第39話 小さな傷
テオドールの南門。白銀兵団を退け、城壁の上に十人ほどの怪我人が寝かされメルダが治療を施していた。エリィは門の横に立つ櫓で見張りをしていた。緊張した表情でエリィは城門の先に広がる平原を見張っている。
「あっ!」
目を大きく見開いてエリィの表情が明るくなる。彼所は慌てた様子で櫓を下りて、城壁で仲間の治療をしてるメルダの元へと駆けていった。
「戻ってきたよ…… あれ!? グレンさんでかくない?」
驚いた様子でエリィが城門の先を指してメルダに叫ぶ。
「えっ!? よかった……」
ホッと安堵の表情を浮かべるメルダ。エリィが指した先に、クレアを背負って飛ぶグレンの姿があった。飛んできたグレンはメルダの近くへと下りて来た。城壁へ下りたグレンは、すぐに背負っていたクレアを床におろす。
まだ疲れているのかクレアは、床に下ろされるとまた座り込んでしまった。グレンはジッと彼女の体を見つめる。クレアは大きな傷はなかったが、手や足に細かい小さな傷がいくつかあった。
「ここに座ってな」
まだフラフラとしてるクレアに、グレンは声をかけすぐ側にいたメルダの方を向いた。
「メルダ。義姉ちゃんも頼む」
「私は大丈夫です。たいした怪我はしてませんよ」
右手を前にだして横に振り、治療を拒否するクレア。グレンは厳しい顔して
「いいから治してもらえよ。小さな怪我が大きな怪我になる場合もあるだろ」
「弟の言う通りよ。あなたは指揮官なのよ。疲労や怪我で指揮ができなかったら私達が困るのよ」
「うぅ…… はい」
しょんぼりとうつむいてクレアが返事をした。クレアの様子にメルダが笑った。
「ははっ。あんたも素直じゃない姉で大変ね」
「まあな。本当に素直じゃないし子供で義弟は苦労ばっかりだよ」
ニヤリと笑って勝ち誇った顔でグレンはメルダに答えた。
「むぅ!」
二人の会話を聞いたクレアは、頬を膨らませて不満そうにするのだった。
「グレンさん!!!」
「おう! エリィ」
手を振りながらエリィが、グレンの元へと駆けて来た。彼女はグレンの前に立つと彼を見上げる。
「グレンさん…… 大きくてびっくりしました」
「あっ!? そうか。ちょっと待ってな」
グレンの目が赤く光ると、彼の体はあっという間に元の大きさへと戻った。エリィは彼の姿をまじまじと興味深げ見つめていた。エリィの視線に気づいたグレンは、彼女が興味を持っていると思い獣化について話す。
「さっきのは俺の特殊能力で獣化全解だ。月の女神ルナの恵みにより自分を強化しているんだ」
「へぇ。すごい…… いいなぁ」
話を聞いたエリィは驚き目を輝かせている、彼女はさらに興味を持ったようだ。
「でも、特殊能力かぁ…… じゃあ私には使えませんね…… 残念」
「そうだな…… 一応月魔法に同じような自分を強化する月明りの人狼がある。強いし習得するのも簡単だ。まぁ他人にかけられないし疲労と反動があるから人気はないがな」
月明りの人狼は初級の月属性魔法で、獣化のように身体を強化するものだ。習得は魔法初心者でも容易で、他属性強化魔法がスピードや力を向上できるのが自身の八割程度に対し月明りの人狼は十倍と比べ物にならないほどの高い効果を発揮する。ただし、体への反動が強く十倍の強化を使うと、使用後に疲労とダメージによって最悪死に至ることもある。他者へ使用が出来ないこととこの反動から、グレンの言う通り人気はなく使用する者はほとんどいない。
「そうか…… 反動があるんなら難しいかな…… 私でも使えるなら…… キティルの役に立てると思ったのにな」
「ちょっと待って」
「えっ!?」
