第66話 世界秩序と旭章星
ロシア満州軍司令部・奉天
「ほぉ……これは壮観だ。」
「くくっ、全く。蛮族が可哀想じゃぁないですか」
クロパトキンたちの眼下に広がる軍団こそ、彼らが望んだ憧憬。
奇襲により遼東半島を電撃的に失ってから3ヶ月。未完成のシベリア鉄道に代わり、昼夜を惜しむモンゴル横断大輸送作戦によってシベリア全土からコサックの大軍が集められ、送り届けられた。
「敵の動きは?」
「続々と前線に兵力を集中しているようですが、それでも我軍の総兵力の前では2割にも及びません」
「我軍の攻撃準備はどうかね?」
クロパトキンはそう言って髭を撫でる。
「いかなる戦域においても、対峙する敵軍を上回る騎兵戦力を配備しています。いつでも突撃が可能な状態です。」
「よろしい。ただ弾薬が不足気味であることは忘れるな」
「相手は蛮族ですよ? 弾薬すら使わないでしょうに」
その一言に、クロパトキンは敏感に反応した。
「驕るな、カウリパウス」
「はは、心配のしすぎですよ。文明もないおサルに対して、地上最強の騎兵団。そもそもが過剰戦力もいいところです」
「知っている。だが……我々には情報がない。彼我は未だ主力同士で交戦したことがないのだ。旅順では肝心の展開していた我軍が降伏してしまったゆえにな」
カウリパウスはそれを聞くと一笑に付した。
「はっ、蛮族がゆえに奇襲という卑劣な策しかなかっただけでしょう! そんな非文明的な手段しか使えない部族どもの軍隊など。ププッ、兵装は剣か盾ですか?」
「さぁな。だが事実は2万の駐屯兵が一気に吹き飛んだ。敵情は必要性は否めない」
「2万? ろくな戦闘経験もない開拓者を無理に動員した警備兵の集まりじゃないですか。軍の中じゃ端くれもいいところでしょう……蛮族共が奇襲で仕留めたのは我々のような精鋭でもなく、ただの警備隊レベルの兵だ」
くつくつと口を抑えて笑う彼に、クロパトキンは晴れない表情だ。
「それも事実なのだが……」
「それが全てですよ。警備兵の雑魚ども……半分民間人相手に、奇襲でもしないと勝ち得なかったなど、所詮は蛮族!」
彼は眼下にどこまでも広がる人馬の海へ目を戻し、恍惚の表情で続ける。
「対して我々は、この2ヶ月であの熾烈なクリミア戦争に従軍したシベリアの精鋭騎兵団と先鋒歩兵を補給の許す限り投入したのです。その総兵力――なんと24万」
彼は資料を広げてみせる。
「蛮族は最大動員でも20万に満たない。だが、我々は既に24万の精鋭を満州に集結させているんです。まともな近代兵器もないあの黄色猿が、われら創造種に敵う道理など存在しない」
カウリパウスの高らかな笑い声が奉天の司令部に響いた。
その瞬間、伝令が飛び込んでくる。
「報告、全軍攻勢準備完了!」
「よし来たッ!」
カウリパウスはようやく戦場に出れるという歓喜のままに振り返った。それを諌めるように、クロパトキンは静かに訊く。
「突撃可能か?」
「全軍、総力を挙げての突撃布陣ですッ!」
「騎兵突撃を発令、全騎は長槍短槍、並びに騎兵銃を惜しみなく投入し、無知にもそして無謀にも、我らコサックの前に憚るバカどもを蜂の巣にしてやれ!」
彼がそう怒鳴ると共に伝令兵は敬礼をして走り去っていく。
「司令、私の第2シベリア軍団にも出撃許可を!」
「……出来るのか?」
「黄色人種相手に勝利を心配されては、いくら司令とはいえ怒りますよ」
「愚問だった、許せ」
「いえ構いませんとも。我が栄えあるコサック、白騎士の名において、この極東の辺境の大地に美しき赤薔薇を、蛮族に文明というものを見せつけてやりましょう」
満面の笑顔で、勝利を確信したその表情でカウリパウスは意気揚々と出ていく。
「この一撃で戦争は終わる、のか?」
澄み渡る満州の大空を、クロパトキンは高く見上げた。
・・・・・・
単発騎兵銃と長槍で武装した圧巻のコサック団を前に、プロイセンからの観戦武官のルーデンドルフまでもが嘆息した。
