第356話 お姉ちゃんを見送ろう
「かぷ!」
「おっおい!? やめろ…… くすぐったいだろ!!」
噛みつかれて声をあげるグレンにレイナはホッと安堵の表情を浮かべた。レイナが作った薬によってグレゴリウスの吸血症は治療されたのだ。まだ少し後遺症が残っておりグレンの首に噛みついただけのようだ。
「グレン!!!! 貴様!!! グッグレをたぶらかしたな!」
「えっ!? あっ!? 知らねえよ! こいつが勝手に……」
首をグレゴリウスに甘噛みされたグレンを見て、オリビアがカッとなって詰め寄って来た。勝手に首を噛まれ勝手に怒られたグレンはあきれた顔で答える。
「グレ! すぐにグレンから離れろ!」
「やーだよー! オッちゃんはさっき苦いのを無理矢理飲まそうとしたから嫌いだよ!」
「グレン! 貴様!」
「なっ!? 知らねえって! クソ!」
オリビアがグレンにつかみかかろうとしてグレンは慌てて振り向いて逃げる。グレゴリウスを抱き抱えたグレンが聖堂を駆けてオリビアから逃げ回っていた。追いかけっこするグレン達をレイナとメルダは笑っていた。
「止めないですの?」
「いいんです。さっきからグレン君が悪いので!」
「えぇ。ざまあです。グレンさん!」
開かれた聖堂の扉の前で心配そうにグレンを見つめるクロースと嬉しそうにするクレアとキティルが並んでいた。
互いに疲れているせいか、オリビアとグレンの追いかけっこはすぐに終わった。聖堂の奥でグレンは息を切らしグレゴリウスを床に下す。
「はあはあ…… 噛みつくならお前の嫁さんにしろ! まったく……」
「えへへ…… ごめんなさい。オッちゃーん」
「グレ!!」
オリビアとグレが抱き合っている。グレンは膝に手をついた首を横に振りつぶやく。
「ったく…… ひでえ目にあったな……」
体を起こしたグレンの背後から誰かが声をかける。
「グレンさんが隙だらけなのがいけないんですよ」
「えっ!? えぇ!?」
振り向いたグレンが驚き飛びのきそうになる。彼に声をかけて来たのはジャスミンだった。驚くグレンにジャスミンが首をかしげた。
「どっどうしました?」
「マッマツリカさんですよね!? なんで俺の名前を」
グレンの前に現れたジャスミンは眼鏡を外して言葉遣いも違っていた。グレンはまだ彼女の正体を知らず眼鏡を外したジャスミンをマツリカだと思い込んでいるのだ。
「えっ!? そっか! まだわたくし…… えっと…… その」
困った顔をするジャスミンの元にメルダが近づいて来た。二人の様子を見てメルダはグレンがジャスミンに驚いているのに気づく。
「ちょっと!? グレン…… あんた…… まだ気づいてないの?」
「えっ!? なに気づいてないって……」
首をかしげるグレンにメルダは笑い、ジャスミンの両肩に手を置いた。
「この子はジャスミンよ! あんたもからかわないで現実を見せてやりなさい」
「はっはい……」
うなずいてジャスミンはグレンに背を向けポケットから眼鏡を取り出してかけた。
「ほい。拙者はジャスミンでござる! ふぅ。やっぱりこちらの方が気楽でござる」
勢いよく振り向いたジャスミンを見たグレンが目を大きく見開いた。眼鏡をかけてニコッとほほ笑むのはグレンがよく知るジャスミンだった。グレンが理想とする上品でおしとやかなマツリカはおらず、彼女の正体はジャスミンだった。
「えええええええええええええええええええええええええええええええ!? なんだよ…… それ……」
驚きの声をあげ生気が抜けたようにつぶやくグレンだった。
しばらくして…… ソーラに連れられてルドルフがガーラム修道院にやってきた。
「グレンはどうしたんだ? 灰のようになっているが」
聖堂に入ったルドルフが首をかしげる。グレンが聖堂に隅で椅子に座りうなだれていた。
「放っておいてください。大したことじゃないですから……」
「はぁ……」
あきれた顔でレイナがルドルフに答えたのだった。ルドルフをグレン達は皆が無事を喜び起きたことを説明した。
「福音派が…… ヴァンパイアだったと…… すぐにオフィーリア様へ連絡をしないとな」
「頼みます」
クレアに向かってルドルフは難しい顔で小さくうなずいた。
「チョコさんとノールさんは神聖騎士団で保護をお願いします。場合によっては大陸外への輸送も……」
