第9話 死守命令
おもむろに轟く爆音。
振り返れば、噴きあがった火柱が、そこにいた小隊ごと区画を飲み込んだ。
ドガァアアン!
「なぁ……ッ」
「こんな鬱蒼と茂った針林の中に、じゅ、重砲隊だと!?」
「なぜだ、ここは前線ではないのだぞ!」
超高空から弾に降られるロシア軍の兵士達は、そう叫ぶことしかできない。
「こんな兵器を、なぜ蛮族がぁっ……!」
ここはあくまでも戦場。中隊が独断で撤退したとなれば、敵前逃亡を咎められて文字通り首が跳ぶ。
準備不足の敵の本隊に奇襲をかけて、真縫平地を奪ったまではよかった。敵が体制を立て直すまでに周囲の高地を制圧し、追撃に移るつもりであった。
されど我々の退路を遮断するかのように、背後の峠道に待ち伏せをされていた。直ちに掃討を命じたが、こうして未知の新兵器を前に手こずっている。あまりまごまごしていると――退けたはずの敵の本隊が反転して、こちらに向かってくるだろう。
「……っ」
ぞくりと寒気がする。まるで包囲されているかのようだ。見回す限りのあちこちに上がる悲鳴の中で、きっと、誰もがその嫌な予感を共有している。
「少佐!」
「――っ!」
少佐は息を呑んだ。向こうの小隊で白旗が上がったのだ。
「まさか独断降伏か!?」
「敵襲、敵襲! 新たな敵――ぐわぁっ!?」
その瞬間、怒声が後ろから響いた。
ワァアァァァァ――!
「敵兵!?」
少佐は察する。この兵数、間違いなく真縫平地で奇襲した敵の本隊に違いない。
「ふざけんなよォっ!」
退路を塞がれたまま、前方から大兵力の突進を受ける。見事な包囲殲滅戦だ。その結果は、破滅以外の何物でもなくて。
「もう嫌だァ!」
「助けてくれ、オイラは田舎に妻だって子供だって置いてきてんだっ!」
「死にたくねえ! 戦場なんてまっぴらだ!」
物理的にも精神的にも損耗しきっていた敗残兵。その統制が崩壊するのは、時間の問題であった。
「ヤポンスキーなんか一撃で叩きのめせるなんて、大嘘を!」
「そんなこと抜かしやがった司令部なんかに付き合う必要なんざねえ!」
完全に敗走状態になるまでに数分も要さず、部隊は切通しから南側へと逆戻り。
渓谷の内では、ロシア兵とその味方が出会うたびに渓谷内に悲鳴が木霊する。
「切通しには悪魔がいるっ! 重砲を持ち込んでやがる!」
「先行した中隊は一人残らず全滅だッ!」
「遅くねぇから引き返せ!まだ間に合う!」
「早く逃げろッ、逃げろぉっ!」
敗走で充足率一割を切った彼らは、瞬く間に恐慌を起こす。
「そんなっ! 包囲されてるってことじゃないか!」
「まさか退路を断たれたのか!?」
「お、終わっ……た」
そして、当然その結論にたどり着く。
「降伏するしかない……!」
・・・・・・
・・・・
・・
『敵影見えず』
「ぎりぎり……ですね」
息つく暇もなく、手提信号を点けて眼下へと発信する。
『状況送れ』
『1名即死、2名重傷、4名軽傷』
「……っ!」
指揮下で初の戦死者。言い訳など出来るはずがない。俯いて唇を噛みしめる。きっと玲那が『主人公』であれば、序盤で仲間や部下を死なせることはなかろうに。突きつけられた報告は、ここがゲームの世界ではなく、冷酷な現実であることを証明する。
「せ、斥候より報告」
ばっ、と玲那は振り返る。
「敵影新たに真久峠へ反転。大隊規模です……!」
「大隊……!?」
最後の最後でそれか。震える唇で、言葉を継いだ。
「砲兵連隊の到着までは?」
「……120分です」
「各員……迎撃配置につきなさい」
きっ、と別海が目を見開いてこちらへ詰め寄る。
「闕杖官どの、相手は敗残兵とはいえ五百以上です」
「ええ。こちらも宇垣大尉の中隊が応戦を始めてございます」
「っ、1個中隊百数十名でも相手できる規模ではありません!」
それでも。そうだとわかっていても。
玲那は銃座を載せたリヤカーを牽き上げた。
「ですから、命令の責任は取りましょう」
「……まさか、御自ら出るおつもりですか」
別海の問いに、少し振り返って答える。
「足を引っ張っても困りましょう?」
そう言うと、伍長は歯を食いしばった。
そうしてゆっくりと言葉を紡ぐ。
「姫殿下のことを誤解していました。殿下は決して――」
「いいえ?」
その告白を玲那は遮る。そんなものは不要だし、意味がない。
「軍規違反、敵前逃亡。これに比べれば、贖罪にすらなりません」
「そうではなく!」
語気を強く、別海伍長は目を伏せた。
「やはり、殿下は無責任です」
「……」
「軍人としては認めます。けれど上官としては……持ちたくありませんでした」
