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悪役皇女は銃を取る -帝國黙示録-  作者: 占冠 愁
第九章 稲穂は流氷に揺れる
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第41話 不当労働行為

「やっぱり、とても嫌です!」


 満面の笑顔で、泥から立ち上がる。

 5年前から身体も大きくなってるし、タコアシによる田植えも苦じゃないかと思ったけれどもってのほか。気分は最悪である。


「そりゃあ内地のように腰折り一本一本植えるよりはずっとマシですけれど、けれど!」


 まず田んぼに張った水が冷たい。田植えの時期は上川原野では5月なのでもう少しは穏やかにはなろうが、それでも一桁台の泥に突っ立ちながらこのダダっ広い原野を何ヘクタール歩けと言うのか。令和の世なら不当労働行為もいいところだ。


「けれど……忠別では10年、これをやっているんですよね」


 玲那の始めた16本同時植付器・通称タコアシや、アブラナなどの油肥活用といった明治農法の諸々は、忠別からこの10年で北海道全土に広がったらしい。


「明治農法という基礎が普及しているのですから、むしろ次に繋げやすいと解釈しましょ!」


 希望いっぱいに振り向いて、息を吸う。


 薄青色の大空がどこまでも広がる上川盆地。

 そこに濁流のように注いでゆく3月の雪解け水。


 そして視界いっぱいの大原野(田植え予定地)。


「田植えは嫌だ田植えは嫌だ田植えは嫌だ」


 また発作が起きる。やっぱ無理だ。タコアシは廃止です。

 強く決意して、宮殿(小屋)を出て正面の坂を下りてゆく。時期的にはタコアシに代わる田植え道具を開発しておかないとそろそろまずい。


「闕杖官どの!」


 離宮の門で手を振るのは別海だ。


「闕杖官どの宛の荷物がいくつか届いてますよ」

「あ。ありがとう存じます」

「……けどこの量、お手伝いしましょうか?」


 二人して見上げるのは、資材の山。

 なるほど。青森桟橋で掛澗に頼んだ諸々が早速届いたか。


「いえ。リヤカーで分けて運びますから、兵務にお戻りください」

「……そう仰るなら」


 不服そう、あるいは心配そうに兵務へ戻る別海。毎度こうやって頑なに玲那が拒むので素直に兵務へ引き返すようにはなった。それでいい――この面倒な追放騒動に元部下を巻き込みたくはない。


「あ。これも届いたのですね」


 手当たり次第にリヤカーへ放り込もうとして、とあるものが目に留まった。

 これはあのときの電話で頼んだものではない。追放道中、立ち寄った道都・札幌で買った『出願特許一覧』に載っていたものだ。


 明治31年、つまり3年前。宮崎県にて特許出願――「田植え機」。


「その場で大蔵省に電報を打ちましたけど、正解でした」


 ちなみに特許の詳細を請求したはずだが、実物も添えて送ってくれるとは。さすがは掛澗園商会のご令嬢、わかってる。


「なんか2個もあるんですけど」


 田植機さわさわ。

 うーん、傍から見たら変態行為か。


「わあ。こちらは岡山市の渡辺さんが発明……ってどなたですか。机の脚に車をつけたみたいですね」


 添えられた詳報いわく、苗代から土ごと切り取った帯状の苗を台に載せて1株分ずつブロックに切って落下させる方式、とある。


「待って……つまり、土苗田植機? 現代田植機の原型ではありませんか!」


 前世の記憶を引きずり出す。北海道に住んでいたのもあって、令和の農業機械は一通り見覚えはある。とはいえこちらの機械のほう、牽引は人力らしい。うーん、普通は湿田ですものね。これを馬で牽引できると楽だろう、改造の余地大いにあり。


(苗代状のまま植えられるのは強いですね)


 で、苗代とは何なのかというと。

 苗代は灌漑によって育成するイネの苗床で、田植用の苗まで種を育成するプランターのようなものである。


(玲那のタコアシは湛水直播用ですから)


 湛水直播――水中に直に種を撒くと、たしかに保温効果こそあるものの窒息したり倒伏したりして、生育はあまりよろしくない。これを植え付け量で押し切るのがタコアシ式であり、質より量たる北海道式の大農法である。

 では人の多くて土地の狭い内地ではどうなのか。当然、大農法などできないので生育の質が悪いと凶作に直結する。このため稲の一本一本を丁寧に育てるのだ。

 具体的には、まずは稲種をこの苗代というプランターもしくは苗代用の田んぼに撒き、発芽させ、苗まで育てる。田植えの時期になると、そこから一本一本苗を抜き取って、一本一本水田へ移植していく。


「はい論外……」


 これ全部人力?

 本気で言ってるの?

 ご先祖さまはこれを二千年やって来たの?


