第63話 色気より食い気です
キッチンの周知にかすかな空気の流れる音が聞こえ、そよ風のように空気がキッチンへと流れていく。魔物が大きな口で息を吸い込んでいるようだ。グレン達ははその光景を呆然と見つめていた。
「ブホ!?」
小さく鳴き声が魔物の口から聞こえた。魔物の口が閉じられて紫色の皮膚の姿が映り、その姿がわずかにキッチンから離れた。
直後に激しく建物が揺れて大きな音が響く。激しい揺れにグレン達は転ばないように踏ん張った。魔物がキッチンから出てこようしているが大きすぎて引っかかっているようだ。再び魔物の口が大きく開いて、キッチンの入り口に見えた。
「ブホーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
魔物が声をあげながら息を吐いてから、大きく空気を吸い込み始めた。周囲になんともいえない悪臭が漂い、空気がうずまいてあらゆるものが魔物の口へと引き寄せられる。テーブルや椅子、瓶や酒樽などが転がり魔物の口の中へ吸い込まれる。魔物の口の中からバリバリという物が砕けてすり潰される音が聞こえる。
特にキッチンから一番近くに居る、グレンとアルに吸い込まれていく空気が強風のように吹きつける。
「チッ!」
舌打ちをしたグレンは床に剣を刺した。すぐにその場に寝転がり仰向けになったグレンは、床の板をつかみ足に力を込めて踏ん張った。吹き付ける強風に少しでもバランスをくずしたら、そのまま一気に魔物の口へと引きずり込まれそうなのだ。
「あっ!?」
隣でうずくまっていたアルの体が徐々にキッチンへと向かって動き出した。
「たっ助けて!」
必死にアルはグレンに向かって、手を伸ばしてきた。グレンが気づいて手をのばせば彼を助けることは可能だ。だが、グレンは彼に目もくれず、自分の体が引き寄せられないように必死に耐えるだけだった。もしグレンの体にアルの手が、触れようものならグレンは容赦なく彼を殴りつけていただろう。
「いやだ! 助けて! 助けてくれーーーー!」
アルの体はひきずられるようにして、魔物の口の中へと消えていった。リッチェやハンナや目をそらした。
「やめろ! やめろおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!! ブブッ!!! ブギャアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!」
激しい叫び声とびちゃびちゃという湿った音が店内に響く。やがてゆっくりと魔物の口が閉じられ、空気がおそまった魔物が吸い込むのをやめたのだ。しかしすぐに……
「ブフゥーーーーー!!!!!!」
魔物がゲップをした。黄色の空気が出そうな悪臭が周囲にただよい口から何かが飛び出した。口の中から飛び出したのは、直径三十センチくらいの球体で、放物線を描いて十メートルほど飛びハンナの足元に転がった。彼女が足元に転がった球体に視線を下向ける……
「ひいい!」
球体を見たハンナは顔を青くして叫び声をあげた。彼女の前に転がって来たのはアルの首だった。目を大きく見開いて恐怖に怯えた顔で、首から骨がむき出しになっている。
「ヒクヒク」
キッチンから見える魔物が上下に小刻みに動く。クレアはキッと目を細くして、キッチンから魔物を見た。直後に激しく店内が揺れる、魔物がまたキッチンから出ようと体をぶつけたようだ。
魔物の衝突によって、キッチンの壁にヒビが入っている。崩れるのは時間の問題だ。クレアは背負っていた大剣に手をかけた。
「みんな! 私の後ろに隠れて!」
クレアの声に反応した、リッチェとハンナが急いでクレアの背後へと隠れる、それぞれにリッチェはシャサをハンナはカフを連れている。
「グレン君も! 急いでください」
「あぁ」
彼女から一番遠くに居たグレンはすぐに立ち上がり床に刺した剣を抜く。振り向いた彼は一目散に走ってクレアの元へと向かう。グレンはクレアの横に走って来ると、クレアは目をつむり意識を集中させる。すぐにクレアの前に白い透明な光の魔法障壁を展開しようとする。
