王妃を毒殺した王妃の末路
殺人や自殺願望、不倫などが出てきます。苦手な方は、ご注意ください。
侯爵家へ降嫁させた義理の娘ハリエットに、お茶に誘われた。
王宮の庭園にお茶会の準備が整えられている。
出て行った人間なのに、今でもこれだけ人を動かせるという示威行為かしら。
まあ、日傘を差し掛ける騎士が、見目麗しいのは悪くないわ。
「キャサリン様も誘ったのですが、王太子妃教育とお仕事が忙しいのですって」
「王太子妃になる者が無能というのは、困りますわね」
「……無能とは?」
ハリエットがうつむき加減で話すから、目元が見えない。
一瞬、冷たい風が吹き抜けた気がする。
「お茶をする時間も作れない、つまり、時間管理がなっていないのよ。わたくしの若い頃はねぇ……」
有能なわたくしの話を聞かせてあげましょう。まあ、聞いたところで真似できないとは思いますけれどね。
「ふふ、お継母さま。面白いことをおっしゃるのね。
あなた様は側妃候補ですらなくて、教育を受けていないではありませんか。側妃教育も終了しないまま、運良く王妃になってしまった方……。
王太子妃候補であるキャサリン様がどれほど忙しいか、想像もできないと思います」
嫌なことを言う女だ。思わず、舌打ちしたくなった。
「けれど、今は王妃だわ」
元王女だろうが、現在はわたくしの方が上。わからせなくてはいけない。
「そうですね。わたくしのお母様が亡くなってからは、王妃ですわね。
……こんな大変なときにお茶のお誘いに応じていただけて、驚きましたわ、ヴェロニカ王妃殿下」
「どういう意味よ?」
「まあ、怖い。言葉遣いに、元々の卑しさが見え隠れしていてよ」
ハリエットはこてりと小首をかしげ、可愛い子ぶる。
お前のような腹黒には、似合わないわ。
「昨日、王太子殿下が落馬されたではありませんか。
わたくしにとっては異母弟、あなたにとっては息子ですわ。心配ではありませんの?」
「宮廷医師がしっかりと診ていてくれるので、大丈夫よ。
あなたは異母弟を可愛いと思ってくださらないのね。残念だわ」
お返しをしてやる。薄情なのは同じじゃない。
「いやですわ。実母よりも心配する異母姉なんて、おかしいでしょう」
嘲笑うような声にゾッとした。
今まで無害な小娘だと思っていたのに、今日は何かおかしい。
「今ごろ、あなたの切り札――王太子殿下は、子どもが作れないように手術をされているわ。
執刀しているのは、彼の実の父親である宮廷医師よ」
今、何と言った?
手からティーカップが滑り落ちた。
ガシャンと音を立てる。
割れはしなかったが、紅茶がソーサーを乗り越え、白いテーブルクロスにシミを広げていく。
だが、誰も動かない。
侍女も、メイドも。
わたくしの心配をしない。
冷たい視線が痛いほどだ。
これは、学生時代に当時の王太子に近づいたときに浴びた、見下す目だ。
「ようやく、当時の侍女を見つけましたわ。
あなたは関係者を暗殺して安心していたようですけれど、一人だけ、隣国に逃げていましたのよ」
場違いに、蝶がひらひらと呑気に飛んでいた。
「正妃であるお母様とお兄様に毒を盛り、病気に見せかけて殺しましたね。
子どもに継承権が与えられない侯爵家にわたくしを追いやって、安心していらしたのでしょう?
嫁いだ侯爵家は隣国とも取引をしているから、そのご縁で元侍女を見つけてしまったわ。
ふふふ、神様が『あなたの悪事を暴きなさい』とおっしゃっているみたい」
血の気が引いていく。何か、言い返さなくては。
「……あの子は、国王陛下の御子ですわ」
声が震えた。
「ですが、宮廷医師の可能性もあるのでしょう? もう、その時点で許されないのよ。
毎月、妊娠しているか確認したついでに性行為に及ぶなんて、よく考えましたわね。
侍女たちに壁際を向いているように命令して……そこまでして行為に及ぶ、執念がすごいわ」
ハリエットは軽蔑の眼差しを投げた。
わたくしの顔が羞恥で赤くなる。元王女が明け透けに下品なことを言うから、ついわたくしも言い返してしまった。
「自分勝手で、気持ちよくないんですもの!」
騎士たちの何人かが、びくりと肩を揺らした。
「……つまり、国王陛下より前に、気持ちよくしてくれた人がいたのですね」
失言だった。その寸前までの経験はあったが、しっかりと乙女の証は守っていた。
それなのに、この言い方では誤解される。
「ちゃんと、陛下が初めての人だわ!」
思わず大きな声で言ってしまった。
「信じてくれる人がいるといいですね」
とても冷たい声音だ。宮廷医師との関係を知られてしまえば、どうしても信憑性に欠ける。
「本当なのに……」
力なくつぶやく。そうすれば、誰か男の人が助けてくれるはず!
