第70話 残された人々
グレン達がセーフルームの設置を完了してからニ時間ほど後……
テオドール冒険者ギルドの四階にある一室。ここはギルドマスターであるキーセン神父の執務室だ。夕方が近づく今の時刻は最も忙しく、彼は椅子に座って机の上に積み重なった大量の書類に目を通していた。
サブマスターのシスターアメリアは、忙しい彼のために茶を淹れて机の上に置いた。一歩下がってからトレイを両手で持ってキーセン神父に声をかける。
「次の予定は……」
書類を持ったままキーセン神父は彼女の話しを聞くために顔をあげた。
「あっごめん! ちょっと待って」
慌てた様子でキーセン神父はアメリアの話しを止めた。すぐに彼は部屋の入口に向かって声を張りあげた。
「タワー君。そこに居るんだろ? 入って来なよ」
すぐに音もなく扉が開く。扉の向こうに冒険者ギルド情報課のタワーが立っていた。
「おっお邪魔しましゅ!」
緊張しているのか挨拶を噛んでタワーは部屋の中に入って来る。硬い彼にアメリアは呆れた様子で声をかける。
「そんなに緊張しなくても…… いつも来てますわよね……」
「すっすみません」
タワーはアメリアに頭を下げて申し訳無さそうにする。その様子を見てキーセン神父は微笑み立ち上がった。
「まぁまぁ。アメリアさん。彼にもお茶を淹れて上げてください」
「はぁ……」
小さくうなずいてアメリアは、トレイを持って茶を淹れに部屋を出ていった。タワーはキーセンの机の前に立つ。キーセン神父はアメリアが出ていくと、真面目な顔になり椅子に深く腰掛けタワーの方を向いた。
「それであの二人はロボイセでうまくやってるのかな」
「はっはい。今日、町に着いて最初の依頼をこなしました……」
「ほぅ。さすがだね」
にっこりと笑うキーセン神父、タワーは緊張した面持ちで彼へ視線を向けた。真顔で慎重に今度こそは、噛まないようにと意識してタワーは口を開いた。
「こっこれから目標と接触しましゅ! あっ……」
再び噛んでしまいしょんぼりしてうつむくタワーだった。キーセン神父は優しく彼に声をかけた。
「そうか。うまくいくといいな」
嬉しそうに笑ったキーセン神父、タワーは恥ずかしそうに顔を赤くしていた。彼は続けてタワーに質問する。
「町の様子は変わらずかな?」
「すっ少しずつレジスタンスが活動範囲を広げているようですね。それに対抗して上級聖騎士の招集を増やしてるみたいです」
「わかった。ありがとう。引き続き監視をお願いするね」
「はっはい!」
緊張した様子でうなずくタワー、キーセン神父は微笑み満足そうにしていた。直後にアメリアが部屋に戻って来た。彼女は部屋に入って茶の入ったカップを乗せたトレイをタワーの前に差し出した。
タワーはカップを両手に持って一口すすった。タワーを見てキーセン神父は笑顔を向けた。
「そうだ。ブルーボンボンさんは業務にだいぶ慣れたようだね」
「えっ!? はい。ハモンドさんから色々教えてもらえて順調です。それに最近では料理や掃除とかも出来るようになったんですよ」
「うん。よかった……」
嬉しそうにブルーボンボンが、順調に成長していると答えるタワーだった。彼の回答にキーセン神父は寂しそうに表情を浮かべ、壁にある窓の外へ目を向けた。
「実は聖都の方から彼女を少し貸してくれないかって話が来ててね。どうも上層部は彼女のような石人形を増やしたいみたいでね」
「嫌です! 彼女はもう仲間ですし…… 増やすために解体とかされたら…… 僕は……」
声を震わせたタワーは、机の上にカップを叩きつけるように置いて、いつもおどおどした彼の顔は見たこと無いくらいきつくなり目に殺意がこもっていく。キーセンは冷静に彼の表情を見て口を開いた。
「だよね。君ならそう言うと思ってた。大丈夫。断るよ」
「ホッ……」
安堵の表情を浮かべるタワー、キーセン神父は優しい笑顔を彼に向けた。
「さて、話はこれで終わりかな。ありがとう」
「失礼します」
キーセン神父に挨拶をしたタワーは部屋から出ていった。
「よろしいんですか? 断っても……」
アメリアはタワーが置いたカップに手を伸ばしながら、心配そうにキーセン神父に声をかける。
