第256話 二人だけの秘密はない
小高い丘の上に立つ巨木、枝にはドリアーノの実がたわわに実り黄色く染まっていた。太い枝の上に両足をそろえた静かにクロースが座っている。彼女は大きな幹に手を添えた姿勢でまっすぐ前を向いてつぶやく。
「まるでこの辺一帯を治める城のようなたたずまいですわね」
クロースの視線の先に円形の城壁に囲まれた教会が見える。三つの尖塔がそびえ立ち城壁に囲まれた城のような教会はガーラム修道院である。
「あぁ。ここまで尊大さが届いてやがるな……」
座るクロースの横に幹に左手をかけたグレンが立ち、同じようにガーラム修道院を視線へ向けていた。ウォルフを退けたグレン達はクリアーダウンズヒルへと戻って来ていた。
「福音派…… 聖者の復活日に何かをするつもりなのでしょうね?」
「さあな。それを調べに来ているからな」
「そうでしたわね……」
クロースは前を向いたままグレンに問いかけ彼は首を横に振って答える。村の中では福音派に聞かれる可能性があり離せなかったが、グレンとクレアは自分達が深層の大森林に来た理由をクロース達に告げていた。
「あのウォルフってやつも気になるな…… あの青い目の蛇は……」
「おそらく賢者の石ですわね……」
「あぁ……」
うなずくグレンだった。ガーラム修道院を見つめたままクロースが口を開く。
「エリィはあそこに居るのでしょうか…… 反応はこの辺りですものね」
グレンはクロースの言葉に右手を伸ばし、ガーラム修道院の横に広がるガエロの怒りの断崖を指した
「どうだかな。冒険者の指輪の反応が示すのはこの丘の前後からガエロの怒りの断崖より向こう側にかけてだ」
視線を横に動かすクロースガーラム修道院のすぐ横を、真っ暗なガエロの怒りの断崖が伸びていた。
「ただな…… 彼女が一人で生き残れているとは思えないからな。誰かと一緒にいるとは思う」
「これがもう少しピンポイントで居場所を知らせてくれたら良いですのに……」
クロースは左手に付けた冒険者の指輪を顔に近づけ見つめるのだった。グレンは視線を横に向け右腕を伸ばして口を開く。
「しょうがない。魔力を放出して居場所を知らせる関係で誤差が生じるからな。特に森やダンジョンだと広範囲になっちまうんだ…… よっと」
左手を腰に伸ばしてグレンはナイフを取り出す。横でグレンが細かく動いているのに気づいてクロースが視線を向けた。
「何をしているのですの?」
「えっ!? あぁ。ドリアーノの実がうまそうだからな」
グレンは近くの枝からドリアーノの実をもぎ取った。彼は器用にナイフでドリアーノの実の皮をむいている。皮をむいたドリアーノの実から果汁が滴り落ち、鮮やかでプリっとしたオレンジ色の果肉が姿を現す。グレンはナイフで実を半分に割った。ナイフを脇で拭いて戻すと半分に割った実を口に運ぶ。
熟れたドリアーノの実は柔らかく口に含むとやや酸味の混じった甘味が広がる。グレンは思わず声をあげた。
「うま!」
嬉しそうに笑って舌を出し、果肉からこぼれた口の周りの果汁を舐めるグレンだった。その様子を横でジッと見つめるクロースだった。グレンはクロースの視線に気づき左手に持っていた果実をクロースに差し出した。
「食うか?」
「良いのですか?」
「あぁ。ほら」
ほほ笑んだクロースは右手を伸ばしグレンから、ドリアーノの実を受け取った。左手を果実に添えてクロースはドリアーノの実を口へ運ぶ。一口食べたクロースが目を見開いた。
「うめなっ!! はっ!!」
口を押さえ恥ずかしそうにするクロースにグレンは笑っている。恥ずかしそうにグレンを横目で見るクロースだった。
「コホン…… でも、こんなに美味しいと下でオリビアが…… ドリアーノの実を食べつくすのを心配しないといけませんわね」
食べる途中のドリアーノの実をクロースは心配そうに見つめていた。グレンは彼女の言葉に笑う。
「はははっ。多分大丈夫だ。ドリアーノの実は上に生るほど甘いんだ。下にできるのは渋くなるんだ」
「そうなのですか?」
「あぁ。しかも薬として需要があるのは下に生る渋い実だからな。このうまさを知っているのは空を飛べる薬師だけだぜ」
得意げにグレンは手を伸ばし、再度ドリアーノの実をもぎ取り皮をむいていく。ナイフをしまったグレンはクロースに笑顔を向けた。
「だからオリビアと…… 義姉ちゃんには内緒だぞ」
「ふふふ。ずるい人ですわ」
右手の人さし指を口に当てグレンはドリアーノの実をクロースに差し出した。クロースはほほ笑んでドリアーノの実をグレンから受け取った。
「さて…… それ食ったら下に戻るか」
「えぇ。そろそろ作業も終わる頃でしょう」
