第52話 氷雪のシャンゼリゼ
明治35(1902)年8月 忠別
「稲作は順調ですか?」
「ん、問題ないわ」
「それはよろしくて」
第26連隊の排土車で造成された農地では全力でトラクターが稼働、耕耘機による代掻きと硝安の投入も相まって膨大な労力の削減と大農法の遂行に役立っている。
ポーッ!
遠くに汽笛が聞こえる。ふと窓の外へ目をやると、札幌行きの汽車が『忠別駅』と書かれた貧相な板きれ一枚の乗降場を通過していくところだった。
「……やはり、こんな粗末な駅設備では、年々増える硝安の輸出量には追いつけませんよ」
駆けてゆく汽車に載るのはどれも自動車。農業機械から軍用車まで、あらゆる種類の車が上川盆地から全道へと鉄道を通じて売りさばかれる一方で、なんと硝安の売上は滞っていた。
「忠別駅がボトルネックになってるのね」
咲来の言う通り。自動車工廠と第26連隊の本営に隣接して置かれた永山駅は、軍事輸送を見込んでそこそこの規模の貨物取扱施設が設けられた一方で、忠別駅はこのありさま。もともと忠別村には軍隊もなく離宮程度しかなかったとはいえ、板切れ一枚の駅というのはいただけない。
「まったく。どこまで現金な方々なのですか、鉄道省は」
上川離宮と肥料工場というお題目ではロクな駅を作ってくれなかった。この設備ではまとまった量の硝安を積み込めず、結果として硝安の普及が停滞してしまっている。
「よくないわね。農業機械も硝安ありきよ、特に田植え機は」
「ええ。そもそも忠別村にとってもピンチです。玄関口たる駅が汽車にビュンビュンと通過されて無視されるようでは、村としての求心力はだだ下がりにございます」
なにより、硝安の需要自体はうなぎのぼりであることがまずい。今の忠別駅ではロクに捌ききれず、列車が遅れて交通に支障をきたしているのだ。
「けど……秋には専用の貨物駅ができあがるんでしょ?」
「ええ。離宮の北、忠別川を挟んで向こう岸に用地を確保しています。閑院宮親王殿下のご助力もあって、先日着工にこぎつけました」
永山駅に負けないくらいの貨物設備が設けられる予定である。なにせ農業革命が進行中であるのみならず、戦時になれば火薬として莫大な量が生産されよう。
「貨物駅は当面のところ完成を待つとして……硝安工場は今のままで大丈夫なの?」
咲来の質問に、離宮裏につくった硝安製造機の資料を広げる。廃潜水艇を4隻横並べにしたこの合成炉からは、日産600kgもの硝安が生産される。しかし、だ。
「いえ。硝安の効用が去年のうちに全道に広まってございます。今年の稲作では冬のうちから函館や札幌といった西のほうからも購入希望が殺到して、今も輸出のためにフル稼働状態なのです」
そんなわけでかつてはハワイへ行った廃潜水艇が連日の酷使に悲鳴を上げて、ぶっ壊れる寸前なのだ。更に、今年中には重機を使って上川盆地の原野を大々的に乾田で埋め尽くしていくから、来年春には耕地面積が2倍になる。
この程度の硝安生産施設じゃ、輸出も含めれば到底足りない。
「日産600kgでも足りないのか。本当に北海道は広いのじゃなぁ」
長老の呟きに、玲那も頷く。
「石狩平野のほうでは、来年から農業聯合が始動いたしますし」
農業機械の一通りの開発完了。玲那はそれらの一覧を速やかに大蔵省へ転送、これを受けた松方と掛澗は北海道全土における機械化大農法の導入を決断した。
さしあたっては拓務省及び農務省が大きく動き、北海道全域を新農法特区に指定し、拓務省は重機を北海道に集中導入することを決定、農務省は農業機械の普及のための投資と開拓地の割り振りを目的に、令和でいうJA的な組織『農業聯合』を立ち上げた。
『農業聯合』においては、加盟員のうちで農業機械が共有され、収穫物は聯合所有の穀物保管庫――"カントリーエレベーター"へとトラクターで集められる。
すべてのカントリーエレベーターは鉄道駅の直上または横に設置される予定であり、そこから直接貨車に詰め込んで、鉄道輸出されるという仕組みだ。
なお永山村では各種自動車の生産も軌道に乗ってきた。本年早々、陸軍に納入されていた運土車と排土車の緊急増産を拓務省が永山工廠に発注し、年明けから流れ作業で1000輌体制を目指す。当の永山工廠のほうも陸軍が大量発注した輸送車の需要がピークを過ぎて、生産レーンに余裕があったため、空いてきた生産レーンを転用。工業用重機の完成後は、玲那の開発を元にして改良を施し、農業機械を量産型化、順次量産して農業聯合に納入していくようだ。
