第63話 見かけの膠着
「はぁ、旅順からの交信が一切途絶えたぁ?」
その動揺は味方ばかりに収まらず、もちろん敵をも愕然とさせた。
「馬鹿な。旅順は近代要塞だ。たった一週間でかのような打撃を食らうだなど冗談もいいところだ!」
クロパトキン極東総司令は叫ぶ。
それに対し第2軍司令のカウリパウスは苦々しく続ける。
「いえ…打撃ではなく――もはや陥落したものと見られます」
「戯言を!」
「敵は大々的に国内外に旅順陥落を宣伝しています、今朝のことです!対して…旅順に駐屯しているはずの防衛隊からは昨日の『おお神よ』を以て通信が一切途絶しています、応答もありません」
「な、ぁ……っ」
その悲痛な電文内容にクロパトキンはそう唖然とする他ない。
「開戦同時の奇襲攻撃で防衛戦力が整っていなかったのは認める、……だが平時でも2週間は持つように戦力配置がされていたはず……!」
「ええ、それは万全でした。弾薬と食料の残量ともに半年分はありましたし、防衛陣地も完璧だったはずです」
「じゃぁなにが悪かったと?」
「電報情報では、敵軍は飛行船を以て爆撃を敢行、弾薬庫と食料庫、並びに艦隊と通信施設に大規模な打撃を食らわせた後、湾外からの艦砲射撃を以て旅順要塞を無力化したものと思われます」
「……飛行兵器を、そう使う、だと」
現在ロシア軍が把握できた情報は、飛行船による爆撃、その一点のみであった。弾着観測射撃や潜水艦作戦などの核心に迫るにはあまりにも情報不足であった。
「その他に情報は?」
「不明です。通信途絶が早すぎて情報処理が追いついていません」
「なんてことだ。敵戦力の分析もしようがない……」
「……総司令、蛮族相手にそこまでする必要など」
「我々は旅順を失ったのだぞ!?」
ロシア軍将校きっての慎重さで知られるクロパトキンはそう唸る。
「蛮族だからこそだ。怖いのは、我々の知らぬところで旅順の戦況がたった1週間で崩壊し、現地部隊が独断で降伏しているところだ……! 敵を知らねば戦い方もわからぬのだぞ!」
拳を震わせて彼は言葉を継ぐ。
「それに皇帝陛下――いや、あの憎きラスプーチンに知られれば文字通り首が飛ぶ。……旅順の件は、戦略的撤退と発表しろ」
「……どういうことです?」
「不意ではなく恣意だと嘯いてみせろ。わざと敵軍を満州に招き入れ、焦土戦術で苦しめ散々に補給線を引き伸ばさせてから――殲滅する算段だと、な」
「対外宣伝……いえ、国内向けにもプロパガンダにするおつもりですか」
「ああ。実際、敵の数だけ見れば多くはない。満州の広大な平原を維持できるほどの数を、あの辺境の列島からじゃ抽出できないだろう――ナポレオンの頃からのお家芸だ。ロシア人ならできるな?」
クロパトキンは皮肉げに笑ってみせる。
カウリパウスはそれに受けて口角を少し上げる。
「やってやりますよ。敵は自ら底なし沼に片足踏み入れたと、ね」
そうしてクロパトキンは地図を睨み、続けて鴨緑江を指し示す。
「次の交戦はここだ。旅順から何も学べなかった以上、敵を知る機会はここに限る。ここを抜けられたら満州だ。損害を抑えるためにもここは死守せ」
その瞬間。
「緊急報告ッ!緊急報告!!」
バァン、と乱暴に扉が開く。
「なんだね君?少し礼儀というものが――」
「敵が鴨緑江を渡河しましたッ!!!」
「「なん、だと!!?」」
ガゴン、ガゴン、と兵員輸送車の群列が未舗装の街道を駆けていく。
「わぁ、さすがにようやく上り坂も終わりですか」
「ええ。ここからは下り勾配になりましょう」
「さすが遼東半島峠越え、道のり長いですね……」
玲那の横で、砂利道に揺れながら別海睦葉は息をつく。襟元の階級章は尉官へと繰り上がっていた。出会った頃は伍長だったのに、いつのまに士官課程に編入したのやら。ただ別海も玲那が佐官になったことに少し驚いたようだった。実戦を控えて、大隊を指揮するに足る「少佐」へと現地昇進したのだったか。
「ふふっ。けれど今までの軍馬行軍よりは、ずっと高速にございます」
「……闕杖官どのの言う通りですね。馬みたいに睡眠を取らなくても、特に夜間ぶっ続けで走れるようになったのが強いです」
馬の休息だったりとか山賊への備えとかだったりで夜の移動が出来ないのが、兵員輸送車であると余裕なのである。
「一気に20名の兵員を輸送できるようになったことですし」
「ですね。昨日も待ち伏せてた山賊、アクセルかけるなり逃げ出しましたから」
「勢いで轢き殺さないように、お願いしますよ?」
