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悪役皇女は銃を取る -帝國黙示録-  作者: 占冠 愁
第九章 稲穂は流氷に揺れる
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第46話 大命降下

『もしもし。聞こえておられますか?』


 松方の声。玲那は受話器に口を近づけて返事をする。


『それはなによりです。あと、親王殿下の御声も聞こえますか?』

『あ、あ。玲那くん、予だ。聞こえておるか?』


 目を丸くする。どうやら同じ場所に二人でいるらしいし、普通の受話器と違って交代せずとも同じ部屋にいるみたいに喋れる。令和時代で言うスピーカー状態だ。


『新型の集音装置のテストも兼ねていますから、問題ございましたら忌憚なくお申し付けを』

「な……なるほど。して、お二人はどちらに?」

『大蔵省地下の特別通信室です。専用回線を使っておりますので、傍受の心配はございませんよ』


 なるほど。大蔵省の役人が先日引っ張って来たこの電話線は、帝都の大蔵省に直結させるためのものだったのか。


「ではもうひとつ。なぜ親王殿下はそちらにいらっしゃるのです」


 大陸に送られたっきりではなかったのか。どうしてまた大蔵省の地下なんぞに。


『それだがな。義和団を鎮圧したのち、どうにか次の任務のために戻してはもらえぬかと陸軍の中央に掛け合ったのだ』

「次の任務?」

『新編機甲連隊の組織だ』


 なるほど。上川宮廷で進めている陸軍計画も、率いるのが宮廷の人間でなければ意味がない。


「けれどよく許可されましたね。玲那たちの分離工作をしたのは枢密院ですのに」

『予ひとりではうまくいかなかっただろう。根回しに関しては、乃木少将や大山中将にも助太刀いただいた』

「……東京鎮台の方々ですか」


 釜山防衛戦をともに戦った第一軍のメンツ。機関銃だの飛行船だのでメチャクチャやったのに、よく助けてくれたものだ。大山巌は特に意外だ――何か本人の中で変節があったのだろうか。


『枢密院側の事情もございます、姫宮』


 松方の言葉に玲那は息を呑んだ。


『北方戦役の顛末にくわえて、姫宮の釜山鎮における演説。これで東京鎮台の将校部すなわち陸軍内のエリート層が枢密院と距離を取り始めているのです』

「玲那の演説?」

『枢密院をひどくご批判なさったそうではないですか』


 うっと玲那は黙り込む。そういえば北京空挺作戦を呑ませるために、そんなパフォーマンスもしたな。


『枢密院は陸軍内の支持回復に奔走しております。そのなかで親王殿下の帰還願を蹴って東鎮の首脳部の不興を買うわけにはいかなかったのです』


 陸軍を掌握しきれないとなれば、史実に笑われる。枢密院が不安に駆られるのも納得だ。


『とはいえ軍部の支持はまもなく回復できましょう。米西戦争への介入は来年に迫っております』

「……"南方戦役"になりませんよう、祈っておりますね」

『過去の失敗から学べないほど維新の英傑は愚鈍ではございませんよ』


 根回し外交はぬかりなく、と松方は付け足した。

 まあ、玲那としても北方戦役の二の舞になるとは思ってはいない。まず情勢が大きく異なる――ロシア帝国は義和団鎮圧後も史実通り満州に居座って英米に危機感を与えている。大英帝国との外交は順調で、来年には同盟が発効する。


『ここだけの話ですが、合衆国とは満州権益と引き換えに南洋諸島の獲得を合意しております……米西戦争ではフィリピンに出兵しつつ、講和の仲介をするという密約になりますね』


 玲那は安堵の息をつく。そこまで手を回しておけば北方戦役よろしく破綻することはないだろう。


『まぁ当の合衆国は皇國がロシア帝国に勝てるとは端から思っておりませんでしょう。疲弊した両国から満州も朝鮮も南洋諸島も、場合によっては長江勢力圏まで掠め取ろうという目論見ですね』