「ふぅ…… これで…… おっと! 義姉ちゃん! ちょっと待って!」
グレンは顔をあげると何かに気づいて腕を伸ばしクレアを止めた。
「ぐわ!」
どさくさに紛れてフランが、リッチェ達と一緒にクレアの背後に避難していた。フランの襟首と左腕をつかんだグレンは、強引に彼を自分の近くへと引き寄せた。グレンは彼の耳元で声をかける。
「残念だったな。義姉ちゃんの魔法障壁は六人しか入れないんだ。お前の居場所はねえから!」
「そっそんな!? 頼む! 死にたくない!」
必死に懇願するフラン、クレアが彼の方に顔を向けて優しく声をかける。
「あなたどこの人です? あの魔物はなんですか? そしてあなたを雇った人を教えてください?」
「えっ!?」
驚くフランだが、クレアは彼を見て優しい表情で見つめている。彼の中でクレアに正直に答えるという必要性は感じられない。要はクレアを優しくチョロい女だと舐めているようだ。もちろんフランに対するクレアの態度は罠だが。
「ははっ。実は俺達はなっ何も知らないんだ。ここに迷い込んだだけで……」
笑って適当な言い訳を答えるフラン。答えを聞いても微笑むクレアにフランはホッと安堵の表情を浮かべた。だが、彼の様子を見たクレアは失望したようにため息をつき首を大きく横に振った。
「ふぅ…… グレン君。いいですよ」
「あぁ。わかった」
「えっ!? やっやめろ! うわああああああああああああああああああ!」
グレンはクレアに向かって笑って、うなずくとフランを持ち上げて放り投げた。クレア達の数メートル前の床にフランが叩きつけられた。
「いてて…… クソが!」
立ち上がって尻をさするフランだった。彼が立ち上がってすぐに大きな音がした。振り向いたフラン、キッチンの壁を魔物が破壊して砂埃が待っている。煙と砂埃まみれの円形の頭をした大きな紫色のワームがキッチンから顔を出していた。
「グワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」
口を大きくあけた魔物の鳴き声が店に響き渡った。
「「キャッ!」」
「ひいぃ!」
ハンナとリッチェ達は魔物の大きさと鳴き声に驚き目をつむり、至近距離で鳴き声を聞いたフランは腰を抜かして尻もちをついた。そんな状況のなか、クレアとグレンは冷静な表情で魔物を見つめている。魔物を見つめていたクレアが、力強く左手を握った。彼女の手に短い光の短剣が現れる。
「ハッ」
気合をつけた光の短剣を魔物に投げる。光の短剣は魔物の体をかすめ、二十センチほどの傷をつけた。
「グワアアアアアーーーー!」
鳴き声が店内に響く。同時にクレアが傷つけた体の傷があっという間にふさがっていく。
「やっぱり…… あの形にあの再生能力…… 厄介ですね。グレン君! 一旦引きますよ」
「わかった」
クレアが振り返りリンガル洞窟亭の入り口をさしてグレンに指示を出した。グレンは彼女の言葉にうなずく。二人は魔物が何か把握しているようだ。グレンはポケットに手を入れて小さな青い玉を取り出した。これは臭い玉と言って、破裂させると魔物の臭い発する。グレンは遠くの床に向かって臭い玉を投げた。
「いいか皆。ゆっくり下がって入り口から出るぞ。付いて来い」
「でっでも……」
不安そうな顔をするリッチェ、グレンは魔物を指さした。
「見ろ。頭を出して小刻みに動かしてるだろう」
「はっはあ……」
グレンが言葉通り、魔物は頭を上げて前に出し、魔物はグレンが臭い玉を投げた方角を向き、クンクンと小刻みに動かしいた。
「あいつは目が見えてないんだよ。臭いと音で獲物を探してるんだ。だから静かにゆっくりここから立ち去れば大丈夫だ」
振り返ったグレンが小声で、背後から十メートルほど先にある、自分が入って来た扉を指さして指示を出す。全員が小さくうなずくゆっくりと後ずさりを始める。みんなが下がるとクレアが下がる、彼女の動きに合せて一歩ずつ魔法障壁も下がっていく。