「わかった。彼女らの希望に添えるようにする」
聖堂脇で寄り添うように座るノールとチョコは話を聞いて嬉しそうに笑った。ルドルフは視線を彼女らに向けすぐにクレアに戻す。
「こんな事件があったとなると…… この後は大規模な福音派狩りが行われるだろう。冒険者ギルドにも協力を……」
「えっ!? それじゃあディ…… エリィもですか!?」
「もちろんだ。彼女は現在のところ主犯の一人を逃がした犯罪者だ」
「そっそんな……」
毅然とした態度で答えるルドルフにキティルはしょんぼりとうつむいた。キティルの肩にオリビアが手を置く。
「大丈夫だ。生きているんだろう? だったらまた機会はある! 諦めるには早いぞ」
「そうね。あんたも良いこと言うじゃない。そうよ。まだエリィは生きているわ。追いかけましょう」
「えぇ。誰よりも先に我々が見つけましょう」
「みっみんな…… ありがとう」
オリビアの言葉にメルダとクロースが続く。キティルは目に涙をため笑顔でうなずいた。
「ナー!」
ソーラに抱かれたナーが急に声をあげた。皆の視線がナーへと向けられた。ソーラはナーの口に耳を近づけ何かを話を始めた。
「そうなんだ……」
顔をあげたソーラにクレアが尋ねる。
「どうしました?」
「タワー課長から連絡だよ…… ウォルフとディーアは地底から出て東へ飛んで行ったみたい。もう少し足取りを追うってさ」
ナーはタワーからの連絡を受け取ったようだ。ちなみにナーが受け取った連絡は、猫の鳴き声による伝言なので遠くで猫の鳴き声の伝言を行うと人間の耳には届かない。
「ここから東…… グランドアリーリア平原ですね…… おそらく二人は聖都市に…… ルドルフさん!」
タワーの連絡を聞いたクレアは深刻な表情でつぶやきルドルフを呼んだ。
「聖都へヴァンパイアに警戒するように要請をお願いします」
「了解だ」
大きくうなずくルドルフだった。二人の会話を聞いていたオリビアとクロースが顔を見合せた。
「じゃあ…… 私達が次に行く場所はグランドアーリア平原だな」
「そうですわね。でも…… グレゴリウスさんは少し休まれた方がいいかど」
「僕は大丈夫です」
「いや…… グレ…… 今はしっかり治そう。私達は残って三人に先に行ってもらおう」
グレゴリウスが渋々と言った様子で小さくうなずくのだった。キティル達は深層大森林の東に広がるグランドアーリア平原へ向かうことになった。
数日後…… グレンとクレアはツリーローダーからテオドールへと戻って来ていた。クレアとグレンは桟橋のたもとに立っていた。二人の目の前には大きなパンパンのリュックを背負ったレイナが立っている。
「じゃあね。グレン君! またすぐに来るから寂しがらないでね……」
レイナはグレンにほほ笑み手を振った。レイナは今日の船で帰るのだ。グレンは平然として頭を手の上に置いた。
「あのなあ。もうガキじゃねえんだから別に寂しがるわけ…… いっ!!」
ムッとした顔をグレンの鼻をつねるレイナだった。
「なにすんだよ」
「なんで寂しがらないのよ! グレン君嫌い!」
「うっうるせえな」
寂しがらない弟に怒る姉だった。二人を見ていたクレアが笑う。
「ふふふ…… 寂しいですよね。グレン君?」
「別に…… うるせえのがいなくなってせいせいするよ」
「はあああ…… もういいわよ」
大きなため息をつくレイナだった。レイナは真面目な表情でクレアに口を開く。
「これから二人はヴァンパイアと追いかけるんでしょ? 吸血症に気をつけてね。まぁなっても私が治してあげるけどね」
胸を張るレイナにグレンは首を横に振った。
「いらねえよ。作り方は覚えたからな」
「なっなによ!? あぁ! もう本当に生意気なんだから!」
「でもよかったんですか? 薬の作り方を教会に寄付してもらって……」
レイナは吸血症の血清の作り方を教会に寄付した。ヴァンパイア化を防げるこの薬の作り方を独占すれば莫大な利益をもたらすはずなのにだ。
クレアの質問にレイナは首を横に振った。
「いいのよ。うちの田舎に吸血症の薬はいらないし…… それに原料にヴァンパイアの毒が必要だから…… 冒険者じゃなきゃ調達できないでしょ」
「そうか。ありがとうな」
右手を上げたグレンにレイナは手を振った。出航を告げる鐘が港に鳴り響いた。




