第8話 ほうき星
「親王殿下の部隊が敗走??」
素っ頓狂な声が出る。伍長は唇を噛むように頷いた。
「……奇襲です。さきほど伝令から一報がありました」
玲那が逃げている間に戦況は急展開したらしい。
「低地にいた閑院宮本隊が退却したとなれば、この山地は敵に向かって突出する形となります」
彼女の言葉に、脳裏へ地図を描く――ほどなく絶句した。玲那たちはどうやら、敵の最前面に取り残されてしまったようだ。
禁闕小隊30名。名前の通り宮中の警護が本来の目的で、実戦投入はほとんど想定されていない。徴兵年齢ギリギリで動員されてきたであろう15や16の少年少女さえいる始末。そんなお飾りの部隊が、前線の最先鋒に孤立したのだ。
「ひとまず、友軍と合流いたしましょうっ」
状況は最悪だ。まともにやったら勝算はない。
「ほかに残された友軍はございますか」
「近辺に宇垣大尉の中隊がいるはずです」
「伝令か信号を飛ばしなさい。小隊は臨戦態勢で待機」
焦燥とともに命ずると、玲那は天幕を飛び出した。そこに張り詰めた空気を察したか、兵卒たちにも動揺が広がる。
「なぁ……なんかマズイことになってるらしいぜ」
「ほざけ。そもそもこの部隊自体がマズイだろ」
「どういうことだよ?」
「だってよ。戦場なんか、あのお姫様にわかんのか?」
聞こえてくる彼らの声に目を曇らせる。
「でも、血すら見たこともなさげだぜ」
「皇族が出なきゃいけないほどの……負け戦かいな」
玲那がお飾りであることはもちろん、禁闕部隊さえそうであることまで察されている。それもそうだろう、華族や皇族あがりのボンボンは兵卒から嫌われがちだ。家柄だけで昇進する温室育ちというイメージが不信感を呼ぶ。
それが自分たちより幼い少女となれば一層だ。
「おれたち、生きて還れるのかなぁ……」
背中に突き刺さる視線は、冷たく痛い。兵卒から下士官まで、あるいは枢密院まで玲那の部隊を捨て駒だと思っている――ずいぶん勝手に決めつけてくれるじゃない。
ぐっ、と玲那は拳を握り締めた。
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▲▲▲::⚓
▲▲▲:▲▲ 海
▲▲:▲▲▲
:::::: 洋
▲▲::敵::
▲3▲::::▲
▲▲::26:▲▲▲
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▲:山地
26:歩兵第26連隊(閑院宮本隊)
3:第三中隊(および禁闕部隊)
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「敵は昨晩、第26連隊を奇襲。真縫川河口の平地からこれを排除し、占領した。我ら第三中隊は平地西側の山地に取り残された」
重苦しい空気の中。机上の地図を示すのは、中隊長の宇垣一成だ。
「閑院宮本隊は南へと退却したものの、野砲部隊との合流に成功した。ロシア軍はこちらのような平地周囲の高地の掌握がまだである以上、迂闊に本隊を追撃できん」
「さしあたっての課題は――いかに我らは孤立を脱するか、ですね」
第一小隊の小隊長の言葉にうなずいて、彼は言葉を継ぐ。
「敵は山地に挟まれた低地にある。高地の有利を活かして挟撃の構えを見せつつ、本隊との合流を探る」
整理しよう。閑院宮の本隊がこれ以上退却することはない。けれど、実戦を想定されていない玲那たちの禁闕小隊は、同じく後方援護に徹するはずだった第三中隊とともに敵の正面に孤立している。目下の目標は、敵を牽制しつつ本隊と合流することか。
「各小隊長に問うことにしよう。貴官らはどこに布陣しようと思うかね?」
宇垣大尉の率いる第三中隊隷下、作戦会議に勢ぞろいした各小隊の下士官たちに尋ねたのだ。ただの諮問だろうか、あるいは現場の裁量をある程度認めてくれるのか。
「はっ、なら第1小隊はここ、白縫山東麓に設営致します」
「なら……ふむ、われら第2小隊は……、第1小隊に呼応して反対側の白浦岳に設営します」
即座に二人はそうやって地図上に印をつけて、示し合わせた。平地を東西から挟み撃つペアを即座に固めてしまった彼らは、残されてしまった玲那の方を見て、困ったように笑う。
