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引っ越した先で高校生が家に逃げ込んできたけど、嘘はつけない  作者: 白川
未来を予約する前に

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13/25

「美容師になりたい」と

 学校でいじめられているんじゃない――その言葉を聞いて、俺は肺に溜まっていた空気を、ゆっくりと吐き出した。

 少しだけ沈黙が落ちた。湯気だけが揺れる。


「……じゃあ、何がしんどいの?」


 さくらは口を開いて、閉じた。

 カップの方を見て、それから自分の指先を見る。


「学校が嫌なわけじゃないの。でも……周りに“卒業するまで待ってね”って言われてるみたいで――待ってる間に、先にやりたいことがあるのに!って……思っちゃう」

「やりたいこと、って」


 さくらは指を絡め直した。

 ほどいて、また絡める。


「うん……美容師。机に座ってるより、手動かしてるほうが落ち着くし……友だちに頼まれて、髪編んだりして、“かわいい”って言われたら……そりゃ、嬉しいし」


 さくらは小さく笑いかけて、すぐ真顔に戻った。


「……変な話だけど、私も……誰かの“変わりたい”を手伝えたらいいなって、思った」


 俺は「変じゃない」と言いかけて、飲み込んだ。

 言うとさくらの言葉が軽くなる気がした。


「……いつから?」


 さくらが少し考えて、前髪の端をつまんだ。


「……中三の冬くらい。最初は動画見て真似してただけ。……でも、だんだん」

「美容系の学校に……ってこと?」


 俺が言うと、さくらは小さく頷いた。


「うん。そういうの。通信もあるやつ。普通の高校にいるより、そっちの方が……ちゃんと前に進める気がして」


 言い切ったあと、さくらは一回だけ瞬きして、視線を落とした。

 俺は頷かなかった。代わりにノートを引き寄せて、付箋を出す。


「じゃあ、書こ。言いたいこと。言われそうなこと。……順番も」


 さくらは黙って、カップを持ち上げた。

 一口だけ飲んで、すぐ置く。熱かったみたいに瞬きした。


「……これ、また……私が言うの?」


 小さい声だった。

 質問みたいで、お願いみたいでもあった。

 俺は昨日のノートを開いた。端に残ったペンの跡が、妙に生々しい。

 一回、さくらを見る。


「……今日話すのは、俺も一緒」


 さくらが少しだけ息を吸って、吐いた。

 俺は視線を外さない。


「一人にしない」


 さくらが小さく頷く。


「……昨日みたいに、言葉をまとめてみようか」


 俺は付箋を二枚、テーブルの真ん中に置いた。


「まず、“言いたいこと”。次に、“言われそうなこと”」


 言いながら、ペンをさくらの方へ寄せた。


「どっちからでもいいよ、言いやすい方からで」


 さくらは少し迷ってから、付箋を一枚剥がして書く。

 そうしてペタッ、と貼る。『私の話、ちゃんと聞いて』


 貼った瞬間、さくらは一回だけ黙った。付箋の文字を見たまま、膝の上で組んだ指を、白くなるほど強く握りしめた。

 すぐに視線を逸らして、もう一枚。『勝手に決めないで』


 俺は「うん」とも「分かった」とも言わなかった。

 代わりに、同じ列にもう一枚貼る。『美容師になりたい』

 それから続きを書いて、横に貼る。『美容の高等課程(通信)を考えてる』


「……これ、お母さんに言った?」


 俺が聞くと、さくらは首を振った。

 振ってから、小さく言い直すみたいに続ける。


「……“美容師になりたい”は言った。でも……“高等課程”とか“通信”とかは、まだ。……聞いてくれなくて」

「……そっか」


 俺は頷いて、付箋の束を指で揃えた。


「じゃあ次に、言われそうなこと」


 俺が一枚、貼る。『それはダメ』

 さくらがすぐにもう一枚。『まず高校』

 少し間が空いて、さらに一枚。『卒業してからでもいい』

 俺は別の列に、短く書いた。『今は考える時期じゃない』

 ペン先で、この付箋の端だけ指す。


「……これ、言われた?」

「……言われた」


 声は小さいのに、そこだけは止まらなかった。

 俺は次の付箋を貼る手を止める。

 止めてから、さくらを見る。


「うん……聞いてほしいって、さ。何を聞いてほしい?」


 さくらはカップを見て、口を開いて、閉じた。

 それから、やっと言う。


