第97話 月がハートに火を付ける
満足げに笑みを浮かべゴールド司教はゆっくりとクレアから足を外した。ゴールド司教の足の圧力で横たわったクレアは床にめりこみ、踏んだ時の衝撃で彼女の周囲はクレーターのように丸くへこんでいた。
「あは…… はぁはぁ……」
解放されたクレアは倒れたまま吐息を漏らしている。倒れたクレアの顔を覗き込んだゴールド司教は残念そうにつぶやく。
「少し薹が立っておるが…… まぁよいじゃろう」
「あぁ……」
ゴールド司教は右手を伸ばしクレアの左腕をつかんで引っ張り上げた。クレアを自分の元へと引き寄せ笑いながら彼女の顎に指を立てた左手を伸ばす。
「その身をわしに捧げてもらおうかの? 聖都のマーロン枢機卿へとお主を差し出すのじゃ」
クレアの顎を指で撫でまわしたゴールド司教、彼の腕は顎から首筋へと下がりクレアの胸に触れようとしていた。
「いやですよ! プっ!……」
「貴様!!! この!!!」
「キャッ!」
顔をあげたクレアはゴールド司教の顔に向かって唾を吐いた。眉間にシワを寄せ怒ったゴールド司教は、彼女を床に叩きつけようと左手を振り上げた。クレアの体が激しく揺れ左肩が抜けそうになり激痛が走った。
礼拝堂に大きな音が響いた……
「ウギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
ゴールド司教が叫び声をあげた。振り上げた左腕の前腕部分が何かによって切られていた。ゴールド司教の腕は肉がえぐられたようになっていたが血は出ていない。
「えっ!? 私…… それに…… あれは……」
ゴールド司教の拘束が外れクレアは床に落下していた。何が起きたのかわからず呆然としていたクレアだったが、頬がかすかに何かの光に照らされているのに気づき視線を光へと向けた。光はすでに消えゴールド司教の背後の壁に三日月の形をした穴が開いていた。
「やめろ」
「なんじゃ! 小僧! 生きておったのか!!!」
背後から声がしてゴールド司教が振り返った。そこには肩に大剣をかつぎ左手を前に出しわずかに黄色のオーラを纏うグレンが立っていた。
「グレン君……」
座った状態で顔をあげて心配そうにグレンを見つめるクレアだった。
「そうか…… おぬしが…… だったらもう容赦せん!」
左腕を口元に持っていき斬られた傷を舐めたゴールド司教だった。にやりと笑ったゴールド司教は足元に座ったクレアに向かって足を振り上げ蹴りつけた。ゴールド司教の足はクレアの肩に衝撃で彼女は横に倒れた。
「キャッ!」
「動くなよ! 動いたらこの女がどうなるか!」
ゴールド司教はすぐに倒れたクレアに前に向かってまた足を振り上げ、立ったまま自分に顔を向けているグレンを睨みつけ牽制する。倒れているクレアに巨大化したゴールド司教の足の影が覆う。
「クッ!」
振り上げられた足からクレアは恐怖で顔を背けるのだった。
「……」
倒れた義姉を踏みつけようとゴールド司教、目の前に光景をうつろな表情で見つめるグレンだった。
「お前。許さない」
グレンはゴールド司教に小さな声でつぶやいた。声が届いたゴールド司教は顔をしかめ彼を睨みつける。
「何が許さないじゃ! おぬしに許される必要などないんじゃ!!!」
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
音がしてクレアの悲鳴が聞こえる。ゴールド司教はクレアを踏みつけた。グレンの頭や体が一気に熱くなり体中の血液が一瞬で沸騰したような感覚に襲われまた意識がボーッとして遠くなっていく。
目の前に立つ銀色の物体に対して、グレンの体の奥底から猛烈な殺意が湧き上がっていた。そして彼の瞳の奥に小さな赤い光が灯り徐々に大きくなっていく。
「はははっ! どうするつもりじゃ?」
まだ足元がふらついてるグレンは走りだした。体勢を低くして走る体勢をとったグレだった。しかし、走り出した彼はダメージがまだ残っているのか、担いだ大剣に振りまわされ足元がおぼつかなくスピード感がなくゆっくりとした動きになっていた。
動き出したグレンの足取りを見てゴールド司教は笑っている。
「グっグレン君……」
踏みつけられたいるクレアが必死に声をあげ彼に手を伸ばす。
「勝手に動くんじゃない!」
「キャアアアアアアアアアアア!!」
ゴールド司教はさらに足を力をこめ下に押し込む。クレアの体がさらに圧迫され彼女はまた悲鳴をあげるのだった。
「なっ!?」
驚きの声をあげるゴールド司教、おぼつかない足取りでグレンの姿が急に消えたのだ。頭を激しく動かしてゴールド司教がグレンの行方を探す。
足元にかすかに気配を感じたゴールド司教が下を向いた…… ゴールド司教の目にうつむいて腕がだらんと下がって、大剣を担いだグレンが佇んでいるのが見えるのだった。
うつむいたままグレンは大剣をかついで黙って立っている。彼の体は黄色い光のオーラに包まれ、上半身がゆらゆらと左右にわずかに揺れている。大剣を持ったまま揺れるグレンの姿が、不気味でゴールド司教はじんわりと恐怖を覚え焦りだした。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