 火事場泥棒か。まぁおそらく英国もそれを狙っている。だから英米ともに「三等国」の皇國に戦費を融資して、ロシア帝国へけしかけるのだろう。


「ますます消耗戦をするわけにはいきませんね……」


 ロシア相手の短期決戦。電撃戦の行く末は閑院宮の新編部隊が握ることになる。


「機甲連隊は責任重大ですよ、親王殿下?」

『なにを他人事のように』


 玲那の言葉に、ツッコミを入れる閑院宮。

 小首を傾げると、彼は長いため息をついた。


『聞いていないのか――……機甲部隊は少数精鋭。配備先は当然、皇國陸軍のうちで最も精鋭たる部隊なのだぞ』

「近衛師団にございますか?」

『あたらずと遠からずだな』


 その答えにふと考え込む。普通、精鋭といえば宮城に侍る近衛師団だ。それに閑院宮は三年前に北鎮から近衛師団附になったはず。それ以外に考え付かないのだが。


『ふはっ、名誉だけでは務まるまいよ。装甲車は最前線での実戦なのだ』


 まるで近衛師団を儀仗兵のように誹る松方。しかし、彼が言うからには近衛師団ではないのだろう。


『ヒント。その精鋭部隊は、皇國陸軍始まって以来の戦果を挙げました』

「陸軍始まって以来……?」


 西南戦争?

 台湾出兵?

 北方戦役?

 対清戦争?

