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不良とバイクと煙草のけむり  - わが自虐的青春譜 -   作者: 滝 城太郎


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第4章 吸殻のある風景 -煙草は不良のパスポート-

昭和の頃、煙草は男のファッションアイテムの一つだった。煙草を吸う姿がサマになっている男 はそれだけでダンディに見えたものだ。いくら上質なブランド服を着こなしていても、せわしげにスパスパやっている男、小指を立てて気取って吸う男、鼻の穴から勢いよく大量の煙を出す男は人間が安っぽく見えた。若い頃、一番好きだった映画俳優がハンフリー・ボガートだったのは、指二本でつまむようにして煙たそうに煙草を吸う姿が渋くて、こういう中年になりたいと思ったからだ。咥え煙草の格好良さではアラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモンドが双璧だった。ドロンの咥え煙草は顔の造形が良すぎて、ちょっと真似のできない気品の良さが感じられたが、ベルモンドは実写のルパン3世のような粋でユーモラスな悪党といった雰囲気が好きで、そうありたいと思って真似てみたものの全く届かなかった。

 不良とバイクには煙草がつきものである。平成の中頃から、世界的な禁煙ブームによって、今では煙草を吸っている不良は絶滅危惧種になってきた。しかしバブル期くらいまでは、日本人の青年男性の八割くらいは喫煙経験があり、ご丁寧にバス停にまでベンチと灰皿があった。

 いっぱしの不良を気取っている連中の中で煙草を吸っていないのは、喘息持ちくらいだっただろう。試合中のプロ野球選手だって、ベンチ裏で喫煙していたくらい、スポーツをやってようがおかまいなしの時代である。ゲーセンや喫茶店などヤンキー御用達の溜まり場ときたら、紫煙モクモクが当たり前だった。

 煙草の香りが好きとか嫌いとかそういう問題ではなく、ヤンキーが集えば、煙草はパスポートのようなもので、同じ法を破った仲間同士のような一体感を生むアイテムだったのだ。

 私だって中学生までは煙草のけむりは嫌いだったし、悪友たちから無理矢理吸わされた時もむせてばかりで美味しいなどと思ったことはない。その頃はセブンスター、ハイライト、ショッポ(ショートホープのこと)が主流で、いずれもニコチン、タールの含有量が高いので、初心者の咽喉には辛かったが、間の悪いことに、テンダーなる味の薄い初心者向け煙草が発売されたおかげで、多くの若い衆がまるでヤク中のように煙草の味に馴染んでいったのだ。

 本格的に煙草を吸い始めたのは、学校の勉強についてゆけなくなり、同じような境遇の同級生が徒党を組みつつあった高1の夏前くらいだろうか。テンダーなどじきに味気なく感じるようになり、学食のランチをパンかラーメン(フェアの時は学食のラーメンは50円だった)に切り替えて浮かしたお金でマイルドセブンを吸うのが定番になった。

 当初は単に格好をつけて吸っているにすぎず、校内にまで煙草を持ち込んで停学を食らうような連中とは一線を画していたので、一箱200円のマイルドセブンが一週間は持った。

 ところが、夏休み明けくらいから、近くに下宿していた校区外入学生の部屋が溜まり場になって麻雀三昧の日々を送るようになると、煙草の消費量は右肩上がりになる一方、悲しいかな私の身長は、鼓動が停止した心電図のように横一線になってしまった。

 当時の大人たちは、未成年が煙草を吸わないよう、「煙草を吸うと背が伸びんぞ」という呪文をかけ続けていたが、当の喫煙少年たちは他人ごとのように構えていた。私など朝礼で並ぶ時は最後尾近くにいたからまだしも、強い煙草をガンガン吸って蒸気機関車のように勇ましく煙を吐き出していた連中は、ほぼ例外なく私より身長が低かったことを思い出す。 

 そう考えると、かつては不良の必携アイテムだった煙草から解放された現代の若者は、健康被害や成長阻害のリスクは減ったかもしれないが、健康的なヤンキーというのはそういう道を選んだ彼ら自身もなんとなくしっくりゆかない部分があり、どちらかと言えば能天気だった私たちの時代よりも精神的なストレスを抱えているような気がしないでもない。


 いっぱしの不良を気取って吸っている煙草は、大人の世界に対する反抗の象徴であると同時に、大人の世界への憧れの象徴でもあった。特に後者への思い入れが強い連中は、煙草はファッションアイテムの一つと考え、喫煙具や喫煙の際の所作にまでこだわりを持っていた。