焦りと恐怖を打ち消すように、叫び声をあげクレアの背中から右足をはなし。体の向きを変え今度はグレンを踏み潰そうと足を勢いよく下ろした。
ふわりとグレンが横に移動し、右手に持った剣が浮かび上がるようにして、大事な大事な義姉を苦しめたゴールド司教の銀色の太い足に向かっていく。
「へっ!?」
ゴールド司教の前を自分の足の先端が飛んでいく。黄色いオーラを纏ったグレンの大剣が途中から鋭く伸び、いとも簡単にゴールド司教の足をかかとの先から切り落とした。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
足を突き出した姿勢だった、ゴールド司教は押し返されバランスを崩して仰向けに倒れた。音をたてて倒れたゴールド司教は、大の字のまま何が起きたのかわからずに呆然と天井を見つめていた。
グレンは静かに大剣を下ろす。クレアは口を開いて驚いた様子でグレンを見つめていた。
「義姉ちゃん。大丈夫?」
体を静かに揺らしながらグレンは笑って右手を出して優しく声をかける。
「グレン君…… 大丈夫だよ。ありがとう」
ニッコリと微笑むクレアだったが、ふらふらと上半身を揺らすグレンの様子を心配そうに見ていた。彼女はグレンの差し出した右手を使わずに自分で立ち上がった。
「クソオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」
声がして二人が振り向いた。仰向けに倒れたままゴールド司教が天井に向けて叫び声をあげていた。
直後に彼の体が背中からゆっくりと浮かび上がり直立した状態で起き上がった。足を斬られたのでゴールド司教は魔法で体を浮かび上がらせたのだ。
「小僧! 許さん…… よくも……」
ゴールド司教の足の先端はなく銀色の断面が見えて血は流れてない。彼は右手を斬られて吹き飛ばされた自分に足へと向けた。
「はああああああああああああああ!!!!」
声をあげ足に力を込めたゴールド司教、斬られた彼の足から両方からたくさんの触手が伸びくっついた。
「キラーブルーさんと同じですね」
「あぁ……」
「今の彼は石人形なのでしょうか」
以前、足を再生するゴールド司教は、テオドールを襲った古代技術を使用した石人形キラーブルーと酷似していた。
「焼き尽くしてくれる!」
右手を開いた状態で、前に突き出すゴールド司教、手が光るとどこからともなく彼の十センチ前に、赤い表紙に十字架の描かれた分厚い本が五冊が現れた。
五冊の本は等間隔に浮かび、ゴールド司教の前に並んでいる。
「あれは…… 聖なる書物です!!」
クレアがグレンに向かってつぶやく。聖なる書物とは魔法道具兼経典で魔法紙に書かれた、この本の文字を魔法使いがなぞると魔法が発動できる。ニヤリと笑いゴールド司教は、右手を水平に動かした。彼の前に並んだ五冊の聖なる書物が同時に開く。
ゴールド司教は今度は右手を逆方向に水平に動かした。開かれた聖なる書物のページの文字が赤く光りだす。
「グレン君! 複数同時魔法です」
光りだした聖なる書物を見たクレアがグレンに叫ぶ。グレンは彼女の方に顔を向ける。複数同時魔法は同時に魔法を放つ技術だ、同時にはなつために魔力が分散してしまうため扱うには相当な技量が必要になる。
「逃げましょう」
クレアがグレンを連れて逃げようと、彼の手をつかもうとした。
「うっ!?」
声をあげたクレアが手を引っ込めた。腕を動かした彼女の背中に激痛が走った。クレアはゴールド司教に踏まれた時に怪我をしたようだ。治療している時間はなく、空を飛んで逃げるにしても動いて激痛が走れば、集中力が切れ飛ぶ速度が落ちてしまう。
すぐにグレンとクレアの足元が光が現れた。五つの真っ赤な光がクレアとグレンの足元を囲み、煌々と二人の頬を赤く照らす。
「グレン君だけでも先に……」
クレアは顔をグレンだけでも逃がそうとする。グレンは黙って立ったまま静かに地面を見つめている。
すぐにグレンは顔をあげクレアを見た、グレンは優しい瞳を彼女に向け笑っていた。
「大丈夫。義姉ちゃんは俺が守るから」
「えっ!? でも…… いくらグレン君でも同時に出される魔法は……」
不安そうに見つめるクレアにグレンは首を静かに小さく横に振った。
「平気だよ。こっちに来な」
「キャッ!?」
グレンはクレアの横に立って左腕で彼女を抱き寄せた。抱き寄せられたクレアは恥ずかしそうに頬を赤くする。
「義姉ちゃん…… しっかりと捕まって離れないでね……」
「うん…… でっでも」
声は小さく淡々とした落ち着いた口調でクレアに話すグレン。クレアは彼に言われた通りに、離れないように両手に力を込めた。グレンは左手でクレアの腰を持って抱きかかえ、右手に持った大剣の剣先を下に向ける。
「はははっ! 仲良く焼け死ぬが良い!」
「……」
ゴールド司教の声が響いた直後。地面から激しい炎が吹き出そうとしていた。
「大丈夫。月は引き寄せ…… 突き放す……」
「えっ!?
