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悪役皇女は銃を取る -帝國黙示録-  作者: 占冠 愁
第十六章 ようこそ東部戦線へ!
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第100話 発令

[ 指 令 ]

発 東京大本営

宛 禁闕部隊衛戍府


 先日のダンケルク作戦により揚陸された第十四師団・第十五師団・第十六師団・第十七師団の4個予備師団は、東部戦線に配備されたし。これらを含めた8個師団と即応集団の総力を以て、禁闕部隊はウラジオストクを防衛せよ。


禁闕部隊 14万

◎増強集団『桜花』

┗ 中央即応集団・第1焼撃大隊・第3焼撃大隊

◎第1軍

┗ 大阪鎮台・仙台鎮台・第十四師団・第十七師団

◎第2軍

┗ 近衛師団・第十一師団・第十五師団・第十六師団


 なお当該部隊は包囲下にあり、必要な参謀その他の補佐将校を派遣できる状況に非ず。よって当面は「闕杖官」に非常の裁量を与ふる。これは将官級、すなわち総軍司令官の権限に準ずるものとする。

 ついては有栖川宮中佐殿下を大佐に昇進せしめ、野戦任官で少将待遇とす。


明治38年2月28日付





「……大本営が、玲那の指揮を認めた?」


 受け取った命令書に、玲那は啞然とする。

 大本営ということは、枢密院の戦争指導部ということだ。主人公という枢密院お抱えの新星を手折られて、黙っていないかと思ったが、むしろここで玲那に引導を渡してきた。


(何の意図がある?)


 枢密院が主人公を見放したというのだろうか?

 あるいは、玲那を嵌めるための罠か?


「どちらにせよ、現状追認という以上の内容ではございませんけれど」


 だから当面は都合のいい内容ではある。百万の敵を迎え撃たなければならないというのに、内紛など抱える余裕などないのだ。だから玲那はこれ以上、考えないことにした。

 少なくともウラジオストクを防衛する間は、枢密院は玲那の不都合になるような手出しはしないという意思表明なのだから。


「であれば……この地を、最後の戦場にしたいものです」


「どういう意味でしょーかっ? ()()()!」


 浮つくような声が響く。


「その呼び方をやめなさい、晩生内(おそきない)准尉」


 背後から飛び出してきた晩生内(おそきない)白夜(びゃくや)は、ちろっと舌を出した。


「えっへへ〜、だって、たったハタチで少将待遇で、総軍の司令官ですよ。皇族軍人とはいえ、これほどの栄進は前代未聞じゃないですか!」

「はぁ…。左様ですね。これほどの責を負わされるのは初めてですよ」

「にひひ。おひめさまがちゃんと評価されて、白夜(びゃくや)はうれしいですっ」

「勘弁くださいませ……ここでの敗北は敗戦を意味するのですよ。負けたら最悪は戦犯としてこの首で責任を取らなきゃいけなくなりましょう」

「まぁそのときはそのときです。そうなったら白夜もお供しますよ」

「ふふ。冗談はほどほどになさい。本気で刑台まで道連れにいたしますよ」

「もーっ、白夜は本気ですよぉ」


 そうむくれる晩生内を軽く流して、玲那は大本営からの命令書を折りたたむ。すると、思い出したように彼女は言った。


「あ、そうでした。さっきの言葉。最後にするって、どういう意味ですか?」

「ええ。文字通り、この戦いで戦争を終わらせるという意味にございます」


 晩生内は首をこてりと傾げた。


「防衛戦なのに?」


 彼女の疑問はよくわかる。これはあくまで皇國が劣勢の防衛戦だ。たとえ耐えたとしても、ロシア帝国を屈服させるには再度の反撃が必要になるだろう。

 その反転攻勢なしに、ロシア帝国が講和のテーブルにつくだろうか。敵を撃退したうえで、もう一押しが要るのではなかろうか。そういう心配だ。


 けれど答えは簡単。歴史の教科書に書いてある。


「ロシア帝国は、もう長くは持ちません」


 玲那は言った。


「急速な戦時動員で、旧態化した農奴体制は悲鳴を上げています。総力戦をするには国家の構造が古すぎるのです」


 昨秋。沿海州を失陥するという悲劇的な敗北を喫して、ロシア帝国は収穫の時期に百万の陸軍と、それを支える数百万の工員と補給人員を農奴から徴用した。それも西ヨーロッパから極東へ、何千キロも遠くへと。数百万の農奴たちが彼らの収穫物ごと戦争に動員された結果、何が起こったか。危機的な食糧不足である。


