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悪役皇女は銃を取る -帝國黙示録-  作者: 占冠 愁
第一章 極北の宮廷
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第4話 合格通知

「これはこれは。皇女さまであせられましたか、ご無礼をば」

「結構ですよ、畏まらなくて」


 玲那は思わず首を振る。


「閑院大隊長宮殿下も、失礼(つかま)りました」

「よい。このような場所にまさか皇族が居ようとは、思わぬだろうからな」


 相変わらず自嘲気味な髭だ。ため息をついてしまう。


「親王殿下。もう少し自己肯定感というものを上げたら如何ですか」

「玲那くん、君の自信が強すぎるのだ。追放を受けた身、もう少し顧みたらどうだ」

「まぁまぁ、御二方」


 大蔵官僚は玲那たちを諫める。


「皇族軍人が先陣を切って、皇國の最前線に入植することは臣民の示しにもなりますとも。皇族たる御二方にしか成し得ない務めでございます」

「「帝都の役人様は随分ご悠長で」」


 玲那と閑院宮の声が被る。思わず玲那たちが目を合わせれば、その様を見て大蔵官僚は苦笑い。肩を竦めて彼は言う。


「帝都も帝都で、窮屈な場所ですとも」


 さては馬鹿にしているな、宮中政争に敗れたのがそこまでマヌケか。


「親王殿下、あいつ絶対見返してやりましょう?」

「同感だ」


 玲那は閑院宮に耳打ちする。忠別の農業躍進のみならず、第三大隊には機関銃も飛行船も導入するのだ。帝都も宮中も覚えておけ、いつかこの上川離宮に頭を下げさせてやる。


「……して、玲那姫殿下に伺いたく」

「へぁ。そうでした、何用でしょう」


 そういえばこの大蔵官僚にお話しようとせがまれたのだった。




「姫殿下は、転生者であせられますか?」




 目の前の男の言葉に、息を呑む。


「……はい?」

「あぁ、いえ。あるいは、こう訊ねることにいたしましょう」


 その次の問いは、より直接的なものだった。


「令和、という言葉に聞き覚えはありますか?」


 場が一気に剣呑とした雰囲気になる。


「……」


 玲那が視線を遣れば、閑院宮はしれっと目を逸らす。この逃げ腰の宮が。

 視線を前へと戻す。あくまでも柔和な笑みでこちらを見据えるこの男、どうやらただの大蔵官僚じゃないらしい。令和という言葉が出るなら、少なくとも枢密院議員か。


「……生憎、存じ上げませんわ」

「ほう?」


 史実を知るほど『主人公』や明治の重鎮たちと近しい存在か――玲那が、ゲーム内最大の敵であることさえ知っているかもしれないな。


「そのようには、見えませんでしたもので」


 燕尾の男は懐からなにやら数枚の紙を出すと、机の上に広げる。

 指を差して示すものだから、その紙を覗き込めばどうやらテスト用紙のようだ。題は『華族学修院 入学審査』とあって、氏名の欄には有栖川宮玲那、とある。


「……2年前に受けた、学修院の入試ですか。よくそんなものを」

「私は大蔵省の人間ですが、学修院の客員教授もしておりますゆえ」


 華族学修院――この国の青い血を引く者は、6つになると行かねばならない場所――は、あの乙女ゲームの舞台であって、明治24年の4月から玲那が通うはずだった学校だ。入学審査とはいえ華族なら全入なので落とされることはなく、首席という箔を狙う方々しか競わない。形式的なペーパーテストである。

 そのはずだった。


「玲那は落とされたのですけれど」

「ええ、そうですね。姫殿下は初等部不合格、とあります」

「っ。全入のはずですけれど。成績がよくなかったのですか?」

「いえ。十分でしたよ。6歳にしては()()()()()()()()


まあそんなことはどうでもいいのです、と彼は続ける。あの、玲那にとってはよくないのだが。落とされた果てにこんな原野にいるのだから。


「真に確認したいことはこちらですゆえ」


解答欄の端くれにある、落書きのような一節。

『枢密院はいずれ、皇國に仇をなす』、とある。


「……して、その真意を問いに来たというわけでございます」


 頭の中で因果が繋がる。そういうことか、自分の失態を悟る。


「なに書いてんだか……」


 眉間を抑えてため息をつく閑院宮。じとっと横目で睨むが、けれど、こればかりは玲那の落ち度だ。小学校入試のテストなど文字さえ書ければあとは暇そのもの。それに、所詮は全入だとタカを括っていたからこそ――本心を零してしまった。


