第107話 いつものことです
「うー。グレン君…… グレン君…… グレンくーーーーーーん!!!」
本が積み重ねて置かれた木製カウンターの前で左右にうろうろしながら、ぶつぶつ言っていたクレアが顔をあげ叫ぶ。周囲の人間の視線が彼女へと集中する。
ここはテオドール冒険者ギルド、グレンが出張に行っており寂しさが極まったクレアが爆発したのだ。カウンターに奥にいたミレイユが近づいて来て声をあげる。
「うるさいわよ! クレア! 明日帰ってくるんだから! 我慢しなさい」
「ごっごめんなさい」
注意されすぐに謝るクレアだった。彼女の様子を見てあきれながら、カウンターに置かれた書類の束に目を向けるミレイユだった。
「それの確認は終わったの? もうすぐアメリア達が帰って来るわよ」
「わっわ!? はい」
返事をしたクレアは慌てた様子で、カウンターに置かれた本を開き中に目を通す。
彼女が見ているのはテオドールにあるギルドの名簿である。ノウレッジには冒険者ギルド以外にも、様々ギルドが存在しテオドールでほぼすべてのギルドに登録と加入が出来る。ノウレッジにある主なギルドは商業や鉱山夫や農業などのギルドがある。
先日キーセン神父から連絡があった重要人物が冒険者になるとは限らないため、他ギルドに登録されていないかクレアは確認しているのだ。また、その人物に面識があるのがクレアのみのため、彼女はグレンの出張に同行せずに留守番をしている。
ちなみに冒険者ギルドは問題解決や護衛などで他ギルドからの仕事を受けることがあるため、互いに登録されている人間の情報を職員が閲覧するのは問題ない。
必死に本に目を通すクレアを見つめながら、ミレイユのすぐ近くに受付窓口の椅子に座っていたパステルが肩をすぼめた。
「別にグレンなんて居ない方が静かでいいのに……」
「パステル!!!!」
「ん…… えっ!?!?!?!?」
ミレイユがパステルを止めた。パステルがすぐ横にミレイユへ視線を向けると何かの影が覆った。彼女が視線を前に戻すと……
「ヒッ!!!!!」
カウンターの向こうからクレアが、にっこりと微笑みながらパステルを見下ろしていた。いつもの通り優しく柔らかな微笑みだがパステルを見る目は冷たかった。パステルはその冷たい視線が怖くなり悲鳴をあげた。
「うふふふ。そうですね。グレン君はすぐ調子に乗りますし…… 女の子の気持ちもわからないですし…… 無神経で…… ガサツで……」
「えっ!?」
微笑み指折って一つずつクレアはグレンの悪いことを上げていく。グレンの事を悪く言ったことを、怒られるのかと思ったパステルは拍子抜けした。
「クレア! やめなさい! もう!」
ミレイユはまたあきれてクレアを止めるのだった。クレアは静かにパステルの前から移動し名簿の確認へと戻る。パステルは大きく息を吐いた。
「ふぅ…… びっくりした」
「もう。グレンって言葉に敏感になってるから気をつけなさい。特に若い女性には弟を取られたくない気持ちが強くなって悪口を吹き込むのよ」
首を横に振るミレイユ、パステルは彼女の言葉にひどく驚いた顔をする。
「えぇ!? グレンなんか取るわけないのに……」
「パステル! シーーーー!!!」
「ふぇ!?」
ミレイユが右手の人さし指を口に手を当て、パステルに黙るように言った。パステルはクレアが居た場所に視線を向けた。しかし、彼女の姿はそこにはなくパステルはまた影に覆われた……
「うふふふ」
「ヒッヒイイイイイイイイイイイ!!!!!!!!!!!!!!」
「クレア! もうやめなさい!!」
クレアはまた音もなく、パステルの前に移動してほほ笑んでいた。パステルが悲鳴をあげミレイユはクレアを注意した。クレアは名残惜しそうにパステルを見てから作業へと戻るのだった。パステルは怯えた顔でクレアを見つめるしかできなかった。
クレアが戻るとミレイユはパステルの耳元に口を近づけた。
「わかったでしょ? グレンが居ない時にクレアの前でグレンのこと言うと面倒くさいのよ」
「うっうん…… もうやめる…… グレン…… 早く帰ってきてぇ」
天井を見ながらグレンが早く帰って来ることを願うパステルだった。
クレアが作業に戻って数分後…… 冒険者ギルドの扉が開かれた。
「コチラガテオドール冒険者ギルドデス」
扉を開けたのはブルーボンボンだった。彼女は扉を押さえて手で中を指している。両開きの扉の反対側も開きアメリアが扉を押さえる。彼女たちが開いた扉から続々とノウレッジとやって来た冒険者達が中へと入って来る。
春を過ぎて夏を迎える頃になると人数は減るが、それでも毎日十数人ほどの冒険者になることを希望するものがやって来る。冒険者達にアメリアが声をかける。
