2024年より愛をこめて
「……クソゲーだ」
じりじりと照りつける夏の昼下がり。
駅のホームで、一人の高校生がスマホをにらみつけていた。
画面の中では、イケメンたちが爽やかに微笑んでいる。
多くのユーザーを虜にするはずのシーンが、今の自分にはどうにも不快だった。
「こんなの、発表さえなければ」
自由研究の班分けで、奇妙なメンバーと組まされてしまった哀れな自分。「乙女ゲー時代考察界隈」を名乗るその三人は、異様な熱量でこう言ってのけた。
"乙女ゲームはオトコによってイメージが歪められたの!"
「知らないって。夢女子じゃないし!」
"まず中世ヨーロッパ風なんてほとんどない。実際は時代物が多いの。特に人気なのは明治時代や大正ロマンで……"
渡されたのはこのゲーム。
主人公は現代のJCで、帰りの駅でホームから転落。電車に衝突して――目を覚ませば、荘厳な宮殿。そこに折よく皇太子御一行と遭遇する。
舞台は140年前。未来人を野放しにはできぬと華族学園へ。皇太子の同級生として入学することになるが、華族の作法を知らなくて、お嬢様たちにイジメられる。
「それを見かねた皇太子とか、イケメンたちが手を差し伸べて……恋が始まるかと思えば。日露戦争勃発??」
なんとこのゲーム、歴史イベントを絡めてくる。
激動の時代。戦争では攻略対象死亡イベントが稀に起こるし、立ち回りをミスると敗戦エンドを引いて、登場人物は主人公を含めてみんな処刑されてしまう。
「なんなんこのゲーム!」
攻略ウィキいわく、イケメン士官の攻略度合いが戦況を左右するらしい。その要素いるか?
"皇太子殿下が、私を好き? そんなのありえない!"
「あり得るの! 早く気づけ!」
まるで進まない主人公。未来知識を持っているのに歴史に振り回されるし、埒が明かない。業を煮やしつくして主人公が嫌いになってしまった自分は、ストーリーに対して逆張ることにした。
「有栖川宮、玲那。かっこいい……」
その名は、例の乙女ゲームの主人公――のライバル、いわば悪役令嬢だ。皇族なので悪役皇女と呼ぶべきか。
主人公にこれでもかと嫌がらせをするひどい性格だけれど、個人的には主人公よりマシだと思う。ストーリーが進まない一番の要因はこの女ではなく、主人公の鈍感にあるのだから。
(玲那ちゃん、いっつもかわいそう)
画面に表示される北海道の原野と、茫然とする悪役皇女。まだ若いのに辺境へと追放されてしまった。こんなふうに大抵のシナリオでこの少女は倒されるのだが、没落だの追放だの自殺だの、その全てにおいて救いがない。
『まもなく2番線に、12時ちょうど発……』
アナウンスに顔を上げれば、ホームの上を少年が危なっかしく走っていた。
(あの制服、このへんの中学校か)
ホームに並ぶ人たちが、突っ込んでくる少年をおっかなびっくり避けていく。何を急いでいるのかは知らないが迷惑な子だ。ため息をついて、スマホをしまおうとした瞬間。
「!?」
ドン、という衝撃が走る。
少年は何かにつまずいたらしい。その勢いのまま、こっちに飛び込んできて――こちらの身体が宙に浮く。
『札幌方面・東室蘭行き、普通列車が――』
ぐわんぐわんと、痛いほど脳裏に反響するアナウンス。足が地につかない。
『9両編成で……』
目の前には少年の身体。二人ともども宙を舞っている。ホームを踏み外したらしい。そこへ普通列車が迫りくる。
(あ、だめなやつ)
ふと、握ったままのスマホの画面が光った。
それはもう、燦然と。
” ――Now Loading―― ”
刹那、脳裏によぎる声。
光が弾けた。
「……っはぁ…!」
飛び起きるみたいに目を覚ました。直立不動で、背に汗をびっしょりとかいている。白昼夢だろうか。
