第二話 初陣
俺は魔物を見つけ出そうと目を凝らす。それは程なく見つかった。公園の真ん中、水飲み場の方に向かって跳ねるように走る。蛇口のような姿をした巨大な動物。それは水飲み場の蛇口を捻り、勢いよく水を噴出させた。その光景に正直俺は呆れかえった。
「というか、これは悪さというか悪戯だな。人が死ぬわけでもなし、ほっといてもいいんじゃないか?」
「でもこれで無駄遣いされるのはキミたちが汗水たらして納めた税金だよ?」
ペトロンの一言で目が覚める。
「なるほど、許せん!」
怒りの気持ちが高まると、ステッキのハートの部分が光を帯びた。俺はそれを魔物に向けた。
「吹っ飛べ!」
ステッキの先に光が集まって玉になり、それが魔物に向けて放たれた。魔物は避ける様子はない。光の玉は魔物にぶつかる。カァンと軽い音が鳴った。はたして魔物はびくともしなかった。
「くそっ! 吹っ飛べ! 吹っ飛べったらぁ!」
ステッキを振り回し光の玉を乱れ撃つ。光の玉がぶつかる度に、腹立たしいほど軽い音が響くだけだった。
やがてもくもくと白い砂煙が立ち始める。その煙を割いて、水の太い柱が俺の胸めがけて飛んできた。
「ウッ」
声が漏れた。俺の身体は勢いそのままに後ろに投げられる。そして肩甲骨を地面にしたたかに打ち付けた。
「いったああああ……。それに服もぐしょぐしょ……。気持ちわるぅ……。へくちっ」
魔法少女の衣装だからといって特別水に強いとか体温を保ってくれるとかそういう機能はないようだった。
俺は魔物を睨みつけた。その時初めて魔物がすぐそばまで間合いを詰めていたことに気が付いた。絶体絶命だ。そう思ったその時のことだった。
「見てられないねぇ」
張りのある声が飛んできた。声のした方に振り返ると、赤い修道服を着て、ステッキを持った少女が木の枝に立っていた。彼女はそこから勢いよく飛び降りる。
着地の瞬間、ぐきっと嫌な音がした。少女は痛そうに右足首を庇う。今度はこっちが心配する番だ。
「おい、大丈夫か?」
俺は少女に駆け寄る。すると彼女はすっくと立ちあがった。
「ふう。多少の怪我でも問題にならないところが魔法少女の良いところだな。さて……」
少女はそう言ってステッキを魔物に向ける。そして不敵な笑みを浮かべて言うのだった。
「見てな! 魔物はこう倒すんだ! アルディアート!」
次の瞬間魔物の足元から炎が現れ、たちまち魔物は炎上した。魔物は自らの蛇口を捻り、水を放って消火を開始する。やがて魔物を包んでいた炎は治まった。俺はツッコまずにはいられなかった。
「倒しきれてねーじゃんか!」
「うるさいなぁ」
少女は俺をキッと睨みつけて答える。
「水属性の魔物に火属性の魔法ぶつけるとデバフ食らうのは常識だろ! でもヒットポイントは大分削ったはずだ。あとは……」
「策があるのか?」
「削りまくるのみ! お前も手伝え!」
脳筋だった。だが俺にもこれといった策はない。俺は言われた通りステッキを構え、光の玉を放ちまくった。その間も魔物は水鉄砲を放って反撃してきた。俺たちは飛びのいて避けながら攻撃を継続した。やがて魔物は膝をつき、蛇口から水を溢れさせた。少女は攻撃をやめこちらに振り向いて指示した。
「よし、もうすぐだ! あとは決めろ! お前!」
「あ、ああ!」
俺はそれに従い、手を緩めることなく光の玉を放ち続ける。魔物に少しずつひびが走った。ようやく目に見えて自分の攻撃が効いているのが分かった。次第に魔物はひびで真っ白になった。
「これで……とどめだあああああ!」
俺は大きくステッキを振る。一際大きな光の玉がステッキの先を離れ、真っすぐに魔物に向かって飛んでいった。そして光の玉は魔物にぶつかる。パリンと音が鳴り、魔物は粉々に砕け散った。後に残った真っ白な粉の山も、風に乗って霧散した。俺たちは魔物を倒したのだ!
