第51話 鯉の季節
グレンは振り返りオールを必死に漕ぎ船を後退させる。漁船はスピードが上げて泡から離れていった。
湖面に浮かんだ泡が大きくなり、水面がうねって大きな波となって船を揺らす。グレンは踏ん張って、クレア、オリビア、クロースの三人は身を低くして船のへりにせがみつく。
溶岩のような真赤な光の塊が湖面から飛び出して来た。飛び出してきたのは真っ赤な鯉だった。水しぶきをあげながら鯉は湖面の三メートルほど上を飛んでいく。
「キィーーーーーーー-----------!!!」
甲高い鯉の甲高い泣き声が湖に響いた。ひげをなびかせ飛びながらパクパクと口を動かす、五メートルはあろうかという巨大な紅色の鯉。これが今回の獲物ビッグレッドカープだ。ビッグレッドカープは通常の鯉と同じで、淡水の巨大な川や湖に棲息し、水草や虫、さらに水に入った動物や小型の魔物などほぼなんでも食べる雑食の魔物だ。人間は好んで食すわけではないが空腹時には人間も躊躇なく襲って食べる。また、鱗は炎の力を宿しており周囲の水を一瞬で沸騰させ獲物を茹で殺して食すこともある。
激しく揺れる船から、落ちないように四人は必死に堪えていた。
「はっ!」
グレンは船体のへりをつかみ左足で床を軽く蹴った、彼の体と船がうっすらと白い光がつつまれ湖面から一メートルほど浮かび上がった。波の影響をうけなくなった船の揺れはおさまっていく。
「へぇ…… 空を飛べるのか。さすがクレアの弟だな」
「ブルースカイウォークですわね。一瞬で上空まで行ける魔力。それに…… 力も強いみたいですわね。とっさに船をつかんで自分と一緒に浮かばせましたわ。姉によく鍛えられているのでしょうね」
彼の左足には魔法の刻印があり、ブルースカイウォークという空を飛ぶ魔法が登録されている。魔法の刻印に登録した魔法は詠唱できずに使えるようになる。グレンの魔法のほとんどはクレアから教わり、剣術も彼女との訓練で培われたものである。
飛び上がったビッグレッドカープは水面へと戻っていった。グレン達が乗る漁船の下の湖面が激しく波うっている。ビッグレッドカープは背びれと背中の一部を湖面からだして泳いでいた。
クレアはオリビアとクロースへ顔を向け二人に声をかける。
「オリビアちゃん。クロースちゃん。お願いしてもいいですか?」
「あぁ。ここは私が……」
うなずいて立ち上がり名乗りをあげたオリビア、しかし、オリビアの横にいたクロースも立ち上がっていて左手を前にだして彼女を制止した。
「いいえ。ここはわたくしにお任せを……」
「でっでも……」
「キッ!!!!!」
「うっ!?」
眉間にシワを寄せてクロースはオリビアを睨みつけ首を横に振った。
「いえ…… わたくしは今…… とあることで少しムシャクシャしてるんですの。やらしてくださいましな。よろしいですわね?」
「あっあぁ……」
オリビアを睨みつけながらクロースは丁寧な口調で淡々と話す、睨まれたオリビアは震えて怯えた様子で後退りしながらうなずくしかできなかった。
彼女がムシャクシャしているのは理由は、当然だがオリビアが背負った借金で仕事を押し付けられたからである。
オリビアの様子に少し気が晴れたのかクロースは爽やかに笑って手を振った。
「では、行ってきますわ」
スカートのホコリをさっと左手で払うクロース、彼女はそのまま前へ歩いて船のへりを飛び越えて湖の上へと下りた。
「えっ!?」
湖に飛び込んだクロースにグレンが驚いて彼女を追いかけた。だが、クロースは水へ落ちること無く湖面に立っていた。
グレンの目にクロースの足が白く光って、湖に浮かび上がったまま、彼女の中心に小さな円形の波紋が広がっている様子が見えた。
「どっどうして……」
「ウィンドウフィールドですよ。風によって足場をつくる魔法です」
「そっそうなんだ」
振り返りにっこりとグレンにほほえんだクロースは、ゆっくりと湖面を歩きながら、背びれを出して悠々と泳ぐビッグレッドカープへと向かっていく。
クロースが近づくビッグレッドカープは湖の中へと潜った。大きなビッグレッドカープの泳ぐ姿が、クロースの足元にある透明な湖に映し出されている。
ビッグレッドカープの鱗が溶岩のように赤く光る。
「あら!? 熱湯ですか……」
ぶくぶくとクロースの周囲の湖に泡立ち、湯気が上がり水が白く濁ってビッグレッドカープの姿が見えなった。クロースは湖の様子をみながら落ち着いた様子でつぶやく。黒く大きな影がクロースを覆った。
視線を上に向けたるクロースにビッグレッドカープの尾ひれが見えた。次の瞬間、クロースに向かって尾ひれが叩きつけられた。
「はあっ!!!!」
クロースは足を踏み込んで背後に飛んで尾ひれをかわした。
だが、ビッグレッドカープは尾ひれが叩きつけらた熱湯は、無数の水しぶきとなってクロースに向かって飛んでいく。
「危ないですわよ」
素早くスカートのホコリを払う動作したクロース、先ほどと同様に彼女の靴が光って風の足場がつくられその場に彼女は立った。
