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不良とバイクと煙草のけむり  - わが自虐的青春譜 -   作者: 滝 城太郎


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第6章 暴力教師たちの功罪 -必要悪か野獣死すべしか-

「若い頃はヤンチャだったけど・・・」というセリフは私は好きではない。近年は「ヤンチャ」などという可愛らしい表現でごまかしているが、昭和の頃はそういう奴は「ワル」と表現していたのだ。したがって、昭和の日本語で翻訳すれば「若い頃は相当悪さをしたものです」というわけで、誰かに迷惑をかけたことに変わりはない。それも、たまたま始末書だけでお咎めなしのケースから、停学、退学、鑑別所、少年院まで「ヤンチャ」の範囲は様々で、中には「ヤンチャだったけど・・」に続く言葉が、「一流大学に入学した」、「出世した」、「事業に成功した」のような華々しい表現であったとしても、それくらいのことで過去が相殺されると思ったら大間違いという者だっているはずだ。

 

 ビーバップハイスクールの時代における武闘派スパルタ教師は必要悪だった。本当にヤバそうな生徒たちを躊躇なくビシバシしばく姿は小気味よいほどで、報復危険度が高そうな生徒を回避して、反発する度胸もなさそうな安パイに罵詈雑言を浴びせて憂さ晴らししているような教師よりもはるかに好感が持てた。

 私の高一の時の担任Qは、真面目なサラリーマン風な容姿に似つかわしくないほど上腕二頭筋が著しく発達しているうえ、黒縁眼鏡の奥の瞳に狂気が宿る超短気な男だった。

 キレる兆候が読めず、気分次第でビンタをかましてくるため、油断も隙もなかったが、ネチネチとしたお説教がないぶん、あっさりはしていた。ただ、掌底をストレートパンチのように繰り出すビンタは、殴られたのと変わらない衝撃度で、私はホームルームの最中に見せしめに唇から出血するほどくらわされたこともある。

 普段はふてくされている連中も、ストリートファイトでは絶対に勝てないという理由でQには従順だったが、Q自身がヘビースモーカーということもあって、生徒指導関係はやけに寛容で、明らかにヤニの香りがする生徒に対しても、「校内では吸うなや」とまるで黙認しているかのような口調で諭していたのが印象に残る。

 当時は職員室の隣の売店にまで煙草を置いていて、Qが「おばちゃん、セブン、セブン(セブンスターのこと)」と煙草の名称を連呼しながら駆け込んでくる場面にも何回か遭遇したことがある。おそらくニコチン中毒だったのだろう。今思えば、ニコチンが切れると機嫌が悪くなり、ぶち切れたジャンキーのような振る舞いに及んだのではないかという気がしてならない。

 現代なら暴力教師として散々な目に遭っていたかもしれないが、誰に対しても態度を変えず、管理職に媚びたところもなかったので、私は個人的な恨みは全くなく、名物先生くらいの認識だった(義父が県教委に顔が利く県議なので、校長も乱暴狼藉を黙認していたとの噂も)。

 それどころか、社会人になって上司から小言を言われたぐらいでは全く意に介さず、悠然と構えられたのは、Qから派手に痛めつけられたおかげと感謝しているくらいだ。Qの狂気じみた眼差しで睨まれた時の「やられる」という恐怖感に比べれば、地位にあぐらを書いた小動物が精一杯の威嚇をしてみせたところで、ヒネた園児から難癖つけられている程度にしか感じなかった。

 まあそれもよしあしで、叱責されても、暖簾に腕押し的な反応が、かえって挑発的と誤解されることもなきにしもあらずだったが・・・。

 同じ暴力教師でも中学一年の担任Hは最悪だった。

 自分が指導している部活動の生徒には甘く、体罰を加える相手をえり好みをするところにも性格の悪さが滲んでいたが、生徒の前で女子を名指しで「デブ」だの「ブス」などとからかうゲスぶりは、H以外には例がない。

 ビンタは張らない代わりに拳骨を見舞うのが定番のHは、ツボを熟知しているのか、ピンポイントを直撃されると脳味噌にじーんと響く感じがたまらなく不快だった。ビンタは脳へのダメージは少ないが、拳骨を頭頂部に見舞われる度に、脳細胞が少しずつ死んでゆく気がしたものだ。