「おいおい、やめてやれよ。あのお嬢さま困ってるぞ?」
「くくくっ、このままじゃぁ泣かしちゃうぜ」
「そうだな……おい、嬢ちゃん!」
第1小隊長に指されたので、すこし首を上げた。
「きみには無理だろう。俺らで決めてやる」
「うわ、やめてやれよ。司令殿の前で恥をかかせてやんな!」
「司令、彼女らの布陣場所は――」
手のひらを見せて彼のその言葉を止める。怪訝な顔をする彼らを横目に、はぁ、とため息をついた。分不相応な地位に居座る玲那がそんなに憎いのか。
そのまま地図へと手を伸ばす。
「小官は動きません」
現在地に、堂々と印をつけた。
「――は?」
場が一気に静まる。
「ぉ……おい、もしかしてお嬢さまは地図も読めないのか?」
「ぶぷっ、布陣という概念自体が理解できないのでは……?」
こらえきれなくなったのか彼らは臆せず笑い出す。わからなくもない、本隊と合流しなければならないのに、動かないと来た。嘲笑のうちに玲那は宇垣大尉の下へ進み出ると、困惑した声で問われた。
「どういうことだ。なんの真意がある?」
口を開こうとした途端、別のほうから声が飛ぶ。
「同職が申し訳ありません! ですが大尉どの、この娘に真意なんかないんです!」
「血統書だけのボンボンなんですよ、相手になさる価値もない!」
「あの、喋らせては貰えま――」
「口答えするなッ!」
女のくせに、と振り上げられた平手は玲那の頬を捉える。目を瞑ったその瞬間。
「やめよっ!」
宇垣の怒鳴り声で、ぴたりと小隊長は止まる。手をあげるとは大した度胸、もしくは憎悪だ。あるいは、それほど開き直るまでに絶望的な敵前孤立というわけか。
「諸君ら静粛にッ。どういう意味だ?」
違和感を押し殺して、宇垣へと向かい合う。
「牽制しつつ退却するのみでは、敵を撃滅しきれません。」
「どういうことだ?」
「本隊との合流ができたとしましょう。野砲と合流した本隊は体制を立て直してございます。ロシア軍を撃退するのは容易でしょう――しかし、撃滅するには力不足です」
ここで本隊との合流のため退却すれば、この高地をロシア軍に譲り渡すこととなる。こちらは高地の有利を失うこととなる。
「撃退で十分だ。勝利は勝利だろう? 我々のすべきは本隊との合流だ」
眉を寄せる宇垣に、玲那は肩を竦めて答えてみせる。
「果たしてその『勝利』の後、何が残りましょう?」
「……は?」
「皇國の勝利は、彼らの面子を正面から叩き潰すに等しい行為です」
いつかの日に大蔵大臣へ示唆したその想定を、口に出す。
「西洋文明の超大国が極東の未開国に、部分的とはいえ負けるのですよ? ロシア軍、ひいては皇帝の威信が根本から揺るいでしまいます」
「……だとしたらなんだと言うんだ」
「クリミア戦争で大敗した上に極東の新興国にすら勝てないとなれば、国外はもちろん国内での権威も失墜いたします。国体までもが危機に瀕するのです、ロシアは全面戦争も辞さないでしょう」
遠く、霧がかった幽林を見据える。
「そうなった時――…拡大し続ける戦火、増え続ける敵軍、激しさを増す戦闘。工業力は16倍差、軍事力に至っては40倍差。皇國は、果たして耐えられましょう?」
重い沈黙が場を支配した。
「……温室育ちが知ったような口を利きやがって」
「お嬢さまのご妄想に、付き合ってられるかよ」
「妄想? 超大国のプライドをへし折るのですよ?」
「「……ッ」」
数字だけでも結果は歴然だ。小隊長たちも口を閉ざしてしまう。
「……なら、どうしろというんだ。負けろとでも?」
「仰せの通りにございます。皇國はこの戦争に勝ってはならない」
敗北主義者め、という言葉が背後で漏れる。宇垣も言葉を絞り出した。
「だが、一人の皇國軍人として部下に負け戦をやらせるのは」
「ええ。非現実的でございましょう」
全員が怪訝な顔をした。
「わかってるのか? ならどうしろと?」
「戦闘に勝って、戦争に負ればよいのです」
「は?」
「皇國にもロシアにも逃げ道を与えてやるのです。皇國枢密院は戦闘に勝ったと言えるし、ロシアは戦争に勝ったと言える、そんな状況を」
