第84話 皇國の息吹
時系列は少し戻り。
明治37(1904)年11月末日 奉天
「電気コードなんて漁るの、前世以来のことですよ」
「……暢気なことだ」
玲那が手当たり次第に集めた機材を見おろして、閑院宮が溜息をつく。
「ここは十年前の上川原野ではないのだぞ」
「だからですよ。あのときほど悠長に構想している時間はございませんもの」
「とはいえ今から新兵器など……」
言い澱む彼を、視線で牽制する。
玲那が十年前に言った機関銃も、迫撃砲も、航空爆撃も、いまとなってはすべてが実用化された。技術者ではないから仔細な部分には手をつけられないけれど、構想の発案くらいはできる。そして技術者なら満州にごまんといるのだ――鉄道連隊という精密機械の整備士たちが。
「人材のコネならございます。冬季反攻には間に合わせるつもりです」
なにも制式採用の兵器をつくろうというわけじゃない。冬季反攻の間をしのげるものであればよい、初歩的で、補助的な、されどブレイクスルーとなる新兵器だ。
「はぁ」
額に手を置いて呆れ返る閑院宮。
しばらくしてふと、玲那の手元に収まっている小さい機器を指差して訊いてきた。
「その鉄片と電磁石はなにかね」
「継電器です」
閑院宮は首を傾げた。
「自動スイッチといえばわかりやすいでしょうか。電気回路の開閉装置です。これなどは……電磁石と鉄片を組み合わせた、単純なものですけれども」
それでも立派な継電器という名の器械です、と言う。
はぁ、と頷く閑院宮。伝わってはいまい。
「電磁石に電気が流れると鉄片が吸い寄せられます。つまり電気を入力すれば、鉄片に動作を起こすことが出来ましょう」
「動力にするつもりか? この如き鉄片きりでは……馬力にも足るまいに」
「ふふ、なにも重いものを動かすのではございません。それは発動機の管轄です」
「意図が全く読めぬな」
「鉄片が吸い寄せられているか否か。その2種類の状態自体に意味をもたせると申しましたら、いかがでしょう?」
「開と閉か、ということに?」
「ええ。0と1です」
「0?1?」
0と1だと、と閑院宮は呟いた。
「もしや……2進法の話ではあるまいな」
「ええ。2進法を用いた計算機にございます」
彼の目が見開かれた。
遠い過去を思い返す。玲那が前世の記憶を取り戻したときに、手に握っていたスマホ――コンピュータの説明をしたのだったか。スマホのほうはすぐに電池が切れて使い物にならなくなったけれど、その機械は彼の記憶に、玲那との出会いとともに鮮烈に印象付けられている。
だから彼は、この小さな機械が何のもとになるかを知っている。
「完全な電気入力になるから従来の器械式計算機のように、軸や歯車、カムやらの複雑で壊れやすく騒がしい機構は必要ございません」
「な、なんて代物を……」
「ご賞賛はツーゼ博士に差し上げてよ。史実では、1941年の発明です」
あんぐりと口を開ける閑院宮。
そうだ。この機械は21世紀を埋め尽くす電子機器の系譜の、一番根っこの部分にあたる。すべてはここから始まるのだ。
「……壮絶な発明となるぞ、それは」
「ええ。けれど、簡単ではなくってよ」
問題は合金だ。何億回もバタバタとオンオフしてもちゃんと動作する継電器が必要で、その接点の合金開発が命になる。だが残念ながら鉄道連隊や造兵工廠に頼んでみてもこれといったいいモノは作れず。こればかりはノウハウの蓄積も絡んでくるので諦めた。
単純に真空管にすれば解決するのだが、すると真空管が2万本ほど必要になる。
これは玲那でも萎えるし造兵工廠でやるにも限界がある。電球の大量生産のノウハウがないにもかかわらずすっ飛ばして万の量産出来るなどと思うほうが馬鹿げている。真空管の電算機利用は不可能だ。
結果的には1年持てばいいほう程度で妥協した。所詮はとりあえずの試作である。
「されどなにも戦地でやることではなかろうに」
「これから死闘ですよ。役立つものほどあったほうがよいでしょう」
設計図に目を戻す。モデルはZ3。世界初の自由にプログラム可能で完全に自動化された機械で、コンピュータの定義におおよそ適合する属性をほぼ備える。2000余のリレー(これは陸軍工廠で量産してもらった)から構成された16bitすなわち2byteの処理能力を目指している。
「電算機自体は旭川にいたころから、松方にお願いして開発を始めてございました。実を申しますと8bit、つまり1byteのリレー電算機は2年前に開発に成功しておりまして。こちらでやるのは16bitにする作業です」
「なにか妙なもの作ってるとは思っておったが、これだったのか……」
「ええ」
次々と機構を組み上げていく。
「計算履歴とその記憶はどうするのだ」
「フィルムにパンチ機で穴を開けることでプログラムとデータを記憶させます」
「……出来るのか?」
「はい。19世紀にイギリス人が紡績機開発の折に発明済みです」
