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悪役皇女は銃を取る -帝國黙示録-  作者: 占冠 愁
第三章 日清戦争
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第14話 悪役皇女はパイを切る 前篇

 露清同盟密約を交わしてすべての準備を整えていたロシア帝国にとって、連合王国の介入は想定外の事だった。

 皇國の目をサハリンへ引き付けている間に、清朝が朝鮮方面で全面攻勢に出て皇國陸軍の主力を殲滅。勢いのまま列島を制圧するという計画は、制海権があってのみ機能する。皇國海軍程度であればウラジオストク艦隊と清朝北洋艦隊の連合で抑えられようが、連合王国東洋艦隊が出張ってくるとなれば話は変わる。

 制海権が取れなければ消耗戦になる。黒海の苦い記憶が尾を引くロシア帝国にとって、露清密約をひっくり返して極東分割計画から手を引くには十分な理由だった。停戦交渉の主導権を握るため清朝の宣戦を待って、ロシア帝国は皇國との停戦に至ったのだ。


 明治29年(1896年)6月27日、久春内(イリインスキー)停戦協定締結。これにより皇國とロシア帝国の間の紛争は終結した。



イリインスキー停戦協定

1. 皇國は樺太全土における以下の権利を放棄する。

 ・領土に関する全ての権利

 ・在留皇國臣民の自治権

 ・先住民に対する保護権

2. 『北洋開拓団』と先住民の権利の一切は、これを剥奪しロシア皇帝に委任する。

3. 『北洋開拓団』と先住民の皇國本土への引き揚げは、これを認めない。

4. 皇國は千島列島をロシア皇帝へ献上する。

5. 皇國は北海道沿岸を永久に非武装化する。

6. 両国の間で五年間の不可侵条約を締結する。


「下関条約」


 手が止まる。


「この戦争を、どのように終えるのが良いとお考えですか」

「ご質問の意図が……わかりかねますわ」


 そう返してみれば、ふむ、と松方は腕を組んだ。


「では質問を変えましょう――殿下は、この戦争で何を欲されますか」


 ちら、と視線を逸らしてため息をつく。さあどうしよう、はぐらかすべきか。しばらく逡巡して、ついに玲那は心を決めた。


「適度な腹ごしらえ、ですわ」


 ほう、と松方は目を細める。沈黙をもって催促されたので、ため息をひとつ、玲那は言葉を継いだ。


「とりあえず、お食事に致しません? 内地からの長旅にもお疲れでしょう」

「……これはまた、突然でございますね」

「ええ。良い店を存じ上げておりますの」


かつん、とヒールを鳴らして本営のほうを見る。


「はぁ。ここにあるのですか?」

「ええ、その名も――『領土拡大レストラン』」




・・・・・・

・・・・

・・




「……ただの野戦食堂ではありませんか」


 連隊が接収した料亭の一室を貸し切って、この大蔵大臣と向かい合う。


「ええ、けれどなかなかの料理(モノ)でしょう。この料亭を軍糧施設に指定してからというもの連隊の士気も右肩上がりでございます」

「戦争最前線というのに贅沢なものですね」

「戦争、ですか」


 運ばれてきた食事に目を落とした。


「これは……戦争なのでしょうか?」

「はい?」


 いえ、と玲那は断りを入れる。


「本来はロシア帝国と組んで皇國を攻めるはずだった清朝は、ロシアの裏切りで梯子を外されてしまいました。先手を打って侵攻してしまった手前、国際的にも侵略者のレッテルを貼られてしまった。清朝は孤立無援です」