真っ白な視界に少しずつ景色が見えてくる。
「は?」
見覚えのない薄暗い廊下が横たわっていた。
「……え、ぇ…」
赤い絨毯の敷かれた廊下に一人佇む。
少なくともここは家じゃない。
「玲那くん! こんなところにいたのか」
遠くにぼんやりと見える人影が、カツカツとこちらに向かってくる。
「諮問会議に呼ばれたかと思えば子守りとは……閑院宮家も舐められたものだ」
ぶつぶつ文句を垂らす立派な髭と、いかつい軍服。それとは対照的に若々しい足取りで、青年は目の前に立つ。
「勝手にこのような場所に行ってはいかんぞ、まったく」
と言われても。このような場所って、ここどこですか。
「あ……あのぉ。一体ここは」
「幼女が喋ったァ!?!」
とんでもない勢いで飛びのく青年。
「幼女? 誰が??」
「や、すまなかった。ここまで流暢に喋れるとは、さすがは有栖川宮のご令嬢」
有栖川宮――あれ、どこかで聞いたような。しかし一旦は隅に置いておく。
「ご、御令嬢? まさか、そのへんの高校生ですよ」
「は……?」
「というか、ここはどこですか?」
「わ、わからないのか?」
慌てる青年へと首を傾げた。記憶が正しければここは。
「北海道札幌市発寒区、JRの発寒中央駅では」
「有栖川上――お嬢様がご乱心です!!」
廊下に響き渡る大声。
「ちょっ、待ってください!」
「高校だの北海道だの……何かに憑かれているに違いない……」
「本当ですって」
「……いいか、玲那くん。そもそも、北海道に高等學校なんてものはない」
「なっ、そこまで田舎じゃないですって。札幌は200万都市ですが」
警戒を解かず、じりりと青年は言い返す。
「不毛の泥炭地に、そんな巨大都市があってたまるか」
「不毛って。農業出荷額全国一なんですけど」
「はっ。あんな気候でまともに農業など……鎮台さえ設営できないのだぞ」
「……『鎮台』?」
「聞いたことがないのか? 陸軍の部隊だ」
「陸軍って。軍は戦争に負けてもう解体されたでしょ……」
いったい何をしてるのだろうと心中嘆く。何が悲しくて立派な髭相手に一般常識を説かなくちゃならないのか。
「れ、玲那くん……今、なんと」
「いや、敗戦で解体されて今は自衛隊って」
「玲那くん」
一瞬のうちに彼の出す空気が、殺伐としたものに変貌する。
まずい――そう喉を鳴らす間もなく、青年は動いていた。
「幼子とて、言ってはならぬことがある」
ザッ、と首元を刃が突く――そう錯覚するほど、刹那、強い殺気が頸部から全身を貫いた。
「わぁぁああっ!」
恐怖に従って後ろへ倒れ込む。
手元に握っていたスマホが飛んで、床に転がった。
「っ、玲那くん!」
慌ててこちらを抱き支えようと手を伸ばす青年が、ふと立ち止まる。
「いたたた……」
ゆっくりと身を起こせば、青年の唖然とした顔がある。立派な髭が冷や汗を乗せていた。その視線は一点、こちらの頭の右上へ。
「なん……だ、それ、は」
点いたままの乙女ゲームの画面を怯えながら指差す青年に、ごく普通の答えを返す。
「す、スマートフォンです」
「光で……数字が、書いてある?」
こちらを乗り越えてスマホへ駆け寄る青年。
そこに羅列された数字にくぎ付けだ。
「こっ、このような時計が!?」
画面に大きく映された数字が示す時刻――”12:13 2024/8/15”。
「2024……だと?」
「年号ですよ、令和6年」
「レイワ? 何の暦だ、皇紀とは違うのか?」
「元号ですけど」
「は、はぁ? 前後の元号は??」
「前は『平成』ですよ……」
「いい加減にしてくれっ、君は一体何を言っているんだ!? 和暦がわからないなら、イスラム暦でも仏暦でも、西暦でもいい!」
西暦――!