こちらはお嬢様経由で掛澗園紡績商会から取り入れてある。
「すでにブール代数は確立してございますし……動作周波数はZ3に倣い5.3Hz、I/Oは紙テープで行うつもりです」
松方を通じて枢密院のほうで持っている未来知識と照合しつつ、開発方針を固めた。メモリのほうは、RAMをこのリレーで、ROMをトグルスイッチそのもので賄うことになるだろう。
直列演算回路と二進法を採用したことで、リレーの数を大幅に減らせた。これにより使用電力の抑制と総重量の軽量化を実現する。にもかかわらず、現在の計算尺や自働算盤より高精度高速度で数値を弾き出すのだ。
こうして完成するのが、史実・1941年開発のZ3と、史実・1957年開発のカ○オ/14-A電算機の折衷型――『試製三八式継電器電算機 / PDP-11』である。
歯車で動く計算機が主流の世界。
歯車を高速で回転させるそれらは、騒音を撒き散らす上に非常に大型なので、陸戦に携行するなどもってのほか、ありえない行為。
ついでに言えば部品の加工に高品質な材料と優れた技術が必要とされ、工作機械がゴミの果て状態である皇國じゃ到底、マトモなブツを用意できない。
が、この継電器を使った電気式計算機は、すべて電気回路で処理することでこれらの問題を全てクリアするという暴力的解決を成し遂げる。
皇國のような辺境国家では到底届かない『計算機』。
しかし『電算機』なら持ってますよ、というわけだ。
「本当に…――信じられんな」
「ええ。これで理論値を叩き出し、最大効率の防衛陣地を形成、迎撃を行うことも可能になってきます」
500kg弱ある重量も、自動車で運べば解決だ。
通信隊に背負わせるにはピッタリのサイズである。
「これで、松花江イージス・システムに"コンピュータ"が加わった。」
まぁ肝心のリレー部の合金が上手く行かなかったので耐用年数は通常使用で3年、連日稼働じゃもはや200日も持たないだろう。うん、コンピュータと言うにはやはり脆すぎるな。
が、この際さして問題ではない。春までにぶっ壊れなければ十分だ。
有限要素法といったモノで、如何に電気計算機が繰り返し計算で必要になるか。ありとあらゆる計算が、コレひとつでカタがつく。
それがどれだけ時間と人員の節約、精度の向上につながるか。
「ま、これだけではございません。もうひとつ面白いものを考えておりまして」
「こんどは何だ……?」
そんな引き気味に反応しなくたっていいじゃないか。
技術を半世紀ほど進めてるだけだ。
「お次はロケットか? 核兵器か?」
「玲那をなんだとお思いですか……ただの瀬戸焼にございますよ」
「はあ?」
閑院宮は硬直した。
「瀬戸焼、だと?」
「名古屋県民の誇りですよ、ご存じなくて?」
「いや、さすがに。ただ……瀬戸焼で何を?」
「瀬戸焼製の試験管を改造、英国から輸入した真空ポンプで内部を真空にいたします」
「玲那くん、頭でも打ったのか?」
確かに傍から見りゃそうだよな、トチ狂ったかのようにしか思えん。
瀬戸焼の瓶内を真空にするヤツが古今東西居ただろうか。
「――…"セラミック真空管"です」
その名を聞いた瞬間、閑院宮は言葉を失う。
「真空、管……というと?」
「真空状態にしたガラス管の中に、フィラメントと、それを取り囲むように筒状の金属板を入れたものです」
真空中でフィラメントに電流を流すと加熱されて熱電子が放出される。このとき筒状板に正電圧を与えると、熱電子は正電荷に引かれ筒状板に向かって飛ぶ。
こうするとフィラメントから筒状板に向けて電子が流れ、電流が起こる。なお筒状板に負電圧を与えれば、互いに反発しあって整流効果が生まれる。
「は、はぁ。つまり電子?というものを飛ばすのか?」
「ええ。これにより発振・整流が可能となります」
そのための瀬戸焼だ、と玲那は瓶を持ち上げた。
「試験管の形状をした磁器を使うのです」
「は、はぁ。ガラスでなくてもよいのか?」
「加熱装置と真空封止部を離す為です。真空管の発熱は200度にもなるから封止部の気密が問題で、耐熱性の確保がこの時代の技術では難しい」
「……」
「もっともガラス工芸である程度の技術はございます。手作業を前提にして、封止部をベークライトとゴム+漆で固定いたしましょうか。2年程度の寿命にはなってしまいますけれど」
外殻をガラスに出来なくもないだろうが、生憎職人とのツテがない。なにより磁器を選ぶのには、セラミックならではの利点がある。たとえば、
・耐熱性が優れている
・機械的強度が大なので研磨仕上げが容易
・高周波特性がよい
・熱の急変に対して強い
といった特性があるが、ガラスと異なり焼成収縮という現象があるために成形・焼成にはガラス工業が持たない技術が必要である――しかし磁器に関しては世界に名を馳せる皇國だ。伝統工芸品と職人の力でどうとでもなる。