「北海道は明治期に入ってからの開発ですから、開拓地が碁盤の目状になってまして、農業機械の稼働にはもってこいの環境にございます。ですから、来年に入れば硝安の需要もさらに増えましょう」
ゆえに、と玲那は続ける。
「新規に、大規模な硝安製造工場が必要です」
「新規……かいの?」
硝安への認識は、既に去年硝安を使用した忠別村をはじめとする上川原野一帯と、さらに石狩平野のほうまで共有されている。どれも昨年、稲の生産量が激増した地域だ。
「でも、それだけではなくってよ」
「軍需ね」
頷いて、玲那は机上に新たな資料を広げて、咲来と長老へ示した。
「陸海軍から火薬製造のための窒素固定剤として、純粋なアンモニアも発注されております」
なにも硝安工場で産出できるのは硝安だけじゃない。プロセスの途中で、純粋なアンモニアを取り出すことだって出来るのだ。窒素固定剤はあらゆる爆薬の製造に必須となる。それをアンモニアで補えるのだから、軍部からは大量のアンモニア製造を求められたのだ。
「アンモニアの合成終了過程で、タンクに流し込む分を確保して、そこから貨物タンク車にポンプでアンモニアを流し込む。そこから空知や石狩地域の陸海軍火薬工廠へ輸送という形にございますね」
なるほどね、と咲来が頷いた。
「というわけで。農業用からアンホ爆薬用、軍需まで全ての需要を考慮した結果、新規工場で必要になるスペックはこちらです」
新規工場の建設計画を提示した。
「日産……」
「じゅっ、10t!?」
「ええ、日産10tです。将来的には最大40tへの増産も視野に入れた設計になります」
現在の生産力が日産600kgであることを踏まえれば、どれだけ巨大な規模かは伝わるだろうか。生み出す利益も雇用も、従来のものとはけた違いだ――忠別村の産業構造はこの巨大な化学工場に呑み込まれることになるだろう。
「忠別川の北岸は、空き地にございますか?」
ゆえに玲那は、全く関係ない問いを尋ねる。
「ほ、北岸? あぁ、10年前には旧来の湿田が広がっていた場所じゃが……、あのような低湿地は新農法には向かんし、ここ数年は放置されておるぞ?」
「よし。なら遠慮なく市街化できますね」
「市街化?」
この春の初めに長老に語ったとおり。
これは、これからの数年を見据えた長期的な話。
「巨大な硝安工場を擁する忠別と、軍隊と自動車工廠の置かれた永山。この両村が合併することで立派な工業都市が上川に出現いたします。労働人口は現在の比になりません――これを収容するための市街地が、都市計画が必要になるのです」
懐から紙切れを出して、適当に書き記していく。
【北京 開発計画図】
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▲▲::::▲▲
▲▲::::::
▲::④②田田:
━┓:⑤田田田田
▲┗━━┓①田:
▲田田③┗━━(忠別川)
▲▲田田田::▲
▲▲::::▲▲
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
① 忠別村
② 永山村
③ 上川離宮
④ 第26連隊『魁星』駐屯地
⑤ 北京新駅
「北京……新駅、じゃと?」
「現在建設されている忠別貨物駅に隣接して、この上川盆地を代表する玄関口を――中央駅を設けるのです」
ほぉ、と長老が息漏らす。位置的には上川離宮と第26連隊本営に挟まれた場所になるが、これが都市計画の肝になる。
「離宮から忠別川を渡り、中央駅を越えて、第26連隊本営までを南北に繋ぐメインストリートを建設いたします。この街路沿いに新市街を建設いたします」
大阪の御堂筋、あるいはパリのシャンゼリゼ通りを彷彿とさせる都市の軸。地図上の③から⑤を越えて④までまっすぐ引かれた赤い筆跡を、目を丸くして咲来は追った。
「駅用地の東側には、穀物倉庫街を設置して。将来的に、中央駅および忠別川の舟運への接続に便利な感じにいたしましょうか」
「……硝安製造機はどうするのよ?」
「はい?」
「日産10tの新工場、作るって言ったじゃない」
「新たに建設という形になりましょう。残念ながら今までのように離宮にあっては中央駅との接続が悪うございます」
⑤と示された中央駅のすぐ隣。"田"と示された開墾地を潰して、玲那はその上に工場のマークをつけた。
「中央駅のすぐ東隣。この忠別村とも北西に隣接する形で、新たに工場を開きとうございます」