「こればかりは、お答え下さらなければ困ります。もしもうひとり転生者がいて、それが国家体制の転覆を企図しているのならば……皇族とて躊躇できませぬゆえ」


 冷や汗が玲那の背を伝う。玲那の答え次第では追放じゃ済まなくなる、これはたぶん、そういう話だ。


「……皇國枢密院。この国の新たなる権威ですわ」


 閑院宮が目を丸くする。

 けれど沈黙は、ここでいちばん取ってはいけない選択肢だ。


「権威……と、仰いますか」

「ええ。藩閥政治が突然に終焉したと思えば、薩長の枠を超えて組織された国政の指導機関。四年前は、民草の誰もが訝しんでおりましたもの」


 枢密院。数年前、二人の未来人が舞い降りた地。玲那が前世を知覚する少し前から、未来人たる『主人公』と、それを知る政府重鎮たちは歴史を動かし始めた。

 そんな彼らの拠点こそ枢密院。その有様は、帝都に君臨する歴史介入機関と言ってもいいかもしれない。今や人々はこう呼ぶ――維新の英傑の奥座敷、『英雄機関』と。


「四年間で、よく市井(しせい)の信頼を築いたものです」


 大蔵官僚は頷き返した。


「……そうですね。確かに、皇國枢密院は強力な権限を掌握しております」


 歴史を知っている彼らは、そのアドバンテージを活かしてこの国の様々な場所に介入した。その目的は皇國の繁栄か、はたまた彼ら自身の利益のためか。それは見えないながらも、史実と比べて若干だが確かに皇國の国力は上昇している。

 彼は言葉を継いだ。


「ですが、その権限は確かな実績に裏打ちされたものであることを忘れてはなりません。成果を出したのは内政のみならず、対外戦略においてもです」

「と、仰しますと?」

「例えば、『北洋開拓団』は一定の成功を収めつつありましょう」


 玲那はやっと息をつく。


「本当に……そうでございましょうか」

「?」


 壁に貼られた世界地図に目を遣った。


「北洋開拓団。果たして勝算のある博打でしょうか」


 北海道より宗谷海峡を隔てて向こう側。面積7万平方km――北海道より一回り小さい、氷雪に閉ざされた極寒の島。


「そうですか? 良い布石だと思いますが」


 18年前に交換条約によって失った、列島の最北端。

 名を、樺太という。


「殿下。移住の担い手は急進主義者や旧藩閥など、反体制派です。ロシアの緩慢な統治下で、皇國の干渉を受けることなく四苦八苦しながらも自給自足、彼らなりの自治領が出来上がりつつあります」


 大蔵官僚はそう言う。


「北洋開拓団は本年5万を超えました。対するロシア帝国はシベリア鉄道の建設に流刑者を取られ、これ以上の移民を送れません。交換条約で確立したロシアの統治権は尊重しながらも、民族構成は覆りつつあります――旧領回復の大いなる布石となり得ましょう?」


 こくりと玲那は頷く。それ自体は否定しない。


「ええ。クリミア戦争で英仏軍に大敗を喫したロシアは産業革命の只中にあるものの、巨大な社会不安が燻っています。ゆえに今の時期に戦争は望んでおりません」

「仰せの通りです、殿下」

「併合にでも動かぬ限り、あのような辺境のパワーバランスが多少変わろうとも動かない。『北洋開拓団』の送り込みは、そこを狙った高度な布石でございましょうか」


 人々は、枢密院をこんな風に称賛するのだろうか。


「そこが……」

「枢密院の突いたロシアの弱点、ですね」


 大蔵官僚は笑った。


「いいえ?」


 微笑って柔に返しつつ、されどはっきり首を振る。


「正しくは――()()()()()()()()()()()()()()。」


 彼の表情から笑みが消えていく。


「認識を誤ってはいないでしょうか」


 玲那は確信していた。


「未だ近代化20年強、極東の辺境にある有色人種の小さな島国。そんな皇國を、世界に蔓延る帝国主義の下、果たしてロシアはどう捉えます?」

「というと?」

「ロシア帝国は『戦争』のつもりで来るのでしょうか?」

「……来なければ?」

「帝国が皇國との戦争を大規模だと思わなければ、容易く戦争へ突入する」


 十年前に中央アジアで起きたことと同じく、蛮族征伐の構えで南進してもおかしくない。


「言い切れるのですか、姫殿下?」

「ならば逆に質問させていただきましょう」


 玲那は、大蔵官僚の瞳の奥をのぞき込む。


「枢密院は、受け入れることができますか?」


 風が凪ぐ。


「……何を」

「ロシアの最後通牒が来たとき、枢密院は素直に退()けますか?」

「……」

「あの帝国が有色人種の辺境国相手に退くとは思えません。予期されるロシアの要求は、良くて移民中止……悪ければ、移民の完全撤退。それを、枢密院は呑めましょうか」


 天を仰いで、大蔵官僚は呟く。


「――無理でしょうな」


 藩閥政治という枠組みを突然に廃して、この四年間で急速に築き上げた権力体制。そんな突貫工事の政治的土台は、『維新の英傑』という精神的支柱に支えられているだけの、脆く危なっかしいものだ。