「ただでさえ騒乱の鎮圧に平時から兵力の3割をあてていたロシア帝国は、軍の主力を極東に送り込んだ上に、当の本土では農村が不安定化。さらに戦況すら麗しくないとなれば」


 教科書に載った、立ち並ぶ赤旗の写真を思い出す。


「国家それ自体を維持できないでしょう」


 玲那の言葉に、晩生内は目を見開く。


「そ……れって。ロシア帝国っていう、国そのものが」

「吹き飛ぶかもしれません」


 呆然とする若娘。そうだろう、この時代の人々にとっては容易には信じられまい。たかが一回の戦争程度で、東洋の小国ならともかく――ヨーロッパの列強国がまるまる一個吹き飛ぶなんて、御伽噺もいいところだろう。


「そ、そんな。世界の秩序が、おかしく……なっちゃうよ」


 ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ彼女。

 そうだろう。列強国の消失というのはそれほどの意味を持つ。1871年以来、30年に渡って曲がりなりにも安寧が保たれていた列強間のパワーバランスが、根本から崩れてしまうだろう。


 けれど、そうなる。

 そうせざるを得ない。


「皇國が勝つには、それしかないのです」


 たとえ世界が混迷(カオス)の渦に呑まれようとも、偉大なる平和を支えた列国の均衡が崩れて、戦火の時代に逆戻りすることになろうとも。ロシア帝国を消滅させねばならないのだ。


「ロシア帝国にとっては、帝冠の威厳を懸けた本土奪還作戦です。ドイツ帝国と渡り合うために用意された百万もの主力を動員して、東洋人の島国に勝てないとなれば。あまつさえウラジオストクからすらも追い出せないとなれば、権威が失墜します」


 破綻寸前の国家体制で、食糧危機の只中で。そうなったときの代償を払うことは、もはやロシア帝国という体制では不可能だ。


(そもそも枢密院がこのあたりの工作に手を抜くとは思えませんし)


 史実でも有名だった話だ。明石大佐には接触しているだろうし、もしかしたら例の革命家に武器や人員の支援をしているやもしれない。北方戦役のような歴史にないハプニングには無能だが、米西戦争のような史実通りの展開には滅法強いのが枢密院という組織だ。


「……ここに来て、枢密院を信じるなど滑稽ではございますけれど」


 とはいえ「第一革命」を見落とすほど、英傑たちは無能ではないはずだ。

 どのみち玲那はロシア軍の相手で一杯で、直接どうこうできるわけじゃない。ここでロシア軍を撃退するだけでも、ロシア帝国という体制への致命打になるだろう。


「だから、ここさえ切り抜けられれば。希望があるのです」


 なるほど今の戦況は、端的に言って絶望だ。

 彼我の戦力差は5倍以上。そのうえ市街地へ退却したことで、ロシア砲兵隊はどこからでも大帝湾を狙えるようになった。ウラジオストクは日本海からも切り離されたのだ。ダンケルク作戦でありったけの小口径銃弾や近接火器、狙撃銃を持ち込んだとはいえ、これは潜水艦と飛行船以外の補給経路が完全に失われたことを意味する。

