第39話 不覚
明治34(1901)年1月末 華族学修院
「はー、ようやく。ようやくですわ!」
「何がです?」
「鐵道省の設立でしてよ――!!!」
掛澗の絶叫が、空き教室に響き渡る。
「あ……そういえば実現するのですね」
そうえいえばおととし、玲那がこぼした愚痴のようなものだったか。
「日清戦争の反省ですわ。国有化以外ありえなくってよ」
鉄道国有法の施行に伴い、第一次輸送力拡充計画が策定。
東北本線・山陽本線などに代表される大幹線がやっとのことで国有化され、輸送の一元化が進行中である。
「誰ですの? あんな私鉄乱立させたアホ。大混雑大混迷に決まっていますわ!」
「まんま二年前の玲那の愚痴ではありませんか……」
「けれど事実ですわ」
「それは、同意いたしますけれど」
結果、どの私鉄も小規模であり輸送力拡張を行えないという事態に陥り、帝都圏・畿内を中心にひどい輸送力不足と混雑に悩まされ、度々交通網が麻痺するという大変に変態な輸送体系が出来上がってしまったのだ。
「もうなんというか、形容しがたいですわ! 帝都じゃ中央線と山手線と東海道線は全く違う会社で、京阪神の新快速は汽車だし遅いし1日たった4本なんて!」
なんだかずいぶん令和みたいな感覚でモノを言うお嬢様。玲那は溜息をついて、彼女の暴言を差し止める。
「で。これからはどうなるのです」
「ええ。鉄道国有化法を皇國議会で通過させ、鉄道省設置と、主要幹線の買収には至りましたわ。これからは、東海道本線の複線化を進めつつ、北陸本線と羽越本線の日本海縦貫線を全通させることを目標にしておりますの」
玲那はお嬢様が広げた国内の基幹交通の地図を覗き込む。
「大阪は貨客ともに通過が楽でして、なんたって大阪駅がございます。ほかも、名古屋や神戸、京都も通過輸送は楽ですわ。市街地を避けて線路がありますもの」
「……問題は、帝都ですね」
玲那は唸った。
帝都を南から北へと縦断するなら東京駅を通りたいところだが、この時代にはまだ東京駅が存在しない――文字通り、線路がないのだ。
西南戦争後財政難に悩まされていた政府は、帝都市街地の中枢部を土地が高価すぎて買収が出来なかった。結果。山手線の東半分が敷けない。故に帝都を通過するには品川から新宿・渋谷を抜けて赤羽に出るしかないのである。
「湘南新宿ラ○ンとかおばかですの? 東京駅すらなくってよいらねぇよそんなんはよ新橋以北を造れ。ってことで建造いたしますわ!」
デェン!とあの重厚な赤レンガの図案を、掛澗は卓上に召喚した。
「鉄道国有化にかこつけて、国有化準備金から早速横領いたします」
「うわなんですか大蔵省から犯罪ですか?」
「用途は鉄道ですもの。新橋上野の官民直結とでも謳えば議会など幾ほどにもごまかしが効きますわ」
「玲那なんかよりよっぽど悪役令嬢だ……」
ドン引きする玲那を差し置いて、彼女は建築計画書を数枚懐から出す。
「ことしの春には用地を買収した上で上野 - 新橋間を着工し、あの重厚なレンガ駅舎、帝都の玄関を組み上げますわ。日露戦争までには中央本線ともども、東京駅を開業させるつもりでしてよ」
「……くれぐれも財政にはお気をつけくださいね。日本国有○道(国金失)はご勘弁ですよ」
「まさかまさか。鉄道省設置も、言い出しっぺは大蔵省ですもの。内務官僚や我田引鉄の議員どもには指一本触れさせませんわ」
そもそも、と掛澗は笑う。
「時代は明治。陸上交通は、鉄道の独占といっても差し支えございませんわ。自動車がライバルになるのは60年後の話にございましてよ。鉄道は無双状態――どこに敷いても大儲けですの!」
ぴらぴらとちらつかせる官営鉄道の収支表。なんでそんなの持ってるんだ。
見てみれば、年間の収入144万圓に対して経費は73万圓。利益率驚異の50%。これにはさすがの玲那も口をあんぐりと開けた。