 私が通う中学は郊外でのどかなところだったので、生徒もそれほど荒れておらず、わりと教師は好き勝手に出来たように思う。ところが、街中の学校は気合いが入った奴が多く、田舎のガキをおちょくるのとはわけが違っていた。

 高校で仲良くなった中に、Hの転勤先の中学出身の生徒がいたので、その中学ではどうだったのか尋ねたところ、生徒のえり好みが激しく、態度も横柄だったので、ヤンキー連中から蛇蝎のごとく嫌われ、竹刀を持った連中から追いかけ回されたり、校舎の上の階から唾を吐きかけられたりと散々な目に遭っていたと聞き、妙に晴れ晴れとした気持ちになった。

 生徒から売られた喧嘩を買うだけの根性もないくせに、教師という上から目線でやりたい放題やった挙句の果てが、いじめられッ子教師になるなんて、神様も粋なことをなさったものだ。


 私の中学、高校の頃は教師も荒っぽかったが、私たちを取り巻く周囲の大人たちも現在なら始末書どころでは済まないような連中がウヨウヨいた。もしかしたら、私や私の仲間たちが生意気過ぎてそういう災難に遭いやすかったと言えなくもないが、学生視点でも、こんな奴らが家で一丁前に父親づらして、子供に説教たれたら、子供はグレるなと思ったことも多数ある。

 思い返せば、社会にはまるでカメレオンのような保護色に覆われたろくでなしの大人たちがいたるところに棲んでいることを実感するとともに、彼らからは逃げられないと悟り、現実逃避型の生き方を放棄するきっかけとなったのは、高校二年の修学旅行だったかもしれない。

 

 修学旅行初日、琵琶湖湖畔のホテルの屋上で痛飲したのは同世代のお約束の行事ごとのようなものだった。

 酩酊してロビーをうろついていた生徒がクロークに捕まって私たちの飲酒が発覚したが、一人だけ捕まれば、停学かそのまま強制送還は免れないと判断した私たちは、「みんなであいつを助けよう」と男子生徒たちに同調圧力をかけ、実際に飲酒してない生徒も連れて総勢三十人くらいで自首したのだ。

 全員ロビーで正座させられたものの、引率教師の中にもすでに出来上がっている者がいて、その教師は酔った勢いで、消灯時間後に廊下を徘徊していた生徒を一発殴っていたこともあって、教師たちの怒りのボルテージもピーク時にはほど遠いものだった。

 このままだと処分者が多すぎて引率者の管理責任が問われる恐れもあるうえ、指導する方も勤務時間中に酒を飲んで赤い顔したまま、お説教じゃサマにならない。というわけで、その日は翌朝の出発が早いことを理由に、正座一時間だけで全員無罪放免となった。

 初日のトラブルはどこの学校でもよくあることで、一味違った刺激的な修学旅行にするためにチリパウダーを少々ふりかけたくらいの感覚でしかなかったが、三日目はハバネロ級だった。

 トラブル自体は私たちに原因があったことは認めざるをえない。それは名神高速道路で少し渋滞した結果、バスがドライブインに到着するのが予定より何十分か遅れたことに端を発する。

 車内でジュースを飲み過ぎたのか、ずっと小便を我慢していた私は、ドライブインに到着するなり、座席の横の窓を開けて車外に飛び降り、トイレにダッシュしたのだ。漏らすほど我慢していたわけではないが、バスはドライブイン到着後も順番に駐車場に停車するため、私たちのクラスは最後から二番目になったうえ、私とよくつるんでいた友人たちは座席の最後部に陣取っていたため、停車後も前が混雑して降車まで時間がかかりそうという理由で、トイレまでの時間と距離をショートカットしようとしたわけだ。

 私が飛び降りると、その後何人かが後に続き、休憩時間の終わり頃になって悠々バスに戻ってゆくと、何やら人だかりがしていた。担任がバスの前で仁王立ちしているので、私は嫌な予感がして歩調を緩めたが、戻ってくるのが遅いことで怒っていると勘違いした友人が「すいませーん」と愛想笑いを浮かべながら、急いで担任の元に駆けつけるや、いきなり問答無用でカウンターのビンタが炸裂した。