「さすがはロシア。人が畑から取れると言われるだけはある」
見渡す限り人馬の海。
「あのナポレオンを退けただけはある、戦力は一流か」
白騎士たちは短槍から長槍、そして騎兵銃まで、ありとあらゆる武器を装備し、史上最強の陸上戦力と恐れられるシベリア・コサックを組織する。
「この数の突撃では、我々でも抑えきれるかどうか……」
それが総勢4軍団。はっきり言って異常な数だ。
「かのモンゴル以来何世紀ぶりか、ロシアがアジア人相手に本気を出すとは」
あの宮中遊びで忙しいニコライ2世の重い腰を上げさせたのだ。普通であればアジア人などそのはるか前に踏み潰されているので、極めて異例のことだ。
「虫の息の辺境国に対する戦力としては過剰だ……これでは、敵が蒸発してしまう」
彼はここまでの戦闘展開を振り返る。
2月の奇襲から10日余りで遼東半島を席巻する様は、一瞬だけ世界を驚愕させたが、無理をしたからか、すぐさま攻勢限界点に達してしまった。
「とはいえ東洋人の仕掛けた戦争にしては、列強相手に善戦したほうか」
滅びゆく敵へ、せめてもの礼儀として、彼はほんの少しの評価を与えた。
「なんたって、文明国を本気にさせたのだからな。だが、そこまでだろう」
あの帝室が動くことなく既存の満州軍の戦力だけで対応しようとしたらまだ皇國に勝ち目はあっただろう。だが、予想に反してロシアはシベリアにまで動員令を布告した。「敵」たりえると相手を認め、本気を出すという彼らの意思表明だろう。
「戦線右翼では山岳がゆえに大規模展開が不能。左翼でも敵は歩兵しか持たず、戦力差が絶望的に開いている……この状況で彼らが戦況を好転させるのは無理がある」
彼は懐から戦局図を取り出しそれを眺める。
「約24万騎にも及ぶ騎兵突撃……近代軍隊がなければ、まともな抵抗もできまいに」
彼は溜息まじりに続けた。
「……やりすぎだ」
あまりに容赦のないロシア帝国を、非難するように。なるほど最大動員450万を誇るロシアが失った戦力はたったの2万で、それも極東の警備兵程度の練度の部隊だ。対する皇國の動員力は欧州最弱のイタリアにも遠く及ばず、正面へ展開する総兵力もロシアの半数にすら満たない。
国内総生産から見ても、皇國の総合工業力ではすぐ生産限界が訪れる。弾薬が尽きれば兵器は機能しないのだ。それまでの僅かな時間を、ロシア軍は無限に湧き出る人的資源で文字通り肉壁を築き上げて耐えればいいだけだ。
これでは戦争にもならないだろう。
「……君死に給うことなかれ」
再び視線を前線に戻し、まだ見ぬ皇國の軍に彼は呟く。
後ろから、ヒンデンブルグが追従するようにルーデンドルフの肩を叩いた。
「どうして彼らは列強国に……『世界秩序』に、刃向かおうとしたのだろうな」
「さあ。とはいえ、立ち上がりだけは威勢もひとしおでしたとも」
「その蛮勇さだけは、手放しで褒めてやるべきか?」
「ええ――その国名が地図から消える前に、ね」
かくて彼らは馬に乗った。プロイセン軍人たちは、勇猛な東洋人たちを看取る為に、観戦武官としてコサックに追随する。
同刻、戦線左翼。
「準備は整ったな? 司令部に出撃報告を入れよ」
「はっ、連絡します!……『第17騎兵団、出撃す』!」
モールス信号機を打ち込んでほどなく、返答が帰ってくる。
「『了解。こちらも本部に――^-..^.....、』……変ですね。返答が途切れました」
「まぁよくあることだろう?電信機なんぞ頼りにならん」
「ですね。出撃命令は出てるんで行っちゃいましょう」
指揮統制の脆弱なロシア軍では、情報共有の不徹底など日常茶飯事なのだ。これくらいでロシア帝国士官たるものが動揺するわけがない。
「さて――、蛮族を教育する時間だ」
第17コサック騎兵団を率いるニコライ・カシタリンスキー将軍は、余裕の笑みを副官に見せた。
「我々は従来の槍で付き合う騎兵という発想をついに超越し、騎兵銃を配備した戦列歩兵の発展型を発案した。その名も――『戦列騎兵』」