「ふっふっふ……こんな事業、お師匠様が放っておくわけもございませんわ。なによりわたくしが見逃しませんもの。覚悟なさい、鉄道省……」
意地汚く笑う守銭奴お嬢様。鉄道省の方々ごめんなさい。
ちなみに軌道幅は狭軌1067mmである。国際標準軌1435mmにすることも検討されたが、工期が伸びて日露戦争までに鉄道整備が間に合わないため断念された。
しばらく国有化予定の鉄道会社に目を通していたところ。ふと何か、焦げ臭いことに気づく。
「……なんでしょう。家庭科?」
「まさか、放課後ですわ。だいたい焦げ臭いなんて、お料理なんてものじゃ」
窓のほうに二人で足を進めると、ちらりと何かが見えた。
「……煙?」
向かいの棟の窓から、黒煙がもくもくと立っていた。
図書室だ。上川宮廷でいつも使う、お馴染みの場所だ。
「なにが……!?」
機甲師団とか八八艦隊とか、計画文書がいくつも置いてある。なにより――居ても立っても居られず、掛澗を振り切って走り出す。
「はぁっ、はっ!」
大焦りで階段を駆け下りて、中庭へと出る。向かいの校舎へ駆け寄ろうとすると、玲那を制止するように行く手を腕が遮った。
「蔵相閣下……?」
「ご無沙汰しております姫宮。あと、ここでは蔵相ではなく先生ですよ」
松方が佇んでいた。
「はっ、早く消しませんと! 中に人がいたら」
「ご安心を、すでに全員退避しております。誰も残ってはおりませぬ」
「そ、そうなのですか。なら」
パニックのあまり一瞬納得しかけて、慌てて首を振る。
「いえやはり、書類とか運び出さないと」
「書類は燃やしました」
「は?」
首を傾げる。
「燃やしたって、はい?」
「アレは私がやりました」
「え……?」
松方は頷く。
「火をつけたのは私です」
状況が呑み込めず、玲那は呆然と言葉を漏らす。
「な、ぜ……?」
黒煙を吐く建物へ、火を消しに群がる防火員たちを彼は黙って指差した。
「腕章をご覧ください」
「?」
言われるがままに彼らの腕章を見る。
「宮内庁、防諜部…??」
「ええ。別名『枢密院の懐刀』です」
「っ……、何が起こっているのです」
「一斉捜査が来たのですよ」
松方は溜息を吐く。
「決まったのは今朝のことでした。朝方の会議で、防諜部を導入すると伊藤博文公が申されたのです」
「随分と突然にございますね」
「尚早であると止めたのですがね。上川宮廷は、最近大きく動きすぎましたゆえ」
「……ハワイ介入ですか?」
「はい。わが大蔵省を隠れ蓑にしても、あまりに壮大になりすぎました」
今までの長江勢力圏や北京攻略はあくまで外務省へ圧力をかけるとか、陸軍の内輪の話でしたから、と松方は続ける。
「ハワイの件で、我々どもはどうしても大きく動かざるをえませんでした。故に、史実知識が漏れていると察されるのは時間の問題でした。そのために……年単位ですが、この組織を害なく枢密院に公認させようと、試みてきたのですが。どうやらしくじったようですね」
枢密院を侮りすぎました、と悔しげに手を震わせた。
「客員教授の肩書で、やれる限り機密資料を搬出しましたが……芳しくはございません。図書室は本棚で封鎖して、火を付けて脱出はしたものの」
このあたりの消防も動員して鎮火に当たっている。
最初から想定されていたかのように、黙々と消火作業が行われていく。
「少なくとも、残した資料は全部読まれると思ったほうがよいでしょう」
「どこまで流出しましょうか?」
「記名物や、大蔵省関連と海軍関係は最優先で片しました。私という後ろ盾は露見することはございません」
しかし、と彼は継ぐ。
「北京空挺作戦から機甲連隊計画に至るまで手に渡るとすれば、戦略と戦術の両面で史実を踏まえたような構想を編み出す組織があることまでは」
「明白になりますね」
ただの有志の集まりならばよい。しかし、そこに史実を知る者という厄介極まりない存在が混じっていたら?
