第35話 潜水部隊
皇國海軍『潜甲型潜水艦』
排水量 水上:505t /水中630t
全長 62.30m 全幅 5.60m
機関ディーゼル発動機2基6気筒
AEG-Doppel製電動機2基
水上 16kt 水中 10kt
水上航続距離 1,900海里/13.0kt
水中航続距離 80海里/5.0kt
兵装 53cm艦首魚雷発射管4門
魚雷 9本 乗員 29名
安全潜航深度 42m
「横須賀、呉、川崎、長崎の造船所で6隻ずつ24隻建造してるはずでしてよ」
掛澗が先程から読みふけっていた『海軍軍事費内訳』を朗読する。
「史実1904年型のドイツ帝国海軍U19型のコピーを目指したんだ。んで第六型潜水艦と同じく、黄海や渤海では輸送船――お馴染み三景潜水母艦から運用する」
秋山もそれに続いた。
「通風管を今回は不良品ではないものをつけるようでしてよ。オランダにカネ積んで技術導入しまして。」
「筒先端部にフロートを利用した弁を取り付けることで海水の流入を防く。これはまぁ簡単なやつで国内生産も可能なんだけど、どうやら史実じゃ思いつくのが遅れたらしく大戦直前にようやくオランダが採用らしいな」
「あー、チキンラー○ンと同じパターンですか」
「それそれ。これで浅くとも水中潜航時間が長大になる。さらにディーゼル機関。これ元ネタのU19でも起こったんだけどな、性能が期待以上で、燃料消費量が減少しながら信頼性機動性が増加、発動機のメンテナンス性が大幅に簡略化だぜ?」
「ディーゼル機関にいくら開発費をかけたと思われて?このくらいは――」
「聴いて驚け守銭奴令嬢。潜水艦搭載ディーゼルは、直列6気筒、振動がなくパワーも最大限出せる直列6気筒に加えて4ストローク機関。防音を考えないからこそ最大限の出力で、最高の武装をすることが出来る――」
彼は魚雷の設計図を広げた。
「『三五式53cm潜水艦魚雷』。英国と皇國海軍の共同開発の傑作魚雷だ。全長は6.5 m、直径53cm、重量1,500kg、射程は33ktで6400 m、38.5ktで4570 m。弾頭重量はTNT335kg。」
「推進装置は……二重反転!? 高等技術ですわよ!?」
「魚雷における二重反転機構は簡単でな。機関室からのシャフトに傘歯車を付けると、二重反転での回転が可能になる。プロペラは4枚羽根で、二重反転推進で魚雷の推進方向を安定させれる。」
続いて彼は魚雷図の炸薬室を指す。
「335kgのTNT炸薬はこの時代のロシア戦艦の海中装甲をぶち破るには十分すぎる威力だ。防巡級以下は一発、装巡二発、戦艦は三発で撃沈確実。まともな対潜攻撃手段のない水上艦艇群は潜水艦にとって、もはや的以上のなにものでもない。弾薬が尽きるまで一方的かつ徹底的な殲滅を可能にする。油断しきって消灯しないバルチック艦隊を、夜間襲撃であれば―――」
その先は、彼が言わずともわかってしまう。思わず、感嘆が漏れる。
「…うぉ……」
「いや、弾薬の関係上潜水戦隊のみでは、良くて半壊だろう。」
彼は定規をくるくると回す。案の定定規はどこかへ翔んでいった。彼は今度は拾いに行かなかった。懲りたか。
「潜航襲撃の下ごしらえとして、もう一つ。制空権は、陸軍だけのものじゃないって知ってるか??」
その単語が、海軍士官である彼の口から出てきたことに玲那は驚愕する。
「対潜装備がない前弩級戦艦群。なら、彼らに対空防備はあると思うか?」
「え――。それって…」
「ないんだな、これが。」
彼はそう言ってページをめくる。
戦術爆撃機『彩洋』
開発要綱
- 爆装 500kg貫通炸裂弾 6発
- 航続距離 2000km
- 最高速度 60km/h
- 積載巡航 40km/h
カァン、と高い音が響く。掛澗が、扇子を落として絶句していた。
「―――!」
「閑院宮親王殿下に話を通してもらってな。禁闕部隊が乗り捨てた飛行船を北京占領の折に回収させてもらった。設計図も一緒にな」
軽く笑う秋山に玲那はおそるおそる聞く。
「……500kg貫通炸裂弾って、これは」