「ヒッ!」
ズッズと体を引きずる音を立てて、ワームが静かにフランに近づいてくる。彼の一メートルほど手前で止まり、ヒクヒクとなにかの匂いをかぐように頭を動かしている。
「振り返るな。あいつにかまってる余裕はない」
リッチェ達にグレンは声をかけ、店の入口へと目指し静かに一歩ずつ前に進む。クレアは後ろと前を交互に見ながらグレン達の後をついていく。入り口の扉を開け、グレンが扉を押さえた。みんなを手招きして先にだそうする。
「ハッ!? 待て!」
グレン達が店の入口から出ようとするのに、フランが気づいた。走って入り口へと向かう。足音にワームが反応し、彼の元へと這いずって近づいていく。フランが扉から一メートルほどのところでクレアが展開した魔法障壁に阻まれた。
「入れろ! 入れろーーー!」
障壁を叩いて叫ぶフラン、クレアはその様子を見て笑顔をむけ自身はゆっくりと後ずさしていく。
「早くしろ! やつが! クックイーンが!!!!」
障壁を叩きながら足を震わせ、漏らしたのか彼の股間は濡れて足元には水滴が垂れている。玄関の縁に足をかけると、クレアはニッコリとフランに微笑み左手を強く握りしめた。
「いいですよ。入れてあげますね」
前に進もとうした、フランの左の太ももに激痛が走る。
「がは!」
苦痛の顔に歪めフランが声を上げた。彼の左太ももにクレアの左手から伸びた光の剣が刺さっていた。前に出ようとしたタイミングで、足に光の剣を刺された彼はバランスを崩して前のめりに倒れた。
「やっぱりやめました」
笑ってクレアは店の外へとでた。クレアが外へ出るとグレンが、押さえていた手をどけてゆっくりと扉を閉める。ワームが彼の足の手前まで迫ってくる。彼は両手を交互に前にだしながら必死に閉じられようとする扉に手をのばす。
グレンが閉めようとした扉をフランが必死に掴んで止めて叫ぶ。火事場の馬鹿力と言うのか、フランはものすごい力で体を引きずりなんとか扉と壁の間に挟んで必死に外に出ようしていた。
「出して! 出してくれえ!」
体の胸から上を扉から出した状態で必死にフランが叫ぶ。グレンは扉から手を離して、フランの体へと手を伸ばした。
「離せ! 扉が閉まらねえだろうが!」
「嫌だ! 嫌だーーー! うっ…… ブボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!ーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ブチュっバリバリとなにかが潰れて引き裂かれるような音がした。必死に訴えていたフランは何かに押されたように目がとびでそうになり、目の縁と口から大量の血を吐き出し電池が切れたおもちゃのように動かなくなった。血が混じった目から光が完全に消えて、グレンに必死に抵抗していた体からも力が抜けていた。同時に何かに押し出されるように彼の体が前に出てきた。
「ひいいいいい! なんで!? また! 私なんだ!?」
出てきたのは腹から下と左腕の肘から下が、食いちぎられたフランだった。近くに立っていたハンナの足元に、フランが滑り込むようにして止まり彼女は叫び声をあげた。グレンは騒々しい周囲をよそに淡々と扉を閉める。
「どいてください。グレン君! フリージング!」
叫びながら、クレアが右手を扉に向けて魔法を唱えた。彼女の腕から冷気が出て、リンガル洞窟亭の扉は凍りついた。フリージングは水属性の魔法で冷気を標的ににぶつけ氷漬けにする。
扉が閉まるとグレンはフランの死体の元へと向かう。ハンナが恥ずかしそうにグレンから目をそむけた。彼はフランの死体のもとにしゃがむ。
「グレン君。後でです。今はとりあえずは逃げますよ」
「おぉ。そうだな」
クレアがグレンに指示をだして、先導して走り出した。クレアにうなずいて答えたグレンは、フランのまぶたを閉じると彼の上半身のかけらを持ったまま走り出ってクレア達の後を追う。
リンガル洞窟亭からグレン達は逃げ出すのであった。