亡命から体制転覆まで、枢密院からありとあらゆる疑念をかけられるだろう。
「けれど名簿は作っておりませんし、記名物は搬出されたのですよね。なれば、所属個人が特定される事態には」
「姫宮のその杖は?」
「……はい? それは西太后から奪った」
そこまで言って気づく。
「…――ッ!」
「ご理解いただけましたか? 北京作戦の立案書と、姫宮の戦績を照合すれば、姫宮と閑院宮親王殿下の御二人だけは、この組織に属していることが露呈してしまいます」
「っ、な……」
そうだ。陸軍なんて組織にいる以上、秘匿なんて融通は効かない。
「今現在、再起策を秋山やお嬢と検討しているものの……正直、年内の再建は厳しいでしょう」
「……本当にございますか」
「お逃げください」
松方は強い口調でそう言った。
「逃げ……って、はい?」
「私やお嬢はともかく、姫宮の身上はいま危機的な状況にございます。最悪は危険分子と見做されて暗殺されかねません」
そのままパッと手を上げれば、建物の裏から馬が顔を出す。
「とりあえず駅まで。お急ぎください」
急かされるままに馬車に乗り込み、玲那たちはそろりと黒煙のぼる学修院を後にする。
「50圓を渡します。少なくとも2ヶ月は生活に困らない額です。――最低限、枢密院お膝元の帝都からは脱出なさいませ」
激しく揺れる早馬の籠の中で、彼は玲那の懐へと10圓札を5枚滑り込ませた。
あまりに急速に展開する事態に脳が追いつかず、玲那は言葉をオウム返しする。
「脱出、と言われましても……」
「どこか、ツテはございませんか。京都の宮家でも、離宮でも、あるいは陸軍のほうの御知己でも構いません。おそらく枢密院は姫宮の御身を狙っております。事態の収拾がつくまで……どうか、お凌ぎください」
馬車がキキッと音を立てて止まる。籠の幕を上げれば、雑踏に鎮然と横たわる重厚な建物――帝都の玄関・上野駅だ。
苦の表情で松方は玲那の肩を押す。
「無責任に突き放す形となり、申し訳ございません」
「そ、そんな。蔵相閣下の責では――」
「っ、行けッ!」
焦燥しきった鋭い声。
その視線の先に捉えるは、上野公園の雑踏を掻き分けて、こちらへ迫る騎馬警官たち。
「ありがとう存じます、ごめんなさい!」
一言ばかり礼を言って。
玲那は大急ぎで人の波に紛れ、呑まれ、上野駅の乗車口へと滑り込む。
帝都の北の玄関口。貼り出された列車の発着札を眺めて、そこで手を止めた。
「……逃げると申しましても」
"信越本線急行・金沢行き" "常磐線鈍行・仙台行き"
"奥羽本線準急・秋田行き" "東北本線急行・青森行き"
羅列されているどの列車に乗るかで、ここ数ヶ月の逃避行が決まる。
はてさて、どうしたものか。
「とりあえず、ツテを辿るしかありませんよね」
とりあえず北へ。青森行きの急行列車の切符に青函連絡の乗船券をつけて購入。
三等車とて7圓が吹っ飛んだ。
「残り43圓。頼むから持ってくださいませ……!」
改札を抜けて急行ホームに出る。
15番線出発、午前9時30分発で青森到着は翌朝6時。
20時間強の行程か。腕時計を確認しつつ、プラットホームへ上がった瞬間であった。
「おう、遅かったじゃねぇか」
15番ホームに立つ人影。
仁王立ちで、大きく玲那を阻む人影。
「……どちらさま?」
それは――令和6年8月15日以来、120年を遡っての再会だった。
「どちらも何も。俺のことは知ってるだろ?」
「まさか。初めて伺うお顔にございます」
「まぁ俺も直接お前を見るのは初めてだしな――令和人さん?」
ぞくり、鳥肌が背筋を走った。
「……その御言葉は、どこで」
「そりゃ前世だよ。俺もお前と同じだからな」
どういうことだ?