(腰も曲がるわけですね)


 はい。湛水直播するか機械化してください。

 とはいえ湛水直播は道内でしか通用しない。農業革命と言うのなら内地にも波及させる必要がある――苗代式の農業機械は必須だろう。


「あー……その苗代のほうにも、改善がありましたね」


 保温折衷苗代。5年前、北方戦役さえなければ導入するつもりだった育苗法だ。

 イネの冷害対策として、昭和初期に軽井沢の篤農家が考案した苗代だ。イネの早植で冷温障害やイモチ病への抵抗力が高まることに気づいた彼は、タネを撒いた苗代の上に油紙を置いて発芽時期を早める手法を見い出した。戦後に普及が始まり、1カ月近く早く田植を行えた地域もあったという。


 天候に左右されやすい農家の経営基盤を安定させた、革新的な農業技術であった。それ以降、寒冷地や高地での早植栽培で安定した収穫が見込めるようになったのだ。


(5年前に親王殿下と一緒に何度か試してみてはいましたし、油紙も届いています。やり直すだけですね)


 上川原野といえば寒冷地も寒冷地だ。マイナス42度、全国最低気温記録を持つのはこの忠別である。


(田植の時期はたしか5月下旬ですから、導入は絶対今月中でしょうか)


 そんなことを呟きながら、届いた田植機へ戻る。ちょうど動力精米機や茶揉み機ができた時代で、 世間に発明の気運がみなぎっていたのだろう。

 もう片方の田植機を見てみる。


(設計図で見るとこれまた人力牽引式の4条植。一見、荷車みたいですけれど……歯車で植付爪を作動させるんですね。スマートです)


 なら玲那がやるべきことは、苗代から苗を土ごと切り取って、それを植付爪で水田へ植え付けられるよう、この2つの田植機と前世の記憶を参考に改造することか。


(さっきは苗代から土ごと切り取るとか言ってましたけど、だとしたら育苗箱のほうが遥かに効率的ですよね)


 苗を水田へ植えていく機械は作れそうだ。

 しかし、苗代から一本一本抜き取っていく機械は考えるだけで面倒である。


 なら。その苗代を箱かなんかにして、田植機に積んで、自動田植えに対応するよう改造したほうがいい――という発想が、令和における「育苗箱」という代物ある。

 苗代現代版といったところか。


「方途ございません……田植機用の育苗器の規格を作るしかなくって?」


 統一規格は機械化大農法計画の上では欠かせない。するとJA的な組織も必要になってくる。次の戦争を境にして、皇國の第一次産業は大変貌を遂げそうだ。


(とりあえず開発中の田植機の規格に合わせるところからですか)


 育苗箱の作成に取り掛かる。


(田植機は一列4条だから、箱も4条ですね。現代みたいに後ろを苗でいっぱいいっぱいなんて出来ませんから)


 現代の育苗箱とは似ても似つかないものにはなるだろう。そんなことを考えながら規格を決めて、箱を作っていく。

 水を含むから木はダメだ。だが高いのでカーボンは嫌だ。結局、石を加工することにした。兵営の砕石機械と工作機械を借りてどうにか箱を削りだす。そこで、とりあえず輸送されてきた新品種の種の出番である。


「『農務省第127号』……寒冷地用の改良種ですか」


 清朝からの賠償金の内、5000万圓は農業改革と災害対策への割り振りである。5000万は、獲得時の明治28年度国家予算の6割にあたり、これが農業の品種改良へ相当割り当てられた。


(あれから6年。どこまで品種改良が進んでいるのか見どころですね。特に史実では品種改良はあんまり顧みられませんでしたもの)」


 ┣―覆土―┫

 ┣―床土―┫


 育苗箱は、底面から順に床土と覆土。

 水をかけるのは覆土をしてからではなく、水をかけてから覆土。

 上から水をかけると覆土が泥になって種が窒息してしまう。直接水をかけず、自然と下から水分が湿ってくるような感じにすれば良い。ドボドボよりかは床土を湿らせる感じ。


(発芽には、温度と水と酸素が必須ですから)


 種を蒔く。この暖かい育苗箱で苗は大きくなる。

 最後に種の上に土を軽くかける"覆土"で終わり。


「ではなくっ、忘れるところでした。油紙用意!」


 例の保温折衷苗代とかいう革命的な手段だ。

 この方法を投入することで成長速度を押し上げる。

 油紙を被せて保温シートにする。これで保温折衷苗代の完成だ。


「育苗箱は数日重ねたままになります……酸素供給が僅かになるから、完全に窒息すると種は死んでしまい腐ります。そこから病気がぁ……」


 土の水分調整と通気性には慎重になるしかない。積んだ箱の下の方が全滅なんて冗談じゃない。失敗をくり返しながら工夫を磨くしかない。


(えーと、とりあえず育苗箱を突っ込むところを探しましょう。あたたかいところ……あたたかいところ。そうだ! 兵営のボイラー!)