 まず喫煙具だが、一般的なのは100円ライターで、ヘビーデューティー志向はジッポーやロンソンのオイルライター、渋い路線を追求するなら喫茶店の宣伝用の箱マッチか紙マッチだった。

 高校生でオイルライターはさすがに少数派だったが、「カシャッ」という音がお洒落で、オールライターから立ち上る炎で煙草に火を点ける所作も絵になった。マッチもライターも持っていない時に、咥えた煙草の前に点火したオイルライターをさりげなく差し出されると、何となく暗黒街映画のワンシーンのようで、ヤンキー娘から100円ライターで火を点けてもらうより、いい気分だった。

 オイルライターを持っている奴も、普通に親指で蓋を開くのでは芸がないということで、指を使わずライターを振った勢いで開いてみたり、ライターの蓋と底を親指と人差し指で挟んでからスナップを効かせてひねりを加えて開いてみたりと、工夫を凝らしたものだ。

 一番格好良かったのが、手首を返してライターの蓋を開けた瞬間にフリントを親指で擦って点火するという手品のような技で、仲間内でこういう手さばきができるのは一人しかいなかった。

 一方、100円ライターは芸はないが利便性は高く、本体が透明でガスの量が見えるものは、オールライターやガスライターの燃料切れや紙マッチの水濡れなどの不慮のトラブルとも無縁である。それでも店名などが入った宣伝用のマッチなら、街角で配っているのをもらっただけなどという言い訳も立つが、それ以外だと、抜き打ちで持ち物検査に遭おうものなら、言い逃れができないので、私はマッチ愛好者の方だった。

 マッチはマッチで私たちは擦り方にこだわった。

 マッチの頭を人差し指で押さえて手前に引いて火を点けるのは入門編で、中級者となると、マッチ箱を利き腕の掌で包み込むようにして、人さし指と中指でマッチの軸を挟み、マッチの頭にあてがった親指を手首のスナップを効かせて押し込む片手着火くらいはお手の物である。

 究極は’50年代のアメリカの暗黒映画に出てくるギャングのように、壁や踵を使って点火する黄燐マッチだが、これは日本人には馴染みがなく、輸入雑貨屋などで、安全用に蝋を塗ったものが時折見かけられる程度で、しかも値段もばかにならないため、こんなものを携帯している不良に出会ったことはない。

 それでも着火アクションが格好いいので、私たちなりに知恵を絞ってそれに近づこうとした。

 まず革靴の利き足の踵のラバーの部分に蝋燭を垂らしてから、そこにマッチの擦る部分を押さえつけ、蝋が固まったところを見計らって引き剥がすと、踵にマッチの擦る部分をシールで張ったような状態になる。革靴の踵のラバーは黒なので、ぱっと正面から見ても踵に何かが張り付いているようには見えない。だから、踵でマッチを擦って火が点くと、知らない奴は驚くのである。

 こんな即席ギャングスターも、靴が濡れた時点で終りだし、何本もマッチが擦れるほど耐久力があるわけでもないので、そのうち面倒くさくなっていつの間にか廃れていった。


 ライターに次ぐ喫煙具というとシガレットケースだろう。エグゼクティブが持っていそうな純銀製のものは、確かに高級感はあるし、人に一本勧めるにしても、パックごと差し向けるよりもはるかに上品で頂く方の印象もいいだろう。ただし、十代の私たちが吸えるのは、専売公社の一般的なもので金線が入ったような洋モクではないので、高級なシガレットケースにはそぐわない。

 したがって、パックのままポケットに入れているのが大半だったが、折れたり曲がったりした場合、傍目にみすぼらしいので、折りしも缶ペンケースが流行っていたこともあり、おなじ作りの煙草用のスチールケースが重宝された。私が高1の時は、大分ではまだこういうグッズは出回っていなくて、スチール製のシガレットケースというと無骨な作りでオヤジ臭いということで敬遠されていた。

 その頃福岡には不良系ファッショングッズの店「クリームソーダ」が天神の昭和通り沿いにオープンしていて、大変な人気だった。

 髑髏マークで有名なクリームソーダは、当時人気があったロックバンド、ブラックキャッツのメンバーがアルバイトしていたというふれ込みで、フィフティーズロック好きの若者たちの間でまたたく間に広まってゆき、豹柄のデザインに髑髏マークが入った長方形の財布パースが特に人気だった。