玲那は固まる。前世、ということはゲームの『主人公』のはずで――でも、目の前の男はどう見ても、あの物語の主人公ではない。
第一、性別からして違う。
「俺は磯城盛太。令和の腐りきった時代から、この国を導き直すためにこの時代へ遣わされた――転生者にして、救世主」
名前も違う。喋り方も、佇まいも全然違う。
ならば――誰なのだ、この転生者は。
「……なぜ玲那が、転生者だと分かるのです」
警戒感を滲ませて後ずさると、彼は一歩踏み寄る。
「そんなの目を付けてみればわかる。迫撃砲だって機関銃だって飛行船だって、最初は閑院宮親王かと思ったけどな……どうもあの男に先見の明があるようには思えねえ。探ってみれば、その背中にお前が潜んでたわけだ」
「親王殿下に、ずいぶん不敬な仰り方ですね」
「あぁ。だって史実の二・二六事件の対応を見れば、いかにくだらない小心者かわかんだろ」
ぐっと奥歯を噛む。いつぞやの松方が口にした、ふざけた価値判断だ。
「……小心者? 親王殿下の何をご存じで」
「史実で、あの男がどこまで無能を晒したのか知らないのか?」
にやりと、磯城盛太の顔が嘲りに変わった。
「そうかそうか。だよな、令和の世の一般人なんて、そんなもんだ。自分の国の歴史に興味なんぞありゃあしねえ……だから、あんなに腐ってるんだ。母国に、他人に、一切の興味なんかありゃあしねえ自己中ばかり」
「は、はい?」
「お前もその一員に過ぎなかったわけだ」
びしりと玲那を指差して、彼は笑う。
「転生者がもう一人……その事実だけで、頭を痛めてきたけどな。こういうのって俺以外に現代人はいちゃいけねえはずだろ? でも、杞憂だったな」
二・二六も知らないようじゃ、俺の足元にも及ばねえ。そう言った彼を、爪先から頭までじっと玲那は訝しむ。あの物語になんて出てきやしないこの男――結局、彼は誰なのか?
「……あなたは『主人公』なのですか?」
磯城は、きょとんと聞き返す。
「主人公?」
「ええ、あの物語の」
「ストーリー? なんだそりゃ」
ここに至って玲那は知る。この男、さては乙女ゲームも何も知ったものではない――ただの転生者だ。
(だったら……未来人っていうだけ?)
とんだ勘違いをしていた。この男、この乙女ゲーム世界に巻き込まれる形で『主人公』として召喚されてしまったわけだ。
であるならば、今までの玲那の戦略は、すべてがひっくり返る。
玲那のほかにゲームストーリーを知る者などいないのだ。そして皇太子との婚約もない以上、乙女ゲームは始まってすらいなかった。
であるならば――破滅の運命は、なくなったも同然?
