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 魔界はときが停まったような世界だ。


 なにも変わらない。魔神が生じたり消滅したりはするし、勢力図が書き換えられもする――城館を構えて集住する程度には社会というものがあるので、当然だ。

 しかし、変わらない。


 魔神は成長というものを知らず、生じたときにはもう成体である。消滅した魔神の数だけ新たな魔神が生じるといわれているが、誰がそれを数えているのかはわからない。冥府の大悪魔だともいわれるし、天界にいます神だという者もある。意見が一致することはないが、誰もそれを気にはしない。

 各々(おのおの)、信ずるところを勝手につらぬけばよいのだ。


 アブラシャヒムは己の城へ向かった。ふと思いつき、持って来たかめの中から隠密を選び、割ってみる。わずかに魔力の衣を纏ったような気配がして、その魔力もじきに消えた。隠蔽のためだろう。

 数多ある高塔の窓からすべりこむと、彼は石の階段にひたりと足を下ろした。音がしない。

 片眉を上げつつ、アブラシャヒムは気配を探る――留守宅にほかの魔神が入り込むことは、滅多にない。が、今回はその稀な例にあたるようだ。

 少し考えて、アブラシャヒムは遠耳の甕も割った。器が割れる音はしなかったが、とたんに声が聞こえた。


「もう戻らないだろう」

「人間風情に名を押さえられて、使い潰されるという仕掛けか」


 アブラシャヒムは考える――遠耳という札が、甕に込められた術の本質をあらわしているとは限らない。これは罠で、あの人間がアブラシャヒムの同族を陥れるために仕込んでいる可能性はある。

 だが、声の主にも、話している内容にも、心当たりがあり過ぎた。


「力はあるさ。しかし、うまく扱えぬならば、力など! どれほどあっても無用の長物よ。あやつは生まれて間もない愚か者だ。そのまま、年を経ることなく消滅すればよい。魔界に戻ることができなければ、いずれ魔力も尽きる。さすれば、消えるしかあるまいな」

「おお怖い怖い、あんたに逆らうのはやめておくよ」


 長生を誇るだけの魔神だと思っていた。力ではアブラシャヒムにかなわないので、一計を案じたのだろう。


 ――なるほど、経験の差か。


 だが、それだけだ。

 相手は飽くことなく、アブラシャヒムをいかにして陥れたかの話をつづけている。よほど自慢なのだろう。昨晩は、地上まで様子を窺いに行ったとまで話していた。そういえば常にはない魔力を感じたな、と納得する。

 しかし、応じている方の声は知らないものだ。新たに生じた魔神だろうか。


「あやつが隷属しているところを眺めたいものだが、あの天幕は妙に守りが固い。主は、力ある魔術師なのかもしれん」

「覗きに行けば、自分まで下僕に落とされかねないと?」

「まさか! 俺が人間ごときに頭を垂れることなど、あり得ぬ」

「はは、冗談だ、怒るな怒るな。しかし、よくうまいこと封印したものよな」


 それはアブラシャヒムも疑問だった。記憶が途切れていて、自分が封印された経緯がわからないのである。うたた寝をしていたとは思うが、それも妙ではある――魔神に睡眠は必要なく、たわむれに休むことはある、といった程度。滅多にないのだ。

 相手が封印を狙っていたなら、そこからもう罠にかかっていたことになる。


「ああ、酒にな。薄く魔力を込めておいたのよ。天使のな」

「天使を使ったのか! 捕えているのか?」


 聞き手もおどろいたようだが、アブラシャヒムも息を呑んだ。

 天使とは、天界に坐す神が地上に預言をもたらすための使者であり、選ばれた者を守るための神剣を持つ。魔神など、ひと薙ぎで滅ぼしてしまう。とても望んで敵対しようとは思えない相手だ。


