第102話 気が利かない義弟
自分の唇とグレンの唇が触れ合うまで、数センチのところでクレアは静かに目をつむる。落ち着いた顔をしてるクレアだが、グレンと思う存分に触れ合えるという思うと期待で胸が躍った。しかし……
「何してるの?」
唇と唇が触れ合う直前でグレンが目を覚ました。彼は目を開けた瞬間に映った目をつむった義姉に当然の疑問をぶつけた。
「なっなんでもないです! 違います…… そうだ! グレンくんが生きてるか確認を! ほら! 息をしてるかの!」
慌てて顔を離して頬を真っ赤にして、必死に言い訳をするクレアだった。
グレンは言い訳をするクレアがかわいく思って笑う。
「ふふ。そうなんだ…… 俺は確かゴールド司教を……」
「えっ!? はっはい。グレン君が排除してくれましたよ。死体は外にまだあるはずです」
クレアはそう言うと割れたステンドグラスを指した。グレンは彼女が指した方向に視線を向けた。
「そうか……」
「あっ……」
グレンはゆっくりと頭を上げて体を起こす。膝からグレンが離れて少し残念そうな顔をするクレアだった。体を起こして足をついて立ち上がったグレンは背伸びをする。
「うーん」
確かめるようにして体をひねって手足を動かすグレン、クレアは心配そうに彼を見つめていた。
グレンが振り返るとクレアと目があったグレンが、右手の親指で割れたステンドグラスの方角を指して話を始めた。
「あいつの動きは速かったな。まさか義姉ちゃんが反応できないなんて」
グレンの言葉にクレアは首を横に振った。グレンは少し驚いた顔をする。
「いえ通常だったら反応できました…… ただグレン君が飛ばされて私は夢中で…… それで…… えっ!?」
うつむいて彼女は申し訳なさそうにする、クレアの頭にグレンは右手を置いて撫でた。急に撫でられたクレアは嬉しさと驚きで戸惑っていた。
「どっどうしたんですか? 急に」
「べっ別に…… 俺も義姉ちゃんがやられたら夢中になったから…… 一緒だなって…… それが少し嬉しくてさ」
恥ずかしそうに顔を背けクレアの頭から手を離すグレン。彼の話を聞いたクレアの顔がパアッと明るくなった。
「グレン君……」
両手を広げてグレンを抱きしめようとするクレアだったが、グレンは顔をそむけてまま背を向け前に出る。クレアの両腕はグレンを捕まえることなく空振りし、自分の胸を抱きしめるのだった。
頬を膨らませて不満そうにクレアはグレンをにらむ。背中の向こうで義姉が、寂しく怒ってることを知らないグレンは、普通に話しを始めるのだった。
「しかし…… ゴールド司教が白銀兵に変わるとはな。ちょっと面食らったぜ」
「少し違いますね。彼の意識は残ってました。テオドールで白銀兵にされた人達は意識がなく、キラーブルーの指示どおりにしか動かなかったです……」
やや不満そうにグレンの隣まで来たクレアは静かに首を横に振った。彼女は口元に手をあてて、ゴールド司教について話す。少し間をあけてからクレアは口を開いた。
「やはりあの薬のせいでしょう」
「イプラージってやつか…… 教会の秘術とか言ってたな。義姉ちゃんはなんか知ってる?」
クレアはグレンに顔を向けて静かに首を横に振った。
「だよな……」
グレンはクレアの反応がわかっていたような反応をする。クレアはグレンに自分の経験や知識を惜しみなく伝えている。彼女がもし教会の秘術などについて知っていれば、とっくにグレンに教えているはずだからだ。
「はい。戻ったら調べてみましょう」
「そうだな」
笑顔でうなずいたグレンはクレアの前で今度は大きく背伸びをした。
「ふう! なんだろうな。すごく気分がいいな。頭もなんかすっきりしてる」
「よかったですね。でも…… さっきのグレン君は雰囲気が違ってました」
「あぁ。そうなんだ……」
グレンのまるで他人事のような反応にクレアは首をかしげた。
「もしかして記憶がないんですか?」
「うん。そうなんだ。必死だったせいか。記憶があいまいでさ」
グレンの言葉を聞いたクレアは嬉しそうに笑った。体をななめにして下からグレンの顔を覗き込み、上目遣いで彼の目をジッと見つめた。
「それは大事なお姉ちゃんを助けるためにってことですか?」
「はっ!?」
図星をつかれたグレンは顔を真っ赤にした。彼は自分がゴールド司教に対した怒った感情を思い出したのだ。
「なっなんだよそれ……」
慌てて顔をそむけるグレン、クレアはムっと不服そうな表情をして彼を追いかける。
「ダメです! ちゃんと答えなさい」
顔をそむけた下を向いたグレンのさらに下から覗き込んだクレアは、両手を伸ばして逃げないように彼の頬をつかむ。クレアに頬を掴まれたグレン、目の前に最愛の義姉がいると思うと爆発するくらいに頭が熱くなっていく。
「じゃあもういいよ。それで…… 大事な義姉ちゃんのためだよ」
