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引っ越した先で高校生が家に逃げ込んできたけど、嘘はつけない  作者: 白川
未来を予約する前に

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14/25

一夜を越えて、インターホンが鳴った朝

 さくらの母に連絡をしても、胸の奥の怖さだけは減らなかった。


 送信ボタンを押したあと、さくらはスマホを机に伏せた。掌をその上に置いて、じっと息を止めてるみたいに見えた。

 俺はノートを閉じて、ペンをペンケースに戻す。


「……これで、一旦」


 俺が言うと、さくらは小さく頷いた。頷いたのに、肩が上がったままだ。

 しばらく、部屋の音が減った。

 冷蔵庫の低い唸りと、外の車の遠い音だけが残る。


「……お腹、空いてる?」


 口に出してから、変なタイミングだと思った――でも、何か言わないと、このまま黙って固まり続ける気がした。

 さくらは机の端を見て、頷く。小さく。

 俺も、腹が鳴りそうだった。昼に学食でカレーを押し込んでから、何も食べていない。大学から帰ってからも落ち着く暇がなかった。


「家にあるのでいい? 買いに出るのは……今はやめとこう」


 俺がキッチンへ向かうと、さくらが「うん」とだけ言った。

 ソファの端に浅く座ったまま、膝の上に手を重ねてる。

 今から米を炊くのは遅いしうどんにしよう。

 冷凍庫からうどんを出して、鍋に湯を沸かす。卵が一個だけ残ってたから落とした。味付けは白だし、醤油、砂糖で適当に整える。

 箸を二膳と、コップを二つ並べる。


「海斗くん、料理するんだね」


 さくらがぽつっと言った。

 驚きというより、話題を探している感じの言い方だった。


「するってほどじゃないよ。腹が減ったら、やる感じ」


 笑いながらそう言うと、俺は鍋を火から下ろして、器に分けた。湯気が上がる。


「食べれる?」


 さくらは頷いて、箸を取った。

 一口。二口。噛む回数が多い……味が分かってるのか分かってないのか、俺には判断できない。

 テレビをつける。音量を小さめにして、バラエティの明るい声が遠くで鳴るくらいにする。

 さくらは画面を見ない。見る代わりに、器の縁を指で押さえてる。


「……返信、来たら、さ」


 さくらが言って、途中で止まった。

 俺は箸を置いた。


「来たら、来たで考える。来てないなら、今は……食べよ」

「うん」


 その返事は早かった。

 食べ終わる頃、机の上でスマホが一度だけ光った。

 音は鳴らない。画面だけが白くなって、すぐ暗くなる。

 さくらの視線がそっちに飛んで、戻ってくる。

 俺は「見る?」とも言わなかった。言ったら、背中を押すみたいになる。

 代わりに、器を流しに運ぶ。


「お風呂、先に使って」


 言いながら、脱衣所の電気をつけた。

 さくらは一拍止まってから、小さく首を振った。


「わたしは後でいいよ」

「じゃあ、俺が先に入る。すぐ出るから」


 本当は逆にしたほうがいいんだろうけど、無理に譲るのも違う気がした。

 さくらは「うん」と言って、ソファに残った。

 急いで風呂から上がると、さくらは同じ姿勢のままテレビを見ていた。


 タオルを畳んで、洗面台の端に置く。


「次、入って。タオル出しておくよ」

「うん。ありがとう」


 さくらは立ち上がって、ゆっくり洗面所へ向かう。

 ドアが閉まる直前、さくらが振り返った。


「……明日」


 声が小さい。


「うん?」


「……一緒に、いてくれる?」


 俺は短く頷いた。


「うん。行く。家まで」


 それだけ言った。

 さくらは一回だけ頷いて、ドアを閉めた。

 湯の音がし始める。

 俺はソファの端に座り直して、机の上のノートを見た。三行だけ。さくらが最後に足した行だけ、筆圧が濃い。

 スマホがもう一度光った。今度は画面に名前が出た。


〈ママ〉


 音は鳴らないのに、胸の奥が一段冷えた。

 さくらが通知を見て、何かするかもしれないし、何もしないかもしれない。

 そのどれも、俺が決めることじゃない。……光は消えた。

 さくらが出てきたのは、それから少ししてからだった。髪がまだ湿ってる。部屋着は俺が貸したスウェット。袖が少し長い。


「さっき、光ったよ」

「うん……見ない」


 さくらが机の上を見ないまま言い切った。

 さくらは充電ケーブルを手に取ってスマホに繋ぐ。

 テレビの番組が変わって、バラエティみたいな笑い声が流れた。さくらがそれを見て笑うわけじゃない。でも、眉間の皺が少しだけほどける。

 そのタイミングで、再びさくらのスマホが光った。音は鳴らない。画面だけ一瞬、明るくなって、暗くなる。