「こうして、出来るのが二極真空管です。そしてその間に、粗い網状の電極――グリッドと呼ばれますが――を差し込むことで、陰極-陽極間の加速電界を増強または抑制させることができます」
一部の熱電子をグリッドに引き込むことで、グリッドに与える電圧の変化(=入力信号)を、筒状板から電流の変化(=出力信号)として取り出すことで、信号の増幅が可能になる。
「こちらも旭川にいたころに、緑の革命ついでで西春別先生にお手伝いいただきましたけれど……こうして完成したのが三極真空管です」
まさにハーバー・ボッシュ法と時を同じくして、史実では1906年にドイツで開発されている。
「めでたく信号の発振・整流・増幅が出来るようになりました。さて、これを送信機の発振機構に組み込んでみましょう」
「電子とやらを、発信すると?」
「ええ。あとは送信機構と受信機を開発すればよいのですが……これは昨年、ドイツ人が完成させておりまして。コヒーラー受信機とダイポールアンテナという初歩的なモノを、去年のうちに枢密院が輸入しております」
未来知識でこのあたりは把握済みなのだろう。玲那がお願いするまでもなく、枢密院が用意していたものだ。これをお嬢様、つまりは松方のツテで取り寄せた。
「……発信、送信、受信か。無線でも強化するつもりか?」
「いえ、無線は現状のものでも十分です」
玲那はほくそ笑む。
「電子はモノに当たれば跳ね返る。この返ってくるまでの時間から距離と、そして返ってくる方向を知ることができる。――目に頼らずとも『見える』ようになる」
「っ! 玲那くん、まさか」
「電波探知機、と呼びます」
飛び退く勢いで驚嘆する彼を横目に、外へと出る。裏に控える御吏小隊の通信車には三極真空管とアンテナが取りつけられている。
「松方は、やるなら八木アンテナを作れと申しておりましたけれど……そこまでのものは、さすがに難しくってよ」
ダイポールアンテナに三極真空管を接続しつつ、玲那は呟く。
「レーダーが世界で初めて実用化されたのは1904年のオランダ。それに三極真空管を積んで……ちょっとばかし精度を良く軍事転用するだけです」
その様を唖然と見上げる閑院宮。
車輌内部にはAスコープが灯り、電波の反射情報を揺幅で映し上げる。
数多の火葬戦記でPPIスコープのほうが優秀!と叩かれ気味な、第二次大戦時の帝国海軍が採用していた縦軸に受信信号強度・横軸に距離で波形を表示する型だ。まるで心電図を彷彿させるそれだが、帝国海軍のモノより質はずっと悪い。
「正直、方向はアテになりません。アンテナをくるくる回して信号強度が最大値を取る位置を記していく……といったような、半手動でしか探知方向を特定できません」
しかし、と玲那は息を継ぐ。
「逆に申せば、それだけで十分なのです」
「……あぁ、そうだろうな」
「敵軍の夜襲を感知さえすれば、その時点で奇襲は失敗も同然。気づかれていないと信じて迫る敵軍を、待ち伏せて一切合切を焼き払う」
通信車のガソリンエンジンの回転力を応用してアンテナを回す。
通信兵が交代で電波の形状を監視し続け――…電波に乱れが生じた瞬間が、奇襲警報となるのだ。
「総員起こしで、あとは地道に方角の特定を行えばよくってよ。方向さえ探知できれば、距離は盤石なのですから」
発射する電波の速度がわかっていれば、逆探で相対位置を求められる。
「これは、敵が濃霧を使おうと払暁を使おうと同じこと。玲那たちは、もはや敵の探知を視界に阻まれることはないのですから」
どんな自然迷彩で忍び寄ろうとも、電波という次元から一方的に察知する。
絶対的な探知警報システムの前には、陽動も奇襲も直ちに無用の長物と化す。
どれも初歩的とは言え、電算機を積み、電探を積んだ即応集団。
黎明期の技術程度とて、あるのとないのでは致命的に差が開くのだ。
「今は――明治37年末」
自分に聴かせるように、高く澄んだ空を仰ぐ。
「気の狂ったかのような時代先行とはいえ、それを支えるは皇國技術」
火葬戦記で、後進的だのカスだの国産(笑)だの散々に扱き下ろされるそれ。
なるほど、確かに工作機械や軽工業・重工業を担う近代設備についてはその通りだ。皇國技術は粗悪の代名詞である。
しかし――、全てがそうではない。
「磁器は瀬戸に長らく受け継がれる名産品。電極の固定材は、江戸時代から手鑑の作成に使われてきた雲母。電極も、この簪を用いた伝統工芸技術によるモノです」
この三極真空管電探は、皇國が二千年に及ぶ悠久の歴史の中に紡ぎ出し、発展させてきた伝統の塊でもあって。
だから、誇れぬわけがなかろう。
「紛れもない皇國技術の粋。永らく継がれてきた皇國の魂」
玲那が未来人であったからでも、枢密院が改変を進めてきたからでもない。
全てひっくるめて、本質は唯一つ。
太陽に手を伸ばし、呟いた。
「皇國だからこそ――成し得た業」