唖然とする彼らを前に、言葉を継ぐ。
「わたしたちの仕事は最初から一つだけなのです――両国の名誉を守ること」
それが妥結のための、全面戦争を避けるための唯一の手段だから。
「皇國枢密院の言う戦争目標は『北洋開拓団の保護』、樺太の奪還ではございません。なれば開拓団の安全な引き揚げさえできれば言い訳になりましょう」
「開拓団……確かに、南部の大泊へ避難を始めておる」
「ゆえに第26連隊は、その時間を稼ぐのです」
ロシアの名誉のために、樺太はくれてやろう。けれど枢密院の名誉のために、ロシア軍の追撃は封じなければならない。しかし、と宇垣は地図を睨んだ。
「戦闘で負かすのだ……ロシアの面子に傷をつけることには変わらないだろう」
「ええ。戦闘で皇國に負ける、その言い訳も用意しなければなりません」
「あるのかね」
「『列強の影をほのめかす』ことでございます」
玲那は不敵に言い放つ。
「列強の影、だと」
「小官の部隊は、機関銃という英国の新兵器を配備しております。辺境国の軍隊相手に不自然なほど負ければ、背後に英国を錯覚させることもできましょう」
「不自然なほど負かす……というと?」
「敵の完全な殲滅です」
宇垣は絶句する。
「なんだと」
「徹底的であるほどに、英国の肩入れの深さを示すことができましょう。アジア人の背後に英国が付くことほど、彼らのトラウマを抉り返すものはございません」
ロシア人が最も恐れるのはクリミア戦争の再来だ。露仏同盟を結んで帝国との対立に舵を切ったいま、真反対の極東で、英国を巻き込んだ大戦争を起こすメリットは皆無である。
「座して死を待つくらいなら、死に活路を求めましょう?」
それでも、彼は俯いたままに言う。
「殲滅は……あまりに現実的でない」
「ゆえにここを動かないのです」
怪訝な顔をする宇垣に玲那は地図を指し示す。
「敵の撤退路は二択でございます。まずは真久峠を越えて樺太西岸へ抜けるルート。もうひとつは北上して補給拠点の元泊港へ退却するルート」
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▲▲▲::⚓
▲▲▲:▲▲ 海
▲▲:▲▲▲
Ⓢ::::: 洋
▲▲::敵::
▲3▲::::▲
▲▲::26:▲▲▲
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Ⓢ : 真久峠 ⚓: 元泊港
26 : 歩兵第26連隊(閑院宮本隊)
3:第三中隊(および禁闕部隊)
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「このうち北上して元泊港へ退却するルートには、狭い切り通しがございます。昨晩の大雨で崖崩れもございましょうし、このような隘路で大規模な行軍は困難です。ゆえに、Ⓢで示しました真久峠を越えるしかございません」
「実質、敵の退路はひとつと言いたいのか」
「ええ。ここさえ塞いでしまえば殲滅できるのです」
玲那が指したのは南北を山に挟まれた真久峠。そして第三中隊の現在地は、この真久峠を狙い撃つのにうってつけだ。敵は西に逃げて間宮海峡へと撤退できなくなる。さすれば実質的な包囲の完成だ。
「……ダメだ」
黙って、唸って、拳を握りしめて。宇垣は呟いた。
「なぜでございますか」
「たった一個小隊で封鎖を維持するつもりか」
「ある程度の衝撃を与えればよいのです。すでに包囲されていると錯覚させて、敵の士気を挫くのです」
「その錯覚をさせらせるほど、30名は十分な攻撃力じゃないと!」
彼が言った瞬間、勢いよく天幕が翻る。
「敵影こちらに接近、中隊規模!」
「!?」
ガタッ、と宇垣が立ち上がる。こちらは一個中隊弱。孤立中かつ準備不足で互角以上の規模を相手すべきではない――普通はそう考える。
「中隊長。迎撃の許可を」
玲那は宇垣のほうへ進み出た。
「迎撃……だと。まさか貴様、その30名で??」
「ええ。小官の小隊に、迎撃の許可を」
彼の口がパクつく。自殺行為だ、と。
知っている。敵は200名に達する中隊規模だ。