 喫茶店の会計の時などに、黒い学ランの胸元から派手なクリームソーダの財布を取り出すと、仲間たちの視線が集中することに快感を覚えていたやからも少なくないが、あの当時LP一枚くらいの値段はしたのではないだろうか。そもそも中身がないのに、財布だけクリームソーダというのもかえってみっともないという理由で、福岡の親友Sからクリームソーダに連れていってもらった時も財布の購入は断念した。

 その代わりに買ったのが、エルヴィス・プレスリーがデザインされたスチール製のシガレットケースと、同じくプレスリーの写真が入ったプラスチック製のパックホルダーだった。150円也のシガレットケースはチャチで、すぐにへこんだり錆びが浮いたりしたが、パックを変形させないように包み込むU字型のパックホルダーは、同じ物を持っている人に一度も会ったことがないというシロモノで、何十年使ってもほとんど劣化しなかった。それがたったの100円なのだから、つくづく昭和の物価は安かったと思う(元祖長浜ラーメン一杯が250円から300円に上がる頃の話です)。

 それにしても、私が天神のクリームソーダで購入したのが上記の2点だけというのは、今思い出しても泣けてくるが、金がなくてもそのぶん工夫を凝らすのが昭和男である。

 煙草に関しては、冬場は上着のポケットに入れれば済むが、夏場にズボンのポケットなんぞに入れてしまうと泣けることになりかねない。ぼちぼち、男性のセカンドバッグや腰に巻くベルト型のポーチも流行り始めていたので、夏場はそういったところに入れておく奴もいたが、私は今の今まで男のセカンドバッグだけは受け付けず、格好いいと思ったことは一度もないので、基本的にパックは身につけていた。

 胸ポケットがなければ、パックは靴下に挟み、スリッパの時はTシャツの肩口に挟んでいた。Tシャツの肩口に挟むスタイルは大人になってからもずっと続けていて、いかにも丸腰そうな私がいつの間にかパックを出して煙草を吸い始めると、一緒にいた奴が「どこに煙草持っとった?」と驚くことも少なくなかった。

 このスタイルは、マット・デュロン主演の映画『フラミンゴ・キッド』を参考にしたものである。映画の中のマットはパンパンに張ったTシャツの二の腕のところにパックを挟んでいたが、私はそこまで腕が太くなかったし、比較的余裕のあるTシャツばかり着ていたので、肩の上あたりに挟んでみると、少々走っても落ちないくらいグリップが良く、それ以来このスタイルが定番になった。

 煙草のパックをどこに入れとくかなんて、本当にどうでもいいことかもしれないが、他人から自分がどう見えるかをいつも気にして、格好をつけずにいられないのが、見た目や言動は不良っぽくても、実質的には軟派のナルシストで精神年齢が低い私たちの性だった。

 雨の日は髪型が崩れるからといって、学校にブラシとデップローションを常備しておいて、ホームルームの前には男子トイレに並んで髪型をいじっている私たちのことを、優等生たちは珍獣を見るような面持ちで眺めていたに違いない。多分、「こいつら何しに学校に来てるんだ」と思われているだろうな、と心の中では気にしつつもやめられなかったのは、「赤信号のたびに停まってちゃあ、遠くまで行けねえよ」という暴走族的思考が働いたからなのだろう。

 大人や学校の先生たちは、公衆道徳だの社会倫理だのご大層なセリフをのたまっているくせに、案内された先は、勉強という一芸に秀でた奴らが絶対有利な競争社会で、上層階までたどり着くためには権謀術数の限りを尽くして人を蹴落とすくらいの冷酷さは不可欠なのだから、課外補習の代わりにクラウゼビッツかマキャベリの特講でもやってくれた方が、ガリ勉たちには歓迎されたのではないだろうか。

 そんな虚栄の世界を早く抜け出して、どこか別の理想郷を捜し求めている私たちには、立ち止まるなんて時間の無駄で、黄色信号が進めなら、赤信号は注意して進め、青信号は全開でぶっ飛ばせという認識しかなかった。人の顔色を伺いながら忖度なんてしていては、いつの間にか青春を浪費してガス欠になってしまうのがオチだ。