 けれど、ここで春まで持ちこたえれば。


「来たるのです。約束された『血の日曜日』が」






・・・・・・

・・・・

・・






「はい? 第1戦車中隊が撤退ラインへ動かない?」

「はい……。何度か、電報を打っても…応答が」


 雨煙別が沈んだ声で、ぽつぽつと言い漏らす。


「ちっ、電線を切られましたか!」

「……いいえ。伝令を走らせたの、ですが」

「さすれば?」

「闕杖官を出せ、と。直談判が……したい、と」


 声が出なかった。

 抗命は初めてだ。皇族軍人という優待身分なのでいつか起こることはもちろん覚悟していたが、まさかここで来るとは。


「すぐに参りましょう」

「し、しかし」

「七三高地から退却した以上ロシア軍は明日にでも市街地へ突入します。のうのうと最前線に残ってれば、包囲されて全滅です」


 雨煙別の制止を聞かず、最低限の装備で軍馬に跨る。


「くっ。何のつもりですか、東條英機……!」




・・・・・・




「なぜ!ここに至って撤退なのですか!!?」


 東條が凄む。


「我々士官が、下士官が、兵卒が!血と汗を流して7日間守り抜いたこの陣地を、まるまる敵に譲り渡せ!と、そう殿下は仰っているのですよ!!」


 東條の隣に控える板垣征四郎も、何も口には出さないが、玲那を見据える瞳には強い抗意が籠もっている。


「違います。これは戦略的撤退です」

「なぜっ! どうしてわざわざ我々の戦果を否定するような退却戦術を使うのですか?! このまま強攻しても勝利をつかめるのに!」

「あのですね。強攻で勝てるようならこの戦争は苦労ございません。敵は正面に相対する数だけでも我が方の5倍なのですよ」


 呆れたようにそう返すと、東條は背後の海を指差した。


「ではどこへ逃げろと仰るのですか、姫殿下。市街地の後ろは海ですよ!」

「命令書を読んでらっしゃらなくて? 市街地に逃げろと申しあげたはずです」

「はぁぁ~~っ……」


 彼は深い深いため息をつくと、一転、肩を竦めてこう言った。


「姫殿下。市街地では戦えないでしょう」

「戦うのです。そう命じたはずですけれど?」

「……これだから叩き上げは」


 やれやれと首を振って、どこか自信ありげに東條は語りだす。


「中世都市ならいざ知らず。近代市街地での戦闘は、防衛側にとって不利。これは士官学校だと初歩の初歩で学ぶ、戦史の基礎なのですけどね」

「はぁ?」

「前線を渡り歩くようでは、本に触れる機会も限られましょう。勇猛なる前線あがりの姫殿下が存じ上げぬのは仕方のないことではありましょうが、1871年のパリ・コミューンはそのようにして負けました」


 何を言うかと思えば、士官学校で学んだ知識をひけらかす。


「1848年の二月革命では、なるほど、市民軍はパリに立て籠もって頑強に抵抗しました。これは当時のパリが入り組んだ路地でできた中世都市であったために、遮蔽物が多く、身を隠すのに適していたからです」

「はぁ。それがどうだと」

「しかし姫殿下。頑強な反乱軍などどの国も嫌うものです。パリを始めとして、これ以降の列強各国は都市改造を推し進めました。通りを広くし、建物を整然と並べ、管理を強化しました。産業革命による交通量の増大もこれに拍車を掛けました」


 彼はまるで教科書のように、ぺらぺらと言葉を継いでいく。


「見通しが良くなった近代都市には身を隠す場所などなくなったのです。結果として、1871年にパリで蜂起したコミューン軍は一週間足らずで鎮圧されました」


 威力の増大した火砲と、周到な都市設計のおかげで。為政者は簡単に都市に立て籠もる反乱軍を駆逐できるようになったのだという。なるほど、この帝国主義時代においては必須だろう。帝国の隅々まで管理を行き届かせることが縄張りの確立なのだから。都市であっても、一ミリ単位の権力の空白も許さないわけだ。


「ウラジオストクは、1872年に建設が始まった近代都市です」


 彼は言う。滔々と、どこから余裕ありげな顔で。


「姫殿下が為されようとしている戦いは、歴史を学校で学んだものからすれば……畏れながら、過去の愚の繰り返しに見えてしまうのです」

「……まるで無学者を相手するような物言いですね」

「いえ。むろん、姫殿下が練達した将校であることは存じ上げております。しかし、前線の経験則は有限です。それこそ姫殿下におかれては数年分の厚みでしかない。一方で、士官学校で学ぶ戦史というものは数千年にも及ぶのです」