「歩哨接敵! 距離極めて近し!」
続けて舞い込む伝令。目を見開く宇垣に玲那は畳みかける。
「時間がございません。ご命令ください――降伏か、迎撃か」
無視された小隊長たちは憤ったか、むしろ玲那をけしかけた。
「ちっ、やってみろよ。やれるもんならな!」
「そうだ……撃たせてみましょう、中隊長!」
彼らの強い押しも合わさって、宇垣は決断する。
「っ……わかった、迎撃せよ」
「ありがとう存じます」
「ただしほかの小隊も迎撃準備を。急げ!」
ぱっと玲那は天幕から出ると、予め外に待機させていた伍長に命じる。
「第1第2分隊は迫撃砲設営」
弾薬箱の蓋が払われ、玲那が持ち込ませたその新兵器が姿をあらわす。
「これは……?」
「このように組み立てて、使うのです」
テキパキガシャコンと鉄片が組み上がってゆく。その様を呆然と眺める宇垣たち。確かに、組み立て式の携帯重砲など見たこともないだろう。
「……なんなんだ、これは」
5分経たずに組み上がったそれを見て、困惑する宇垣。
見たこともないシルエット。砲口は高仰角をとり、砲身は腕の長さほどしかないのに50mmという大口径。
「はっ――、重砲のつもりか?」
「第一ここは針葉樹林だぞ、砲撃が通るかよ!」
小隊長たちの声にひるまず、玲那は峠に面した麓のほうへ降りる。
「第3分隊は機関銃座の築陣を」
峠道を見下ろす木陰に銃座が置かれる。機関銃手たちは面識がある。上川離宮近辺の少年少女だ。いつしか玲那がリヤカーなり機関銃なりの扱い方を教えたことがある。
「お姫さまのことなんて、みんな……わかってないくせに」
ぽつりと呟くひとりの少女。玲那は力なく首を振った。
「けれど仰ることは正しい。確かに、玲那は逃げたのです」
「それでも白夜は、お姫さまを知っています。ねっ、リューリ?」
「……うん」
頷く少年少女に、玲那にもあったらしい良心がほんの少し痛む。ほかの兵士たちのほうへと目をやれば、やっぱり厳しい視線が返ってきた。
「何にせよ、あとで軍法会議送りです。責任はそこで取ります」
本当は責任なんか取れない。軍法会議になんかさらさら出るつもりもない。どんな汚い手を使っても逃げおおせる決意だけはあって、だからこうして蛮勇にも矢面に立って敵前逃亡の疑惑を揉み消そうとしている。
「けれどその前に玲那を裁いてくれるお国がなくなれば、困ってしまいましょう?」
詭弁だとわかっていて、小隊兵士に語りかける。これは、悪役皇女なりの保身の仕方だ。けれど不思議と自己嫌悪は沸かなかった。
「ですから……やるしかないのです」
ゲームや皇國枢密院が望んだとおりに破滅してやるものか。血塗れの道に堕ちても這い上がってやる――闘志を宿した翠の瞳で、眼下に迫る敵の戦列を睨めつけた。
「規模一個中隊。距離400で迎撃すること」
一個中隊、即ち三個小隊200名。宇垣の中隊はまだ準備ができていない。迎え撃つのは禁闕小隊30名、迫撃砲6門と重機関銃3基ぽっち。彼我は約三倍の兵力差だ。
「宇垣大尉。本隊からの援護はございますか?」
「あ、あぁ。第7砲兵連隊が明日には救援に来ると」
「増援まで……夜通し、孤軍奮闘ですか」
空を仰ぐ。南北にそびえる山々の間から、曇天が覗く。
「……闕杖官どの、距離400です」
「斥候伏せ。弾着観測は、灯火信号を以てこれを行う」
どんよりとした、重くて、湿った、息苦しい大気。この運命にはもってこいの空模様だ――さぁ、薙ぎ払って見せましょう。
「あの小娘、榴弾が森を通ると本気で思ってるんだな」
「しかも、砲口は明後日の方向向いてるぜ」
小隊長たちの揶揄どおり。遥か高空を捉えた砲口に、榴弾が装填されてゆく。
「見れば見るほど後進的だ。まさか前装式かよ…!」
「まさにガラクタだな――「撃ちかた始め」」
刹那、爆音。
榴弾は一直線に高く上がって、星空に消えていく。
「うっわ、思いっきり外しやがっ」
彼らの声を切り裂く、キィィィイーンという音。
高度500まで打ち上げられた榴弾は重力加速度に従って、地に堕ちる箒星のように、茂る木々の枝や葉を引き裂いて眼下の敵へ突き刺さる。
ドォッ、ドォオォォン!