話を聞いて残念がるエリィに、グレンは待てと声をかけると彼は治療を受けるクレアの元へと駆けて行った。クレアの鞄を慣れた様子で開け手をグレンは突っ込み何かを取り出してエリィの元へと戻って来た。
「ほらよ」
「うわぁ!?」
グレンが何かを投げてよこした、エリィは彼が投げらたもの受け取った。彼が投げたのは先端が尖った蓋の小さな瓶で中には赤く小さな銀色の細かい粒が浮かぶ液体が入っている。
「これは……」
瓶を空にかざしまじまじと見つめるエリィだった。彼女の姿を見ながらグレンがにこやかに瓶について説明をする。
「俺が調合した魔法薬だ。一口飲めば一時的に月明りの人狼を使用した時と同じになる」
「おぉ! これがあれば私もグレンさんみたいになれるんですね?」
エリィは目を輝かせ嬉しそうに瓶の液体を見つめている。期待の膨らまう彼女とは裏腹に、グレンは静かに首を横に振るのだった。
「いや。初心者用に効果は最小にして二十パーセントの能力向上…… 魔法の色で言うと青色くらいだな。時間は一分で切れるようになっている」
「えぇ。たったそれだけですか?」
「当たり前だ。使ったら疲労と反動が来るんだぞ。初心者には青でも十分だ。それ以上出力をあげたければ体を鍛えて自分で魔法を覚えろ」
「ちぇ……」
口を尖らせて不服そうにするエリィだった。ちなみに強化魔法は色で効果に違いがでるが、色により効果による効果の数値は黄色だと十パーセント、青だと二十パーセント、緑は三十パーセント、赤は五十パーセント、白は八十パーセントの増加となる。強化の増加量は色の中でも使用者によってばらつきがあり、黄色だと十パーセントから十九パーセントの間となり赤だと八十パーセントから百パーセントの間というようになる。
せっかく渡した魔法薬に不満げな様子のエリィ、グレンはすっと彼女の前に手をだした。
「ふーん。気に入らないなら返してくれていいぞ」
「ダメです。もうもらいましたー」
エリィは笑って舌出して抱きかかえるようにして瓶を持ちグレンから魔法薬を隠した。
「はぁ…… ったく」
舌を出して笑うエリィにあきれて首を横に振るグレンだった。
瓶を指でつまみ中の赤い液体を眺めてやや浮かない表情をするエリィ、彼女はグレンのようになれると思っていたのだ少し残念がっているようだった。
「そういや……」
エリィの横でふとグレンは周囲を見渡して誰かを探し始めた。グレンの様子が気になり視線を向けたエリィと彼の目が合った。
「ところでキティルは? みんなを連れて東門へ行けって行ったんだけど……」
「グレンさんを助けるって一人で南門へ戻りましたよ」
「えぇ!? はぁ…… 俺に助けなんていらねえのによ。まぁいい。迎えに行ってやるか」
キティルが自分を助けに南門へ戻った聞いたグレンは、少し嬉しそうに東門の方角を見て小さく息を吐いた。
「まっまずいですね…… キティルさんが危ないです」
「うわ!? タワー!? 急に出てくるなよ」
驚いて声をあげるグレン、彼の背後にタワーが現れて声をかけきたのだ。タワーもグレンの反応に驚き声をあげた。
「えぇ!? ぼっ僕はずっとここに居ましたよ……」
自分はここに居たというタワーだったが、同じ場所に居たはずのメルダとエリィは首をかしげていた。
タワーは風景加味という特殊能力を持っている。この特殊能力は自身の存在が周囲に溶け込み風景に紛れ気づかれなくなるのだ。本来なら特殊能力を自身で制御できるのだが、タワーは性格が大人しいせいか特殊能力を使用していなくてもなぜか存在が認知されないことが多い。
「そうなのか? 悪い悪い。それでどうしてキティルが危険なんだよ」