「ふふ……ふっ、なるほどな。主人公、か」
ふと顔を上げれば、くつくつと磯城が笑っていた。
「いいや。そうかもしれねえ。わかってるじゃねえか、オンナ」
「……はい?」
「これは俺がこの国を救う物語――そうだとすれば、当然その『主人公』は俺だ」
身の程を弁えたな、と彼は玲那へ感心する。
「なら、お前がすべきことはわかるよな?」
「??」
玲那が首をかしげると、ちっちっちと指を揺らして、彼は懐からなにやら書類を取り出す。
「飛行船に、機甲師団か。おもしれえことは思いつくじゃねえか」
「……ご存知なのですね」
「未来知識の賜物だな。でもな、歴史ってのを知らなきゃ使えないぜ、それ?」
ふん、と彼は鼻を鳴らした。
「戦車はキャタピラがないとダメだ。けどこの時代にそれを作る技術はねえ。一方で飛行船は技術こそ足りてるが対空兵器が揃っちゃただのデカい的だ。だから史実では世界大戦までには飛行機に駆逐されたんだけどな」
「戦車は無理で、飛行船は陳腐と仰いますか」
「あぁ」
な、と玲那へ問いかける。
「俺みたいに史実をちゃんと知っておかないと、頭でっかちになっちまう。……逆に言えば。史実さえ知ってれば、その発想は無駄にならねえ」
「……つまり?」
「俺がお前を導いてやってもいい」
玲那は目を丸くした。
「は、い?」
「俺たち枢密院に入るなら。俺の背中を追っかけさせてやるってことだ」
磯城は悠然と語る。
「頭でっかちな史実知識を抱えて勝手に暴発されても、俺たちとしちゃ困る。この国の害にならないように、いかに史実知識を活用するか――維新の英傑が揃った『枢密院』って場所は、それを学ぶにはうってつけだろ?」
「は、はぁ」
「ああ。資金も知識も何もかも必要なものは全て整ってる。その上にこれから俺は、歴史という物語の主人公になるんだ。お前は、そんな俺の勇姿を特等席で眺めつつ、成長することができる」
「成長……ですか」
「現代という甘ったれた世界に順応したままで、明治を生きてけると思うなよ?」
むっと顔をしかめれば、彼は首を振った。
「敢えて言うけどな、『令和人』はこの世界じゃ易々とは生きていけない……しかも女ときた。そういう立場を、まず自覚しろ」
「はぁ」
「だから、お前の選択肢は『俺についていく』ってことだけだ」
玲那はじっと磯城の瞳を見据えて、一歩、彼のほうへと踏み出した。
「おいおい、そんな見つめるなよ。俺に惚れちまったか?」
「……」
「図星かよ。いいぜ、一夜ぐらいだったら相手してや――」
すっ、と磯城の横を通り過ぎる。
しばらく進んで、身をひるがえして、にこり。
玲那はその『主人公』へと笑いかけた。
「おことわり、です♪」
空気が凍る。
性格には、磯城の目が点になる。
「……お、まえ。俺を、誰だと思って」
「自意識のほどは、ゆたかでいらっしゃいますね」
玲那とはそりが合わなそうにございます。付け足すように言えば、彼はわなわなと手を震わせた。
「なるほどな。"上川宮廷"なんてごっこ遊びをやってる連中は、違うってわけだ」
「名前までご存知ですのね」
「あぁ。北方戦役で敗れ帰ってきた負け犬どもが、次期戦争の作戦計画をしているそうじゃないか。――全ては、"英雄"となって汚名を返上したいがために。」
玲那は一瞬、耳を疑った。
「負け、犬? 北方戦役の?」
「悔しいんだろ? 同じ転生者だったはずなのに……お前は北方戦役の『敗北者』扱い。かたや俺は、皇國中が認める『英雄』だ」
枢密院議員章を見せつけ、彼は笑う。
「"逆行者であり皇國英雄"。そんな俺の憧憬に――俺たちの枢密院に楯突いた秋山も、あるいは逆張ってきたお前も閑院宮も、結局は抗えなかったわけだ」
「なにを……!」
「だが。そんな独善的な妄想に、次期戦争という皇國の大舞台を巻き込むわけにはいかない。『枢密院英雄』として、断じて阻止しなければならない」
彼は口角を上げる。
「英雄の裁きが下るときだ。