 何と私たちが窓から飛び降りたのを見咎めた他のバスの運転手が、窓越しに最後部に残っている生徒に向って「何やってんだお前ら!」と怒鳴り散らしたらしい。ところがその運転手にとって不幸なことに、怒鳴った生徒はクラス一喧嘩早い奴だったので、自分には関係ないことで因縁をつけられたことで、瞬間的にキレ、事もあろうにバスの運転手に向って「俺には関係なかろうが。ちょっと待っとけよオラ!」と言い返すが早いか、つかみかからんばかりの勢いでバスを降りてきた。

 あまりの剣幕にびびった運転手が仲間に助けを求めると、車載のレンチやバールを手にした運転手たちがあちこちから集まり、五人くらいでその生徒を囲んで一触即発の雰囲気になった。

 他にも旅行客などが大勢いるドライブインで、武器を手にした運転手が学生服姿の高校生を取り囲むなんてまるでマンガかドラマのワンシーンだが、こんなことが現実に起こったのだ。現在なら携帯動画が何十万回も再生され、バス会社の社長が記者会見で謝罪したあげくに停職処分は免れないところだ。もちろん関わった運転手は全員懲戒免職間違いなしの事案である(一般大衆の目前で生徒にビンタを張った担任も、世論の圧力で職を失っていたかもしれない)。

 慌てて担任が中に入ったおかげで、事なきを得たが、下手をすれば怪我人どころでは済まないばかりか、全国版ニュースで取り上げられかねないほどの不祥事である。もちろん私たちは油を絞られたが、教師の目から見て、生徒も問題はあるが、それ以上にバス運転手の暴走ぶりは常軌を逸しているように写ったに違いない。保護者呼び出しや停学などのお咎めが一切なかったのは、そのせいかもしれない。


 修学旅行最後の日程は、日本国民なら誰しもご存知の名刹を見学し、そのまま境内の宿泊施設に泊まるというものだった。

 私たちがちょうど到着した頃は、見るからに筋骨隆々とした僧侶たちが武道の稽古に励んでいた時で、暴走族やヤンキーの集会とは比べ物にならないほどの緊迫感と威圧感がこちらにも伝わってきた。

 「あの坊主たちに逆らったら、ヤバそうやな」などとトッポイ連中もちょっとビビりムードだったが、その威圧感は武道の練達者に共通するオーラとは別の“威嚇”であることを後に思い知らされた。

 夕食の時間になった。広い講堂のようなところに全生徒が集合し、一斉に食べ始めるのだが、食前にごつい僧侶から、「出された食事は一切残してはならない」という忠告というより警告があった。食後は僧侶たちが全生徒の膳を検閲し、誰か一人でも何かを残していれば、その一人が食べ終わるまで部屋には戻れないということなのだが、少年院じゃあるまいし、人を馬鹿にするにも程がある。

 人間、食べ物に好き嫌いがあるのは当たり前だし、中にはアレルギー持ちだっている。450人を超す生徒がいれば、たまたま体調不良の者がいてもおかしくない。ところが、僧侶たちはそういう例外を一切認めず、問答無用で自分たちが決めた身勝手なルールを押し付けてきたのだ。

 しかも、食事といっても精進料理で味も素っ気もなく、金を払って食べるようなシロモノではなかった。修学旅行担当の教員か引率する管理職は必ず事前に食事などはチェックしておくものである。それで選んだのがこんな小生意気なクソ坊主たちが支配する絶滅収容所だったとは、お釈迦様でも想像がつかなかったに違いない。

 さて困った。私はマツタケやハツタケは大好きなのにシイタケだけは苦手で、このシチュエーションは、豚肉を食えと強要されているムスリム同然だった。

 食事時間も終りが近づいてくると、苦手な食べ物がある生徒たちだけ箸が止まり、みんな一様に渋い表情をしていた。中には僧侶から食べるよう説教され、半泣きの女子もいた。楽しいはずの食事時間が拷問タイムとは、仏に仕える身でありながら、人が苦しむ姿がよほど愉快らしい。毎年、東大、京大に合格者を輩出している高校だけに、未来のエリートたちに嫉妬しているのかわからないが、巡回している僧侶の口調は「諭す」ではなく「脅す」だった。