 昨年度士官学校卒業繰り上げ組。

 齢にして玲那より1つ上の青年は、優等生の証である「恩賜の銀時計」を巻いた腕を掲げて、不敵に笑う。


「……なるほど。たしかに、玲那は学修院の中等部すら出ていません」


 途中で北海道に追放されたせいで、中等部3年で休学扱いとなったままだ。

 齢にして1つ下の、高等教育すら受けていないお姫様を指揮官に仰げというのは、士官学校卒のエリートにとっては苦痛もいいところなのだろう。


「されど、これのみは申せます。その1871年とやらから30年が経っている。1848年と今年では、後者のほうが遠くすらある」


 48年から71年までの間でパリで起こった変化より、71年から今までのほうが時が経っているわけだから、その変化こそ注目に値する。玲那は強弁した。


「建築の堅牢化と重層化。上下水道の整備に、耐火性の向上。都市は直近30年の間に、これまで以上に変化しているのです」

「畏れ多くも姫殿下、それはまだ理論化されておりません。その点だけをもって市街地籠城を是とするには、根拠も実証も足りなすぎる」

「少なくとも複雑になっている上に、火砲の投射にも強くなってございましょう。試す価値はあるはずですけれど」

「けっ」


 東條の反応に、玲那は目を見開いた。


「机上の空論なのですよ。どれも。練達された感覚的な知見ではあらせられましょうが、それを科学的とは申しません」


 殊に玲那は、枢密院という体制に楯突くような生意気な小娘ときた。皇國への忠誠心の塊である東條としては気に食わないのも当然か。


「既存の戦史と戦術理論に照らし合わせて、丁寧に戦術を編んでいく。綿密に組み上げられた作戦計画のもとに兵隊が進み、理性のもとに勝利を得る」


 丘の向こうに砲撃を受けて燃える敵の軍列を背に、彼は笑う。


「姫殿下。これが、新時代の『戦争』のやり方です」






「その言葉、二度と忘れるなよ?」


 ひどく冷徹な声が響く。

 驚いたな、自分でもこんな声が出せるとは。


「付いて来い」

「っ!?」


 がッと東條の腕を掴んで、強引に後背の市街地へと足を向ける。



「本物の『新時代の戦争』を見せてやる」



 戦術理論。

 綿密な立案。

 理性による勝利。


 それが次の時代の戦争であったのなら、どれほど救いがあったことか。

 これから玲那たちを待つものがそれであったなら。

 どれほど。











「総長地下壕、か。ひどい名前を付けてくれる……」


 溜息をついて、雪の積もる階段を降りてゆく。

 鈍重な鉄製扉を開けば、内側に待機する将官に敬礼を受ける。もう玲那もそういう礼を受ける立場になってしまったという実感が、やけに心細かった。


 到底衛生的とは言えない廊下を進んで、一際大きな部屋の入口へとたどり着く。

 コンコン、と木製の扉を開けて一歩踏み入れば。そこに並んだ面々の豪華さに、ただひたすら圧倒される。玲那には司令官だなんて仰がれるような実力はないのだが。


 壇に着いて、名簿と出席を照らし合わせる。全員揃ってくれたか。


「通達は為されたかえ。闕杖官(けつじょうかん)の有栖川宮玲那だ」


 地下壕の司令室に、少しの声が通る。


「見ての通りの若乙女であるが、将校としての妾が資質を疑う者あらば、名乗り出るが良い」


 誰も手を挙げない。

 半分くらいは渋々といった顔であったが、もう半分は本当に玲那を信じてくれるようだ。あの場で主人公に代わって英雄となる芝居を打っただけあったか。


(かしず)き委ねよ――これでも、人一倍は最前線に立ってきた。我ら軍人にとっての汚点である北方戦役から、ずっと」


 ふっ、と息を吸い込む。

 深く、深く。


「零時より、決死の防衛戦が幕を開ける」


 帝都からの [命令書] を握りしめ、机に手をついた。


「一ヶ月。一ヶ月耐えろ。雪辱という文字通りに、忍び、偲んで――4月。我らは東満州へ芽吹く」


 さながら、蕗ノ薹(ふきのとう)のように。


「そのための3月だ。長くこの大地を凍てつかせた氷雪も、訪れるうららかな陽日に日々融けていく。このごとく我らも……この膠着しきった戦争を、解きほぐす準備をしなければならぬ」


 秒針の音が一刻一刻響き、12の文字へと迫る。

 その様は、まるで終末時計のようで。


「ウラジオストクを失陥すれば、戦線は更に退いて本土に至ろうぞ」


 誰もの腕に巻かれた懐中時計が、一斉に針を動かして。


「元寇以来600年ぶりの、存亡を賭けた大戦(おおいくさ)じゃ」


 秒針が12を刻む。

 ゴォォォ―――ン、ゴォォォ―――ン……

 大聖堂の時報の鐘が、地下にも響き渡る。



「3月1日午前零時。現刻を以て、勅令第227号を発令する」



 クシャリ、握った一枚の紙切れを握り潰した。


「総員、死物狂いで守り切れ」

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>約束された『血の日曜日』 状況的に、赤色革命以前にドイツに喰われそうな気がする。
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