「ノウレッジ以外で冒険者になっていた方は二番窓口、新人の方は一番窓口へお願いします」
「おうよ!」
大人しく皆が指示を聞いていたが、一人だけ威勢の良い返事をして若い女性が真っ先にカウンターの二番窓口へ向かう。彼女は背が小さく短いぼさぼさの焦げ茶色の髪に緑色でやや切れ長の目をし、鼻はすらっと長いが低く見た目は少女のように幼い。青色のショートパンツに両足は黒のブーツに太ももの近くまでのストッキングのような薄い靴下を履いている。上半身は胸にはさらしを巻き、袖のない黒い上着を羽織っていた。腰のベルトには湾曲したサーベルと取っ手のついた小さなベルが二つ見える。
「クレア。ちょっと空けてくれるかしら?」
「はーい」
ミレイユに言われたクレアは名簿を抱え、カウンターの端へと移動し作業を再開しようとした。直後……
「おうおう! なんでぇ! そいつぁ聞き捨てならねえなぁ。姉ちゃん!」
振り向いたクレアに先ほど若い女性が、カウンターに手をついてミレイユに詰め寄っていた。
「あたいはねぇ。こう見えて世界の海で名を上げた冒険者なんでぇい。こんなひよっこと一緒にされてはいそうですかってわけにはいかないねぇ!!!」
後ろを向き冒険者たちを指して大声で話す女性。クレアは彼女の話を内容と聞いて首を小さく横に振りためいきをつく。
「はぁ…… またですか…… それにすごいカイノプスなまりですね……」
誇らしげに女性はカウンターで自分は名のある冒険者だと叫んでいる。ただ、残念ながらノウレッジ大陸ではその実績は加味されない。どんな腕のものであろうと初心者であろうとノウレッジで冒険者は誰でも一からスタートなのだ。ノウレッジのルールに納得できない冒険者は時々現れるのでクレアは慣れたものだ。
クレアは名簿を置いてゆっくりと女性へと歩いて近づく。
「なんだい? そっちのお姉ちゃんが聞いてくれるのかい?」
女性はクレアの接近に気づいて彼女に声をかける。クレアは優しくほほ笑み自分の胸に手を置いた。
「私は冒険者支援課……」
「ブルーボンボン! 緊急制圧モードです!!!」
「えっ!?」
振り向いたクレアに見えたのはアメリアが女性を指して叫ぶ姿だった。直後に彼女の横にいたブルーボンボンが前傾姿勢になった。
前傾に傾いたブルーボンボンの目が青く光る。直後に女性の横にブルーボンボンが現れた。ブルーボンボンは瞬時に移動して女性の横へとやってきたのだ。ブルーボンボンは彼女がカウンターに置いた右手をつかむとそのままひねり上げ、さらに左手で肩をつかみ自分の背中をむかせ足をかけて前に倒した。
「うぎゃあああああああああああああああ!!!! いててて!!!!! なにしやがんでぇ! この! 離しやがれ!!!!」
「大人シクシテクダサイ。開拓法違反デス。コノママ抵抗ヲ続ケルト大陸外ヘノ退去命令ヲ発動シマス」
ブルーボンボンは倒れた女性に馬乗りになり上から押さえつけ淡々と説明をする。周囲の冒険者は怯えて後ずさりしクレアは困った顔で二人を見つめていた。
「姐さん!!!」
冒険者ギルドの扉から声が聞こえた。クレアが視線を向けると目が細く顎が突き出た筋骨隆々の灰色の犬耳と尻尾を持つ男性の獣人が駆け込んで来ていた。彼は上半身に金属製の胸当てだけで、灰色のズボンに鉄のすね当てをつけ背中にはヘッドが四角く巨大で柄の長いハンマーを背負っていた。
ブルーボンボンに向かって走りながら男は背中のハンマーに手をかけ取り出した。
クレアの顔が真剣に変わった。彼女は背負っていた大剣に手をかけた男の元へと走っていた。
「!!!!!????」
走っていた男の視界にわずかな光が見えた直後、自分の喉元に冷たく尖った物が触れた。男はすぐに立ち止まった。
「動かないでください……」
「うっ!!!!!」
男性の喉元にクレアの大剣が突きつけられ動けなくなっていた。クレアは冷たく殺意のこもった表情で男を牽制した後にゆっくりと丁寧に話を始める。
「二人とも無駄に抵抗すると怪我をしますよ。まずは落ち着いてください。あなたは武器を捨ててください」
男はクレアの指示に従い、持っていたハンマーをゆっくりと床に置いた。
「ありがとうございます。ブルーボンボンさんも拘束を外してください。暴れたら私が……」
「ハイ……」
「ぷはああああああああああああああああ!!!」
ブルーボンボンが女性の拘束を緩めた。苦しんでいた女性は解放され息を大きく吐いた。
「お姉ちゃん!!!! ベルちゃんも!!! ごっごめんなさーーーーーーーーい!!!」
大きな声がして皆が声がした方へと振り返った。冒険者ギルドの前に一人の少女が立って居るのだった。