「はっはい。部下が白銀兵団の動きを監視していたんですけど…… どこにもキラーブルーさんと魔法士隊の姿が見えないんです。それはつまり……」
深刻な表情でタワーが白銀兵団の中にキラーブルーが居ないことをつげる。タワーの話しを聞いたクレアは、少し考えてから口を開く。
「白銀兵団は主力を東門に展開した。もしそれが実は南門から兵士を動かせるためだとしたら……」
「そうか! キラーブルーは俺が居なくなった南門からテオドールへ侵入するつもりってことか」
クレアとグレンが顔を見合わせうなずいた。座っていたクレアは立ち上がろうと床に手をついた。
「あっ……」
「おっと!」
立ち上がろうとしたクレアがふらつく。グレンが彼女を両手で支えた。
「俺が行って来る。義姉ちゃんは少し休んでな。任せておけ」
「グレンくん…… うん! わかった。危なくなったらお姉ちゃんを呼ぶんですよ」
「はいはい。ほらさっさと座りなよ」
グレンに促されてクレアは座った。クレアはグレンのことを心配そうに見つめていた。
「私も行きます! キラーブルーにキティル一人なんて……」
近くに居て二人の会話を聞いていたエリィが、一緒に行くと手をあげた。グレンは彼女の顔を見て首を横に振った。
「ダメだ。君はここを守るんだ」
「でっでも……」
食い下がるエリィ、友人を心配する気持ちは分かるグレンだったが、キラーブルーとの戦闘でエリィは足でまといにしかならない。彼は毅然とした様子でまた首を横に振ってクレアに顔を向けた。
「義姉ちゃん。エリィの持ち場はここだよな?」
指揮官であるクレアに確認するグレン、彼女はエリィの顔を見て残念そうにうなずいた。
「えぇ。グレン君の言う通りですよ。エリィさんの持ち場は東門です。ここを離れてはいけません」
「そういうことだ。じゃあな」
左手を上げて返事をしたグレンがエリィに背を向けた。エリィは悔しそうにうつむいて立っていた。
グレンを見ていたメルダが、慌てた様子で近寄って来て手を伸ばした。
「ちょっと待ちなさい! あんたも怪我してるじゃない!」
メルダがグレンの左腕をつかみ声をあげる。彼女が掴んだグレンの左腕の袖に、矢か刃物がかすったのか袖が斬られて血がにじんでいた。
「これくらい大したことねえ……」
「ダメよ。小さな傷が大きな傷になることもあるって言ったのはあんたでしょ。姉弟仲良くそこに並びなさい。すぐに治してあげるから」
手を振りほどこうとしたグレンの言葉をメルダが遮り、座るように促す。自分の発言で説得されたグレンは逆らえず、渋々クレアの隣に座り治療を受けるのだった。
グレンが隣に座るとクレアは嬉しそうに笑っている。
「……」
治療を受ける二人をエリィは黙ってジッと見つめていた。その表情はどこか悲壮感が漂っていた。
エリィの様子に気づいたタワーが心配そうに見つめていた。黙ったままエリィは、タワー以外の誰にも気づかれずに、城壁を下りて行った。
数分後…… メルダはグレンの左腕にかざしていた手を外した。彼女の言葉通り、グレンの左腕の治療はすぐに終わったようだ。
「これで終わりよ。もう大丈夫。行ってきなさい」
「ありがとう。じゃあ行ってくるぜ」
笑顔で礼を言ってグレンは立ち上がり、クレアとメルダに左手を上げた。
「キッキティルをお願いね…… 助けてあげて……」
飛び上がろうとしたグレンにメルダが声をかけてきた。頬を赤くして少し恥ずかしそうなメルダだった。
「えっ!? あぁ。わかったよ。任せておけ」
本気でキティルを心配するようなメルダの様子に少し驚いたグレンだったが、笑顔で彼女の言葉に答えた。
グレンは左足を踏み込み体は浮かび上がらせ、東門の方角へ猛スピードで飛んでいくのだった。