周りを見たが、誰も動こうとはしない。ハリエットの味方をするなんて、あとで思い知らせてやらなくちゃ。
「ヴェロニカ様」
ハリエットが呼びかける。
「敬称を付けなさい!」
そこは譲れない。
ハリエットはもう殿下じゃなく、侯爵夫人になる予定があるだけ。次期侯爵夫人なんて、正式な名称ではない。
わたくしは、この国の歴とした王妃殿下。
「失礼しました、ヴェロニカ殿下。
それでですね、殿下のご実家に強制捜査が入っておりますの。
心当たりはいろいろとおありでしょう? 脱税、輸入禁止の毒物、希少なモンスターの密売……」
謝罪されている気がしない、軽い詫びのあとに、衝撃の発言が……。
「これで、殿下の武器を全て奪えましたかしら? 」
にっこりと、ハリエットが微笑む。
背筋を冷や汗が流れ落ちた。
「わたくし、母と兄を害されたことを、とても怒っておりますの。
病気と言われても、わたくしは無事でしたので、感染症ではないと考えました。
わたくしは子どもだったので防げませんでしたが、逆に、わからないだろうと油断する者たちもおりましたの。たとえば、宮廷医師。
腰も口も大変軽い、俗物ですわね。わたくしの胸が膨らんできた頃に『母親と兄と同じように死にたくなければ股を開け』と言ってきたんですのよ。
すぐに宮廷医師長に相談して、あの方はあなたと息子の専属になったはず」
え、冗談でしょう? 色気もない子どもに? 犯罪を匂わせた?
「あ、あなたが色仕掛けしたんでしょう?!」
そうよ、そうに決まっている。
「どうしてそのような発想になるのかしら。あんな目つきの気持ち悪いオジサンは、趣味ではありません」
それは、わたくしを悪趣味だと言っているの?
「父があなたに溺れて、お母さまに側妃の政務まで押しつけていたことも許せません。
それで、あなたにお母様を殺された男は、どうしたと思います?
あなたは相変わらず、側妃としての公務すらやろうとしませんでしたね。
正妃の座を欲しても、やる仕事は社交だけ。
さて、それ以外の面倒な執務をしていたのは、誰でしょうか?」
ハリエットは人差し指を立てて、子どもが謎解きで遊ぶような仕草をした。
もったいぶっているのか、わたくしが焦るのを楽しんでいるのか、たっぷりと時間を空けた。
そんなの、知っているわけがないじゃない。
「あなたが蹴落とした側妃候補、現公爵夫人マルチェラ様です!」
「なんですって? あの女が?」
王太子がわたくしに夢中になって、ぞんざいに扱われていた哀れな女。今更、なぜ表舞台に出てくるのか。
「まあ、下品な。
ええ、女官として出仕して、国王の補佐をしていらっしゃいます。もちろん、普通の女官ではありませんよ。
実質、王妃の執務をしてくださっています。それすらご存じなかったのですね。
いくらお飾りにしても、執務に興味がなさ過ぎますわ。あなたが読んでいる原稿を書いているのもマルチェラ様です。
それでよく、年若く王太子妃教育を受けながら頑張っているキャサリン様を、貶そうと思えましたこと」
憎きハリエットが扇で口元を隠し、軽やかに笑う。
蝶が扇の周りで舞うように飛んでいた。
「あなたにはもう、愛嬌も純粋さも無防備な危うさもないわ。いい年をした女性に庇護欲を抱く男性は少ないでしょうね。
だって、可愛いと言うより、ただ頭が悪くて扱いかねるお荷物ですもの。
マルチェラ様の成熟した品の良さに対抗できるものがおあり?」
扇をこちらに向けて、認めたくない現実を突きつけてくる。
「可愛い」と言われることで勝負をしていたわたくしは、年と共に言われなくなっていた。努力しなくても褒められていたので、どうすれば再び言われるようになるのかわからない。
とにかく、若さを保つよう、シミやシワを作らないように努力してきたわ。
流行だって、ちゃんと牽引してきた。それは、並大抵の努力ではない……。
「マルチェラ様は、国王陛下の種でお子様を産んでいらっしゃるのよ」
ハリエットは扇を傾けて、内緒話のように口にした。その目は、こちらの反応を見るのが愉快で堪らないと言っている。
「なんですって?!」
あまりの内容に、立ち上がってしまった。
「あなたがお母様を殺したせいよ。
溜まった仕事を頼み、改めて彼女の魅力に気がつき、お手がついた……よくある話でしょう。
そして、彼女が嫁いだ公爵家は、王家の分家として始まった『王家のスペア』。
あなたの息子が廃太子になっても、彼女の子はなんの障害もなく立太子できる血筋なの」
「それは、浮気だわ。そんなアバズレを……」
ハリエットは吹き出して、遠慮無く笑った。
「それ、あなたが言うの?