 辿るように考えていった果てに、玲那は押し黙ってしまう。


「……——まさか」


 一番嫌な想定が、喉奥にまでこみ上げた。

 それが口に出るよりもずっと早く、松方正義が正解を告げる。


『北京占領』


 それは、もう笑いそうな声で。


『敵首都の空挺制圧を超える戦果など、皇國二千年の戦史を遡れどまさに空前絶後! ゆえに陸軍ではじめに装甲化される部隊など、一つしかないのですよ――闕杖官どの?』


 玲那は視線を逸らす。

 うそでしょう。うそだと言って。


『そもそも、ロシア帝国との戦争を見据えて装甲化を具申したのは玲那くんだったろうに』

「……そうでしたっけ」

『ああ。北方戦役の二年前か? 田植えの泥にまみれていた予に、用水路のそばで語っただろう』

「そっ、そのような前のことを」


『新編機甲連隊の具体化も、姫宮の主導でございましたしね』

『あぁ。それの殿を予が務めるのなら、予のツテのある部隊になることは明白だろう』

『ええ、いろいろと自由が利いて都合もよろしいでしょう』


 玲那は開いた口が塞がらない。

 何年前の妄言を根拠に、いい大人が二人して、玲那に圧迫面接と来た。


『言い出しっぺのルールです、姫宮』


 玲那は苦々しく机上の隅に転がった計画書を睨む。

 ”世界初の装甲戦力”とかまぁ、大々的に銘打ちやがりまして。


『観念したまえ、玲那くん。――年度末を以て、禁闕中隊を大隊へ拡充。予の権限で新編する第26歩兵連隊の中核戦力へと再配置する』


「…………」


 ただ、唖然としていた。

 立ち尽くす玲那の耳にリンリンと呼び鈴が響く。


『ようやく電報が届いたようですね』


 受話器を置き、口を結んで宮殿の玄関へと向かう。

 訪ねてきた別海に礼を言って電文を受け取る。その題に思わず口元がわなついた。


『新編――独立第26歩兵連隊、秘匿呼称(コードネーム)を"魁星(かいせい)"ですか』


 受話器から松方が、追い込むみたいに笑う。


『その名に恥じず、明治37年の満州において、世界大戦すらまだ迎えていないというのに……電撃戦を敢行する、と』


 あぁ、そんなこと知っている。

 その計画を閑院宮と立案したのは玲那だ。

 装甲部隊による戦争戦略だけは、ずっと頭の中に持ち合わせていた。


 けれどまさかそれの当事者にされるだなんて思いもしなかった。もしやるとしても近衛兵とかの精鋭部隊がやるものだとばかり、端から、この玲那だとは考えなかった。


「”対露戦争計画『1904年7月バルバロッサ作戦』"――……気でも触れまして?」


 受け取った電報の序文に、唇を震わせる。


『最初にそう申したのは玲那くんではないか』

『ええ。まったく大したネーミングセンスですよ、姫宮』


 松方の揶揄を耳に、玲那は折り畳まれた配属指示書を広げる。



_________


<独立第26歩兵連隊>

・司令部  - 閑院宮載仁 連隊長

 ・砲兵中隊

 ・補給中隊

 ・野戦病院

・禁闕大隊   - 有栖川宮玲那 闕杖官

・第一歩兵大隊 - 秋山好古 大隊長

・第二歩兵大隊 - 長岡外史 大隊長


-----------


禁闕大隊 定数

・衛戍府 指揮車×4輌

 ・工兵小隊 運土車(ダンプカー)×2輌, 排土車(ブルドーザー)×1輌

 ・御吏小隊 無線通信車×4輌

 ・偵察小隊 自転車×60台

・第一中隊 装甲車×70輌

・第二中隊 装甲車×70輌

・第三中隊 装甲車×70輌


歩兵大隊 定数

・司令部 指揮車×2輌, 無線通信車×2輌

 ・工兵小隊 運土車(ダンプカー)×2輌, 排土車(ブルドーザー)×1輌

 ・偵察小隊 自転車×60台

・第一中隊 兵員輸送車×32輌

・第二中隊 兵員輸送車×32輌

・第三中隊 兵員輸送車×32輌


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄




「禁闕部隊が……実質、装甲大隊ではありませんか」

『ああ。予の権限で軍備を弄るとなると26歩連しかやりようがないし、その中では突出して玲那くんの部隊の練度が高いからな』


 北方戦役と釜山防衛戦、北京降下作戦で閑院宮と玲那が命運を預けた北鎮第26歩兵連隊。本部は上川宮廷の城下、永山村。

 フォードだの装甲車だの松方の入れ知恵があるとはいえど、閑院宮が直接魔改造できる部隊となれば、当然この連隊となるのは頷ける。


『有栖川宮中尉。よろこべ、栄転だ。本日付で大尉への昇進と――鎮台錬成部の任に付し、禁闕部隊の再編を命ず』


 本当に嫌だ。今すぐにでも逃げ出したい。けれど考えてみれば考えるほどこうなるのは必然で、なにより玲那の破滅を考えると次の戦争を最前線で直接指揮できるのは大きい気がしてきた。

 決して気乗りはしないし、また松方に担がれているようで癪に障るけれど、たぶんこれは受け入れるしかないのだ。逡巡の末に、ため息とともに玲那はこう呟いた。


「……また、上官は親王殿下になるのですね」

『あぁ。よろしく頼むぞ、()()()()()


 この人に頼まれては、もはや拒めまい。

 玲那はスカートの裾を、観念してつまみ上げた。


「謹んで……お受けいたします。やるしかございませんね――対露短期決戦(バルバロッサ)







 幕間の沈黙に、ふと思いつく。

 独立第26歩兵連隊の編成と設置。そういえばこれは、北京計画の第三段階に定められた「北海鎮台の設置」の替わりにはなるまいか?


 机の真ん中に置かれた北京計画の書類を見る。

 第三段階には北鎮の本営設置と造兵工廠の建設とある。


(もしや、親王殿下の権限次第では第三段階を一気にクリアできる?)


 玲那の瞳は瞳孔を開く。一縷の可能性が見えた。


「……親王殿下。機甲連隊の整備は、どちらで請け負うのです?」

『?』


 電話線の先の宮様は凡然とこう答える。


『来月着工するフォードの量産工場に任せるつもりだが』

「場所はどちらにございます?」

『福岡の苅田だ』

忠別(こちら)に持ってこれません?」


 閑院宮の声が詰まる。


『玲那くん……それは』

「機甲連隊は継続的な整備が欠かせません。離宮の近くになくては困ります」

『しかし今からは突然すぎる、土地の確保など調整も』

「ここには土地などいくらでもございます」


 それに、と玲那は意気込んだ。


「こちらでは農業改革の只中です。第二段階だけでも収量を六倍にしなければならない――本格的な自動車の量産需要があるのです」

『農業に自動車だと??』


 困惑する閑院宮に、はっと玲那は気づく。そうか、忠別で何が起こっているのかまだ彼は知らない。まさか自動車が田植えから収穫までの全てに使われているとは考えもしないだろう。


