第112話 ウラヌス
「砲撃やめェ!」
初射から30分足らず。
普通ならここから三日三晩は砲撃を続けて敵陣の完全な壊滅を狙うのが塹壕戦のやり方であるのだが、満州総軍は砲撃を中断した。
「なんのつもりだ? 敵陣はまだ壊滅していないはず、だが」
首をかしげる英国の観戦武官たち。
彼らもまたこの極東の泥沼に価値観を打ち砕かれた将校であり、そして塹壕戦という最新のドクトリンを理解しはじめたばかりだった。
「見ろ、あれ」
「装甲車を動かした…? 敵が壊滅していないにも関わらず??」
敵陣に黒煙が立ちのぼる中、装甲車が姿を表した。
「突撃開始!」
突撃ラッパとともに、発動機が響き渡る。
4個機甲中隊を基軸とした装甲部隊が突破を開始。
「あのままだと迎撃を受けて終わりでは――」
ブワッ――…パァン!
次の瞬間、強烈な空振が英国軍人たちに襲いかかった。
「「!?」」
慌てて前線を見れば、ロシア陣地の奥深くで一斉に爆炎が立って沈んだ。
すぐ上に浮かぶ巨大な黒い影。なけなしの海軍用貫通弾を使った、砲撃陣地や敵指揮所への精密集中爆撃だということは、彼らが知る由もないことだが。
塹壕線に迫る機甲部隊。
まさかすぐ突撃に移るとは思っていなかったロシア軍が大慌てで機銃を回し、弾幕を張ろうと試みた。
装甲車部隊に、機銃による迎撃が降り注ぐ。
「連中は馬鹿か?」
「塹壕に正面から突っ込んでどうするつもりだ」
散発的とはいえど、十分に熾烈な機銃の雨。
それを受けた装甲車の群団は、ぽろり、ぽろりと小隊ごとに離散していく。
「ほら、いわんこっちゃない」
「強固な機銃防御に対策無しで突撃とは……自暴自棄にでもなったか」
彼らの言葉が終わらぬうちに、猛々と突っ込んでいく装甲車の車列に生じたかに見えた綻びが、まるで花のように開いていく。
「…?」
それから花弁は、ひとひら、ふたひらと舞うように――陣地の脇を抜ける。
「なっ、なんだ」
「どうなってんだありゃ…!」
鈍重な弾幕を展開する陣地を避けて、まだ準備が整っていない陣地を、わずかな隙間を狙って、小隊単位で突破を掛けていく。
「そんな…、小隊単位で分散だと」
初射から30分経たずという攻勢。
ロシア軍は十分な準備時間を与えられないまま指揮所を破壊され、まだ弾幕を張りきれなかった陣地から順に落とされていく。
「まさか、新戦術?!」
「ばっ、バカなことを言うな。この塹壕戦とて、編み出されてからまだ一年だぞ……っ!?」
これまで一斉かつ旅団規模だった攻撃が、小隊ごとに行われていく。
塹壕ラインの隙間を縫って染み透る装甲部隊。続けて、そこを突破口になだれ込むのは兵員輸送車に飛び乗った焼撃兵や機関銃部隊。
「なぜ……東洋の小国が、ここまで」
その様は、まさに。
「「浸透…!」」
・・・・・・
・・・・
・・
「緊急電報、西部戦線からです!」
「読み上げなさい」
「5月8日13時40分現在を以て、長春を制圧!