「近くをかすめ飛んで、魔力だけを攫って壺に詰めたのだ。かなり力ある天使のようだったから、地上でなにか大きなことがあるのやもな。まぁ、我らの知ったことではないが」

「そういえば、地上に遊びに行った折に、聖王が選ばれるとかなんとか聞いた気がするぞ」

「おお、ではその使いだったのかもしれんな。強いといっても、所詮は神の下僕。自由もなくて、哀れなことだ」

「まったく、まったく。で、あいつの方は、どうなんだ。その酒だけで、封印できたのか」

「造作もないことよ。己は強いと思い上がるような愚か者よ。なんの備えもしておらぬ。呆気なさ過ぎて、拍子抜けしたほどだ」


 たしかに、アブラシャヒムはなんの備えもしていなかった。強かったからだ。まさか、天使の魔力を込めた酒で前後不覚にされるとは思いもよらない。正気であるなら、誰にも負けるつもりはなかった。その正気を奪われることを、想定していなかった。ただ、それだけである――が、そこを突かれてしまった。なるほど、経験の差というやつだと納得しないわけにはいかなかった。


「それでも、名まで札に書くとはなぁ……」

「強いだけの愚か者など、いらぬだろう。だいたい、つきあいづらくてかなわぬ」

「はは、それもそうか」


 ひゅう、と空気が抜けるような音がわずかに聞こえた。術が切れたようだ。おそらく、先に発動した隠密の方であろう。


 ――頃合いだな。


 一気に階段を駆けくだり、アブラシャヒムは声の方へと迫った。


「あ」


 気づかれた。遠耳の術は、まだ切れていないようだ。


「どうした」

「気配が――」


 その声がしたときには、アブラシャヒムはもう室内にいた。勝手知ったる己の城館である。あわてて逃げようとする相手を掴み、ひき倒し、床に打ちつけ、踏みつけて身動きを封じた。


「人間風情に頭を垂れることなどない? たしかに、俺はそんなことはしていないが、貴様はどうかな」


 アブラシャヒムは、金属でできた小さな壺を取り出した。


「や……」


 引き攣った声を聞きつつ、アブラシャヒムは同席していた魔神を見る。やはり、見覚えがない。アブラシャヒムが突入して来ても、話し相手だった魔神がうち倒されても、うすら笑いを浮かべて見ているだけだ。

 当座は邪魔をするまいと判断して、アブラシャヒムは次の甕を足下の魔神に投げつけた。ぱかりと割れた甕につけられていた札は、名明かし。

 割れた甕のあたりが明るくなり、黄金にかがやく文字が魔神の名を記す――カダメール。


「よう、カダメール。互いに名を知ることができて、なによりだな」


 魔神同士のつきあいで、まことの名を明かすことは滅多にない。ただ、名を知られたとしても強者ならば弱者に支配されることはなく、アブラシャヒムはあまり名を隠すことはしていなかった。他者の名を知ろうともしていなかった。

 なにごとにも、興味がなかったのだ。


「やめろ、アブラシャヒム」

「貴様はどうだ? やめなかっただろう。俺もやめない」


 アブラシャヒムは封印の術を唱えはじめた。もう一体の魔神は、未だ留まっている。自分は関係ないと高をくくっているのだろう。いっしょくたに入れてやってもいいのだが、と思いつつ睨んだが、それでも相手は表情を変えなかった。

 詠唱が終わると、カダメールは悲鳴の尾を引いて壺に吸い込まれた。アブラシャヒムはそれに栓をすると、壺にカダメールの名を刻んだ。

 さて、と残った魔人に向き直ると、相手は胡乱な笑顔のままアブラシャヒムを見上げ、こう告げた。


「なかなかうまく足止めしてやっただろう?」

「恩を着せるつもりか」

「恩に着てくれるのかい? 君はそんなやつじゃないだろう。それでも――君は私の魔神だし、私は君の味方だからね」


 アブラシャヒムが言葉を返す前に、それはばらばらに崩れた土塊つちくれへと変じていた。

 人間の魔術師が魔界に干渉できるなど、聞いたこともない。だが、ラファルはそれができたのだと、そう考えるしかない状況だった。


 ――危険過ぎる。


 やはり燃やし尽くすしかないと思いつつ、アブラシャヒムは戸惑った。


 ――俺は、勝てるのか?


 強い魔神が、はじめて己の実力に疑念を抱いた瞬間であった。


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