「はぁ」

「この戦争は最初から、北方戦役の尻ぬぐいに過ぎないのです」


 あるいは、枢密院の濁した跡のお掃除か。

 ともかくこんなものは戦争ではない。なぜなら清朝の戦争戦略は、初めから機能していない上にいまや詰んですらいるのだから。


「姫宮は、この戦争を重要ではないと仰るのですか?」

「いいえ、まさか。この戦争で何を得るかは、依然として次の戦争の行方を左右いたしますもの」


 次の戦争、という言葉に松方は反応した。


「……ロシア帝国、ですか」


 わかりませんな、と彼は首を傾げる。きょとんと玲那は居直った。


「やはり姫宮の動機は見えません」

「?」

「枢密院やロシアへの復讐感情が全てというわけにも感じられません。そこまでして、何が姫宮を突き動かすのです」


 いつの日かメイドにも聞かれたことだ。しかし今度は相手が違う――史実を知っているならあの乙女ゲームのことを、そしてそのストーリー内で最大のイベント・日露戦争を知らないはずもなかろうに。

 こちらとしても松方の狙いが見えないものだから、しらを切ることにする。


「皇國のため、でしょうか」

「はっ」


 御冗談を、と彼は言う。ふふ、と玲那も笑った。


「すなわち玲那のためでございます」

「はは。嘘でもそう仰って頂くほうが、信用もできるというもの」


 息をつく。やれやれと、心づもりを固めることにした。

 ストーリーにおいて、戴冠式で手に入れる取り巻きの令嬢がたはお気立てがよろしくない上に能力もぼちぼちだ。であれば――利害だけを一致させてこの有能かつ権威ある大蔵大臣を利用するほうが好ましい。


「少なくとも、日露戦争には勝利を。宮家の名誉に誓って嘘偽りはございません」


 主人公をいじめるくらいにしか役に立たない仲間よりは、狡猾な商人と向こう十年の契約を交わすほうがずっとマシだ。当然、使えそうなコネクションは全て手繰り寄せる――ゲームストーリーでは決して交錯することのなかった目の前の老獪なる重鎮が、こちらを見据えた。


「そのための方策は、すでに用意されているようですね」

「ええ。この戦争で得るべきものを得るのです」

「それが何なのか……聞かせていただきましょう」


 玲那は目を瞑った。

 前世から飛んで来た歴史総合の教科書を思い返す。


「これから始まるのは『中国分割』でございます」


 史実ではこの国と合衆国が間抜けにも出遅れた、16世紀から続く列強による領土拡大ゲームの終盤戦だ。


「パイを分けようというのですね、列強諸国の素敵な方々と」


 ビゴーの風刺画か。

 そんな授業を高校で受けたのも、いまとなっては遠い前世の記憶。壁に飾られた大陸の地図のほうへ目をやって、玲那はゆっくり丁寧に思い起こしていく。これからするのは史実のお話だ。


「皇國への戦争賠償金の支払いのために、清朝は借金をせざるを得なくなりました。連合王国などの列強諸国は清朝へお金を貸す代わりに、中国大陸における鉄道敷設権や鉱山採掘権、さらに商業地や鉄道沿線の治外法権や徴税権を獲得。『鉄道附属地』という事実上の植民地を拡大していったのです」


 いわば細長い植民地というわけだ。ここで松方は試すように尋ねる。


「植民地ならば……インドやアフリカのように、武力に物を言わせた直接統治でも良いでしょうに。そうは思われませんか、姫宮?」

「それには、近年の民族主義の高揚が関係してございます」


 壁に貼られた大陸の地図、その左下。チベットを越えた南側を指し示した。


「代表例はインド。インド大反乱でございます」


 祖国が奪われるというのは最大の屈辱であり、蜂起や叛乱の遠因となる。


「近年は、直接統治が割に合わなくなってくる頃です」


 特に、インドや中華といった膨大な人口を抱え、文明文化と民族意識が確立されている地域でこれをやるととんでもないことになる。少なくとも連合王国が40年前、身をもって、そして血を流して学んだことだ。


「ふふ、とはいえ皇國や合衆国はその後も朝鮮やフィリピンを併合して、抵抗運動に悩まされて、赤字を垂れ流し続ける羽目になるのですけれど」

「後発列強国の愚策ですか」

「ええ、完全併合となれば併合先の面倒事まで責任を持たなければなりませんもの。一方で中国分割における『半植民地化』ならば、面倒事を清朝へ押し付けつつ利益だけは吸い取ることができるのです」