「その名の通り貫通弾だ。前弩級戦艦は舷側装甲を重視する。砲撃戦メインだからな。万一敵弾が上部に命中しても、ナナメに突っ込んで来るから、よく敵弾は跳ね返ってしまう。そのことを想定しているから、上部装甲は相当薄い。そこに超強靭であるタングステンの塊を直上から突き落とす。」
「炸薬は……もしや」
「下瀬火薬だ。弾薬庫まで達する爆弾は、艦内において3000以上の、今度はタングステンの欠片を超高速で、当然艦内の薄壁なんて簡単に貫通させ飛び散らせ、並行してさらに、強烈な焼夷剤であるガソリンを火がついた状態で撒き散らす」
それを、対空砲の装備されていない、つまり爆撃母船に手の出しようがない敵艦隊の上空から、滅多打ちか。
おもむろに掛澗が手を挙げた。
「……巡航速度40kmでは、敵艦隊見ゆの情報を受け、出撃したとしても、発見された敵艦隊に追いつくには無理がなくって?」
確かに。航続距離2000km、つまり行動半径1000kmちょいでは爆撃運動どころか戦闘海域も制限されるだろう。
「バルチック艦隊がウラジオストクに入港するには、マラッカ海峡を抜けてから補給無しで辿りつくとしたら。台湾・対馬海峡を抜ける史実ルートか、バシー海峡を抜けてから、津軽海峡を抜けるか、宗谷海峡を抜けるかの3ルートだ」
彼はそう言ってから再び内国交通図を広げる。そして、皇國最南端、列島の末端を構成する台湾島の南部の港町に丸をつけた。
「よく見てみろ」
そう言うので目を凝らす。すると、製糖産業記号の隣に小さく飛行機印があった。
「わかるか?想定3ルートの台湾海峡、バシー海峡は全て対岸に台湾島がある。ここから出撃すれば行動半径は500kmに抑えられて十分戦場で1時間半近くの爆撃行動可能だ――皇國海軍航空隊、台南飛行場」
「台南って、まさか」
「そう、台南航空隊だ」
台南空。在りし世界の帝國海軍航空隊の最精鋭航空戦力。
史実、浅い歴史で馬鹿にされることもあった航空隊。史上最大の危機である日露戦争で彼らの伝説は、明治38年、始動することとなるのか。
「仰角をとれる砲が存在しない以上、いくらでも接近して空爆が可能だ。爆弾命中率を上げるため、爆撃目標上空に辿り着いたら急降下で高度を500まで下げて爆撃体制に入る。この捕捉爆撃戦法を仮称で急降下爆撃と呼ぶことにする」
急降下爆撃。皮肉にも双方ともその方法は違えど目的は一緒。目標捕捉を正確にして、爆弾の命中率を高めるためなのだ。
「因縁を感じますね……」
「んぁ?」
「いえ、なんでもございません」
「ん。……そして、だ。航空爆撃で敵艦内部を大きく抉り取ったあとの、潜航襲撃で大半を撃滅。さらに」
彼は先程とは違う艦艇用魚雷の概要を記した資料を広げる。
「先程の潜水艦用と比べて……射程は36ktで7400 m、41.5ktで6570 m。弾頭重量はTNT365kg。結構強化されていますね」
「潜水艦は搭載量が限られているから」
彼は言葉を継ぐ。
「魚雷は無論艦艇用の方が能力は高い。水雷戦隊での夜戦といえば海軍の半世紀続く十八番、こちらのフィールドだ。潜水戦隊による夜襲撃滅ののち、探照灯と高速機動で、大破艦が続出しまともに操舵さえ難しいであろう敵艦隊を雷撃戦に持ち込めば」
彼は、皇國海軍の総戦力を示した資料を机上に上げる。
そこに記される、第一艦隊と第二艦隊からなる聯合艦隊、すなわち八八艦隊計画における第一線戦力の戦艦8装巡8、続く防巡/駆逐以下直衛及び遊撃にあたる第三艦隊。
そして、その下に走り書きされた第一水雷戦隊と第二水雷戦隊、第一潜水戦隊の文字。彼は赤インキに万年筆をつけ、それを大きく線で囲み。
「―――以下、皇國海軍第四艦隊の夜襲雷撃戦遂行で、理論上、バルチック艦隊は完全に壊滅する」
「……主力艦隊じゃなく、補助部隊での敵主力――それも世界第三位の海軍強国の――殲滅、ですか……。」
二次元上の砲撃戦しか想定していない、世界最強を名乗る前弩級戦艦群に襲いかかる空海立体襲撃ドクトリン、そしてトドメの、水雷戦隊による夜襲雷撃。
「どうだ? 掛澗のお嬢??」
彼は口角を釣り上げて振り向いた。
掛澗は、両手を上げて肩をすくめた。
「……降参、ですわ。あの海軍予算内で、一線級主力に匹敵する戦力と戦術を編み出すだなんて、全く想像に及びませんこと」