 私はといえば、丼の底に敷いたシイタケの固まりを碗で押し潰してから、上に箸を置いてそ知らぬ顔をしていた。膳の上とはいえ食器をまとめて片付けやすくするのはマナーにはのっとっているからだ。汁物も一滴残さず飲み干し、御飯粒も残していなかったので、食器の見た目も綺麗である。坊主たちはまんまと騙され、私は検閲を潜りぬけた。仮に食器を洗う段階で誰かが小細工に気が付いたとしても、誰の食器かわからないのにそこから犯人探しというのは、旅行スケジュールへの干渉になりかねない。それもあまり公になっては立場上マズイはずで、さすがに食後の詮索はなかった。

 現在だったら、一発アウトだろう。こういう寺院とわかって宿泊手配した教師も、後で保護者からのクレームの十字砲火で、無事では済まなかったはずだ。今思い返しても、こんな人権を無視したような高圧的な僧侶がいる寺が、修学旅行の学生の受け入れ先として存続していたことが信じられない。お賽銭代わりに火を放ちたいという思いにかられた宿泊客がいたとしても、当時の私はそれを咎めようとは思わなかっただろう(実際、歴史上何度か焼き討ちに遭っている)。


 昭和の終わりごろの世の中は、良くも悪くもいい加減で、子供より大人が正しいという妄言がまかり通っていたのだ。率直に言えば、そういう世の不条理こそが、暴走族やヤンキーが増殖する基盤となり、ファシズム日本以来引き摺っている固定概念に捉われた大人たちが、コースアウトしそうな学生たちにとっての活力の源である反抗心にせっせと餌を与えていたようなものだ。

 現在のようなチクリ、陰口が横行する監視社会では、ほっといても目立つ不良たちは真っ先に間引かれてしまうだろう。しかし、経験値により知性を進化させた一部は、耐性菌のようにしぶとく生き残り、もっと毒性の高い悪質なワルへと変異していっている。闇バイトがらみのオレオレ詐欺から強盗に至るまで、昭和の頃なら職業的犯罪者の仕事だったものを、今は平気で普通の青少年がたいした悪気もなく小遣い稼ぎにやっているのだ。

 果たしてどちらが生きやすい時代なのだろうか。


 私は幸運には恵まれない代わりに悪運は結構強く、現在だったらパワハラかモラハラで引っかかってもおかしくない仕打ちを私に与えた上司のうち、二人はそれからほぼ一年以内に急死し、陰口を叩いてくれた先輩と後輩は、それぞれが別のブチ切れた部下からブン殴られてKOされている。

 まるで悪魔に魅入られたかのような偶然もあるのだ。以来、私は極力人から恨みを買わないよう、その場で首を絞めて思い知らせてやりたい奴の前でも、三回目までは許すと心に決めている。

 不思議なことに、そう思い込んでからというもの、三回目の狼藉に及ぶ者はいまだに現れておらず、逆にそこから一転して良好な関係になった上司さえいる。

 実際のところ社会人になっても、高校時代の暴力教師のような連中がそれなりにはびこっていることはつくづく痛感させられた。だからといって私はそういう先輩や上司を完全否定しているわけではない。中には口うるさい上司がいるおかげで職場の規律が保たれていることもあるし、硬派の先輩が調子の良いごますり社員のような連中を一喝したり、後輩たちの代弁者のように理不尽な上司に食ってかかってくれることもあるからだ。

 逆に問題なのは、見るからに喧嘩慣れしていて凶暴そうな部下には下手に出るくせに、普通にしている部下には威勢がいい上司である。学生時代じゃあるまいし、格闘技の達人や元ヤンだからといって社会人にもなって職務上のミスなどで叱責されたくらいで、職場の上司や先輩を殴るような社員はそうそういるはずもないのに、何が怖いのか、いつもはどうでもいいくらい細かいことにこだわる上司が、怒らせるとヤバそうな部下の前ではしらじらしいほど寛容な態度を見せている場面を何度も見たことがある。

 さすがに今の時代に暴力教師や暴力上司が生息できる職場は残っていないが、公平さを貫けるのであれば、少々武闘派であっても構わないような気がする。というのも、人間、一番怖いのは叱ってくれる人がいなくなることだからだ。

