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引っ越した先で高校生が家に逃げ込んできたけど、嘘はつけない  作者: 白川
未来を予約する前に

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12/25

帰ってきた彼女と、向き合う話

 大学からの帰り道、駅前の雑踏に紛れても、昼の食堂の光景が離れなかった。

 笑い声があって、席があって、俺だけがそこに入れない——変な苦さだけが口の中に残る。


 部屋に戻って、上着を脱いで、手を洗った。蛇口の水は冷たい。

 洗い物が少しだけあるのを思い出してキッチンに立つ。スポンジを握って……でも手が動かなかった。


 そのまま、インターホンが鳴った。

 短く、一回。


 俺はスポンジを置いて、手を拭いた。チェーンをかけたまま、ドアを開ける。

 隙間の向こうに、さくらがいた。……制服じゃない。髪が少し崩れて、目の縁が赤い。鞄を胸の前で抱えてる。

 さくらは息を吸って、吐いた。


「……帰ったよ。ちゃんと」


 それだけ言って、視線を落とす。

 肩紐を握り直して、また同じ場所を握る。


「……話したの?」


 俺が聞くと、さくらは小さく頷いた。


「……した! けど……だめだった」


 俺はチェーンを外して、ドアを少しだけ開けた。


「……お母さん、来てる?」


 さくらは首を振った。

 振ってから、少し考えるみたいに視線が落ちる。


「わかんない」

「外で話す?」


 一瞬だけ、間があった。

 俺はもう一回だけ聞いた。


「……中、入る?」


 さくらは一瞬だけ迷って、それから小さく頷いた。


「うん」


 さくらは靴を脱いで、震えた手で揃える。

 その間、俺は何も言えなかった。

 部屋に入ると、さくらはソファの端に座った。背中が小さくなる。

 俺はキッチンに戻って、湯を沸かした。


「……お茶でいい?」


 さくらは少し遅れて頷いた。


「うん」


 湯気が立つ。カップを二つ出して、ティーバッグを落とす。

 テーブルに置くと、さくらは両手でカップを包んだ。まだ飲まない。指先だけ温めるみたいに。


「……何があったの」


 俺が言うと、さくらはしばらく黙った。

 黙って、唇を噛んで、やっと言葉が出る。


「進路の話、した。したけど、ママ……そんなのダメって」


 声が少し震える。

 震えるのに、途中で止めない。


「それで……今はそんなの考える時期じゃない、勝手なこと言うなって!」


 さくらは一回、鼻で息を吸って、眉をしかめた。


「私、ちゃんと話したかったのに。ムカっとして、言い返しちゃった」

「……」


 聞いてから、俺は少し後悔した。

 でも、さくらは逃げなかった。


「全然、私の話聞いてくれなくて――私のことなのに!……って」


 言い終わったあと、さくらは湯気が細く揺れるカップの縁に視線を落とした。


「……俺のことは言った?」


 さくらの目が上がった。

 上がって、すぐ逸れた。


「……言ってないよ。名前は……言ってない」


 俺は頷くだけにした。

 よかった、と言うのは違う気がした。

 さくらが肩紐を握る手に力を入れた。


「……でも、たぶん……そのうちバレる。昨日のこと、隠せてなくて」


 昨日。俺の玄関で別れたときの、さくらの背中が浮かぶ。

 俺は息を吐いて、言い直すみたいに口を開いた。


「……今日さ、ここに泊まっていいよって、俺が軽く言っていいのか、分かんない。――だけど……分かんないけど、話すなら、ちゃんと俺も向き合わないといけない……って思う」


 さくらがカップを持ち上げて、また置いた。

 小さく音が鳴った。


「……向き合うって、なに?」


 責める声じゃない。ただ、分からなくて怖い……みたいな顔だった。

 俺はすぐに答えられなくて、テーブルの端に指を置いて前を向く。


「……さくらのことだよ」


 言ってから、少しだけ息を吸う。


「学校のことも。進路のことも……それで、お母さんに何言うかも」


 一つずつ言って、最後だけ少し間が空いた。


「……さくらはさ、今いちばん何がしんどい? 何を、いちばん守りたい?」


 さくらはテーブルの木目をなぞるように視線を滑らせ、何かを言いかけて……結局、指先を止める。

 それから、一拍置いて口を開いた


「……学校。……行かなきゃって、思うのに……朝が、こわい。でも……やめたいって言うと、ママがもっと……」


 言葉が途中で詰まる。

 さくらはカップの縁を指でなぞった。


「……進路は?」

「……まだ、分かんない。でも……このままじゃ、いや」


 俺は「そっか」とだけ言った。

 それ以上は言わない。


 俺はノートを引き寄せる。

 昨日、二人で書いたやつ。端にペンの跡が残っている。


「……じゃあさ」

「お母さんに、言いたいこと……ある?」


 さくらは一瞬だけ口を開いて、閉じた。

 それから、カップを両手で包んだまま、ぽつっと言う。


「ある」

「何?」

「“私の話、ちゃんと聞いて”って」

「“勝手に決めないで”って」


 さくらは目を伏せて、カップを持つ指に力を入れた。


 俺はすぐに頷かなかった。

 頷いたら、軽くなる気がした。


「……何を、お母さんに聞いてほしいの」


 さくらは一度、息を吸ってから吐いた。

 吐いて、言い直すみたいに続ける。


「……“高校、やめたい”って言ったら、そこだけで終わっちゃうの。私が……なんでそう思ったのか、そこは……聞いてくれない」

「そっか」

「うん。“それはダメ”って言われて……それで終わるの……」


 さくらはカップから手を離して、膝の上で指を絡めた。

 俺は少しだけ迷ってから、聞いた。


「……その……もしかして、学校で、いじめられてる?」


 さくらが顔を上げた。

 すぐに首を振る――はっきりと。


「違う。そういうのじゃない」

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