 何とも便利で陰湿で腹黒い方法を思いつくものだ、流石は欧州列強である。


「さて。次に列強は、港湾を清朝から租借という形で奪っていきました」


 居留地を造成し、本国からの荷揚げ場所となるそこから、獲得した鉱山へと鉄道を敷設。沿線の『附属地』に自国資本の工場を設立したり商業を展開することで、多額の利益を大陸から吸い上げた。

 これらの方法によって列強は、19世紀末に清朝国土を分割し、中国大陸は事実上の半植民地状態に陥ったのだ。


「資本投下とそこから展開する独占資本主義。まさに第二次産業革命ですね」

「ええ。重財閥主義の独特の色、玲那は嫌いじゃありません」


 玲那はそこで、ふと問いかけてみようと思った。


「親王殿下。『第二次産業革命』とおっしゃいました?」

「?」


 一拍遅れて、あぁ、植民地主義には二段階あるからな、松方とは言った。


「第一次産業革命、つまり軽工業時代の『初期植民地主義』、続く第二次産業革命……重化学工業時代の『帝国主義』」


 後者が現在、欧州列強で絶賛進行中のモノだと続ける。教科書通りの完璧な正答だ、史実知識がよく共有されている。


「ええ、これから始まろうとしている中国分割は、後者の『帝国主義』に基づく、最後の植民地獲得競争(領土拡張ゲーム)でございます」

「良い言い方ですね、気に入りました」


 笑う松方に、けれど、と釘を刺す。


「『帝国主義』は第二次産業革命……つまり、重化学工業に十分な投資ができて初めて機能する植民地経営の方途です。これを、まともな資本蓄積のない皇國ができましょうか?」


 彼の口角は固まった。


「……っ、なるほど?」


 その腕元が、ビクリと震える。


「大蔵官僚とて多くが理解できていない根本の問題を……言い当てますか」

「ええ。産業立国を志す人間の多くが、産業革命の1次2次を混同したまま、植民地獲得へと突き進んでいるような状況です」


 松方正義とて史実のように、2段階の産業革命をぐちゃぐちゃに受容しようとして不十分な資本蓄積のまま、無理に重工業へ投資して、結局工業国の地位を確立出来ずグラグラのまま世界大戦へ身を投げるなどという愚行を繰り返しはしたくあるまい。


「従って――玲那たちは、維新以来続く第一次産業革命を、できるだけ早く完成させねばなりません。正直、第二次産業革命は文字通り二の次です」


 下地を整えるには今しかないのだ。重工業を維持できるほどの資本の蓄積。その確固たる基盤なくして、鉄鋼も造船もあり得ない。


「お待ちください。その論理では、中国分割に参加するメリットがないようですが」

「玲那がいつ《《帝国主義で参加する》》と申しあげました?」


 玲那は不敵に笑って見せる。


「第一次産業革命による資本の蓄積を、史実より強固に築くため――『初期植民地主義』で、中国分割へ参加するのです」

「初期、植民地主義?」


 困惑する松方正義へ、玲那は再び壁の地図を示す。


「初期植民地主義とは、つまるところ軽工業における加工貿易でございます。大英帝国の例が非常にわかりやすくってよ?」


 こんどは地図の右上に小さく載った、世界の俯瞰図を。


「第一次産業革命期インド。まだ大英帝国の統治が完全に及んでいなかった頃の時代にございます。さて、ここで綿花が紡がれる」


 綿の栽培という第一次産業だ。その綿花はインドから喜望峰を回りはるばる大英帝国本土へと送り届けられ、そこで洋服へと加工される。それは再びインドへ戻り、インド全域で販売されるという仕組みだ。