「そうですね……田植えはタコアシから田植え機へ。肥料は糞尿から硝安へ。収穫は鎌から自脱型コンバインへ」


 玲那は不敵に言葉を紡ぐ。


「明治農法の時代は終わったのです。忠別で起きているのは、史実では1960年代であったはずの()()()()です」

『緑の……革命、だと?』

「ええ。その主役はもはや人力でも家畜でもございません――自動車です」


 そして、と息を継いだ。


「リヤカーすらまもなく交代になりましょう。運土車に排土車、徹底的な開拓の機械化……お分かりいただけたでしょうか。軍農両面で、上川原野には自動車工廠が必要なのです」

『……っ』


 黙り込む閑院宮。ここでは無理だろうか。押し切れまいかと次の手を探ろうとしたそのとき、受話器の向こう側からくつくつと笑い声が聞こえて来た。


『くっ……くっくっ、さすがは姫宮……おもしろいことを仰る』

「……松方?」

『いいでしょう。大蔵省のほうで予算を確保いたします』


 にっと玲那は笑む。やはり玲那最大の後ろ盾は伊達じゃない。


『枢密院の目もございますし、これまでのような大々的な支援はできかねますが……第26連隊の専用工廠をその衛戍地に作るのは自然な流れ。それに、所在も上川離宮とは微妙に違いますゆえ』


 そうだな。第26連隊は永山村で、玲那のいる忠別村はその南隣。些細なことだがわかりにくくもなる。松方は息をついて、こう締めた。


『月末にはフォードと工員をそちらに派遣いたします。永山自動車(フォード)工廠、姫宮にお任せいたしましょう』

「ええ――任されましたわ」


 玲那は頷いて、北京計画書の第三段階にチェックを入れた。






 ・・・・・・

 ・・・・

 ・・






 明治34(1901)年10月 忠別


 眼前には豊かに実った稲穂。


「本当に、豊穣しやがった……」

「こんなの見たことねぇ…。」

「病気ほぼナシ、稲穂は例年の2倍…。豊作も豊作だ…」


 驚愕する人々の脇を、自脱型コンバインですり抜ける。


「な、なんだありゃぁ…!?」

「でっけぇ…、牽引自動車に大きさ勝るぞ…??」

「さきっぽに2つの割れ目…?」


「さて皆さん。本日を以て鎌の役目は終了にございます!」


 大きく声を張った。


「自脱型コンバイン――、これ一台で収穫、脱穀、選別をこなします。後部の籾袋は自動精米機にそのまま突っ込めますよ!」


「……何言ってるんだ?」

「もういいだろ、なんか凄いんだよ、機械化だ」

「いちいち驚いちゃキリがねぇ。常識通じねぇとでも思え」


 なんか理解を諦められてる気がするけれど。

 全機構を稼働させる。収穫開始だ。


 かくして2時間。


 一通り収穫して、自動精米機につっこむ直前、咲来から衝撃の一言。


「この籾殻、若干ガソリン臭いわね」

「えっ……」


 籾殻を選別するのに、排気ガスを使っていたらそうなりかねなかった。だが、この事態を想定できなかった。玲那は冷や汗を垂らしながら返す。


「ま、まぁ大丈夫でしょう、精米炊飯すればどうにかなるはず……」

「ほんと?」


 結果は、すべての工程が終了したその2時間後に現れた。


「やっぱりガソリンの味じゃない」

「おやめくださいまし。設計ミス抉ってくるのはおやめに……」

「まあ若干よ。許容範囲といえば許容範囲」


 ぜったいこんなの21世紀じゃ売れないぞ。『排気ガスで選別した籾殻を炊き上げることで、ガソリンの香ばしさ漂うお米に仕上げました』とか洒落にならないからな。一瞬で消費者庁か最悪法廷送りだ。


「機械化の弊害がこれだけで済むなら、十分よ」

「そう仰って頂ければ幸甚です。製造し直しは流石に気力が残っておりませんから……」


 陳謝してから、一通り周りを見渡す。

 10年前に玲那が普及させた乾田で、硝安が育まれ、機械で刈り取られた米。

 咲来が身を寄せる長老の邸宅の庭にて、試食会が開かれていた。


「こんな大きい米粒…、本当にこんな極北の大地で…」

「…うまい……、本当に豊かに実りやがった…!」


「あんまり気にはされてないし。これでいいんじゃない?」

「……そうですよね。申し訳ないけれど」


 自脱型コンバインはどうやら一つの大きな欠点を抱えてしまったらしい。だが、自動通風機構はただでさえ重い収穫機の重量をさらに嵩張らせて発動機の性能が要求最低限界を下回ってしまう。