 皇國枢密院とは言うが、その実は現代知識を共有する少数の者だけの政治同盟。その外側には藩閥政治時代の権力から排除された無数の敵対分子がいる。


「枢密院は、自分の過ちを認めるには……敵を作りすぎています」


 『維新の英傑』の威光は、現状は敵対分子を黙らせている。それはここ四年間の枢密院の政策が成功しているからだ。ロシアの最後通牒を呑むという大失態に追い込まれてしまえば、皇國枢密院は支持を失いかねない。そうなれば、旧藩閥勢力に権力を奪回されて、現代知識を持つ者たちが国政に復帰するのは絶望的となる。

 それは彼らにとって絶対に避けねばならないことだ。


「皇國枢密院は、失敗を無理やり『成功』に塗り替える――つまり国境紛争の勝利――そんな藁に縋るしかありません」


 立ち上がって、玲那は壁に貼られた世界地図の傍に立つ。


「その果てに、何一つ準備出来ていない状態で、かの超大国相手に、絶望的な戦争の戦端を開く羽目になり……」


 地図の端の列島。

 そこに、小さな手を添えて言った。


「皇國は、死に至る。」






「……宮家ともあらば、子女の教育はこれほどなのですか」


 大蔵官僚は目を伏せて、言葉を継ぐ。


「つまり皇女殿下におかれては、皇國の余命はどう足掻いても長くない、と?」


 玲那は首を振る。


「とは限りません。これはあくまで全面戦争になったときの結末です。枢密院に樺太を捨てて下野する覚悟があれば、皇國は生き長らえるでしょう」


 大蔵官僚は立ち上がり、窓に向かって歩み出した。


「質問が悪かったですね。国境紛争において、皇國の『敗北』は避けられないと?」


 その問いに、少しばかり口角が上げる。


「逆に、皇國が勝利したとならばどうなりましょう?」

「ほう……」


 ばっ、と大蔵官僚が振り返る。窓から差し込む光に、彼の顔が翳る。そうなって初めて感じた既視感は何だろうか、その顔形は、どこか教科書で見たことがあるような。


「有栖川宮玲那内親王殿下。齢は、おいくつでしたかな」

「8歳です」


 彼は興味深そうに、しげしげと玲那を見探る。


「――閑院大隊長宮殿下、この皇女さまを大蔵省に預けてみる気はございません?」

「……は?」


 閑院宮は聞き返す。玲那もぽかんと口を開けた。


「は、や……有栖川宮本邸の意向もあるゆえ、そういうわけには」

「殿下の衣食住は相応のものを大蔵省のほうで用意すると、約束しましょう」


 玲那はじりりと引いて、警戒する。


「玲那を、どうなさるおつもりで?」

「殿下のご慧眼、ここで使い潰すにはもったいない」


 閑院宮を見捨てて、帝都に来いというわけか。

 思わず拳を作ってしまう。


「失礼ですが、何様でございましょう?」


 気づけば、大蔵官僚の首元に手を添えていた。


「っ……!」


 もったいないだの、身勝手な。官僚というものはそこまで偉いのか。


「……おやおや、これは失敬」


 口ではそう言いながらも、彼に反省の素振りはない。

 ただし、その瞳はもう玲那を見下げてはいなかった。


「丁重にお断りいたしますわ。あなたがた中央から任された北京計画も、まだ未完ですもの」

「と言われてしまえば、退くしかありませんね」


 玲那をあやすことをやめ、同じテーブルに座らせたのだ。

 彼は玲那に右手を差し出す。


「芯の強いお方は信頼できる。北京計画、そして飛行船の支援は約束いたしましょう――()()()()()()()()()()()()

「ええ、御取り計らい、感謝申し上げます」


 そこまで返して、彼の言葉を反芻する。今なんて言った?

 玲那の記憶が正しければ、松方正義と聞こえた。

 胸元に光る枢密院徽章――現役の大蔵大臣にして、国立銀行を設立し、金本位制を確立することとなる伝説の財政家。


「松方、正義……!?」


 スカートの端をつまんだまま固まる玲那に、彼は恭しく礼をした。


「皇女殿下の仰せの通りに。そして、この顔を覚えておいて頂ければ幸いです」


 それから懐に手を入れると、なにやら大きめの手帳を取り出した。表紙には『学修院中等部・入学者名簿』とある。ペラペラと捲りながら、彼はこう呟く。


「また会うことには、なりましょうから」


 言葉と共に突きつけられたページは、4年も先のことである『明治30年度合格者』の欄。当然、一面が空白であるかと思いきや――いちばん先頭。首席の欄に、ひとりだけ、名前が記されてあった。


有栖川宮(ありすがわのみや)玲那(れいな)


 読み上げて、唖然とする。

 初等部は不合格。中等部は合格。

 意味が分からないとは思っていたけれど、まさか。玲那が中等部に入学できる4年後の春を待つと言うのか。戸惑う玲那を前に、蔵相・松方正義はニカリと笑った。


「これを以て、特別入試は終了です。四年後。帝都にてお待ちしております」

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[良い点] 『枢密院はいずれ、皇國に仇をなす』 これからの物語で明らかになる
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