「わかっちゃいるけど、やめられねえ」から不良なのだ。


 普段着の煙草はマイルドセブンでも、煙草はファッションの一部と考えていた私たちは、TPOによって吸う煙草も変えていた。

 基本的にいつもすかんぴん(吉川晃司の『すかんぴんウォーク』も映画館で観ました)だったので、煙草が切れると友達に一本ねだるか、10本入りで90円のショートホープにするか、最悪、粗悪なテイストを我慢して、10本入り70円のゴールデンバットに走ることもあった。

 戦前派の老人たちが“バット”の略称で親しんでいたゴールデンバットは、デザインも戦前のままなら、ビニールコーティングまで省かれた両切りで、意外と現代の若者にとってはビンテージっぽく見るかもしれないが、昭和元禄以降の世代にとっては過去の遺物に過ぎず、シケモクと変わらない味わいだったので、窮余の策で、市販のフィルターを付けて吸っていたこともある。

 金が無いときは、安ければいいというノリで、20本入り90円のしんせい、わかばといった年配者向けの煙草も試してみたが、どれもゴールデンバットほどのくせはなかったにしても、疲れた時や食後の一服を除けば、あえて吸わなくてもいいくらいのシロモノだった。

 わかば、しんせいまで落とさなくても、価格が150円でセブン系との中間に位置するハイライトやチェリーを愛飲している仲間はいた。当時、「労働者たばこ」と言われていたハイライトは辛口で、セブンスターでも飽き足らず、「もっとパンチの効いた煙草を」という豪気な連中に愛されており、三人いた親友のうちの一人もハイライト派だった。

 しかし、親友にしかり、ハイライトを愛飲する連中はなぜか揃って老け顔で、おっさんぽかったので、余計にハイライトがマッチしていた。そのことが同じ世界に入る気持ちを制御する要因になったのかもしれない。たまに恵んでもらって吸うことはあっても、自腹を切ってハイライトを買ったのは覚えている限りでは1回だけだ。

 同じく道路工事などの肉体労働者がよく吸っていたチェリーは、甘ったるいような独特の香りになじめず、生涯で一本しか吸ったことがない。

 金欠の時の煙草の話はこれくらいにして、今度は格好をつけたい時の煙草の話をしてみたい。

 一番好きだったテイストは、キャメルとジョン・プレイヤー・スペシャル(JPS)だった。

 キャメルは濃厚な味わいを確かめるようにゆっくり吸い、JPSは吸っている姿が絵になるように気取って吸っていた。キャメルは280円と高価だったが、焦げた感じのスモーキーな味わいで、ヤンキー好みのフレーバーではあった。さすがに日常的に吸っている奴は周囲にはおらず、懐が暖かい時はちょっと贅沢してキャメルというのも、私を含めてごく少数だけだった。

 私は、女の子と喫茶店に入るようなシチュエーションの時は、キャメルが定番だった。パッケージデザインもいいし、香りも安っぽくはなかったから、むしろセブン系のおじさんの香りよりはマシという思いが強かった。とにかく十六~十七歳の頃は、女性慣れしていなかったから、男女複数の時はまだしも、二人っきりになると、無言の時間が怖くて、煙草で間を取らざるを得なかったのだ。

 おかげで、ティーンエイジャーの頃の方が、デート等で吸う煙草は洋モク中心で、年齢を重ねるにつれ、マイルドセブンやマイルドセブン・スーパーライト中心に戻っていった。

 もう一種類のお気に入り、ジョン・プレイヤー・スペシャルは、TVドラマ『俺たちは天使だ』で、沖雅也扮するキャップがハードケース入りの洋モクを取り出して吸う姿がとても格好よく見えたので、見映えのする函入りを探した結果「ビンゴ!」と思って選んだ煙草である。

 当時のJPSは横広がりのハードケース入りで、黒地に金文字が高級感を醸し出していた。味もマイルドセブンよりほんのり雑味があるが、キャメルよりは上品な味がしたので、キャメルと双璧のお気に入りとなった。

 JPSは私の周囲には他に愛好家がいなかったので、結構目立っていた。しかもキャメルほど馴染みがないうえ、高級感があるので、周りも安直にねだろうとはしないというメリットもあった。

 唯一の難点は、私の知る限りJPSを扱っている店が市内に一件しかなく、滅多に手に入れることもできなかったことだ。しかも、大学時代に横広がりのハードケースが店頭から消え、一時的ではあるが、パックも輸入されなくなってしまった。