 少しの排気臭香は、発動機技術が進歩するまでの列島産米の特徴になりそうだ。


「作付面積当たりの収穫量は2倍か……」


 長老がそう呟く。


「来年からは農業機械を全面投入いたします。タコアシを田植え機、乾田馬耕を耕起機に……明治農法を機械化していけば、一人当たりの耕作可能面積も3倍に伸びましょう」

「な、なんと。ただでさえ10年前に明治農法で一変したというのに」

「ええ。硝安と併せて一人当たりの収量は6倍です」

「……とんでもないことになりおるわい、これは」


 その言葉に、不意に口角が上がる。


「とんでもないことにするのですよ、玲那たちで」


 長老も、ははは、と渇いた笑みを浮かべる。


「……もう、なりかけておるしな」

「?」

「この村の今年の豊作と、それを齎した新農法がここで進められているという噂が、もう随分広まったらしいのじゃ。忠別村への転入希望が物凄いことになっておる」


 長老は人口統計を玲那の方へ滑らせる。その詳細を覗き込んだ。


「近隣村落から……、だけではございませんね。内地からも入植希望者が結構」

「昨年末の人口が2300そこそこ……それが今の時点での転入希望者を併せると、2700人となるんじゃよ」

「今から本格的に秋も深まってきますし……ここから冬、初春と考えるとまだまだ村への人口流入は進みましょう」

「うむ。それに、今年の豊作による人口増加を考慮すると…、春には人口が3000に到達して()()()()()()()んじゃ」

「しまいかねない?」


 人口が増えるのは一見よいことに思えるが、その含みのある言葉に声を押し殺す。


「この新農業は従事人口をあまり必要としないじゃろう」

「流入したはいいが、仕事が足りない……ですか。そうですね、10年前よろしく耕作面積を拓いて拡張していけば――」


 一瞬、そこで言葉を切る。


「……ねえ、咲来。忠別川のすぐ北岸はいかがでしょう?」


 突然話題を振られた咲来は少し慌てて、箸を取り落とす。

 玲那へすこしジト目を送りつつ、村娘は問い返す。


「っ、なにが?」

「陸軍工廠の建設です」


 ふぅ、と長老が溜息をつく。


「……永山村の連隊さんに供給する自動車の工場かい。とはいえ、それがどうしたのじゃ」

「忠別につくり、田植え機やコンバインを生産するのです」


 にっと笑って続ける。


「軍用車のみならず、農業機械の大量生産レーンを設けます」

「待て……それではまるで」

「ええ。()()()()()()()()()()()


 長老の目はみるみる見開く。


「なんじゃと。この寒村に、原野に、工業じゃと??」

「機械化を進めて一人あたりの作付面積を増やすのです。のみならず、この陸軍工廠でつくられた排土車や運土車を、演習と題して開拓に駆り出すのです」


 次の春には第26連隊に閑院宮が戻ってくる。そうなれば連隊ごと開拓に動員できる――なにも不思議な事ではない、そもそも玲那たちは屯田兵なのだから。


「1904年……つまり明治37年までの3カ年に分けて、耕作地を拡大いたしましょう。名付けて3カ年政策です」

「3カ年政策、じゃと?」

「ええ、なにせ労働力も原野も余ってございます」


 机上に地図を広げてペンで線を描き始めた。


「忠別川の南岸が最も耕作しやすそうですね」






【1901年10月 忠別村】

 村落人口 / 2575名(あと2425名)

 稲自給率 / 112%(残り88%)

 _______

 ▲▲:::::

 ▲:::②::

 ━┓:::::

 ▲┗━━┓①:

 ▲::宮┗━━(忠別川)