「わが祖国の最先端軍事思想に基づくこの部隊。対抗できるのは、数ある列強といえどドイツかフランスくらいですか」
「くく……まさしく。我らは列強と華麗に対峙するために編成されたのだ」
そう呟いたあと、一転して彼は嘆く。
「しかし、奇襲とはいえ、ここまで攻め上がられたわけか。全く、野蛮人の奇襲も退けられんとは、旅順の駐屯隊も落ちぶれたものよ」
「未開の蛮族と我ら文明人では体格差も凄まじいというのに。たかが猿にたかられただけで、誇りある白騎士が足踏みするようでは……」
側近の悲嘆をカシタリンスキーは手で制す。
「だが、早3ヶ月。我らは戦力を整えた」
「くくく。文明人の隙を卑劣に突いただけで粋がる野蛮な猿に、『列強の本気』を見せるときがやってきたのですね」
「ああ。もはや戦局は覆ったのだ。あとは反攻あるのみだ」
くくくっ、とカシタリンスキーは笑いながら槍を掲げる。そこでふと観戦武官たちが騎兵団の最後尾へ並ぶ姿を認め、プロイセン人たちにいい姿を見せようと、彼はニィと片頬を釣り上げた。
それからひゅうと槍を振り下ろす。
すかさず響く喇叭。全騎前進という意味だ。
数万の馬蹄の音に包まれて、彼はにったりと呟いた。
「銃装騎兵の一列射撃のあとに間髪おかず長槍騎兵の突撃。あっという間に、血の海だろうよ!」
・・・・・・
「爆撃完遂、敵重砲陣および前衛司令部は沈黙!」
「お見事ッ!」
玲那はグッと拳を握りしめる。
陸軍航空隊は一隻あたり5tのアンホ爆弾を詰め込んで第一航空隊30隻が盤錦を、第二航空隊30隻が鞍山を猛襲。事前の航空偵察で完全に丸裸にされていた2つの敵前衛司令部と、展開する重砲連隊を一方的に撃滅した。
「まずは事前掃討が満了、ですか?」
「ええ。元々脆弱な敵の指揮系統です、現を以て完全になきものといたします」
玲那は目を瞑る。
「敵には頭もなければ、重砲による火力支援もない。射程外からこちらを阻害しうる敵戦力は存在しません」
「本領発揮、といったところでしょうか。闕杖官どの」
衛戍府の通信車に乗り込む。戦闘司令部ともなるこの車の窓からの眺望は、一面の鋼鉄の海だ。八年前とは見違えたものだ――3個装甲車中隊を擁するこの部隊こそ、禁闕大隊。
装甲車総数、実に210輌。
210の弾幕を、分速600発の威力で一気呵成に撃ちつけるのだ。
カタ、とクラッチが軋む。案外緊張していたのか、見れば手が戦慄いていた。
「闕杖官どの、連隊長より連絡!」
「親王殿下からですか?」
別海准尉は覚悟の表情で頷く。
「発・総軍司令部、宛・全部隊。明治37年7月7日午前6時半。現刻を以て、『裂一号作戦』を発令する。指揮下の各部隊は直ちに正面の敵を迎撃し、殲滅せよ」
以上です、と締められる。なるほど、玲那はそれを受けて頷く。
それから深く息を吸う。この大隊、600名に向けて、ひとこと。
「闕杖官より、禁闕が衛士へ訓ず――……世界秩序をぶち壊せ」
東洋の夜は明けた。白き暴君の覇権を終わらせる時だ。
驕れる者久しからず。驕れぬ者もまた久しからず。われら反逆者にして、
「これは革命なり」
「「「オォオオオ!」」」
発動機が一斉に唸り立ち、土埃が舞った。
「全車、前進!」
白青赤の三色の旗を掲げ、双頭金鷲紋の下に数万と迫り来るロシア騎士団。
短槍片手に軍馬に跨り、颯爽と駆けゆくコサックに率いられた世界公認の地上最強の騎士たちは、一塵も勝利を疑わない。
彼らは蛮族征伐の気構えで鼻高々に南下する。
そんな華麗さとは裏腹に。
翻る旭光十六条の上空に、数十の飛行船団が超えていくかと思えば、地上には菊花をあしらう機神数百輌が続く。
熾烈を極める弾幕を秘め、鈍い歯車の音だけを戦場に響かせ。
武士たちが、ただひたむきに世界を覆しに進む。
明治37年7月。相反する二つの剣が、満州の地にて交錯する。
のちに世界はこの戦いをこう呼ぶ。―――『終わりの始まり』、と。