「……なんで」


 ぽつりと。


「私が……なんで、そう思ったのか。そこ、聞いてほしい」


 俺はそのまま、付箋に書いた。『なんでそう思ったのか(理由)を聞いて』

 書いてから、顔を上げる。

 さくらの目がこっちを向くまで待って、言う。


「……思いついた順でいいから。あとで並べよう」


 さくらが小さく笑いかけて、すぐ真顔に戻った。

 俺は付箋を二つ、指でトントンと叩いた。

 『言いたいこと』の列と、『言われそうなこと』の列。


「先に、これを増やそう」

「……増やす?」

「うん。美容師になりたいって言ったときに、お母さんが言いそうなこと。……それと、この他に聞かれそうなこと」


 俺は言いながら、今貼られている付箋を指で差す。


 『それはダメ』

 『まず高校』

 『卒業してからでもいい』


「……いつから、って聞かれそう……かな」


 俺は『いつから?』の付箋を貼った。


「答え、今ある?」


 さくらは一瞬だけ黙って、首を小さく振った。


「……ちゃんと覚えてない。……今は、これが言いたい」


 さくらはそう言って、指先で付箋の列をなぞった。


 『私の話、ちゃんと聞いて』

 『勝手に決めないで』

 『美容師になりたい』

 『美容の高等課程(通信)を考えてる』

 『なんでそう思ったのか(理由)を聞いて』


「……これなら言えると思う」


 さくらが小さく言った。そうして、ぬるくなったカップを一度だけ口元へ運び、また置いた。

 俺は「うん」とも「分かった」とも言わなかった。

 代わりに、空白の付箋を一枚、さくらの手の届くところに置いた。


「……じゃあさ」

「これに“足す”としたら、何が欲しい?」

「……足す?」

「うん。言い方じゃなくて、中身」


 さくらは、一度カップを見てから、視線を俺に戻す。

 俺は『美容の高等課程(通信)を考えてる』を指で軽く示した。


「例えば、ここ」

「……“軽い気持ちじゃない”」


 言った途端、さくらは自分で照れたみたいに瞬きして、すぐ真顔に戻る。

 俺は短くそれを書いて、貼った。


 『軽い気持ちじゃない』


 さくらはその付箋を見て、少しだけ息を吐いた。


「……でも、ママは、じゃあ具体的にって言う……と思う。……あと、そう。ちゃんと考えてるの?って」

「……じゃあ、具体的にって聞かれそうなやつ。何があるかな」


 さくらが小さく頷く。


「……“どんな学校なの”」

「“通信って何”って」


 俺は二枚続けて貼った。『どんな学校?』『通信って何?』

 貼ったあと、さくらは付箋の角を押さえたまま、少し黙った。

 自分で出したのに、怖くなったみたいに。


「あと……“資格は?”も言われた」

「……“美容師って、どうやってなるの”って」


 俺は短く書いて、貼る。


 『資格は?』

 『どうやってなる?』


 さくらが唇を噛んで、すぐ離した。


「……たぶん、そこも聞かれる。“結局、どうやって美容師になるの”って」


 俺は「うん」とも言わずに、ペン先を止めた。

 止めたまま、さくらの顔だけ見る。

 さくらは言いかけて、笑おうとして、それができないみたいに――少しだけ肩をすくめた。


「それで……“分かってないでしょ”って、言われると思う」

「……そうだな」


 空白の付箋を一枚、さくらの前に滑らせた。

 一回だけ、さくらを見る。


「“全部分かってる”じゃなくていいと思う。分かってないって言われたくないなら……“今ここまで”って言い方も、ある」


 さくらが瞬きした。


「今……ここまで?」

「うん。調べてる途中、とかさ」


 言い終えてから、俺は少しだけ声を落とす。


「それってさ……逃げじゃなくて、ちゃんと前を向いてる最中、ってことだろ」


 さくらは手元の空白の付箋を見て、息を吸って吐いた。


「うん……“まだ調べてる途中”って言いたい……! でも、それ言うと」


 言いかけて、一度、唇を噛む。


「……“じゃあ今じゃないでしょ”って、返されそう」


 俺は首を振らない。頷きもしない。

 その代わりに、ペン先で空白の付箋をトン、と叩く。


「それが来たら、だから、結論じゃなくて、話を聞いてほしいって言ってみるのはどう?」

「結論じゃなくて……?」


 さくらが小さく復唱する。


「うん。決めてから来い、じゃなくて、決めるために話をさせてって」


 さくらが瞬きした。

