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第一話 魔法少女実近

 人生というものに辟易していた。誰も慕ってくれる人のいない職場で、誰にも感謝されない仕事をして、誰も待たない家に帰る。俺は一体、何のために生きているのだろう。

 冷たい風の吹き荒ぶある日のことだった。この日は運良く終電に間に合い、街灯に照らされた家路を歩いていた。深夜に寒い中独り歩くと、余計惨めな気持ちになる。

「やあ、キミは随分と澱んだ目をしているね」

 親しげに話しかける中性的な声が聞こえた。辺りを見渡すが人の姿はない。

「ここだよ」

 足元から声が聞こえた気がする。目を向けると、そこには見たこともない四本足の動物が足に絡むように立っていた。色は全体的に緑、たぬきのような尻尾に狐のような顔、ロバのような耳に猫のような足。こいつが喋ったのか?

藤原実近ふじわらさねちか。人生を変えたいと思ったことはないかな? 過去の思い出も今の幸せも将来への希望もないこんな人生を、変えられるなら変えたいと願ったことはないかな?」

 普通の人ならこんな胡散臭い話に聞く耳を持たないだろう。まして見ず知らずの動物に名前を呼ばれたのだ、警戒するのがまともな人間の感性というものだ。だが俺は自分の人生にとことん嫌気がさしていた。この人語を操る動物の言うことを聞けば、少しはマシな人生になるだろうという期待があった。だから俺は尋ねたのだ。

「変えられるのか、こんな俺でも?」

「もちろんだよ! むしろキミみたいなタイプだからこそ変えられるんだ! 立ち話もなんだ、少し落ち着けるところに行こうじゃないか」

 そう答えてその動物は先導するように歩き始めた。俺は素直にそれに従う。一緒にいるのは見ず知らずの、それも動物。それでも俺は、どこか安らぎにも似たようなものを感じていた。

 辿り着いたのは近所の公園だった。常夜灯が煌々と公園を照らしていたが、こんな夜更けに人の姿があるはずがない。

 動物はベンチに飛び乗り腰を下ろした。俺もその隣に腰掛ける。そして動物の方に目を向けると、それはつぶらな瞳でこちらを見上げて言った。

「そういえば自己紹介をしてなかったね。ボクの名前はペトロン! キミみたいな人生に嫌気がさしている人の人生を変えることができるんだ!」

「変えるって、どんな風に?」

 俺が尋ねると、ペトロンは尋ね返した。

「その前に、キミは本気で人生を変えたいのかい? どうして人生を変えたいのかい? まずはそこから教えてくれないかな?」

 俺は目の前のペトロンを見た。果たしてこいつは信用に足る奴なのだろうか? 真っ直ぐな眼差し、固く閉ざされた口元、緊張をほぐすように振られる尻尾……。どうせ相談できる相手などいない。それなら、目の前の動物を信じてみようという思いを抱いた。

「もうこんな人生嫌なんだ。慕ってくれる人もいない、感謝してくれる人もいない、愛してくれる人もいない、こんな人生。変えたいと願ったさ、何度も。でももう遅いんだ」

「なるほど、キミは他人から必要とされるように変わりたいということだね? 大丈夫、今からでも変えられるよ」

 ペトロンは嗤いもせず、憐れみもせず、真っすぐな眼差しで言い切った。俺は彼の話に俄然興味がわいた。

「それで、俺はどうしたら変われるんだ?」

「簡単なことさ! ボクと契約して、魔法少女になってよ!」

 こいつは何を言ってるんだ? 俺は思わず立ち上がる。

「待て待て待て! 俺はアラフィフのおじさんだぞ!」

「だからこそ、本気で人生を変えたいなら、魔法少女になるしかないという訳さ」

 俺は考える。正直この人生には天井が見えている。惰性で続けてきた人生、これからも続けていったとしても幸せにつながるとは思えない。それならままよ、魔法少女になってしまうのもありか。俺は再びベンチに腰を下ろす。