 さくらの肩が、少しだけ硬くなる。


「……明日」


 俺が言うと、さくらが目を上げた。


「さくらのママと話すの、俺も一緒にやるよ。……勝手に口出すんじゃなくて、さくらの隣にいる」

「……隣」

「うん。さくらが言うのを、止めないように」


 さくらは息を吸って、吐いて、もう一回吸った。


「……私たち、付き合ってないのに」


 即答したら冷たい気がして、でも曖昧にしたくなくて、そのまま続ける。


「付き合ってない。だから、変に庇う言い方はしない。……ただ、俺も関わったし、そこからは、逃げたくない」


 さくらが、毛布の端を握り直した。握り直して、少しだけ頷く。


「……分かった」


 ベッドは一つしかない。今日は俺がソファで寝るつもりだった。

 立ち上がって、俺が毛布を出そうとすると、さくらが先に言った。


「……海斗くん、ベッドで寝て」

「俺、ソファでいい」

「ううん。昨日と同じ場所がいいの」


 言い方が強いわけじゃない。

 でも、譲らない、って決めた声だった。

 俺は一回だけ頷いた。さくらはソファに毛布をかけて、膝を抱えるみたいに丸くなった。


「……寝れる?」


 俺が聞くと、さくらは返事をすぐに出さない。

 息を吸って、吐いて、それから小さく「うん」と頷いた。


「わかった。隣に居るから、何かあったら呼んで」

「ありがと」


 俺は寝室の引き戸の前で一回だけ止まった。


「おやすみ」

「……おやすみ」


 引き戸を静かに閉める。薄い板一枚の向こうが、すぐ近いのに遠い。

 ベッドに腰を下ろして、息を吐いた。

 向こうの部屋から、しばらくしてテレビの音が小さく聞こえた。さくらが、起きてる音だ。

 俺は横になり明りを消して、何も考えないふりをした。

 気づいたら、隣の部屋の音が消えていた。

 呼吸だけが残っている気がして、俺はそれに合わせるみたいに目を閉じた。そのまま眠りに落ちたかどうかは、分からなかった。


 朝の光が、カーテンの隙間から細く入ってきていた。

 ローテーブルの端には、ノートが開きっぱなしになっていた。


 俺は台所に立って、湯を沸かしながら、マグカップを二つ出す。コーンスープの袋を引き出しから取って、カップの中へ入れた。

 こういうことをしてる間だけ、手が勝手に動く。


 背中で、小さく布が擦れる音がした。

 振り返ると、さくらがソファから起き上がっていた。髪が寝癖のまま、目をこすってる。部屋着の袖が手の甲を隠してる。


「……おはよ」

「おはよ」


 それだけ言って、俺はカップに熱い湯を注いだ。粉が溶ける匂いが広がって、部屋が少しだけ朝になる。

 それを机に置いた。


 さくらはすぐに飲まず、温度を確かめるみたいにカップを両手で包む。

 机の上のさくらのスマホは、昨夜と同じ位置にある。

 画面は暗いままだ。


「……来てると思う?」


 さくらがスマホを見ないまま言った。


「分かんないけど、多分。来てると思う」


 正直に言った。

 さくらが眉を少しだけ動かす。


「見る?」


 さくらは首を横にゆっくり振った。

 スマホの縁を指でなぞった。


「ううん。いい。見たら……気になるし」


 言って、さくらは唇を噛んだ。ほどいて、また噛む。


「じゃあ、後でにしよう。まず、飲も」


 さくらは一口だけ飲んだ。

 熱かったのか、瞬きを一回。飲み込んで、カップを机に戻す。


「今日、帰って」


 さくらが言った。喉が鳴るのが見えた。


「うん」


 頷く。そこから先を俺が押すのは違うと思った。

 さくらは俺をまっすぐ見て、続ける。


「もし……なんか、変なこと言いそうになったら、止めて欲しいの」

「分かった」


 それだけ言った。

 だけど、その直後に付け足した。


「でも、さくらが言うべきことなら、俺は止めない」


 さくらが、少しだけ視線を上げた。


「言うべきこと?」

「そう。お母さんに、本当の気持ちを言う。それはさくらの権利だ。……止める、ってのは、暴走した時だけ。……分かる?」


「うん」


 さくらが、ぼそっと言った。

 その言い方には、少しだけ安心が混ざっていた。

 インターホンが鳴ったのは、その直後だった。 短く、一回。


 さくらが固まった。

 肩が上がって、そのまま動かない。

 もう一度、インターホンが鳴る。


 俺は立ち上がって、玄関へ向かった。

 足音がいつもより大きく聞こえる。途中で振り返ると、さくらはソファの端で背中を丸めていた。膝を揃えて、両手を膝の上に置いたまま、指だけが動く。


 玄関のドアの前まで来て、ドアスコープを覗くと、厚手のコートに、手にマフラーを持った女性が立っていた。

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