適当に答えるグレン、彼は恥ずかしさで爆発しそうになっているのに必死に平静を装っていた。クレアはそんな彼に気づかずに適当に答えた彼に怒りを向ける。
「じゃあもういいですって!? なんですかそれは! プクーーーー!」
クレアは頬をふくらませ、腕を組んでそっぽをむくのだった。顔をあげたグレンにクレアの背中が見える。クレアは振り返って彼に背を向けてぶつぶつと不満をつぶやいていた。
「なんですかって…… 本当のことだよ…… バーカ!」
グレンはクレアの背中に向かって小声でつぶやくのだった。かすかに声が聞こえたクレアが、振り返ってグレンを見た。
「何か言いました?」
「ううん。なんでもない。帰ろうぜ」
首を振ってごまかすように笑ったグレンは、上を指差してクレアに帰ろうと声をかけた。真面目な表情に変わったクレアは、腰に手をつけ首を横に振った。
「だめですよ。修道院で逃げ遅れた人が居ないか見てからです」
「えぇ……」
「ほら! 早くしないと日が暮れてしまいますよ」
クレアはグレンの手をつかんで、引っ張って礼拝堂の扉へと歩き出した。
修道院を見て回り逃げ遅れた者がいないか、確認した二人は冒険者ギルドに戻るため地上へと向かうのだった。
「来ましたわね」
冒険者ギルドの手前で二人をオリビアとクロースが迎えてくれた。クロースの目に映るクレアの表情は、明るくすっきりとしたものだった。クレアの顔を見たクロースが笑って口を開く。
「無事に終わったようですわね」
「えぇ。そちらも大丈夫でしたか?」
クロースはクレアの問いかけに静かにうなずいてたずねる。
「はい。今はハンナさんが水抜き作業してます。私達はギルドへ先に報告へ来ましたの」
「そうですか」
クレアはクロースの言葉に嬉しそうに笑うのだった。二人の会話をクレアの横で、聞いていたグレンも笑いクロースに顔を向けた。
「じゃあ水抜きが終わったら遺跡の調査に……」
笑って話すグレンの顔を見たクロースが目を見開いて驚く。彼女は慌ててグレンの腕を右手でつかみ引っ張った。
「グレンさん…… ちょっと」
「えっ!? なっなんだ?」
急に引っ張られたグレンは前かがみになった。クロースは左手で服のポケットから、小さな手鏡を出してグレンに見せた。
「クレアと仲が良いのはよろしいですけど…… これはちょっと……」
「えっ!?」
グレンの目に手鏡に映された自分の顔が見える。ほっぺたと口の周りに薄いピンク色の唇の形をした、口紅の痕がべっとりといくつもついていた。このピンク色の口紅は普段クレアが使ってるものだった。グレンはクレアの方を向いた。クレアはグレンと目が合うと気まずそうに視線を外した。
彼女に何かを言おうとしたグレンだったが、視界にジッとこちらを見るクロースが見えた。彼はクロースの視線が急に恥ずかしくなり慌てて口を開く。
「あの…… これは……」
「うふふ。いいからこれで拭きなさい」
クロースはハンカチをグレンに手渡す。グレンは口やほっぺたについた口紅を吹くのだった。
「おぉ! 弟! 愛されてるな。お姉ちゃんに勝利のチューをいっぱいされたみたいだな」
「うるさい! もう…… 義姉ちゃんめ……」
面白がって自分の背中を叩くオリビアに向かって、顔を真っ赤にしてグレンは叫ぶのだった。二人の横でクロースは呆れた顔で首を横に振るのだった。グレンはクレアに文句を言いに行こうと二人から離れていく。グレンの背中を見るオリビアが首をかしげて口を開く。
「しかし…… なんでクレアはあんなに好きなのにグレン君と義姉弟に…… そのまま恋人にでもすればよかったのに」
「あら知りませんの? 恋人なら別れることがあるかもしれませんが、姉弟にしとけば恋人になって別れても縁が切れませんでしょ。だから姉弟にしたんですわよ」
「えっ!? クレア…… グレン君のこと好きすぎだろ……」
「えぇ。そりゃあ。彼を拾った時からわたくしに何度も連絡して魅力を語るくらいですからね。だからもうグレンさんはクレアから一生逃れられませんのよ。まぁ彼もそれでいいんでしょうけど……」
二人の視線の先にはグレンに文句を言われしょんぼりとしながら、どこか嬉しそうにするクレアが映っている。クロースとオリビアは顔を見合わせて笑うのだった。
ロボイセを苦しめていたゴールド司教は排除された。魔物を使い坑道を封鎖された彼の悪行は白日の元へと晒され、教会は新たな統治者を派遣することになった。ゴールド司教に付き従っていた、教会関係者や上級聖騎士達は、投獄されて審判を受けることになった。売春婦へと身を落としていたシスター達は教会に保護された。
こうしてロボイセの町はグレン達によって平穏を取り戻した。ゴールド司教達によって地下街に侵入した、魔物残党狩りという冒険者達の新たな仕事を残して……