事前に公爵の了解を得ています。
だから、それ以来、公爵の一門が要職を占めるようになっているのよ。
あなたの家も要職を要求していましたが、あなたは興味がないので放置していたでしょう。
自分の勢力を作らず、国王の愛だけを頼りに生きてきた結果が、今の状況ですわ。
『真実の愛』の儚さ……というところかしら」
この女は、わたくしを地獄に突き落とそうというのね。わたくしの全てを否定する。
「マルチェラは……それでいいのかしら」
ささやかな抵抗だ。あんな負け犬のことを、心配しているわけではない。けれど、あの女を追い出したい。
「呼び捨てにするほど、親しくもないでしょう。本当に礼儀のなっていない人ね。
……いいわけがないでしょう。彼女の心はボロボロよ。
それをわかっているなら、なぜ、彼女を蹴落としたの?
彼女はもう人生を諦めているわ。早く死んで楽になりたいのですって。
死ぬ勇気がないから、仕方なく生きて、仕事をしているそうよ。
肉体を殺すだけじゃなく、投げやりにさせて精神的に殺すなんて、かなり高度なやり方だと思うの。あなた、人殺しの才能があるわ」
ハリエットの目は、わたくしを裁きに来た神の遣いのようだった。
「あなたの息子は、これから体も動かせなくなるわ。落馬したのだから、そういう不幸も起こりうるわね。
そうして、手術に失敗した医師は、後悔して自殺するの」
ハリエットは扇を閉じて、わたくしの方に向けた。言っている内容は、犯行予告だ。
誰か、この女の犯罪を止めて。
目だけを動かすが、誰ひとりとして顔色を変えていない。
「この場にいるのは、お母様の実家の辺境伯家から出してもらった者たちよ。
あなたのことは、『お嬢様の敵』と思っているから、懐柔できないわ。
お母様は、守られるより守りたいという女傑だった。父もあなたも、愚かで可愛いと言っていたのよ。
そんな唯一の味方を殺して、あなたの地位を脅かすマルチェラ様を城に引き入れた。
本当に救いようのない馬鹿ね」
わたくしは、椅子から滑り落ちた。
仕事を押しつけられた肩書きだけの王妃から、競争相手とも思われず、愛玩されていたというの?
「血筋しか誇るものがない国王陛下は、王太子の交替をすぐに承認するでしょうね。
だって、彼からしたら、どちらも自分の子どもですもの。
けれど、世間の目は違うわ。
あの男の血筋は絶え、スペアの公爵家の血筋に取って代わられるように見えるのよ。
しかも、王子を二人も死なせた、守る力もない愚かな父親」
ハリエットは座り込むわたくしを無視して、視線を正面に向けたまま……ああ、国王の執務室を見ているのね。
「つまり、あなたたちの『真実の愛』は実を結ばず、捨てたはずのマルチェラ様の御慈悲にすがった形になるわ。
見る目のない国王。取り返しのつかない、若気の至り。素直にマルチェラ様を側妃にしておけば良かったのに……そう噂されるわね。
あなたの存在はただの邪魔者。王家の恥。テーブルクロスの洗っても落ちないシミ。
愚かなだけの、お笑いぐさの『真実の愛』。
国母になるのは、あなたではなくマルチェラ様だわ」
そんな……それは、駄目よ。わたくしが、なんのために裏から手を回したのか……犯罪に手を染めた意味がなくなる。
「真実の愛」が、ただの不貞になってしまう。そんな結末は認められない。
ハリエットが席を立ち、しゃがみこんでわたくしと目線を合わせてきた。
「ねえ、どう思って?
今、どんな気持ちでいらっしゃるの? ぜひ聞かせてくださいな。
あなたが一生懸命に無い知恵を絞ってやった行動が、まったく意味がなかったとわかった、今のお気持ちを」
何も言葉が出てこない。目の前の、コレは何? 悪魔のよう。
恐ろしくて、涙が出てきた。
もう、誰も駆け寄って涙を拭ってくれないのね。
「今、王太子妃教育を受けているキャサリン様は、公爵令息が王太子になってもそのまま王太子妃になる予定なの。
四歳年上の男との婚約が白紙になって、二歳年下の婚約者ができる――そうおかしなことではないでしょう?
ただ、彼女はこれから王立学園に通うので、人前に出る公務は引き続きあなたにやってもらいたいの。そのたびに休まなければいけないのは、可哀想ですもの。
今までご自分の仕事をマルチェラ様に押しつけていたのですから、王太子の婚約者の分を少しやるくらい、できますわよね?」
これは、脅しだわ。わたくし、脅迫されています。
どうして、誰も助けようとしてくれないの?
「だから、彼女が学園に通う三年間は、あなたを生かしておいてあげる。
ねえ、追い詰められたあなたが、どんな反撃をするのか見せてちょうだいね。
わたくし、いつ殺されるかという恐怖の中で生きてきたから、今の平和な暮らしが退屈でしかたないの」
こいつ……!
王太子になる息子も、夫の愛も、国母になる未来も、実家も奪って……仕事だけしろと言っているの?!
「生かしておいてあげる」とは、何様だ!
「ふふ、目に光が戻ったわね。
けれど、頼みの綱の宮廷医師はいなくなるわ。
他の医師は、あなたをどう思っているかしら? 飲み物は安心して飲める? 処方されたお薬が毒ではないと、どうして言える?
だって、わたくしのお母様とお兄様は、この王宮で殺されたのですもの、ね」