「わかってんなら予算上げろや守銭奴」
「いけませんわ。工業力増進が当面の第一目標でしてよ」
掛澗が先程落とした扇子を拾い上げ、ぱっと広げ涼しい顔でひと扇ぎ。
「それに、新技術の開発費も嵩んでまして。お使いになるんでしょう? 無線」
「あぁ、海戦じゃ海空で連絡を取り合うのは必須だからな、無線機は是が非でもほしいところだ。だといっても、悲惨な音質だろうから暫くはモールス信号に頼ることになりそうだが」
玲那は、それを聞いて暫考。尋ねることにした。
「……すみません、その無線技術陸軍も頂いてよろしいですか?」
掛澗は即答する。
「結構でございましてよ。陸軍も間もなく情報伝達手段を、伝令から無線に移行するべき頃ですわ。」
「ありがとうございます」
玲那は頭を下げる。
「――もうまもなく、八甲田山演習が始まりますから」
「っ」
「八甲田山?」
秋山は険しい顔をすると、掛澗が首をかしげる。
「雪中行軍遭難か」
「ええ。八甲田山死の彷徨……玲那も松方に教えてもらった話なのですけれど」
「秋山」
掛澗が、秋山の肩に手を置いて教えろと圧力をかける。
「第5歩兵連隊が壊滅した雪山遭難だ」
「雪山遭難……ですの?」
「3年後に歩兵第5連隊が雪中行軍の途中で遭難する事件だ。参加者210名中199名が死亡……近代登山史に残る大規模な山岳遭難だ」
それを聞くと、彼女は目を丸くして口を覆った。
「二百人。まるまる一個大隊ではありませんの。無残な……ことですわ、是非とも防い」
「いえ、敢えて手を貸しません」
玲那は彼女の言葉を遮った。
「……何を? 無辜の兵員の命、だけではなくって全くの予算の無駄でしてよ!??」
掛澗がにわかに騒ぎ出す。唐突に鞄から『本年度陸軍予算』と記された資料を抜き出し、破り捨てようとしはじめた。
「お!落ち着いてください!やめて!とまって! ただ放置して事態を座して観るわけではありませんっ、装備面に肩入れして演習させるのです!」
慌てて仙台鎮台の新装備一覧を提示する。
「上下羊毛衣の防寒装備、チキンラー○ンは標準装備で、無線機で緊密に部隊ごとに連携取ってもらいます。それで、どうなるかを見守りたいのです」
「どうして直接遭難を防がないんだ? 決戦前のこの時期に、防げる事故で無駄に戦力をすり減らすのは、果たして正解なのか?」
秋山がそう聞いてくる。それに掛澗も強く頷いた。
だから玲那は俯いて、こう返す。
「魚を与えるより取り方を教えるべきです」
「……どういうことだ?」
「雪中行軍を導くことは本来、士官の仕事です。それをどうして玲那が奪えましょうか」
「奪う?」
「玲那たち、あるいは枢密院がすべきは、その仕事のやり方を教えることです。決して大隊を導くことではございません」
ふむ、と彼は顎に手を添えた。
「なるほどな、一理ある。直接手を下すべきじゃないと」
「ええ。さらに申せば失敗もさせるべきです。現場の経験値は何物にも代えがたい」
「何物にも代えがたいと仰るのなら、熟練兵の命はいかがになさって?」
髪の影に瞳を隠して、掛澗は伏せ気味にそう訊ねる。
そう、その通りだ。そんなことはわかっていて、敢えて言う。
「世界大戦。実は、この国は敗戦を予測していたのです」
「……はい?」
ぽかんと顔を上げる掛澗。
「事前に模擬内閣や総力戦研究所を設けて、対米戦の机上演習をしたのです――『開戦後数ヶ月は優勢を維持できるが、補給網の寸断で速やかに資源不足に陥って軍需生産が停止。敵の反攻により模擬内閣は総辞職するしかない』という検証結果でした」
「は、はぁ」
「なのに、全く対策を講じず破滅へと身を投げた。なぜでしょう?」
文脈が汲めずに困惑する彼女へ、玲那はヒントを示す。
「自信があったのです。さて、どのような自信でしょう?」
「う、うぅん……。腕への自信、とかでして?」
「腕、と申されますと?」
「手腕ですわ。模擬内閣より優れた戦争指導ができると」
その理性的な、まるで掛澗らしい答えに玲那は笑って、肩を竦める。
「いいえ。もっとひどい。『国力10倍のロシアに勝てたのに、国力10倍の合衆国に勝てないはずがない』――東条英機は、そう言ったのです」
「「……っ」」
