革命は少女の死から
その日は雨が降っていなかった。
だが湿度は異様に高く、ジメジメとした嫌な感覚が漂っていた。松明の煙は天に登ることもできず、ただ重く垂れている。
暗く湿った牢獄の中で、少女は天井を眺めていた。
年はまだ16、17だろうか、凛とした表情からはなんの感情も感じられない。
震えも、涙もない。
牢獄があったのは地下深く。昼でも夜でもおんなじような匂いがする。
その番をしていたのは壮年の男であった。
囚人もほとんどいない、陰鬱としたこの場所の見張りは、くじで決められる。
”はずれくじ”を引いてしまった男は、とんだ貧乏くじだ、どうせ見張るのは非力な少女一人。多少目を離してサボろうが問題なんて起きやしない―――その程度に考えていた。
だが、見回りで鉄格子の向こうの少女を見たとき、
その表情を見てしまったとき、男は足を止めた。
嘆く者、震える者、泣き叫ぶ者。
男はこれまで、何人もの人を見てきた。
だが少女のように、式典にでも出るような顔をした者はいなかった。
それもそのはずだ。
この牢に入れられる者は、朝には処刑されるのだから。
「怖くないのか、もうすぐ処刑だというのに」
本来、これから処罰されるものに、肩入れしてしまわないように囚人と会話することは禁じられている。
しかし、男の口は自然と開いていた。
男と少女のほかは誰もいない、そんな空間で。男を咎めるものは誰もいなかった。
その言葉を聞いて、少女は一瞬、驚いたように目を瞬かせ、それから小さく笑った。
「怖いですよ。ちゃんと」
その声は少し震えていた。
「なら、なぜ……」
「ずっと、意味が欲しかったんです」
処刑に意味もくそもあるか……と言いかけて男は口を紡ぐ。
少女の真っ直ぐな赤い目を見たからだった。
有無も言わせぬような、そんな目だった。
鉄格子で塞がれた小さな窓から風が吹いてくる。
「私が死んでも未来がある。だから耐えられる、それだけです」
その顔には、揺るぎのない芯があった。
男の脳裏に、かつて自分を庇って死んだ父の姿がよぎる。
街が戦火に飲まれたとき、男を逃がした父
あの時の父親も、同じような顔をしていた。
「あなたは、明日もあさっても生きていますよね」
唐突な問いだった。
幾分か考えた後、男は口を開いた。
「……わからんが多分な」
それは半分男の願いでもあったのかも知れない。
この国を取り巻く状況は決して良くなく、最近では国家の転覆を唱える人々が活発化していた。
この城で兵士をしている男はいつ死んでもおかしくはない。
そんな中で明日も生きているかなんて、男には分からなかった。
「良かった」
酷く安心したような、そんな声色だった。
だが男はその言葉に、説明できない悪寒を感じた。
まるで大きな何かが迫っているようなそんな感覚。
そこへ畳み掛けるように少女が言葉を続けた。
「あなたみたいなひとが生き残らないと」
「それは、一体どういう―――」
「”変わったあと”が、始まらないから」
少女は確信めいた口調で言い、そうして口を閉じた。
しばらく沈黙が場を支配した。
地下牢では、沈黙すら反響する。
先に口を開いたのは男の方であった。
「何を―――」
企んでいるのか、そう尋ねかけて、男は言葉を止めた。
聞いてしまうのが怖かったのだ。引き返せぬように感じて。
何もかもを見透かしているような目で少女は男を見た後、少しだけ考える素振りを見せた。
そして困ったように、けれど優しく笑った。
「何も、教えません」
男は気がつけばほっと息を吐いていた。安堵の息であった。
自分が何も知れなかったこと、知ってしまえなかったことに対して。
少女の言葉は続く。
「きっと知ってしまったら、選べなくなる」
少女は、鉄格子越しに一歩だけ近づいた。
「あなたが明日、目を背けるのも」
「立ち会うのも」
「忘れたふりをするのも」