 今日も別海たちが兵務に勤しむ第26連隊の兵営へ、保温室を獲得しに駆けていった。




 ・・・・・・




「起動!」


 馬に接続した田植機が、引っ張られて動き出す。

 そこに積まれた育苗箱は、稲はないので代わりにそこら辺に生えていたちょうどいい雑草を育苗箱へ移植してみたやつだ。なにげにその作業がキツかった。


「ゆっくりでお願いしますよ……」


 慎重に手綱を引く。後ろでは歯車がキリキリ回る音とともに、カンコンカンコン植付爪が作動しているのがわかる。アームは無理だった。精々爪なのが悔しいが仕方ない。


「もうこんな時代には田植機が発明されていたのですね」


 でも、その全ては尽く普及しなかった。理由は簡単、史実の帝国政府や地方行政は田植の機械化に消極的で、直播こそが省力の近道と考えていたからだ。


(なにしろ苗半作とか抜かして、苗代の健苗づくりが稲作の基本と考えられていた時代ですもの。苗代前提で、田植の機械化ができるとはよもや思いませんか)


 足元の悪い水田の中で身体を二つ折にし、腰に括りつけた籠に入れた苗を手で数本ずつ植えていく過酷で単調な作業の機械化という至上の命題は、結局敗戦まで見向きもされず、国内の農業機械化史だけでなく、稲作の栽培過程のなかで最も遅れた作業部門と化し、世界でも最も遅れた分野となってしまった。


「機械化が動き出すのは、イタリアと中国に田植機実用化で抜かされてからでしたっけ」


 掛澗いわく、昭和45年でようやく一号機の発売にこぎ着けたという。しかし毎度どこからそんな細かい史実知識を持ってくるのだろう。枢密院の松方からだとは思うが、だとすればとんでもない量の史実知識を枢密院は抱えているということになる。


(おっと……閑話休題ですね)


 思考を戻して、カタカタと音を立てる田植え機の後ろへ目を遣った。しっかりと間隔を開けて、稲代わりの雑草が植え付けられている。


「?」


 おもむろに、少し視線を感じた。

 誰かと思ってちらっと目をやると、フードを被った華奢な人影が向こうの木の枝に腰掛けて、木陰からこちらの作業をじっと見下ろしていた。


(……見られて困るわけでもございませんし)


 面識もない人間へ声を掛ける意欲は沸かず、淡々と田植え機を牽かせ続けることかれこれ10分もやると、ぱたんと雑草苗が切れた。


「あっ、もう苗切れ」


 明治の技術力なので4条田植え機ならばそれに習って4条育苗箱にするしかなかった。結果的にすぐ種が切れる。頻繁に後ろに積載してある育苗箱と取り替えねばならない。


(あ……そうだ、植付爪の位置を移動させればいいじゃんね? そうすれば、なにも4条育苗箱じゃなくて、現代式育苗箱で行けますし!)


 思い立って、ニコニコと離宮のほうへ舞い戻ろうとすれば、さっきの向こうの木へと目が行った――まだ居る。その人影はすぐにささっと幹に身を隠すけれど、見ていて楽しいものじゃあるまいし、なにか玲那に用があるのだろうか。

 まさか苦情ではあるまいなとは思いつつ、玲那はその樹の下へと重い腰(筋肉痛)を上げた。


「どうなさいました?」

「!」


 上の枝がビクッと震え、葉がガサガサいったかと思えば続けて少女が落ちてきた。

 少女は咄嗟に枝を掴み姿勢を整えて着地、僕を前に少し後ずさった。


「だ、大丈夫です?」


 む、と唸って少女はフードを深めに直した。


「……気づいてたのね」

「さすがに感づきますよ。気になるのですか?」


 玲那が田植え機を示すと、少女は視線を向けてくる。頷いて答えると、彼女はそちらへ素早く寄った。植付爪に手を触れつつ急ぎ問おうとして、少女の口が止まる。

 ゆっくりと指差して、彼女は尋ねた。


「……これは?」


 フードの奥にあっても、瞳が輝いているのがわかる。わかりやすいなと玲那は苦笑交じりに答えてみせる。


「田植え機です」

「馬に引かせるだけで、植えられるの?」

「一引き4列。革新的な代物でしょう?」

「すごい。田植えが……要らなくなるわ」

「ええ。だってやりたくもないでしょう」


 少女は、延々と苗の植え付けられた田植え機の轍を呆然と見つめた。


「これを、たった一人で……?」

「ええ、10分そこそこで」

「……信じられない」

「ふふっ」


 少し笑いが漏れてしまう。


「むしろ、それはこちらの台詞ですよ」

「?」

「文明開化など仰っておいて、田植えなんて代わり映えもない……生憎、玲那は勤勉にございませんので」


 ただでさえ悠大な北海道の原野。その広さ故に多くの人々が酷悪な労働を強いられては倒れてきた。それが眼前で、革命的農法の下に従来の幾百倍の速さで苗が植えられてゆく。そんなの光景は圧巻であったに違いない。


「ッ!」


 ばっ、と少女は顔を上げる。


「ねぇ。いまなんて言った?」

「はい? れ、玲那は勤勉ではないと……」

「……やっぱり。確信した」


 玲那の言葉尻を掴んだかと思えば、少女はフードに手を当てる。


「その口調も。変な機械とか持ってるのも。何か懐かしいと思ったら」


 あたしの槍、まだ持ってる?

 そう言いながら、フードをはさりと取り払う。

 流れる銀髪、細まる赤銅色の瞳。記憶に焼き付いて離れない顔が、そこにあった。


「久しぶりね――会えてよかった」

「……咲来(さっくる)?」


 玲那は、文字通り絶句した。

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