知っているなら何故わからないんだろう。
「そう、西暦ですよ西暦! 今年は西暦2024年、即ち令和6年!」
「ッ!?」
青年は固まる。
「いや、ですから明治、大正、昭和、平成ときて令和!」
「………『明治』、明治と言ったか!?」
「ええ、明治です! 開国と近代化の時代で、1868年から19――」
「待て、それ以上は!」
すべてを言い終わる前に、正面から肩を掴まれ揺さぶられる。
「馬鹿、な……」
こちらの困惑をよそに彼は真顔でこう言った。
「今日は、明治23年即ち西暦1890年8月15日……だろう」
「……令和6年、つまり西暦2024年8月15日じゃなくて?」
震える声で青年は問う。
「玲那くん――いいや。君は、誰だ?」
「わ、わたしは」
答える隙もなく、青年は動き出す。
「いや、よい。ついて来たまえ」
手を引かれて廊下を歩む。
「これ以上面倒なことは知りたくない」
「?」
「どうせ今日限り。君が誰だって別に良いんだ」
ただでさえ宮家の末席で、断絶間際を継がされた肩身の狭い身分で、これ以上面倒ごとを背負うのはごめんだ。そう独り言ちながら、青年はずんずんとこちらの手を引いて赤絨毯の階段を上っていく。
「幼児の自我などそもそも曖昧だろうし……とはいえ、いま降りてきた未来人の人格をどうしろと」
「未来人?」
「あぁ」
階段の途中、大きな窓の前で青年は立ち止まった。
「外を見てみるとよい」
そう指した青年の先に、視線を動かす。
それから言葉を失った。
「――嘘でしょ?」
堀を挟んで、どこまでも瓦屋根が続いている。
高い建物なんてない。
ここは地元じゃない。現代でもない。
どこなんだ、ここは。
「ここは明治23年の帝都、枢密院本庁だ」
「め……い、じ?」
青年は固い表情のまま言う。
「予は閑院宮載仁。閑院宮家6代当主。有栖川上より、今日一日限り、君の面倒を任されている」
そしてその君は――、閑院宮は窓とは反対のほうを指し示す。
螺旋階段の踊り場に立つ小ぶりの姿鏡。
それでも、全身を映すのには十分だった。
「は…、ぁ……?」
知っている。この姿。この身なり。この顔。
「有栖川宮家、その第2皇女たる有栖川宮玲那。融合だか憑依だか知らぬが、それがいまの君だ。ちなみに5歳」
「5さい」
知っている。海馬に絵の具をぶちまけたみたいに、全ての記憶が蘇る。いいや、違う――この身体に宿る魂が、有栖川宮玲那の意思と融合していく。その仕草が、言葉遣いが手足に至るまで染みていく。
「ありえま、せん」
閑院宮曰く、1890年8月15日。それはまさに、あの悪役皇女が登場する日付。
間違いない。ここは、前世で見たゲームの世界だ。
「あはは……」
もういちど自分の身体を見下ろす。
小さい手。低い視界。藍色がかった長い髪。まだ幼い姿だが、瞼に焼き付けて覚えている。どれほど逆張り推したことか――愛してやまないその悪役は、けれど、どうして。
「なぜ玲那なのですかあああ!?」
閑院宮がびくりと震えるが、気にする余裕もない。没落、国外追放、自殺。数多くのルートでこのお姫様は破滅する。それだけならまだしも歴史イベントとか訳のわからない要素を混ぜてきて、立ち回り次第では戦争に負けてゲームオーバーときた。
この小さな手で、イケメンたちのみならず、清朝やロシアまで攻略しろだって?
「どう……しろと、申すのですか……」
明治23年・極東、とある小国。
唐突に運命を突きつけられた皇女は、茫然と立ち尽くした。