「40年経っても偶然の栄光を忘れられなかったのです。その果てに、ミッドウェー、ガダルカナル、インパール、レイテと、現実を突きつけられるまで。明治時代に見た幻想から覚めたときには、すでに命を散らしすぎた頃でした。遅すぎたのです、なにもかも」
だから、と玲那は声を張る。
「自らの身の丈を、身を以て知るのは、戦前でなくちゃいけない」
今ならまだ、幾らでも取り返しがつく。
「八甲田山の演習に絞って防いでも、また違う山の演習で、もしくは……最悪」
「戦場で遭難しかねない、か」
結局、そこで初めて知ることになるだけだ。
「遭難回避の誘導、その作戦の立案。……全て本当は存在しない"禁忌の知識"があってこそのものです」
「……ふっ。地上の道理は、机上の論理か」
史実知識頼りでは優秀な人材も生まれない。それは、秋山真之が誰よりも深く知っている。
「それが分からない奴が、やらかすんだ」
豊島沖に残してきた呪詛をひとつ。秋山に続いて、玲那も息をついた。
「すべきは『人』を育てること。装備は史実より一層充実させましょう。けれど、5歩連の演習計画には一切介入しません」
士官において求められる能力とは、与えられた装備の範囲内で、事態をいかにうまく乗り切ることだ。
「誰も傷つかずに演習を終えることができれば、それが正真正銘の、士官として彼らの持つ能力です」
でも、ここまで幾度「失敗」に苛まれ、学ばされ、救われてきたことか。ハッピーエンドだなんて、そうは上手くいかないだろう。代弁するように掛澗が言葉を継ぐ。
「けれど――失敗すれば」
「犠牲を伴う失敗は、否応なく警戒せざるを得ません。『賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ』……誰しも最低限、犠牲を悔いて動くことは出来ます。」
「かはっ。第四艦隊事件に、友鶴事件か」
全員が全員、歴史と計算から動ける賢者じゃない。だからこそ『失敗』というものは、全ての人間を動かすことが出来る最強の手段なのだ。
「一種のトロッコ問題かもしれませんね」
玲那の口が浮つく。
「八甲田山の5歩連か、それとも皇國か。結局どちらかが失敗の生贄になるのです」
そんな天秤に正解などあるのでしょうか、と零してみる。
「正解、だと?」
「秋山大佐が問われたのでしょう、正解なのかと」
けれど、と玲那は言う。
「まだうまく言葉に出来ないのですけれど、正解なんて、正しさなんて……あるのでしょうか」
「はっきりとしない言い方だな」
「ごめんなさい。けれどどうにも、虚像のように見えるのです」
「……はん」
「約束差し上げます、いつか言葉にして伝えましょう。……けれど」
これだけは今言えます、と目を合わせた。
「つまりは何をしたいか、です。玲那は皇國を贄にはしたくない」
皇國の敗北は玲那の死を意味するから、とまでは言わなかった。
「その二択はズルいだろ、……俺とて皇國軍人なんだから」
首肯する。
「もちろん新装備についてはしっかり説明します。凍傷防止に、結構前にお話しした羊毛防寒装備、飢餓対策に火起こし湯沸かし3分のチキンラー○ン、相互連絡現状把握に耐寒対策済の無線機を装備させます。これで、どのくらい減らせるかです。」
「……ふふっ」
黙っていた掛澗が、おもむろに笑い出す。
「トロッコの分岐器を押し倒すおつもりでして?」
「ええ。無力でないと、分かってしまったのです」
潜水艦に爆撃飛行船。世界初の立体複合戦術によってバルチック艦隊に襲い掛からんと秋山真之が牙を研がせるこの第四艦隊は、元を辿れば玲那のハワイ介入や北京降下に着想を得たものなのだ。
第四艦隊がやろうとしていることを、どうして玲那ができなかろうか。
「自信を頂きましたの、この第四艦隊を見て」
歴史がこんなに捻じ曲がりつつあるのに、自分の運命ひとつ変えられないことがあろうか。
「……お師匠様にもお伝えしなければいけませんわ」
胸を撫でおろすように、彼女は言った。
「その御瞳の灯は、まだ消えてはいなかったと」
東風がカーテンを舞い上げて、この長い髪を靡かせる。
掛澗の瞳に映った玲那の姿は、どこか息を吹き返したようであった。