炎が吹き出る瞬間、クレアの腰に当てていたグレンの左手が黄色く光を放った。彼はクレアを抱きかかえたままふらふらとその場で一回転した。右手に持っていた剣の剣先が、地面をかすめるようにして一回転して円を描く。
吹き出した五つの激しい火の柱が、聖堂の天井を焦がす勢いで上っていく。五つの炎はグレンとクレアの周囲を回転しながら距離をつめ、二人は激しい炎に包まれようとしていた。炎に囲まれた二人を見たゴールド司教は嬉しそうに笑っている。
だが…… 五つの炎は急速に勢いを失いそのまま消えてしまった。炎が消えた場所にはクレアを抱きかかえたグレンが立って居る。
「いっ!?」
ゴールド司教が消えた炎に思わず声を上げた。直後……
「なぜ!? なぜだああああああああああああああ!!!」
グレンが先ほど描いた円を中心に再び炎が舞い上がり、今度はゴールド司教へとうねりを上げながら向かって行く。
慌ててゴールド司教は飛び上がって逃げる。だが、五本の炎の柱は蛇のように、左右にくねらせながら執拗にゴールド司教を追いかけていく。炎の柱は五本がまとまり一本の強大な炎の柱になり、速度をあげてゴールド司教へと迫っていく。
真っ赤に燃える炎の柱が、天井の近くを飛ぶゴールド司教へと近づく。徐々につま先、腰、背中へと徐々に熱が上がっていく。
「クソオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!」
ゴールド司教は天井に向かっていく、ぶつかる直前に両手の拳を握って前に出した。硬い拳を天井を貫いた。聖堂の天井を突き破り外へと出たゴールド司教、すぐに振り返り左手を空に向けた。ゴールド司教の左手が青白く光りだした。
「フリージング!!!」
叫びながらゴールド司教は自分が聖堂の屋根に開けた穴に左手を向けた。ゴールド司教の手から、真っ白な冷気が吹き出して穴を氷で塞いだ。
「はあはあ…… これで…… いっ!?」
透明な氷が真っ赤に光り出す、氷はあっという間に溶けて炎が勢いよく吹き出す。穴から吹き出した炎は轟音とともにゴールド司教を包み込んだ。
「うわああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ゴールド司教は炎に包まれる直前に両手を顔の前に交差した。激しい痛みと灼熱がゴールド司教の体を駆け巡るのだった。真っ赤な炎の柱は数十秒の間燃え盛りすぐに消えた。
クレアは聖堂に立つグレンに抱きかかえられたまま、天井の穴へと吸い込まれていった炎の柱を見つめていた。少しして火柱が消え、聖堂の穴から真っ黒な煙が入って来る。
「大丈夫?」
抱きしめる手を緩めたグレンは優しくクレアに声をかけた。
「はい。ありがとうございます」
体をグレンから少し離して恥ずかしそうにクレアが答える。グレンは小さくうなずいた。
「うん!? ごめん。まだみたいだ。少し離れて」
「はっはい」
グレンはクレアを背中に隠して顔をあげた。
聖堂の高い天井の手前で、ゴールド司教は浮かび眉間にシワを寄せてグレンを睨みつけていた。
顔はすすだらけで銀色だった体も所々黒く焦げ付いている。悔しそうに拳を握ったゴールド司教が大きく振り上げた。
「よくも…… 小僧め! 許さん! 許さんぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
叫び声をあげゴールド司教は、拳を振り上げたまま、グレンに向かって降下して来る。顔をあげたままグレンは、真顔でゴールド司教をジッと見つめ静かに体を揺らし始めた。