清朝末期なので基本夜道は治安が悪い。軍馬行軍でも生身は晒しているので大陸では基本、軍隊でも夜間移動には特別な警戒を要するのである。
それが兵員輸送車になれば前照灯で夜道ははるか先まで照らせ、万一囲まれても一方的に中から銃撃できるのだ。怖いものなしの『魁星』である。
「どのくらい来たんでしょうか」
「ここを1週間ほど進めば営口市街。遼東半島の北の付け根です」
「それって、あと一週間で遼東半島の分断が成る、と?」
「ええ。大陸に有効な戦線を構築できるのです」
「な……っ」
玲那も恐ろしいことだと思う。
上陸わずか1週間で橋頭保のみならず、大陸へ立派な戦線を築くことになるわけだ。史実、明治陸軍が半年かかってやっと成し遂げたそれを、旅順の奇襲制圧と『魁星』による機動浸透で電撃的に前線を敷くことになったわけだ。
「どれもこれも旅順の陸海軍が奮闘してくれたおかげさま、にございますけれどね」
「一体、あれは奮闘というべきなんでしょうかね?」
「?」
「いとも簡単に旅順要塞落ちちゃったじゃないですか」
「いえいえ。綿密な立案と火力援護があってこそ数日そこらで落とせたのです。日程だけ見ればすぐ終わったようですけれど、きっと現地は凄惨にございますよ」
揃えられた兵器と人員と作戦と火力を知る玲那だからこそ、この感想が湧くのかもしれないが。
「ともかく……ロシア軍が旅順要塞に集中していた上に、これを一発で無力化できたことが功を奏しました。おかげさまで『魁星』の進撃は順調そのものですもの」
旅順強襲から2日遅れて朝鮮の新義州に上陸した第3軍は、『魁星』を先鋒にして遼東半島を機動旋回。旅順に注目していたロシア軍の背後を取る形で電撃的に浸透したため、戦闘による時間ロスや人員交代もほとんどなく、もはやただのドライブだ。
「とりあえず、です。本隊は最先鋒として遼東湾に到達し、遼東半島全域を占領下に封じ込める。これで――満州平原への入口を開くのです」
遼東半島の北の付け根からは奉天、長春、ハルビンと奥満州へ続く大平原が広がっており、ここが今時戦争での大舞台となるだろう。
旅順にて敵部隊を殲滅し、迅速な陣地転換と戦時体制への移行を阻む。その隙を突いて、敵が予想もしない「自動車での展開」で背後に展開、満州への陸上戦線を開くのだ。
「……よく練られた作戦ですね」
「ええ」
ただ、所詮は奇襲である。ロシア軍が展開すればすぐにでも勢いは収まる。
国際社会の冷たい視線をひっくり返すことはないだろう。
そうでなければ困る。
バルバロッサに比べれば、こんなのは序の口なのだから。
「な、り、旅順が落ちただとォっ!!?」
「は……はぁ?」
「おま、お前なに抜かしてるんだ、フェイクニュースもいい加減にしろ!」
シティの雑踏に衝撃が走る。
「嘘じゃない…ロシア軍が大敗した! 奇襲で全滅だそうだ!」
「東洋人相手に全滅ぅ!? いくらロシア人とは言えあり得ない!」
「アル中の鈍熊でも流石にアジア人には勝てるだろう!」
「冗談も大概にしやがれ!」
まず注がれる非難の嵐。
ただ、群衆に次々と新聞紙が行き渡っていくにつれて風向きが変わる。
「ば、馬鹿な。本当だ、突破されやがった!」
「はぁ!?」
号外が撒かれるたび、群衆に驚愕の波が打つ。
「嘘だろ? 同盟国とは言え、我ら英国は一切の援軍を送ってないんだぞ?」
「そ、それだけじゃない! やつら既に鴨緑江を突破したと」
「は!? ま、まだ開戦一週間だぞ!」
「なんて機動の速さだ……」
愕然と紙面に見入るロンドンの市民たち。
「ま、待て!落ち着け。どうやら宣戦布告前の奇襲だと……」
「いや、それでもおかしいだろう? 仮にも列強国の近代要塞だ。奇襲だったとしても、東洋人風情が槍と弓で武装して勝てるようなものじゃあない」
「どうかわからんぞ? それにあの島国はアフリカのような部族社会ではないようだ。部隊もある程度は西洋化されている」
たくさんの情報が錯綜し、投資家たちは顔を曇らせる。
「突発的に始まったこの戦争……蛮族がまた、無謀にも文明国に喧嘩を売っただけの、アフリカでよくある話かと思っていたのだが…」
「ロシア優位の見方は一気に壜雲に呑まれたな」
先行きの不透明感に、彼らは不安を走らせる。
「もしかして、蛮族がやるかもしれんぞ……?」
「まさか! インド大反乱の時は一時撤退したが我々は即座に戦力を整えて反攻して勝利を掴んでる。それにあの二国の人口の差は歴然だ」
「一理あるな。いいや、むしろロシア人にとって旅順で失った兵力など、畑から人が取れるんだから屁でもない」