炸裂、爆散。火球が森林を呑み込む。
「ッ!?」
絶句する宇垣たち。玲那はそれでも攻撃の手を緩めない。観測手の灯火信号に目を凝らして算盤を弾き飛ばす。
「次弾装填、弾着修正。仰角を5度下げて砲撃続行」
瞬きもしないうちに10桁に達する精密な値を叩き出して、次々と迫撃砲弾を導いてゆく。前線には絶え間なく灯火が点滅して、玲那の手元に情報を与える。
『敵増援。規模およそ1個中隊』
「追加のお客様がご入場です。高高度から歓迎なさい」
地に伏せれば、爆音が森林を引き裂く。何度も、何度も踏みにじるように。
「わぁっ……!?」
「なっ――…!」
立ち尽くす彼らの前で、砲手たちは忙しなく榴弾を打ち上げる。
「射撃続行、怯むな、止まるな!」
「てぇーっ!」
「着弾! 続けて右修正6度っ!」
逃げ場のない峠道で、迷走する敵兵たち。
「一発一発、装填して、見つけては……撃ってきたのに」
とある伍長は呆然とする。こちらの何倍もの戦列が、一方的な潰走状態に陥っている。
「この速射力、破壊力。比較にすら……!」
統制を失って、次々と銃器を投げ棄てていく。これではもう暴徒同然だ。
「傾斜角保てぇっ」
「次弾装填、続け!」
「左3度、斉射!」
虐殺とも称すべきかの光景を前に、宇垣たちは言葉を失っていた。
「あ…っ、…あぁ―――」
「な…なんだ、あれは……!?」
燃え上がる火球が、玲那を照らし上げる。
「遥か高く榴弾を跳ね上げ、槌のように直上から貫く。弾道の障害は存在せず、森林戦に一方的な火力支援が追随する」
ザァァァア――と烈風が遅れて届き、軍帽が舞い上がった。
「峠道の一点に対し、猛烈な火力を叩きつけるのです。一個小隊で十分……もはや蹂躙以外の何物でもございません」
史実において、日露戦争では世界で初めて機関銃が投入され、血で血を洗う悲惨な塹壕戦が繰り広げられた。これまでの騎兵主体の華麗な戦場という戦争像が粉みじんに否定され、地獄の消耗戦が始まったのである。
そんな世界初の塹壕戦で、そして続く第一次大戦で、最大の死因となる敵の機関銃陣地を撃破するにあたって活躍した兵器がある――その名を。
「これが、『迫撃砲』の威力です」
史実では二〇三高地にて誕生したその兵器。敵の塹壕に至近から爆薬を投擲しあう悲惨な肉弾戦が繰り広げられるさなか、とある前線将校が、より遠方へ爆薬を投射するため打上花火の仕組みを応用して即製のカタパルトをつくった。それはのちに、「敵に迫って砲撃する」という意から迫撃砲と名付けられた。
「はく……げき、だと」
短射程なれど軽量にして重火力。それはやがて第一次大戦で歩兵の強力な直掩火力となり、膠着した塹壕戦を打開してゆくこととなる。
「ええ。これを以て、戦況を抉じ開ける」
列強国の軍隊を殲滅する。玲那は強く言い切った。
「皇國の興廃、此の一戦にあり――中隊長、ご決断を」
「……ッ!」
いつしか背後は闇に還り、黒煙だけが宇宙に高く上っていた。