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引っ越した先で高校生が家に逃げ込んできたけど、嘘はつけない  作者: 白川
未来を予約する前に

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11/25

押しやられた鞄

 さくらを泊めて帰した翌日、俺は大学に来ていた。


 三月の昼は、あったかいようでまだ冷える。キャンパスの端の桜は、咲く気配だけ先に膨らんで、枝はまだ硬いままだった。


 春休みでも、昼時の学食はいつも通り混んでる。研究室の用事だとか、新歓の準備だとか。結局、並ぶ列は短くならないし、席取りの目だけは鋭いままだ。


 自動ドアが開くと、油とスープの匂いが混ざって鼻に当たる。俺はトレイにカレーを載せると、いつもの方を見た。

 いた。ゼミの連中と、その友達らだ。

 笑い声が上がって、誰かが手を上げる。


「海斗、こっち」


 呼ばれて近づくと、指差された席は、端の一つだけだった。

 テーブルの端。……なのに、その隣の椅子は空いている。

 俺は一瞬だけ足を止めた。

 隣が空いてるのに端? そんなこと、あるのか……。

 一拍だけ迷って、それから腰を下ろした。


「……ここ?」


 俺が聞くと、返事はすぐ返ってきた。


「うん、そこ」


 返事が返ってきた。

 俺は「うん」とだけ返して、トレイを置いた。カレーのスプーンを口に運ぶ。熱さで舌が少し痛いが、不思議とほっとしてしまう味だ。


 隣の椅子は空のまま、会話は続く。

 ただ、言葉が飛ぶ向きが、俺の方には飛んでこない。


 向かいのやつが、俺を見ないで話す。

 斜め向かいが笑って、別のやつがすぐ拾う。

 俺はうなずいて、飲み込む。口角だけが動く。


 トレイの端でスマホが震えた。

 画面は伏せたまま、机が小さく鳴る。


 俺は反射で手を伸ばしかけて、やめた。

 ……少し気まずくなって、代わりにコップを掴んで立つ。

 水を足すだけのつもりで給水機へ歩いた。

 冷たい水がコップに当たる音。

 それを聞いてる間だけ、目の置き場に困らない。


 戻るべきか、少し迷った。

 席に戻れば、またあの輪の中に入ることになる。でも、戻らなければ、それはそれで“逃げた”みたいで嫌だった。


 そうして、戻った瞬間、俺の足が止まった。


 さっきまで空いていた隣の席も、さっきまで俺が座っていた席も、もう誰かが座っている。

 椅子の背に掛けていた俺の鞄は、邪魔そうに押しやられて、テーブルの脚のほうへ寄せられていた。

 取っ手だけが、通路側に寂しく出ている。


「……そこ、俺の」


 言ったつもりだった。声がちゃんと出たか、自分でも分からない。

 座ってるやつが、ちらっとだけこっちを見る。でも、立たない。肘もどかない。

 俺は鞄の取っ手を掴んで引いた。

 テーブルの脚に引っかかって、嫌な音が出る。


「……ちょっと」


 もう一回だけ言って、鞄を肩にかけ直したが、誰も見ないし、誰も言わない。

 空いた席は遠くにいくらでもあるが……俺は一歩下がって、立ったままになった。

 笑い声が上がる。俺の耳にも届く距離なのに、俺は輪の外にいる。


 スマホがまた震える。今度は短くない。

 画面が点いて、名前が浮いた。


 〈三浦さん〉


 バイト先の先輩――閉めに入ってることが多くて、俺のシフトをいじるときは大体この人を通る。

 俺はその場で出るのをやめて、食堂の外に出る。人の流れの邪魔にならないよう端に寄った。

 息を一回だけ整えて、スワイプする。


「……もしもし」

『海斗? 今、話せる?』


 いつもの軽い声。だけど、今日は最初の一言が少しだけ短い。


「うん。どうした」

『店長からさ、連絡。今週のシフト、ちょっと見直すって』

「見直す?」

『うん。……あー、店の方の都合らしい。』


 店の都合、って言い方がやけに固い。


『でさ。聞くのも嫌だろうけど、一応確認しとく』

「何」


 電話の向こうで、三浦さんが一回だけ息を吸った。


『最近、制服の子と一緒にいたって……ほんと?』


 胸の奥が小さく沈んだ。

 周囲のざわつきが、急に遠くなった気がする。


「……見られたんだ」


『俺は見てない。店に来てる子が言ってた。駅前で、って。』

「誰が……いつ……」

『そこまでは知らない。けど、話が変な方向に行くと面倒になるからさ』


 三浦さんの声が少しだけ低くなる。いつもみたいに笑っていない。


『店長さ、こういうの嫌うじゃん。事実がどうとかじゃなくて、“店に飛び火する”のが嫌って。』


 俺は返事を返せなかった。口の中が乾いて気持ち悪い。


「……相手は、高校生。だからって、そういうことじゃない」

『うん。分かってる。……分かってるけど、分かってないやつもいるから』

「……」

『それでさ。店長が、しばらく混む時間帯はホール以外に回して、様子見るって。』

「……ホール以外?」

『そう。裏方。客の目が少ないとこ。』

「俺を外す、ってこと?」

『そうじゃなくて。……いや、外すっていうより、表に立たせないで裏に回ってもらう。そんな感じ。』


 その言葉が、喉の奥に引っかかった。


「……三浦さんは、どう思ってるの?」

『俺?』


 少し間。


『俺は、お前が変なことするやつじゃないって思ってる。だから、確認してる。……あと、釘も刺してる。店長に。』

「……ありがとう」

『礼はいらん。』


 いつもの口調に戻りかけて、戻りきらない。


『たださ。黙ると、勝手に“それっぽく”されるから。』


 俺は息が浅くなって、うまく返せなかった。


「……分かった」

『おう。あと、変に一人で抱えるなよ。』

「……はい」


 返事のしかたが固くなって、自分でも変だと思った。


『じゃ、また。店長の話が決まったら連絡する』

「うん」


 電話が切れた。画面が暗くなっても、手のひらは熱いままだった。


 俺は結局テーブルへ戻らなかった……戻っても座る場所はない。

 鞄の取っ手に残った、テーブルの脚を引っかけた音だけが、まだ耳に残っている。


 少し離れたところから、あいつらの方を見る。

 誰かが俺に気づいて、目が合いそうになる――合う直前で、逸らされた。


 逸らされた先で、また笑い声が上がる。

 さっきから心臓の鼓動がやけにうるさい。俺は立ったまま、口だけで深呼吸をした。


 空いた席は遠くにいくらでもある。

 でも、そこに座ったら、俺が勝手に“別の場所の人間”になる気がした。


 鞄の取っ手を握り直す。

 ……指が少し痛い。


 俺はそのまま、足を動かした。

 背中に笑い声が残ったまま、食堂のドアが閉まる音がした。


 笑ってくれてた連中が、今日は目を合わせてこなかった。

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