それでも遥かに埋まらない国力差ゆえに、栄えある英国臣民たちはその予想を変えることはなかった。
「……それに、ロシアは程なく反撃に移るだろう。そうなったら、いくら旅順を落とし遼東を席巻したとはいえ、東洋人風情に勝ち目はない」
―――――――――
「なんて、ことだ……」
満州軍司令官のクロパトキンは机上で頭を抱える。
「どうしてここまで敵の展開が速い…!」
「てっ、敵軍は既に営口に到達したようです…」
「……ッ! クソ、旅順要塞はなにをしていた!」
額を抑えながら彼はコマの並べられた極東戦略図から旅順の2万を排除する。
「まずい、緊急展開が間に合わん」
「それに現在、占領された旅順からも敵兵が内陸へ浸透しており……」
「っ、遼東半島はもう落ちたか」
拳を握りしめ、彼はそう吐き捨てた。
「ただ、二つほど朗報が」
「……なんだと?」
「1つ目は、営口に到達した敵軍に、これ以上の進攻の動きが見られないことです」
ほう、と彼は息づき顔を上げる。
「敵軍は鴨緑江からはるばる営口まで数百キロ……なるほど異常な進撃、か。補給線が伸び切ったと見たぞ」
「どのような手段かはわかりませんが、1週間足らずで数百キロでは、到底補給が追いつきませんよ」
「ふむ。準備が出来ていないのは連中もこちらも同じ、か」
「少なくとも本官はそう愚考します」
「敵は現状、攻勢限界点に達した、と。そう見ていいんだな?」
彼は地図に目を落として暫し、熟考する。
「戦線を営口-鞍山-通化を結ぶ線まで退け」
「蛮族どもの進出線に合わせるおつもりですか」
「ああ。ここに持ち前の機動力を活かして迅速に騎兵を展開し……」
カタリ、とシベリア騎兵軍団とコサックの駒を北満州や沿海州から南下させて、クロパトキンは営口の防衛線に置く。そこから、一気に突破浸透を描いてみせた。
「――奴らの補給線が整う前に一気に騎兵突撃で叩く。」
「確かに、騎兵団と正面から戦えばサルどもに勝ち目はないですね。所詮は蛮族らしい卑劣な攻撃、ここまでの快進撃も隙を突いた一時的なものでしかない」
「しかも相手は軍馬主力の軍隊ですらない。攻撃機動力なら我が大ロシアはどこの列強にも退けをとらん。」
で、もう一つは? とクロパトキンは訊く。
「ドイツの連中から観戦武官団です。」
彼はおお、とつぶやいてみせる。
「世界の頂点に君臨せんとするプロイセン軍から、か」
「はい。…まぁ、最強の我が帝国による蛮族の教育に、観るに値する戦闘があるかは疑問甚だしいですけどね。総司令閣下さえよほどの慎重であせられる」
「戦況というものは可能性というレールの上で常に転がっている。慎重にして助かることはあっても困ることはない」
彼は笑った。どこまでも慎重な武将であった。
「観戦武官団一行を盛大に歓迎して差し上げろ。誰が来る?」
その問いに対してカウリパウスはわけもなく淡々と名簿を読み上げる。
「パウル・フォン・ヒンデンブルク陸軍中将、並びにエーリヒ・ルーデンドルフ陸軍少佐」
奇跡的な人選であった。後にロシア帝国という国体さえ破壊することとなるきっかけ、第一次大戦・タンネンベルクの戦い。圧倒的不利な戦況からロシア軍を完封した『プロイセン参謀本部の2英傑』――第一次大戦のドイツ軍を代表することとなるこのコンビが、皮肉にもロシア軍観戦武官として満州の地に立ち塞がる。
「直ちに騎兵軍団を南下せよ。奴らの補給が伸びたうちに潰すのだ」
ついに、ロシア正規軍が動き出した。
世界最強と名高き、あのコサック騎兵を引き連れて。
・・・・・・
・・・・
・・
明治37年2月20日 海城
「傍から見れば、膠着ですね」
玲那は戦略図を見下ろす。営口から海城にかけて皇國陸軍は戦線を構築、ロシア軍と向かい合う形で戦線は停滞した。そしてここは戦線より20km後方の拠点、海城だ。
「営口から新義州にかけて両軍が睨み合う形ですね、闕杖官」
「ええ。新たに築いた大陸戦線にございます」
ふと、全軍通告とがなり立ててスピーカーが鳴り響いた。
『沿海州総軍司令部が海城駅に到着。これより各所に高官要人がたの視察が入る。中には――〈英傑〉たる枢密院議員、磯城盛太特別高等参謀もいらっしゃる!』
「!?」
その名を聞いて、玲那の背には寒気が走る。
『……決して。決して! 粗相のないようにすること。以上である』
玲那の所属は満州総軍直属の独立第26連隊。対してスピーカーが報せたのは、沿海州総軍――『魁星』とは違う指揮系統の総軍に主人公が来るという。間一髪で助かったのだろうか?