本心を一切隠すことなく、彼女は言葉を継いだ。
「小隊の指揮はどうするのですか」
「任せます。残弾尽き次第着剣、120経過まで投降は認めません」
「っ、全滅覚悟になりますよ」
それでも、そうだとわかっていても。ここで降りては皇國が滅ぶのだ。
あぁ、別海の感想は実に的を射ていよう。
「ごめんなさい――死守です」
上官としてこれ以上ない恥の命令を、吐き捨てた。
・・・・・・
「あなた正気!?」
「はい。あくまでも」
頭を下げる玲那に、少女は戸惑いを隠さない。
「もう小隊には人手が……ないのです」
「あ、あたし和人ですらないのよ」
少女は首をぶんぶんと振った。たしかに当然だ、何の義理があって先住民が皇國へ貢献するだろうか。
「……ごめんなさい、そうですよね。その脚だってまだ痛みましょう」
「っ、それはだめ」
玲那の袖を掴んで、リヤカーに座り込んだままの少女は動けぬ右脚を指す。
「こうして命を拾ってもらったもの。見捨てるなんてもっと無理よ」
「それは違います。玲那があなたを銃弾に晒したのです」
助けるのは贖罪だ。そんなものに恩義を感じるべきじゃない。
「でも。まだあなた、12歳なんでしょう」
「それは貴女もです」
「あたしは戦い慣れてる。あなたは和人よ。しかも一等若いわ」
違う。玲那は身を挺して戦地に沈みに行くわけじゃない。今からやるのは二度目の敵前逃亡だ。
「……怪我もありましょう」
「衛生兵さんのおかげで大丈夫よ。動かないけど、それでもできることがあるんでしょ」
その脚に巻き付けた包帯は、なお痛々しい。
「それでも、貴女は」
「名前で呼んで。あたしは咲来裲花」
「……咲来」
そう言うと、少女は頷いた。
「ん。ついていくわ、玲那」
「いえ。これは、玲那の義務です。あなたをこれ以上、戦火に巻き込めません」
「……じゃぁ言い方を変える」
少し気が引ける様子で目をそらし、けれど、きっ、と向き直ったかと思えば口調を強くこう言った。
「責任取ってよ」
載せられてきたリヤカーを指差して、咲来は言うのだ。
「ここまで連れまわしておいて、捨てるつもり?」
「……ずるいです、その言い方は」
玲那はむむむと唸って、ため息をつく。
「わかりました――玲那に力をお貸しください」
「ん。よろこんで」
リヤカーに再び少女を載せて、梶棒を牽き上げる。
天幕を出てまもなく見えた光景に少女は凍り付く。
「な……!?」
地に横たわる巨影。いいや、すこし浮いている。
「オジョウサマァー! お助けに、参りマシタ!」
「待っておりましたよ、シュヴァルツ博士」
呟く暇もなくハッチが開く。航続距離は50キロもないが、積載限界が2トンもあるおかげで重武装を持ち込める。試製に過ぎないスペックではあるが十分だ。
浮かぶそのデカブツを前に、少女は唖然とした。
「なに……これ」
北鎮、第26連隊直掩飛行隊。
この1隻だけとて、閑院宮に名義を借りて立ち上げた世界初の航空部隊。
「『飛行船』といいます」
玲那が微笑めば、震える声で少女は問う。
「何する……つもりなの?」
「上空からの弾着観測及び、機銃掃射」
「じょ、上空……?」
「ええ。空を飛ぶのです」
少女は頬をひきつらせた。
「冗談……、よね?」
「いいえ。これは航空支援です」
リヤカーの梶棒を持つ。解放された飛行船のハッチに、足をかけた。
「夜目は効きますか」
「いちおう狩猟民族よ。舐めないで」
「よかったです。では弾着の観測をお願いします」
「弾、ちゃく……?」
玲那に引き込まれるがままに、咲来は飛行船に乗せられる。
その瞬間、ハッチが閉まってふわりと身体が浮き上がった。
「うっ、浮いたわ!」
「窓。窓から地面、見えますか」
「み、見えるっ。飛んでるわ、あたし!」
年相応にはしゃぐ少女に、これから人殺しを手伝わせるのだ。なんて残酷な大空なのだろう。なんて残酷な皇女なのだろう。
「敵の場所および、地上の部隊が投射した砲弾の弾着のズレを教えてください。玲那が手提灯で地上部隊に伝えます」
少女のよく効く目に全部任せて、索敵も弾着観測も、玲那は中継の役割に徹することにする。それに、玲那がすべきはそれだけじゃない。
敵の直上に至って、数発の火炎瓶を投げ落とした。ぽつぽつと火が燃え広がって、新月でもわずかに敵の姿を炙り出す。
ガチャリ、機関銃を固定してハッチを少し開けた。少女が目を見張る。
「……まさか」
今世で初めて飛んだ空も、すべては命を摘むために。
銃口を下に向ければ、眼下一面が射程範囲だ。
「対地掃射。蹂躙します」