10番目と12番目
玲那の意識を覚ましたのは、聞き慣れたバイブレーションだった。
「れ、玲那くん。何か……鳴っているぞ」
立派な髭が怯えた声を出す。
振り返れば、赤絨毯の上に転がったスマホが震えていた。駆け寄って確認すれば、充電残量の通知だった。残り数パーセント、十数分とある。
「……困るのですけれど」
もし本当に明治時代なのだとしたら、充電器も電波もない。自分の全身をぺたぺたとまさぐってみるが、このスマホ以外に現代から転移してきたものはなさそうだ。
玲那にとっての唯一の道標が、息絶えようとしていた。
「そういえば……その光の板。どこかで見たような気もする」
ふと、閑院宮は呟いた。さすがに聞き捨てならなくて、つい尋ねる。
「と、仰いますと?」
「あ、ああ。皇太子御一行のうちに、奇妙な格好をした子供を最近見かけるのだ。その童が手にしていた、ような」
「お待ちくださいませ」
転生者か?
自分以外にもいるというのだろうか?
(――あ、そりゃそうか)
まもなく納得する。この身はあくまで悪役皇女で、主人公は別に存在するのだ。
そしてこの世界がゲームストーリーの通りなら、主人公は未来人。電車に轢かれて令和の世から転移してくる。そしてその日付は、悪役皇女の初登場よりすこし前だ。
「……すでに未来人のいる世界、ということ?」
「み、未来人だと?」
つまり今の玲那くんと同じような者が、皇太子の側にいると? そう呟く閑院宮に、何の答えも寄こすことはできなかった。確証はない。けれど、たしかゲームストーリーでは主人公の転移に皇太子が出くわす。そういうプロローグだった。
「しかし……政府のうちに、予言者がいるという噂はある」
「!」
「限られた重鎮のみがそれを知っていて、彼らが結託して政治を回しているとな」
まことしやかで陰謀論のようなものだがな、と彼は首を振った。けれど玲那には、ただの流言飛語には思えないのだ。
「詳しく教えてくださいませ」
「いや、予とて多くは存ぜぬのだが。ただ、確かに政府の施策はこの一年間、まるで失敗がない。なにせ予測が緻密で、外れない。未来を知っているかのような手腕だ」
「……それは、いつからそうなったのですか」
「ここ一年だ。政治体制は大きく変わったし、このあいだ召された憲法も、その内容が発布直前に大きく変えられたとも聞く」
「なる、ほど」
ぐっ、とスカートの裾を握り締める。
「すこし……つたなくってよ」
噂通りなら、主人公の動きがゲームストーリーと違う。
皇太子御一行に拾われて、未来人として匿われるところまでは同じだ。ただ、閑院宮の言うほどに政府に参画するシナリオなどなかったはずだ。
実際のところ前世でそこまで深くプレイしたわけじゃないから探せば隠しルートとかであるのかもしれないが、主人公のキャラデザ的に政治に熱がある感じはない。政府に手を貸して、予言者として歴史改変……なんてのは信じられない。未来知識を持ちながら日露戦争に振り回されるような主人公だぞ。
(ゲーム通りの主人公では、ない?)
あり得る話だ。
だって、この有栖川宮玲那とて、ゲーム通りの悪役皇女ではないのだから。なにせ前世の記憶と意思を持っている。
「だとしたら」
立ち上がって、走り出す。
「おっ、おい!」
閑院宮の制止を振りきって、あの場所へ。
ゲーム通りなら今日は悪役皇女と主人公が初めて出会う日だ。会って確かめねばならない。主人公は誰なのか。玲那の知っている主人公なのか、他の未来人なのか、あるいは――玲那と同じように、あのゲームについても知る者なのか。
(たしか……ここは枢密院本庁、でしたっけ)
ゲームストーリーで二人が出会うのは、枢密院庁舎の中庭だ。息を切らして駆けつけてみれば、誰もいない。しばらく待ってみるけれど一向に気配はない。
「ストーリー通りなら、会えるはずなのですけれど」
この状況自体が答えかもしれない。ストーリー通りではないということは、ある程度推論するには十分だ。主人公の行動はストーリーとは違う。
「つたない……、笑えませんよ」
万一にも玲那と同じようにあのストーリーを知る者だったなら、玲那は真っ先に排除されるだろう。理由はただ一つ。ストーリー内最強にして、最悪の敵キャラ――黒幕の皇女様こそ、この玲那だからだ。
(終わったかも!!)