敵の指揮統制は崩壊し、敵は際限なく後退中とのこと」
「……東部戦線に動きは?」
「設営されていた野砲が次々と掩体壕から出され、輸送準備が始まってます」
「七三高地にございますか?」
「はい、七三高地の砲台です」
「っし、よくやりました!」
玲那が拳を振り上げると同時に、閑院宮が頷く。
「あとは任せろ」
「……もう大丈夫ですか?」
「舐めるな。これでも貴官より軍歴は長い」
玲那は静かに翠星杖を降ろし、総軍司令を示す徽章を閑院宮に渡す。
彼は厳かに徽章をつけると、電話機を全軍に繋いだ。
「現刻を以て、禁闕部隊は解体された。閑院宮載仁陸軍中将――予が、B軍集団の総司令を拝命する」
5月の初めに転属を承諾してから半月。
閑院宮は、東部戦線へ到着するまで12日間、玲那や旗手の晩生内がまとめた報告書や資料を読み漁って東部戦線の現状の理解を進め、実際到着してからの3日間は、寝る間を惜しんで東部戦線を一部隊ごと見て回った。
指揮の腕は確かだ。
安心して任せられよう。
「では……征って参ります。」
「ああ。行って来い」
司令室から去り、壕内を上がる。
総長地下壕から一歩踏み出した。
外気に触れるのは何日ぶりだろうか。
「総長どの。お帰りなさいませ」
肩を叩かれて振り返ると、そこには玲那に代行して総長を務めていた別海中尉以下、咲来、晩生内、雨煙別、そして『桜花』の大半が揃っていた。別海から総長を示す徽章を受け取って、玲那はようやく彼らの前に立ち戻る。
「全員そろっておいでですか?」
「はいっ、これで召集完了です!」
「ありがとうございます」
晩生内に感謝を示してから、彼女に代わって前へ立つ。
「西部戦線からの戦果を告ぐ」
電報を片手にそう切り出した。
「満州総軍の攻勢開始とともに敵の重砲はほぼ全滅に近い損害を受けた。……とはいうものの、どうやら重砲の9割がたを東部戦線の損耗の補充に回してたようで、実際西部戦線に残ってた重砲は50門にも満たなかったらしいが」
皇帝命令21号のもと、全ての物資が最優先でウラジオストクへ回されて、後方の西部戦線がガラ空きになっていたようだ。なおそれすらも現場判断が多く、帝国極東軍は書類上の定数で戦況を把握していたそうだから、敵ながら笑えない。
「これに伴い、正面のロシア軍……特に七三高地の堡塁が大慌てで動き出した。東清鉄道を西へ向けて、貴重な重砲を全てハルビンへ送り返すのだそうだ」
危機的な状況にある西部戦線。ハルビンを失陥しては、東清鉄道が分断され、沿海州とモスクワを繋ぐ現状唯一の補給線が止まってしまう。帝国極東軍もなりふり構わずもう必死だ。
「さて、そちども。敵重砲があの忌々しい掩体壕から出て、輸送待ちのあいだ間抜けな横っ腹を晒していると来た。さあ如何せん?」
「撃滅であります!!!」
やけに威勢のいい返事が響き渡り、どうしたものかと声の主を見てみれば。
「……!」
瞳をキラキラと輝かせた東條がいた。
つい先日までの反抗が嘘のように消え失せている。
(えぇ……なんですかアレは)
その爛々とした輝きようは、見ていて気味が悪くらいだ。
気を取り直して少し咳払い。
「んっ、んん。そのとおりだ。一号作戦『大陸再打通』、その第1段階は、七三高地への強行着陸であり、無防備を晒す敵砲兵の電撃的な掃討、そこからの半島分断と逆包囲である」
第1段階のコードネームは "仁川"。
ウラジオストク半島を付け根から分断することで逆包囲し、敵補給線を完全に途絶せしめるこの作戦を、かの仁川上陸作戦に擬えたものだ。
「これには、この『桜花』機甲大隊から2個中隊、特殊歩兵大隊から1個中隊を抽出し、装甲車と兵員輸送車の混成総計84輌を強襲着陸させる」
発想としては空挺戦車と似たようなものであり、来るなら海からだと思いこんでいる敵には想定外も甚だしい一手だろう。
けれど当然退路はなく、失敗すればその時点で玉砕だ。
「揚陸にはルースキー空から1個中隊を拝借しておる。ゆえに、今回の『桜花』直掩航空隊の仕事は、対空陣地の破壊と揚陸援護となろう」
ただ敵はウラジヴォストーク攻防戦を通じて対空砲を随分消耗してしまっている。正面ならまだしも、掩体壕で空襲をいなせるように設計されていた七三高地にわざわざ対空陣地を展開しているとは考えにくいが。
「強行揚陸による敵重砲の殲滅と七三高地占領後、そこを橋頭堡にしてすぐに海上から第1空挺団以外の全『桜花』戦力と歩兵2個師団を送り込む」
送り込む兵力はこの時点で2万。こいつで付け根を分断するわけだ。
「逆包囲の完了次第、第1空挺団はルースキー島の基地から発進してウスリースクへ降下。帝国極東軍司令部を引っ捕らえよ」
作戦第2段階、極東ロシア全域の指揮系統の撃滅。
コードネームは "天王星"。
「降下した第1空挺団の救出のため、我々は西へ反転してウスリースクへ向かう」
そこからはもう言わずともわかるだろう。
本作戦で最も無謀と言われる最終段階、"大陸再打通" だ。
「事前指令どおりに準備を開始せよ」
「「「ハッ!」」」
そう敬礼して散っていく『桜花』の戦士たちも、随分少なくなってしまった。指揮を執ってきた者として沸き起こるいろんな感情を抑えながら、その背中のひとつひとつを見送る。
ふと、つかつかと玲那へ歩み寄る影に気づいた。
「姫殿下!」
「げ」
東條英機であった。




