくらはドアを開け、廊下に出て母と合流する。

さくらの背中が、小さくなっていった。

ドアを閉めて、鍵をかける。

静かになる。

胸の奥が、少しだけ重い。

でも、逃げ道は、もう考えていなかった。

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