「全部、あなたの意思であってほしい」
男は、何かを言おうとして、言葉を見失った。
明日、この少女が死んだらなにかが起こるのだろう。男は鈍かったがそれだけは確信できた。
地下牢の奥で、水滴が一つ、音を立てた。
「生き残る人には」
少女は静かに続ける。
「責任が、あるんです」
――何の責任か。
男はそう聞く勇気を、ついに持てなかった。
再び沈黙が場を支配した。
「……そうか」
男はそれだけ言った後、何も言わなかった、いや言えなかった。
そのまま逃げるように少女の牢を後にした。
夜明けは、思っていたよりも早く訪れた。
地下牢に差し込む光は匂いと同じくほとんど変わらない。
それでも男には、空気がわずかに軽くなったのが分かった。
男は再び少女の牢の前に立った。
少女は眠っていた。
いや――眠っているように見えただけかもしれない。
胸は静かに上下しているが、表情は昨夜と何一つ変わらない。
男は声をかけるべきか、しばし迷った。
だが、何を言えばいいのか分からなかった。
処刑の準備は、いつも通り淡々と進んだ。
縄は新しいものに交換され、床板は軋まぬよう調整される。
男にとっては、日常であった。
南門前の広場には、思ったより人が集まっていた。
好奇心と、習慣と、飢え。
それらが混ざった、見慣れた顔ぶれ。
人間らしさ、といえばそうなのかも知れない。男はぼうっとそんな人々の顔を眺めていた。
昨日の少女と全く違う、腑抜けた、希望のない顔だった。
少女は両手を縛られ、処刑台へ導かれる。
足取りは乱れていない。
男は、その横に立っていた。
立会い役としての位置だ。
男の少女の視線が合った。
少女は、一瞬だけ彼を見て、わずかに口元を緩めた。
昨夜の続きのような笑みだった。
「なにか言い残すことはあるか」
立会役として、男は義務的に声を掛ける。
「私が死ねば、鐘が鳴る。
鐘が鳴れば、門が開く。
門が開けば、城は落ちる」
そう言って、少女へ目を閉じた。
男はゴクリとつばを飲んだ。
……ああそういうことか、そうだったのか。
男はようやく合点がいった。
近頃、この国を騒がす革命派と呼ばれる連中が近頃大きなクーデターを企んでいるという噂は本当だったのか、と。
罪状が読み上げられる。
反逆罪、国家転覆罪。
群衆の中から、罵声とも歓声ともつかない声が上がる。
少女は、それに一切反応しなかった。
縄がかかる。
男は、合図を待った。
そのとき、
遠くで、鐘が鳴った。
一度。
処刑を告げる鐘だった。だがそこで鐘の音は止まらなかった。
二度。
三度。
本来、今鳴るはずの鐘ではない音がなり続ける。
ざわめきが広がる。
誰かが振り返り、誰かが門の方を見る。
少女は、空を見上げていた。
雲の切れ間から、かすかな青が覗いている。
彼女は、男のほうを見て、ほんの僅かに頷いた。
床が落ちた。
叫びが上がる前に、
南門の方から、別の音がした。
破壊音。
怒号。
そして、再び鳴り響く鐘。
その唸りはもう止められるものではなかった。
革命は、少女の死とほぼ同時に始まった。
王はその日のうちに捕らえられ、数日後には処刑された。
長年独裁を敷いた王はあっけなく首を吊るされた。
新しい政府が、急ごしらえで作られ、人々は「変わった」と口にした。
英雄の名を探す者もいたが、それはすぐに途絶えた。
最初に死んだ反逆者について、記録はほとんど残っていなかったからだ。
男は、職を辞めなかった。
変わった世界でも、兵士はまだ必要だった。
南門を通るたび、男は思い出す。
名も残さず、
英雄にもならず、
それでも世界を確かに動かした少女がいたことを。
誰も彼女を覚えていない。
それでいいのだと、
男は今なら分かる。
それが、
彼女が選んだ革命だったのだから。
初めて書いた作品です。お付き合いありがとうございました。