 ▲③::::▲

 ▲▲:::▲▲

  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ① 忠別村

 ② 永山村

 ③ 神楽村






「か、神楽村にも手を出すわけ?」


 忠別川を挟んで西の向かい。上川離宮の西麓は、神楽という寒閑とした村落を抱えるのみで、手つかずの肥沃な堆積平野が広がっている。


「開墾するならここを、上流から用水路を持ってきて、南の河岸に直線暗渠と乾田を敷き詰める。ここから下流へ排水路を流せば完璧、になりましょうか」

「おお……。忠別川の南岸を、すべて耕地化するのかの?」

「ええ。神楽村や上川離宮といった忠別川の南岸は農業地帯。対する北岸は陸軍工廠といったふうにいたします」


 そう言うと、長老は難しそうな顔をして黙り込む。


「しかし……この規模の田園地帯。ただでさえ硝安もあるのじゃ、収量はおびただしいものになるじゃろう。自動車のみでは運べると思えん……」


 それこそ汽車のようなものがなくては、と。

 落ちてゆく彼の声を拾い上げて、玲那は言った。


「ええ。ですから汽車を導入いたします」

「おお、汽車を。……――汽車を!?」

「正確には、鉄道が来る、と申し上げるべきでございましょうか」

「鉄道じゃと、この寒村に?!」


 唖然とする長老と、よくわからずに首を傾げる咲来。そうか、彼女は鉄道という概念自体になじみがない――咲来だけじゃない、この村の人々の大半もそうだろう。


「軍機にはなりますけれど……第26連隊の再編が本決まりになりました。陸軍自動車工廠の落成と同時に、原料の輸入のために鉄道省の函館本線が開通いたします」


 言葉を失ったままの彼に、玲那は畳みかける。


「硝安の増産。農業機械の生産。豊穣なる農産物のみならず、これら化学肥料や輸送機械すら全国へ、鉄道を用いて輸出する。()()()()()()()()()()()()()()()()

「農工、複合都市……じゃと」


 なかば玲那は確信していた。

 この辺境の寒村は、やがて工業都市へと変貌する。


「その原動力こそ、農業革命」


 徹底的な機械化。一人あたり収量の理論値を合衆国級の規模へ拡張する。

 集約農業の時代を、明治の間になんとしてでも終わらせるのだ。


「単純計算ですが、3カ年政策後には現在の五倍の石高となるでしょう」

「五、倍……!」

「九州や関東、中国では急速な人口増大に食糧増産と農業近代化が追いつかず、食料庫は常に悲鳴を上げてる状態です。長江からの米輸入にも拍車がかかる始末で、幸い市場は需要を持て余してるようです」


 現行の五倍の収穫を達成しさえすれば、稲自給率は500%近くまで跳ね上がる。

 自給率要件は軽く満了できる。


「陸軍工廠の雇用や硝安の普及も考えれば――忠別の名は、一気に全道へ響き渡るでしょう」

「…全、」

「道…!?」


 長老と咲来はあんぐりと口を開ける。

 全道に響き渡るようになれば、簡単に人口は5000を越えるだろう。第二段階は平然とクリアできる。しかし、玲那の見据える先はそんなものじゃない。


 ゆくゆくはこの村を全国に轟かせる。

 迫りくる日露戦争という国難を使って農産競争をのし上がり、道内でも札幌、函館と肩を並べる道北の富が集積する大都へと成長させる。


 たしかに史実はそうだった。

 忠別――のちに賜る名前を「旭川(アサヒカワ)」。


(……『主人公』は気づいておられないようですけれど)


 上川郡忠別村。なるほど、字面だけでは辺境も辺境に見える。けれど戦後は農工都市として人口33万、札幌に次ぐ第二の都市として道内に君臨することとなるこの地。ポテンシャルは十分にある。


「時計の針を、50年早めるだけのお仕事です」


 たった3年でやるには苦難の道ではある。されどこれしかない。

 北京計画の完遂なくして、玲那たち上川宮廷の復興はないのだから。

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― 新着の感想 ―
北海道開拓…これ成功すれば日露戦争での衝撃は世界に響きますねぇ…。 北海道から列島へと機械化や自動化の嵐が来そうですな。 この世界の日本は"人の手ってのが大切なんだよ"とかヤバいヤツ扱いされそう。
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