「こ、ここの開墾地を全て潰すつもりかの……??」
「ええ。それ以上に工場が巨大です。年間産出量は現行の1日600kgから暫定10t、最大40tに激増させるのですから」
「よ…40トン…!」
これは次の戦争において皇國の火薬製造を一手に引き受ける工場になる。いわば、いまから玲那が作ろうとしているのは総力戦の心臓だ。
「……噂に聞いたのじゃが、永山にも次々と工場が建つのじゃろう?」
「ご存知でしたか。ええ、情勢がきな臭くなって軍拡もピークに達しております。永山のほうにはこれから航空系と爆弾系の軍需工場がまとまってつくられましょう」
地図の上の永山村にペンを置いて、そこから南へ広がる工場予定地を描き込んでいけば、すぐに硝安の新工場予定地に接してしまう。
なるほど。南北を貫くメインストリートの東側は一面を軍需工場が埋め尽くすことになりそうだ。
「まずは先述の通り日産40tの硝安工場。そこから出てきた硝安の半分は、隣の中央駅から貨車に突っ込まれます。そんでもって鉄道で外界へさようならです。これらは全て化学肥料になりましょう」
そしてお察しの通り、硝安のもう一つの用途は。
「硝安のもう半分は先述した永山に新設予定の爆弾工廠に輸送されます。ここの工場の広さは半端にはございません。なんとて、巨大生産レーンが5つです!」
手榴弾、迫撃砲弾、野砲榴弾、航空機爆弾、機雷。一つ海軍用のが混ざってはいるが、この世界の陸海軍は枢密院の存在でそこまで仲が悪いわけではないので、海軍からの委託生産と言うかたちで丸く収まっている。
「これは……たしかに労働人口も凄まじいことになるのぉ。これが『農工複合都市』かね?」
「ええ。そして、ここに一気に市外から労働者が流れ込むのです。けれど……忠別や永山といった旧来の村落に無制限に流入すれば、スラム化しかねません。治安の低下も招きましょう」
「確かにそうね」
咲来が頷く。この長老ほか旧来の村民を安心させる都市設計が必要だ。
「ええ、棲み分けが必要になりましょう。①や②といった現村はメインストリートの東側にございます。ゆえに、西側に新住民の市街地を設けるのです」
地図に次々と文字を書き込んでいく。
東西を走る忠別川と鉄道は、離宮のふもとで南北のメインストリートと直交する。ここに中央駅および忠別貨物駅を置いて、新都市の玄関口とする。東口に軍需工場と旧村落があるとすれば、西口には労働者たちの新市街が広がるという算段だ。
「穀物保管庫……カントリーエレベーターは中央駅の東に。秋の収穫ではトラクターを総動員して収穫物を一帯から全てそこへ集積。ここから鉄道へ積み込みます」
「なるほどのぅ。……農産物も、硝安も、中央駅に集中させるということかね」
「ええ。永山駅のほうは今のまま、軍需品の輸出に特化させるつもりです。この新都市の物流はこの二大拠点で分担することになりましょう」
「じゃな」
玲那はここで、ふぅと一息つく。
「これで、一通りの都市計画は完了ですね」
「ふむ。して、メインストリートの名前は何にするのじゃ」
ぽかんと玲那は口を開ける。
「……玲那が決めてよろしいのですか?」
「なにを。ここまで計画したのじゃ、当然じゃろう」
迷うなら『玲那姫通り』にしてしまおうだの言いだしたので、慌てて玲那はかぶりを振って親王殿下の名を出す。
「閑院道などでいかがでしょう、なにも玲那の名前でなくとも」
「姫様がそう仰るなら」
「まぁ、名前はなんだってよいのです。そんなことより、この都市計画が全成すれば――…新市街は、人口3万を収容いたします」
咲来が目を見開いた。
「……さん、まんって」
「ええ。永山が現在の人口を1.6万、忠別が0.4万にございますから併せて2万。新市街と合わせれば」
「市制の基準に届くというわけかの」
合計5万人を誇る都市――これは道都・札幌とほぼ同じ規模だ――がこの原野に出現する。
「さて、あとはこの計画を重機を突っ込み実現させるだけです」
農業・化学・軍需の要都が、かつての寒村に花開く。
さぁ、5000人などすぐそこだ。
「掛けましょう、正真正銘のラストスパートを」
【1902年8月 上川郡】
総人口 / 23,130人(あと26,870人)
└忠別村 / 4,409人(あと591人)
└永山村 / 16,326人
└神楽村 / 2,395人
└新市街 / 0人
稲自給率 / 216%(クリア)