とまったクロースに湯気を放つ高温の無数の水しぶきが襲いかかる。迫る水しぶきを見ながらクロースは、すっと右手を背中に回しハルバードに手をかけた。彼女はハルバードを抜きながら、その勢いで飛んでくる水しぶきを払った。
クロースの白い刃のハルバードが熱湯に振り払う。ハンマーと熱湯が触れた瞬間に、バチとい音がして青白い光が発生し熱湯が蒸発して消えた。
「残念でしわたね。私の力はあなたと相性はいいんですのよ」
余裕の表情を浮かべるクロース、ビッグレッドカープは湖面に顔をだし口をバクバクしながら彼女を見つめていた。
ビッグレッドカープが口を止める、周囲の沸騰した水を吸い込み体を溶岩のように赤く光らせる。
直後にビッグレッドカープから口に含んだ熱湯が、銃弾のように激しいスピードで発射された。
「これは直撃したらひどいことになりそうですわ…… でも……」
クロースは右手を自分の体の前に出した。飛んでくる熱湯の射線にハルバードが置かれるような状態になる。
熱湯がハンマーに触れる。直後に…… バリバリと言う音が響く。ハルバードから青白い稲妻が飛び出し、熱湯をなぞるようにしてビッグレッドカープへと飛んでいく。
「キーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
白い光に覆われたビッグレッドカープから苦しそうな悲鳴が起こる。
稲妻は熱湯の中を一瞬で移動して、ビッグレッドカープへと直撃したのだった。熱湯は稲妻の熱で蒸発し白い湯気となってクロースの前で白線のようになっていた。
「終わりですわね」
白い湯気の先に先程まで元気に泳いでいたビッグレッドカープが、自分で沸かした湯の上に浮かぶ姿を見てクロースは笑ってつぶやいた。さっそうとハルバードを回して背中に戻して、クレア達の方を向いて笑うとスカートを払って湖面へと下りた。
湖面に立ったクロースは優雅に歩きながら漁船へと戻ってくる。彼女が歩くたびに湖面には静かに波紋がうかぶ。
「すげえ…… 圧倒的だな……」
グレンはいとも簡単にビッグレッドカープを討伐し、戻ってくるクロースを見てつぶやいた。横に居るクレアは彼に視線を向けて笑った。
「クロースちゃんの特殊能力は白き稲妻の支配者ですからね。雷は全て彼女の思いのままに動きます」
「そうなんだ…… やっぱり義姉ちゃんの友達はすげえな」
「はい。すごいんですよ。これからもお姉ちゃんを尊敬してくださいね」
目を輝かせるクロースを見つめるグレンに、クレアは胸を張って得意げに答えていた。
「いやいや…… 義姉ちゃんは関係ないだろ」
「えへへ」
グレンはクレアに呆れた顔を向けていた、クレアは嬉しそうに笑っていた。
戻ってきたクロースに、オリビアが手を貸し漁船へと引き上げた。振り向いてオリビアが船尾にいるグレンに声をかける。
「おーい。グレン君。船をビッグレッドカープへ向かわせてくれ」
「あぁ。わかったよ。ほら! 義姉ちゃん。船を動かすよ。座ってて!」
「はーい」
返事をしたクレアが座り、グレンは船を湖面まで下しビッグレッドカープへと向かわせた。
グレン達が乗った船はビッグレッドカープの死体までやってきた。
「じゃあ行きますよわ」
湖面にロープを持ってクロースが下り、ビッグレッドカープの体にロープを巻き付けた。クロースはビッグレッドカープに巻き付けた、ロープの先端を持ち漁船に戻った彼女はそれをオリビアへと渡す。
「はい。どうぞ」
「おぉ。…… ジュル」
ロープに結ばれた真っ赤でパンパンと張った、ビッグレッドカープの体を見てよだれを垂らすオリビア。
「さぁ! 弟よ! 船をあの小島へ移動させてくれ」
待ちきれないと言った感じでオリビアはグレンに船の移動を指示した。
「小島に? 港に持っていけばいいだろ? 島で解体するつもりなのか」
グレンはビッグレッドカープの死体を港に持ち帰って、そこでビッグレッドカープを解体してギルドに討伐の証として必要な魔物の体の一部を得るのだと思っていた。
オリビアはグレンにむかって首を大きく横に振った。
「違うよ。ビッグレッドカープを食べるんだよ。村の人には刺激が強いだろうからな。見えないところで……」
「えっ!? 食べるって…… 魔物をか?」
グレンの問いかけにオリビアはうなずく。魔物の体には毒などがあり食用に適さない場合が多く、儀式や食料不足が多発するような地域以外で魔物を食することはない。
驚いた呆然としてるグレンにクロースが声をかける。
「大丈夫ですわ。食べるのは肉だけですわ。ギルドが証拠に求めてるのは骨と牙は多分残りますわよ」
「はっはぁ…… でも……」
「さぁ早く! 船を島へ向かわせてくれ!」
船を出すのを躊躇するグレンにオリビアがさらに強く指示をした。
グレンの視線がクレアに向かう、彼女はグレンの顔を見て優しく微笑む。
「クロースちゃんの言う通り大丈夫ですよ。行きましょう。グレン君」
「あぁ。わっわかった」
笑顔のクレアを見た、グレンの心は落ち着き安心包まれた。彼は返事をし湖に浮かぶ島へと船を向かわせるのだった。