 年齢を重ねたからといって、人は岐路に差し掛かった時にいつも正しい判断を下せるとは限らない。もちろん、若輩者から叱責されても、素直に納得できるものではないが、客観的に間違っていることは間違っていると指摘し、正しい方向を示唆してくれる人がいないと、それはそれで不安なのではないだろうか。

 病気はかなり致死率が高い悪性のものでも、早めに兆候を察知し、早期発見早期治療を心がければ治癒することも多いというが、人生も同じである。

 偉くなりすぎて誰も忠告ができないまま放置され、好き勝手やったあげくに末節を汚す政治家など“ブレーキの壊れたダンプカー”の最たる例であろう。


 日本の社会にいまだに年功序列や士農工商的な上下関係が残っているのは、江戸時代まではわが国は儒教国家だったことと無関係ではないだろう。だからといって、日本人は時代錯誤もはなはだしいかというと、そうではない。自由の国アメリカの治安の悪さに比べれば、軍隊式の部活動がはびこる日本の中高生の方がはるかに健全であるからだ。

 アメリカほど人種の坩堝ではないヨーロッパでも、真夜中にローマやウィーンの裏通りはとても一人で歩けたものではない。夜に女の子が一人でちょっと離れたコンビニに買い物にゆけるのは、日本くらいのものだろう。校則に縛られ、パワハラやモラハラまがいの教師に不快な思いをさせられたところで、海水浴場で頻繁に集団レイプが発生するどこかの国とは違うのだ。

 私が学生時代に教師から目の仇にされたのは、反抗的で挑戦的なところが目に余ったからだと自覚している。もちろんそう簡単に言いなりにはならないが、何度も繰り返されれば、悪いのが自分である以上、チンパンジーでさえ態度を改めるだろう。

 単なる暴力的な教師もいれば、真剣に向き合い、相手のことを思うがゆえに、感情を抑えきれなくなって過激な言動に出る教師もいる。実際、私が知る中にも見てくれと口の利き方が筋者っぽいうえ、手が早く、多くの生徒から嫌われている教師がいたが、その教師は、生徒がちょっとマズイ相手とトラブルになり、弱みに付け込まれて多額の賠償請求をされた時には、単身で乗り込んで、逆に相手を脅しつけて、一種の喧嘩両成敗のような形で和解に持ち込んでしまったことがある。

 一般論だと、相手が脅迫すれすれの態度を取ったからといって、暴力団じゃあるまいし、教師が脅し返して話をなかったことにしてしまうのは、明らかに邪道であり、教師らしからぬ言動である。

 しかし、おかげで自分の子供の経歴に傷が付かずに済んだ保護者は、そんなやり方をした教師を咎めるだろうか。別に法律に違反するようなことをしたわけではない。自営業で誰かから馘首される立場ではないのをいいことに、停学や退学が進学に大きく影響する立場の弱い高校生に高圧的な態度に出たのは相手が先である。陪審制だったら、生徒が七対五で無罪の事案だろう。

 こういう青春ドラマにでも出てきそうな教師はレアケースかもしれないが、コワモテでも筋が通ったことを言う教師の叱責は、時が経つにつれて抗がん剤のようにじわじわと効いてくるものなのだ。おそらく中・高校生時代はいっぱしの不良を気取っていたことのあるご同輩にも、私と同じような経験をし、そういう世界から卒業した方が結構いるのではないかと思われる。

 私たちの時代は、今よりずっと教師が厳しかったがゆえに覚醒する機会も多かったはずだ。

 そうはいっても、無責任な教師のおかげで心に大きな傷を負った人だっているのは事実である。

 それでも私は、自由と自己主張の権利の代償として、一部の学園が無法地帯化するリスクだけは避けたいと思っている(若手の女性教師の授業の時は、男性教師が一人見張り役で授業見学に入る学校もあった)。それに歯止めをかけることが出来るのは、「人間、話せばわかる」式の優等生タイプの実直な教師ではなく、「話してわかれば、警察はいらんのじゃ」式の熱血筋肉教師ではないだろうか。

少なくとも普通の学生や社会人で自称“ヤンチャ君”から被害に遭ったことのある人たちが、彼らがいかに更生したように見えても、それは成人になって法律で裁かれる対象になったがゆえに猫を被っているだけと思う気持ちは偏見ではない。当然のことなのだ。

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