枢密院体制への叛逆の兆候あり。貴様には大逆罪の嫌疑がかかっている――ここに枢密院議員権限を発動、お前から全ての官位を剥奪、原隊復帰を命ずる」
磯城は玲那へ一封の通告書を投げつけた。
慌てて受け取ったそれに、記されていた内容は。
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発 皇國枢密院
宛 第26歩兵連隊闕杖官・有栖川宮玲那
叛逆未遂の嫌疑より、進学中の兵務免除措置を取消。原隊への復帰と、北京計画の再開を命ずる。なお期限は全計画事業の完了までとする。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
唖然として、すぐさま玲那は抗議する。
「どういうことですの、これは!? 全計画事業って……無謀にもほどがっ」
忠別村は離宮があるだけで完全な原野だ。そもそも北京計画自体バカバカしい。未開の原野に帝都を開くなんて無理にもほどがある。
真っ青になる玲那を、磯城は鼻で笑った。
「書いてあっただろ? 『全植民事業を終えるまで』だ。
まぁ、お前の生きてる間じゃ到底終わらないかもしれないなぁ!」
「……追放のおつもりですか」
「開拓事業はお前の手次第だろ。人生かけて終わんないってことは、所詮その程度の能力だってことだ、『令和人』さんよぉ?」
玲那は通告書をくしゃりと握った。
ゆっくりと、磯城から踵を返す。
「ここへ戻りたいか? はッ、追放先の原野を大都市に変えてみせたら考えてやるよ!」
その言葉に耳をピクつかせて。
静かに玲那は振り返る。
「――言ったな?」
「は……?」
一拍遅れて、磯城が吹き出す。
「くッ…クク…! 真に受けちゃったか? オヒメサマよぉ!」
「『事業完了』の条件は、北京計画の満了で良いのですね?」
「自分に酔い過ぎだろお前……! いいぜ、出来るもんならやってみろってんだ」
その瞬間、磯城の後ろから一人の初老の男が現れる。
「証人は儂が務める。いいかね?」
「松方、蔵相……?」
少しだけ息を切らしたその姿を認め、玲那は目を丸くした。
振り返った磯城も驚く。
「松方蔵相、わざわざいらしてくれたんですか……」
「ああ。君が突然枢密院から飛び出したと聞いてな」
「俺と並んで皇國英雄たるお方が……わざわざ、こんなお遊びにご足労頂かなくてもよかったのに」
「まぁ来てしまったものはしょうがない。許せ」
松方は、ここで交わされた条件を淡々と書類に記し写す。
「有栖川宮玲那女王殿下の原隊復帰は、北京計画の完了までの期間とする」
改めて、なんと無謀なことだろう。
磯城は玲那へ視線を戻す。
「松方蔵相閣下の足まで引っ張ってきたんだ、オンナらしく虚勢張ることしかできない無能さを、未開の原野で身にしみて味わうことだな」
15番ホームに停車している急行列車の扉が、ようやく開く。
そろそろ出発時刻か。
乗車券を懐にしまい、列車へと足を向ける。
「これでようやく、もうひとりの逆行者とかいう足枷が、永久に俺の前から消え失せてくれるわけだ。……はぁ、長く迷惑かけてくれたもんだぜ」
磯城は大きくため息をつく。
「永遠の別れだ。人生最後の帝都、精々車窓から眺めておくことだな」
そう言い残して、彼も足早に15番ホームから去っていく。
松方も、一度だけこちらを振り替えったものの、特段なにか言うことはなく、踵を返して磯城の後に続いていった。
『急行列車、青森行き。まもなく発車です』
駅放送を背後に列車へと乗り込むと、ジリリリリリ、と発車ベルがしばらく鳴る。
玲那が席につく頃には、ブザーとともに鉄道員が扉を閉めて。
ボォォォオオ―――!
汽笛が一声、上野駅に響く。
車窓の景色が、ゆっくりと滑り出した。
「……ッ」
3年ぶりの大原野か。
何が破滅は回避された、だ。
玲那の運命は――約束されたほうへ、また動き出してしまったのだ。