「報告書にちょっと手を加えればいいさ。我々が手を焼いてるってことにしたら無理に彼女を要求しないだろう。上層部も彼女が暴れたら厄介なのはわかってるだろう」
立ち上がってキーセン神父は心配するアメリアに笑顔で答える。その顔は余裕に満ちあふれていた、彼は静かに後ろを向いて視線を上に向けた。
「それに…… 万が一それでも人手を欲しがるなら代わりになる二人を派遣すればいいさ。すぐここに帰ってくるだろうからね」
「はぁ…… かわいそうに…… テオドールから出されて…… しかもあなたに利用されるんですね」
キーセン神父の背中に向かってアメリアがつぶやく、彼は振り向いて右手を大きく広げ左手を胸の前へと持ってくる。
「そうさ。彼らは僕の部下になったのが運の尽きなのさ。はははっ」
「笑い事じゃないですよ。ロボイセにだって何も知らせずに行かせて」
「私から指示だと困るだろ。彼らならロボイセに巣食う醜く肥え太った帝国のガラガラヘビを駆除してくれるだろう」
「もう……」
得意げな顔で椅子に座り作業へと戻るキーセン神父、アメリアは呆れた顔で首を横に振るのだった。
キーセンの報告を終え冒険者ギルドを出たタワー…… 彼は町の港の外れへとやってきた。海に面した岸壁の片隅に座り一人の男が釣りをしていた。
釣りをしている男の傍らには真っ黒な一匹の猫が座っている。猫はおこぼれを狙っているのか、男のすぐ横に置いてある木製の魚籠のそばに座っている。タワーは男の背後へと静かに忍び寄っていく。
「なんだぁ。課長かー…… ギルドマスターとの話は終わったのかい?」
タワーの気配に気づいた男性は振り向き彼に声をかけ釣り竿を引き上げた。男は緑色の長い髪を後ろで結び黄緑色の丸い瞳をしたどことなくゆるい雰囲気を持っている。恰好は軽装で黄色のシャツに黒の膝丈のズボンを履いていた。男の名前はソーラ。情報収集課のタワーの部下である。
「はっはい。ソーラさんは引き続き情報収集を頼みます」
「わかったー」
威勢よく返事をしたソーラだった。だが、すぐにハッと目を大きくして何かを思い出した顔をした。
「あっごめん! でも…… 彼らに報酬の増額を頼まれてるんだけどさぁ…… この通りなんだ……」
彼が横に置いてあった魚籠の中をタワーに見せる。魚籠の中は空っぽだった。
「だっ大丈夫です。後で申請してください。予算承認させます」
「やった! ありがとう。課長!」
タワーの返事にニッコリと微笑んだソーラは横に居た猫を優しくそっと撫でる。
「よし! 報酬の増額は頼んだぞ…… 二人を動きがあったらすぐに連絡をよこすんだ。みんなにも伝えてくれ」
「にゃー!」
「あと二人をたくさん助けてもあげて」
「にゃー!」
猫はソーラの言葉に返事をするように鳴いた。ソーラは振り向いて近くに建つ港の倉庫へ視線を向けた。倉庫の屋根には白猫と茶色の猫が二匹が座って日向ぼっこをしていた。
「君達も頼んだよー」
「「にゃー!」」
ソーラは屋根の上の猫達にも声をかけた。ソーラの言葉に猫達はすぐに返事をするのだった。猫達の鳴き声を聞いたソーラは安心したようにして前を向いた。
「じゃあ。僕は予算の削減を頑張るかな」
海に視線を戻した彼は再び海へ釣り糸を垂らすだった。ソーラは情報収集課の外部情報担当である。外部情報担当は主にテオドールの外での情報を集めるのが仕事だ。
ソーラ横にいた猫があくびをしながら鳴く。
「にゃー」
「なにー!? 期待してないだと?」
ムッとした表情で猫に向かって文句をいうソーラ、倉庫の屋根に居た猫たちも彼の言葉に反応するように鳴く。
「「にゃー! にゃー」」
「なんで君達も…… クソー! 見てろよ!」
振り返り倉庫の上に向かって叫び、すぐに海を向いて釣竿を握る手に力を込めるソーラだった。
彼の特殊能力は動物語翻訳、これは魔物や動物と喋れる特殊能力だ。ソーラはその能力を使いノウレッジに住む猫達と情報ネットワーク構築している。鳴き声を共鳴させて知らせ合う猫のネットワークのスピードは想像以上に早く優秀で、ノウリッジ大陸で起きた情報は遅くとも数時間ほどでソーラの元へと集められる。
ちなみにソーラが釣りをしてるのは、猫達に報酬を払うための彼の大事な仕事でもあるのだ。