どこからともなく水色の宝石が胸の前に現れた。俺はそれを手に取ってみる。宝石は照明を受けてというよりかは、自ら光っているように見えた。そこに一緒に戦っていた少女が近づき話しかけてきた。
「魔宝石を手に入れたな。それを使って魔力の増強ができるぞ」
「戦いが終わったところでいくつか訊きたいことがあるが、まず、そもそも君は誰だ?」
俺が尋ねると、少女ははっと目を大きく見開いた。
「そういえば名乗ってなかったな。私の名前は大隅ほむら」
「俺は藤原実近」
ほむらの自己紹介に答えるように俺も名乗る。するとほむらはぷっと吹き出した。
「な、なんだよ」
「ごめんごめん。貴族みたいな名前だなって思って」
「まあ、家は大きかったし躾も厳しかったと思う」
「何やら事情がありそうだね。私で良ければ話聴こうか?」
ほむらとは初対面だったが、これから長い付き合いになる気がした。それに、彼女に助けられたことで、ほむらのことを信頼してもいいと思えた。そういう訳で、俺はほむらに促されるまま、真夜中の公園の、照明に照らされたブランコに腰を下ろしたのだ。ほむらは自販機で缶飲料を二つ買い、一つをこちらに抛った。手のひらに伝わる温度は冷たい。俺は表示も確認せず口に含む。
俺はどこかでコーヒーを期待していたのかもしれない。だが、それは期待よりどろりとしていて、苦みは全くなく、代わりにどこか覚えのある酸味があった。結論をいうと、お世辞にもおいしいとは言えない――少なくとも俺好みの味ではなかった。俺は吐き出してしまった。
「おいおい、大丈夫かい?」
心配そうに覗き込むほむらに大丈夫と手を挙げた。そして俺は右手に持っている缶に目をやった。果たして商品名は、「からだに優しいトマトジュース」。俺は思わず叫んだ。
「げぇ! よりによってトマトジュースかよ!」
「だってこんな時間にコーヒーは目が冴えるし、ぜんざいやコーンスープは太るだろ?」
なるほど、一理ある――と納得できるはずがなかった。
「それならペットボトルのお茶をくれればよかったじゃないか!」
「分かってないなぁ。相棒に缶飲料を抛って悩みを聴く――そのシチュエーションに憧れるんじゃないか」
身勝手なところはあるが面白い奴だった。そういう人間味を感じるところに、俺は惹かれたのかもしれない。だから俺はぽつりぽつりと話し始めた。
「じゃあ悩みでも聞かそうじゃないか。さっき言った通り、俺は大きくて躾の厳しい家の、それも長男だったんだ。小学生の頃から文武両道であるようにと育てられた俺は、それに応えるように努力し続けてきた。親からすれば期待の長男だったんだろうな。ところで、俺には妹がいるんだ。妹は俺以上に優秀だった。だからだろうな、両親が妹の方ばかり可愛がるようになったのは。決定的だったのは俺が高校に入って最初の試験の時のことだ。俺は当然地元の進学校に進学した。でも、授業についていけなかったんだ。試験の結果は散々だった。期待の長男はこの時に期待外れの長男へと堕ちたんだなぁ。今では、妹は外資の東京支社で部長、俺は地元の中小企業で窓際族だ」
「ちょっと待て、お前今何歳だ?」
ほむらは素っ頓狂な声をあげる。そう言われれば確かに魔法少女のこの見た目で実年齢なんて分かるはずがない。
「48歳。しがないおじさんさ」
「48!? 私の6倍生きてるじゃないか!」
「てことは、君は8歳じゃないか!」
今度はこちらが困惑する番だ。魔法少女姿のほむらは、どう見ても中高生だった。背の高さもさることながら、二次性徴期を迎えて丸みを帯びつつあるボディラインが服の上からも分かった。そしてそれ以上に、8歳という若さ、いや幼さでペトロンと契約した理由が気になった。
「それで、どうしてほむらは魔法少女になったんだ?」
「そんなの、魔法少女になりたかったからに決まってるじゃないか」
年相応の憧れだった。それが微笑ましくて、俺は思わず笑みをこぼしてしまった。
「な、なんだよ」
ほむらはムッとする。それさえ子供っぽくて、俺は笑いながら謝った。
「ごめんごめん。確かにほむらちゃんの歳だと憧れるよね、魔法少女」
「馬鹿にされてる気がする……」
「馬鹿になんてしてないって!」
「うーん、じゃあそういうことにしとくけど……」
そういうほむらは不服そうだった。そんな彼女をなだめるべく、俺は話題を変えた。
「ところで、俺魔法少女になる時に服破けてしまったんだけど、これって元の姿に戻ったら裸になるの?」
ほむらは今度は吹き出し、笑い出した。目に涙まで浮かべている。自分で訊いておきながら、俺は居心地の悪さを感じた。彼女は涙を拭い、笑いを抑えながら答えてくれた。
「なるほど、お前は変身するのも戦うのも初めてだったんだな! そうなんだよ、魔法少女に変身すると、その時着てたものは破けてしまうんだ。だから変身する時はプライベートな空間で裸になってから変身するといい。もちろん元に戻る時もプライベートな空間でね」
スーツは諦めるしかなさそうだった。俺はガックリと肩を落とす。そんな俺の様子を気にすることなく、ほむらは提案した。
「そうだ、魔法少女になったばかりなんだったら、稽古をつけてあげるよ。明日の同じ時間に、変身した状態で来ること。いいね?」
断る理由はない。俺はほむらに頷いてみせた。それを見てほむらもにっこり笑って頷いた。
「よし、じゃあまた明日な!」
そう言い残して彼女は飛び上がる。魔法少女だからだろう、ジャンプの高さも距離も普通の人間とは比較にならないのは。ほむらはそのまま屋根に飛び乗り、屋根伝いにどこかへと消えた。
それを見届けてペトロンが駆け寄ってきた。
「お疲れ様。魔法少女になってみてどうだった?」
彼の問いかけに俺は微笑み答えた。
「変われる気がする」
「それはよかった」
ペトロンは満足そうに言った。風が吹き、俺のワンピースを優しくはためかせる。俺の初陣はこうして幕を閉じた。