転生数分。
早速、破滅の危機だった。
「瞬間で処刑されるか……!?」
一度考えたが、すぐに頭を振る。その可能性は低い。
ストーリーでは真っ先に主人公は皇族に保護され、華族学園に入学するまでは政府に直轄される。そこで主人公が玲那の危険性を主張したとして、この身分は仮にも皇族だ。政府はそこまで踏み切れまい。
「と、とにかく。なんとかしなきゃ」
生き残るための手がかりを探して、玲那は枢密院庁舎の中へと戻る。たしかあの主人公は「転移」によって通学カバンを提げたままこの世界に転移する。つまり、電子機器だの歴史の教科書とか未来の本だのを持っているのだ。これに対して、玲那のスマホはまもなく電池切れ。それ以外には何も持っていない。あまりに非力だ。
項垂れながらあの鏡の前に戻れば、置いていった死にかけのスマホの傍に、青年の影があった。
「……なにをしてるんですか」
「あぁいや、すまない。興味本位で」
廊下にしゃがみこんで、閑院宮がひとりスマホをいじっていた。
心なしか、スマホを持つその手が震えている。
「どうなさったのです」
近づいてみると、そこには大きなキノコ雲の写真が載っていた。
「広島……12万人。長崎、8万人」
活字を復唱するその声は、怒りとも悲しみともつかない。
「一瞬で……たった、一発の爆弾で」
背中にぐっしょりと冷や汗をかいて、デジタル教科書へ見入る閑院宮。
「総戦死者……310万人。太平洋戦争、終戦。帝国崩壊」
我々宮家が護らねばならなかった国は、今から、たった60年で。焼け野原になった東京の写真を見ながら、そう呟く彼の肩を、玲那は軽く叩いた。
「ご覧ください」
スマホの写真フォルダを開く。
「戦後80年。前世の東京です」
「……ッ!」
「これは新宿。こっちは梅田かな?」
地上300mに達する超高層ビルの写真を前に、閑院宮は硬直した。
「こんなものを……この国が?」
「ええ。焦土からのリスタートで、ここまでのし上がったのです」
他にもいろんな写真を引っ張り出して見せてやった。広島の写真を見せたときには閑院宮は目を潤ませた。
「これが君の時代か」
「玲那……と言っていいのでしょうか」
その一言で、玲那の自意識がまだ混濁していることを察した閑院宮は、それ以上何も聞かなかった。彼はただ一言呟いた。
「いい時代なのだろう。きっとな」
すぐには頷けなかった。上手く答えられなくて、つい玲那はこう返してしまう。
「未来を知って、閑院宮さまはどうするつもりですか?」
「……年上の皇族を呼ぶときは、親王殿下と呼びたまえ」
その返答には、複雑な心情が垣間見えた。
「っ、すみません」
「正直、答えたくはない」
彼は視線を伏せる。
「予はもともと伏見宮家の王子だった。だが、家督争いから遠ざけられて、断絶寸前だった閑院宮家の養子となり、この若さで当主を継いだ。ゆえに、12宮家では最も弱い」
閑院宮家――ストーリーにも出てきたな。ゲーム内では学園に左遷された不遇の貧乏宮家として描かれており、日比谷焼き討ちでは主人公ら学園生徒を守り抜く確かな強さと義理堅さ、大人の包容力が多くのユーザーの乙女心を射抜いた。
しかしなにせ本当に不遇で、7つにして閑院宮家を背負わされ、宮廷政争には滅法弱く、学園教壇に左遷されたと思えば日露戦争直前に皇族軍人枠を押し付けられ最前線へ。多くのルートで戦死するその儚さと、没落途上の宮家を背負うその物憂げな視線や佇まいが、一層人気に拍車をかけたと攻略ウィキにあった。
「宮家の末席に、出来ることは限られている」
歴史をいくら知ったところで、それは重石にしかならないと。
「……ならば、組みません?」
「??」
首を傾げる立派な髭に、玲那は提案する。
「いろいろあって、玲那も歴史を傍観しているわけにはいかないのです」
悪役皇女の運命はロクなものじゃない。
ストーリーを何度もやってきて、それだけは知っているから。
「親王殿下に意思がおありでしたら、一緒にやったほうがよろしいかと」