 怒られたみたいじゃなくて、意外そうな顔。

 俺はそのまま書いて貼った。『今は調べてる途中』『だから、聞いてほしい』

 さくらの視線がそこに落ちたまま動かない。


「……それ、言えたら」


 俺は頷かないで、わざと遮って続けた。


「でも。聞いてもらえたとしても、“じゃあ何を調べるの”、“どうやって決めるの”って、言われると思う」


 さくらが顔を下げる。


「……それ、言われそう」


 俺は空白の付箋を取って、短く書いて貼った。『何を調べる?』『どうやって決める?』

 さくらはその二枚を見てから、俺の方に視線を向ける。


「……でも、調べるって言っても……」

「うん。だから、今ここで“調べ方”も出そう」


 俺はもう一枚、空白をさくらの近くへ置く。貼らない。


「思いついた順でいいから」


 さくらの肩が、ほんの少しだけ落ちる。

 さくらは指先でテーブルをなぞってから、言った。


「……学校の先生に聞く。担任とか……進路の先生とか」


 さくらはそう言って、自分で「言えた」みたいに一回だけ瞬きする。

 俺はそのまま書いて貼った。『学校で相談(担任/進路)』


「あと……ネット。公式HPとか」

「うん」


 俺は言い過ぎないように、短くして貼る。『調べる(公式・資料)』

 さくらが続ける。


「美容師って……資格いるんだっけ」

「いると思う。そこも、ちゃんと調べよ」


 俺は空白の付箋に『資格の取り方』『美容師のなりルート』とだけ書いて貼った。

 さくらは付箋を見て、眉をしかめた。


「ルート……普通の高校を……途中で、やめるのと、卒業してから行くので、何が違うんだろ……」


 怖がっているのか、語尾がが小さくなる。

 俺は何も言わないで、代わりに付箋を並べるスペースを作った。


「分けて書こ。中退して移る場合、と卒業してから、の場合」


 さくらが小さく頷く。

 俺は二枚、見出しだけ貼る。『今の高校→移る場合』『高校卒業→そのあと』


 さくらはその見出しを見た途端、少しだけ呼吸が戻ったみたいだった。


「……あと」

「うん」

「“通信”って言ったけど……」

「うん。そこも調べよう。通うのと何が違うのか」


 俺は一枚追加した。『通学/通信の違い』

 さくらがカップを持ち上げて、今度は一口飲んだ。


「……これ、言えたら、ママ……たぶん聞いてくれる」


 その言い方は、希望というより確認だった。確認したくて、口に出した、みたいな感じ。

 俺は一回だけ息を吐いた。


「聞いてくれたとしても、今日いきなり全部決まる話じゃない」

「うん」


 さくらは『今は調べてる途中』を見て、小さく頷いた。頷いたあと、息を吸う。


「……じゃあ」


 さくらが言いかけて、言い直す。


「私、帰って説明しに行きたい……明日、ママ休みだし」


 それだけ言って、さくらは目を僅かに上げる。さくらの背筋が伸びた気がした。


「じゃあ――今、送ろ」

「……送る?」

「うん。メッセ。明日、って言えるなら」


 さくらがスマホを出して、画面を見たまま固まった。


「……また、私が?」


 小さい声。

 俺はテーブルの上に手を置いたまま、少しだけ前に身を乗り出す。

 さくらのスマホに触れそうで、触れない距離。


「文面は一緒に作ろう」

「押すのは……さくらで」


 さくらが俺を見る。

 俺は視線を逸らさない。


「一人にしない」


 それだけ言って、ノートの余白に短く書いた。


 『もう一回、ちゃんと話したい』

 『明日、家で時間ある?』

 『今日は帰らない。明日の朝、帰って話す。いまは――』


 そこで、さくらが小さく首を振った。


「……その言い方だと、心配すると思う」


 さくらが自分のペンを取る。俺はペンを置いた。

 さくらはノートの最後の行の語尾に、迷うみたいに一拍だけ止まって――書き足した。


 『いまは平気。ちゃんと安全なところにいる』


 書き終えたあと、さくらは自分の字をもう一回だけ見て、頷いた。


「これなら送れる、かな」


 さくらがスマホに視線を戻して、打つ。

 途中で指が止まるが、ノートを見直して、また動かす。

 打ち終わって、送信ボタンの上で指が止まった。


「押すね」


 誰に言うでもなく、さくらが言って。

 一回だけ息を吸って――押した。

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