背伸びをして下を指すグレンだった。クロースはうなずき返事をし、口にドリアーノの実を運ぶのだった。
十分ほど後…… グレンとクロースは木から下り、ドリアーノキラーズマンティスと戦った草原へと戻って来た。
草原ではドリアーノキラーズマンティスの素材がまとめられ縄で縛られ、その脇に二つの袋に詰められたドリアーノの実が置かれていた。グレン達は二手に分かれ、グレンとクロースはガーラム修道院の様子を監視し他の者は地上で作業をしていたのだ。
ドリアーノキラーズマンティスの素材の横にはオリビア達が野営をしていた。焚火の周りにオリビア、グレゴリウス、キティル、メルダ、クレア、ジャスミンの順で座っている。
「グレン」
戻って来た二人にオリビアが気づき立ち上がった。グレン右手を上げオリビアに答える。
「作業は終わったのか?」
「あぁ。ジャスミンさんにも査定してもらったからな。持って帰って借金生活からおさらばだ」
「次の借金までのな」
「うっうるさい!」
舌を出すグレンに向かって叫ぶオリビアだった。彼女の後ろでグレゴリウスとキティルが苦笑いをしていた。不満げに口を尖らせオリビアは腕を組んで振り向く。
「まったく…… うん!? クレア! グレンが戻って来たぞ」
オリビアの目にクレアが映った。普段の彼女のならグレンが戻れば真っ先に声をかけるはずだが、茶が入ったカップを両手に持って何かを考えているのか静かに佇んでいた。グレンが視線をクレアに向けた。クレアはオリビアの声に反応した。
「えっ!? あぁ。お帰りなさい」
少し驚いたように声をあげクレアはカップを置いて立ち上がった。クレアはグレンの元へと駆け寄った。
「うん!?」
グレンの前に来たクレアは顔を近づけジッと彼の顔を見つめている。特に視線はグレンの口の周りに集中している。
「どっどうしたの? クレア義姉ちゃん……」
「……」
「えっ!?」
クレアの行動に首をかしげてグレンが声がかけた。しかし、クレアは彼の言葉を聞いてないのか何も言わず一緒に戻って来たクロースの前へ行く。クレアはグレンと同じようにクロースの口元をジッと見つめる。彼女の眼光がどんどんと鋭くなっていきクロースは耐え切れずに口を開いた。
「なっなんですの…… なにかわたくしの顔についておりますか?」
「上でグレン君と何かを食べましたね?」
「ふぇ!?」
後ずさりして変な声を出すクロースだった。クレアは顔をグレンに向けた。グレンはしまったという表情をした。
「クロースちゃんと何を食べたんですか?」
「なっ何も食べてねえよ」
「嘘です! 口の周りがベトベトして光っています。これは…… 果物ですね」
「チッ! 鋭いな……」
舌打ちをしたグレンは諦めたのか袋詰めされたドリアーノの実を指した。
「ドリアーノの実だよ」
「えぇ!? あんな渋いの食べたんですか?」
「あぁ。なぁ? クロース」
「えっ!? えぇ…… ってお前さは報酬を食うんでねえ!!!」
クロースがオリビアへ視線を叫ぶ。オリビアとクレアはドリアーノの実を食べていた。グレンが行った通り木の下部に実るドリアーノの実は渋く食すのに適さない。
「なっなんですの!?」
動揺して声を出すクロース、オリビアは叫ばれても動じることなく彼女の顔を見つめていたのだ。
「ジー…… 嘘だな。クロース!」
「えぇ!? どっどうしてですか!?」
「君とは付き合いが長いんだ! 分かるさ」
いつになく真面目な顔で不敵に笑ってクロースを見るオリビアだった。クロースは呆れて顔を引きつっている。
「さぁ! 本当のこと言うんだ! クロース」
「言いなさい! グレン君!」
「なっなんだよ……」
前かがみになったオリビアはクロースに詰め寄った。横では同時にクレアがグレンに詰め寄っていた。グレンとクロースが顔を見合せた。
「グっグレンさん…… もう無理ですわ」
「チッ! 言いたくないんだけどな…… 特にこの二人には……」
悔しそうに顔をしかめるグレンだった。彼は諦めてドリアーノの実の真実を語る。
「上だよ」
「上?」
「あぁ。木の上の方に生るドリアーノの実は甘いんだ。内緒だぞ…… えっ!? おっおい!!!」
グレンが指を空に向けると即座にクレアはオリビアを抱えて飛んで行った。グレンとクロースは空を見上げて呆然とするしかなかった。
「なんですの…… あれ」
「もう…… 全部食べるなよ! 残しておかないと魔物とか動物が下のまで食って薬にできなくなるんだからなーーーーー!!!」
一直線にドリアーノの実へと向かう二人の背中にグレンの叫ぶ。彼の声はどこかむなしく森に響くのだった。この後…… 心配になったグレンとクロースは二人を追いかけ、ドリアーノの実が食いつくされないか監視することにしたのだった。