困惑する玲那に、別海は問いかける。
「……どうされました、闕杖官?」
「沿海州、総軍……って。そもそもどちらさまですか」
戦線を構築したことで、満州戦線を見据えて改訂された陸軍戦力の要覧を見返す。そして程なくその文字を見つけた。
沿海州総軍
・第1軍-長白山脈:◎近衛師団 ◎第十二師団
・第2軍-沿海州方面:◎大阪鎮台 ◎仙台鎮台 ◎第十一師団 ◎第十三師団
満州総軍
・独立第26連隊『魁星』
・第3軍-北満州方面:◎東京鎮台 ◎広島鎮台 ◎北海鎮台 ◎第九師団
・第4軍-西満州方面:◎熊本鎮台 ◎名古屋鎮台 ◎第八師団 ◎第十師団
「ッ……、左様にございますかっ!」
苦虫を噛みつぶしたような顔をする玲那に、首をこてりと傾げる別海。わからないのも無理はない。あの主人公の人となりを知っているのは玲那だけだ。
(満州に電撃的に侵攻するまではよくってよ……けれど、『魁星』は途中から進路を変えるのです。それも沿海州に!)
作戦前半は満州総軍の隷下で行動する。ここまではいい。問題は作戦後半だ。戦域的に考えて、いずれ沿海州総軍と行動を共にしなければならなくなる。
これが意味するところはただひとつ。
後半から終盤にかけて、玲那は主人公との協調を強いられるということだ。
「ごめんくださいませ、少し取り込みます」
「は、はぁ」
怪訝な表情をする別海を横目に立ち上がった。
想っていたより早く、嫌な風向きに変わってきた。鬱蒼とした心地で玲那は連隊の天幕を出た。
「お、いるではないか。闕杖官」
玲那はその人物を前に目を丸くした。
「親王殿下?」
閑院宮は煙草を口から降ろして、白煙を吐く。
「新義州での上陸ぶりか。どうかね、全軍の先鋒を務めた気持ちは?」
「……荷が重いものです。鬱そのものにございますよ、鬱」
「かかっ、減らず口が叩ける気力はあるではないか」
ため息をつく。
煙草を片手にした閑院宮は、ついてきたまえ、という仕草で歩み出した。玲那はその背をぽつぽつと愚痴りながら追う。
「だいたいなんなのです、あのしつこい枢密院の刺客は」
「当たり前だろう。玲那くんには未来の知識があるのだから」
「そんなの存じませんよ。玲那だって自分の運命で手いっぱいなのに……」
「だろうな。玲那くんにとって、この戦争で立ちふさがるのはロシア兵のみならず『げーむ』の登場人物全員か」
「冗談でもございませんよ」
おもむろに閑院宮が立ち止まる。
「ここだ」
「?」
何か訊く暇もなく、彼は扉を開けた。
「っ!?」
飛び込んできた光景を目の当たりにして目を丸くする。
視界いっぱいの将校たち。肩の階級章はほぼ全てが少将以上の将官級。これでもかと勲章を吊り下げて、髭を荘厳に伸ばした将軍が錚々と並んでいる。
そしてまもなく見つけたのは、杖を携えて金箔で装飾された革椅子に座る髭の指揮官。
「乃木希典、陸軍大将……!?」
いつか見た光景に、玲那は固まる。
閑院宮は笑った。
「ようこそ、満州総軍司令部へ」