「冗談を。有栖川宮家とて、当主こそ強いものの嫡男もおらず断絶確定」
閑院宮は笑う。確かに有栖川宮家は弱い。ゲームでも皇太子との婚約だけで虚勢を張っていた宮家で、ゆえに破滅の時には手痛いしっぺ返しを食らう。
「12宮家では10番目の力しかない。10番目と12番目が組んで、何が出来よう?」
「家の力関係あります?」
「は?」
玲那は立ち上がる。
「玲那には未来の知識があります。それを全力で投げうてば、一財築くのも無理はありません。鉱山や油田に投資して、新技術をポンポン生み出して、この島国の国力を蹴り上げてさっさと列強にぶち込んでやるのです」
「ふはは! それは愉快な冒険譚だ」
やれやれと閑院宮は首を振る。
「……夢物語にしか聞こえんよ」
そうですか、と玲那は顔を沈めた。
「第一、そこまで君の言う"未来"を信用できはしない。それに、予にはそれをやり切る気概も、その結果を背負う覚悟もない」
このいかつい髭、小心者みたいなことを言うな。
青年期の閑院宮――ゲームと印象が全然違う。
「今日見た話、聞いた話は、狐に見せられたものとでも思っておこう。予のごとき弱小宮家が背負うには、重すぎる」
ふと、枢密院のホールに鐘が鳴った。
諮問会議が終わったことを告げる鐘だ。
「時が来たようだな。……君との邂逅もこれきりだ」
どうやら、本当に彼は面倒ごとを背負うつもりはないらしい。
「……そうですか」
「あぁ。あと、頼るなら皇族以外にするといい」
「と、言いますと?」
「宮家は大なり小なりお飾りだ、宮廷の外ではあまり力がない。逆に言えば宮廷の内で下手に動こうものなら……予とて、君の敵に回らねばならん」
その瞳が、射抜くように玲那を見据えた。
「それは……忠告ですか」
「外でなら存分にやってくれ」
いいや、むしろ関わりたくない本心か。片手をあげて閑院宮は踵を返す。
「では、予はそろそろ戻る。達者でな」
・・・・・・
・・・・
・・
眼下に広がるは未開の原野。
氷雪が、視界の限りを一面に覆っている。
(???)
翌年2月。
何故か、氷点下40度の中に立たされていた。
「ひっ、くしゅ……!」
往路の馬車は片道切符。帝都に戻る方途なし。
ここは地の果て――北海道庁・忠別。
のちに旭川の名を頂くこととなるこの地の人口は、わずか13名。
「あはははは」
から笑いしか出ない。なんだよ、ここ。
「ようこそ上川離宮へ。玲那くん」
青年が立っていた。
「とはいっても、予もここに来たばかりなのだけどな」
立派な髭を一撫でして、彼は続ける。
「予は閑院宮家第6代当主、閑院宮載仁。屯田兵第三大隊の長たる陸軍中尉だ」
「ええ、存じ上げております。よくよく、覚えておりましてよ」
「あぁ。予も、二度と会うことはないと思っていた。正直、もう会いたくなかった」
そう抜かす閑院宮に、玲那は最大限のエールを贈る。
「屯田兵第三大隊大隊長への栄進おめでとうございますわ!」
「叩き潰すぞメスガキ」
中尉にして、屯田兵とはいえ大隊長の拝命。外から見たら栄進だというのに酷いことを言う。
「どう見たって左遷だ、いや追放とさえ言っていいかも知れぬ。予も、君も」
玲那だって察していないわけがない。ピンポイントに悪役皇女を狙い撃ち――これは、ゲームストーリーを知る者による追放だ。
「……北京」
彼は言う。
「この神楽岡に離宮を開いて、京、東京に次ぐ第三の都を置くんだと」
北海道の中央に位置して、北方鎮守の要にあるこの上川盆地に都を開く――史実でも、明治時代に検討された話だ。しかし真剣に取り合われることはなく、権力闘争の口実に散々使われた末に放棄されたという。
「あぁ。予も思うところはある。なんで予がそんなバカげた計画に!」
「それは玲那だって同じです!」
乙女ゲームに始まるこの転生譚。
辺境への唐突な追放、不条理への咆哮。
以上を経過報告として。
「「どーして、こーなったァァアッ!!!」」
のちに伝説となる、悪役皇女の壮大な悪あがきは――この北の大地に始まった。