 そのため、大学時代に海外旅行先でまとめて買ってくるはめになったが、スイスで日本にはなかったプラスティックの五十本入りバレル型(缶ピースと同じ形)を見つけたのは収穫だった。まだドイツが東西に分かれている頃に入手したこのケースは、とても気に入って、いまだに部屋に飾っている。

 JPSが手に入りづらくなった頃、友人に紹介してもらったのがスイス煙草のパリジェンヌで、ひと頃はずっとこれを吸っていた。といっても、これまた博多駅のJTにしかなかったので、洋モク好きの友人と定期的に博多駅に出かけては、まとめ買いしていた。

 大学時代は、フジテレビのF1中継がブームになっていて、各チームとも煙草メーカーがスポンサーについていたため、否が応でもその派手なデザインが目に入り、購買意欲をそそられたものだ。

 日本初のF1ドライバー中島悟が所属するロータス・ホンダは、キャメルカラーで一番目立っていたが、黒と金のツートンのJPSやロスマンズカラーも人気があった。

 大学時代の洋モク愛好家というと、ロスマンズ、ケント、ラーク、マールボロあたりが多く、同じ大学に進学したハイライト好きの友人は、気が向くと少し強めのラッキーストライクを吸っていた。

 個人的にはロスマンズやケントは軽薄な味がしてあまり好みではなく、同じイギリス煙草でもラークかダンヒルの方が味わい深かった。

 マールボロ(みんなマルボロと言っていた)は、当時絶大な人気を誇ったアイルトン・セナ擁するマクラーレン・ホンダのフロントデザインだけあって、知名度も高く、若い世代に限らず吸っている人は多かったが、副流煙の香りが臭く、女性から嫌われる煙草という悪名もあったため、私は自分で買ってすったためしはない。

 あと、ちょっとマイナーかもしれないが、帰国子女の従弟が、「マリファナに一番香りが近い」といって勧めてくれたのが、ドイツ煙草のゲルベゾルテだった(従弟はアメリカ風にゲルベソートと呼んでいた)。濃厚だが甘ったるく、何とも怪しげな香りがしたが、指でつぶしたような平べったい両切りのため、親指と人差し指で挟んで吸っている姿が、拾い煙草を吸っている戦争孤児のようにダサかったので、一箱で懲りてしまった。

 指二本でもボギーのように渋ければサマになるのだが、若造が真似てもかえって貧乏臭く見えてしまうので、一時期はボギーを気取ったことはあるものの、二十歳過ぎからは普通に人差し指と中指で吸うようになった。ただ、麻雀を打ちながら吸っていたのが癖になったのか、私は右利きなのに煙草は必ず左で吸うので、職場の喫煙所で一緒になったあまり仲の良くなかった女子社員から、物珍しそうに「右利きなのに左で吸うんですねー」と声をかけられたことがある。

 やっぱり煙草を吸う所作って、見ている人は見ているんだと思ったのはこの時が初めてだったような気がする。


 私の部屋の書架の硝子扉には、咥え煙草の高倉健が渋すぎるラークスーパーライトの店頭用ステッカーが貼ってある。コピーはずばり、「言葉より語るもの」である。そう、煙草は何もニコチンを味わうだけのものではない。吸っている姿が自己主張でもあったのだ。

 健さんのステッカーの斜め上には、フィリップモリスのステッカーのミポリンが30年間ずっとモナリザのように私を見つめている。二人とも今は亡く、男が煙草で気取っていた時代も終ったのだ。

体調を崩したことをきっかけに煙草はやめてしまったが、禁煙する2年くらい前に、若い頃からの憧れの煙草「ソブラニーカクテル」を初めて吸った。横広型のハードケース入りで、ピンクやイエローなどカラフルな巻紙に金色の吸い口がついていてビジュアル的にも最高に格好いいソブラニーは、ジュリア・ロバーツの大ヒット映画『プリティウーマン』の小道具としても登場している。価格もセブンスターが一箱200円の時代に500円くらいしたはずだが、日本では販売が中止になっている時に、ジャカルタに駐在していた方からワンカートンも土産に貰い、思わず感動してしまった。現在ではソブラニーカクテルは国内販売も再開されたため有難味がないが、いまだ販売中止の「ソブラニーホワイトロシアン」は死ぬ前の最後の一服にとっておきたい。

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