「この差額で儲けるという仕組みにございますが、重要なのは、これが必ずしも綿花(原料)である必要はなくって。要は……安い農産物を仕入れることが出来て、高い付加価値のある製品を売り捌ける土地であればよろしいのです」

「……というと?」

「つまり《《肥沃な経済的従属地》》であれば良い」


 ゆえに、第一次産業革命期の植民地主義は、強力な軍備と領土の拡張が伴わなかった。従属地の全域を植民地支配する必要がなかったからだ。


「こちらが第二次産業革命によって重工業が軸になると、その維持と発展には高度な技術や巨大な設備投資が必要となって、従来の企業が銀行と手を組んで金融資本を形成していくのですけれどね」


 財閥の出現である。さらに、企業が集中、その独占的傾向が強まるに従って、植民地は当該巨大資本たちが資本の投下、つまり投資によって利益を得る地域へと変貌してゆく。

 工場を作ったり、その労働者を育成するための学校を建てたり、生産品を輸送するための鉄道を敷いたり。大量の不動産が植民地に築かれていくのだ。


「こうして大量の資本投下を受けた植民地に資本が蓄積されてゆくと、列強諸国にとっての植民地の重要性が跳ね上がります」


 ふん、と松方が鼻を鳴らして肩を竦めた。


「これが他国に分捕られたり独立でもされては、折角の蓄積資本が全てパーじゃないかぁ!」

「……はい?」


 玲那が呆然としていると、彼は途端に不機嫌になる。


「梯子を外すとはつれません。せっかくの英国人の物真似ですのに」

「なんと申しますか……、素敵なセンスをお持ちですのね」

「しばくぞメスガキ」


 けぷり、取り繕うように玲那は咳をする。


「……そうして、植民地における政治的支配が喫緊の課題として浮かんでくるわけでございます」

「無視は悲しいです姫殿下」

「というわけで、直接統治を是とする『帝国主義』へ突入していくのですけれど」


 それは今じゃないとばかりに、玲那はナプキンの切れ端に筆を執る。第二次産業革命から先の話は、投資するお金の出どころとなる資本蓄積あっての物語。そのまとまったお金を得るために、第一次産業革命というステップを踏むわけだ。


「列強諸国の方々は素敵な"③"印のカトラリーをお使いになるようですけれど、玲那たちはあえて"①"印のナイフで切り入るのですわ」



① 第一次産業革命

『初期植民地主義』/ 貿易差額で収益→経済的支配

 ↓

② 第二次産業革命

『帝国主義』/ 資本投下で収益→直接統治(全域)

 ↓

③ 民族主義の興隆

半植民地化 / 資本投下で収益→租借地・鉄道附属地(点と線)



「2段階も見劣るのですか、威厳も何もありませんね」

「頓着なさる余裕はなくってよ」


 玲那は微笑んで、それに、と言葉をつづけた。


「それを嘲笑うご臨席の方々は、十年後に相応の代償を払うことになりましょう」

「ふはは。見ものです」


 手元を見下ろす。とにもかくにも清朝の敗戦を以て、この大陸はまるごと列強諸国の食卓の上に載るわけだ。ゆえに――口火を切るのは必然的に皇國か。


「パイの入刀手は玲那たちでございます」


 然ればこの戦争はさしずめオーブンですね、と松方は笑う。

 なにせ生地はまだまっさら。切り分ける主導権は玲那たちにある。より美味なる部分へフォークを刺せれば、英仏独の『持てる者』たちに対して大きなアドバンテージを得ることが出来る。さすれば『持たざる者』として皇國が世界大戦に身を投げるなどという悲劇を回避することだってできよう。

 ここに至って、松方はしみじみと呟いた。


「腹ごしらえとは……言い得て妙ですね」


 領土拡大レストランの世界分割フルコース。いまに臨むはそのラストにしてメインディッシュだ――ナイフを取って、悪役令嬢は不敵に笑う。


「では閣下。素敵な晩餐会と参りましょう?」

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[良い点] 『領土拡大レストラン』デザートはなんだろうww
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