 しかし俺には唯一失いたくないものがあった。

「なあペトロン、魔法少女になるのはいい。だが俺は一つだけ失いたくないものがあるんだ」

「それはなんだい?」

「愚息だ」

 それを聞くとペトロンは首を傾げた。

「愚息? キミは独り身じゃないか」

 彼の問いかけに俺はため息を吐かずにはいられなかった。

「男が言う愚息といえば、あるだろう。分かれよ」

「ああ、そういうことか! もちろん残すことは可能だよ」

 ペトロンは胸を張って言い切った。その様子を見て俺は安心した。そんな俺を見てペトロンは確認する。

「その他に気になることや聞いておきたいことはないかい?」

 言われて俺は考えてみる。魔法少女になるということは、生活がガラリと変わることになる。

「ちょっと待て。生きていくには金がかかる。その金はどうしたらいい?」

「手持ちがゼロなわけじゃないだろう。増やせるように金運を上げてあげるよ。だから今の仕事はやめるといい」

 ペトロンはにやりと笑みを浮かべた。もしかしたらこの手は悪魔の手なのかもしれない。しかし俺は、その悪魔の手を欲していた。

「いいだろう。ペトロン、キミと契約したい」

「そうこなくっちゃ! じゃあ早速契約の儀式をしよう」

 そう言うや否や、ペトロンは肩に飛び乗り、首元に噛みついた。甘噛みなんて生易しいものじゃない。かなり本気の噛みつきだ。

「いったあああああああ!」

「おとなしくしていてくれよ。身体の中に魔力を注入しないとキミは魔法少女になれないんだから」

 首から幾筋も血が流れた。しかしそれと同時に身体の変化にも気づく。頬の弛みはなくなり、ひげは抜けてつるつるの肌になり、出ていた腹は引っ込む。何より、内側からエネルギーが湧いてきた。

 やがてペトロンは首筋から口を離す。俺は恐る恐る彼が噛んでいた辺りを触るが、出血は止まっているようだった。

「安心してくれていいよ。キミの身体は怪我をしてもすぐに治るように変化しているよ。これから魔物との戦いに明け暮れることになるからね」

 俺は困惑のあまり何も言えなかった。そんな俺を気にすることなく、ペトロンは続ける。

「それと、はいこれ」

 彼はどこからかピンク色のハートの付いたステッキを取り出し、俺の膝に置いた。

「これを振り回すのか……。アラフィフのおじさんの俺が……」

 口を突いて出た声に自分で驚く。それは声変わり前の甲高い声だった。だが、ペトロンは平然と言った。

「今のキミはそんなステッキも似合うオトコの娘だよ。さあ、呪文を唱えて変身するんだ!」

 ええいままよ。俺はもうペトロンと契約した身。魔法少女になるしか俺に残された選択肢はない。

「分かった。何て唱えたらいい?」

「キミの思う通りに唱えたらいい」

 そう言われて俺はステッキを手に取ってみる。するとステッキのハートの部分がほんのり光った。ステッキを返したり振り回したりしながら、呪文を考える。やがてこれというのが決まった。俺はステッキを天に掲げて唱えた。

「マジカル・ホープ、メイクアップ!」

 ステッキのハートの部分からまばゆい光が放たれる。ジャケットが、続いてパンツが破れる。

「あー! このスーツ高かったのに!」

「気にしない気にしない。どうせ明日からは必要ないだろう?」

 俺の哀しい訴えは一蹴された。そうこう言っている間にも変身は進む。

 Yシャツのボタンが弾け、ネクタイはリボンとなってステッキに縛られる。次いで下着と靴下が溶けた。

「おい、こりゃ公然わいせつというやつじゃないか!?」

「大丈夫さ! 今のキミは光を纏っているんだ。周りからは君のシルエットさえ分からないよ」

 そういう問題じゃない。俺にも恥じらいというものがある。そしてその恥じらいは余計に強まることになる。股下をすっぽりと覆うように現れたのはショーツだったのだ。次いで胸にもブラが現れる。

「こ、これじゃあ変態みたいじゃないか!」

「感心しないなぁその態度は。キミは女装趣味の人を差別するのかい?」

 個人的感覚を行き過ぎたポリティカルコレクトネスで歪めないでほしい。

 やがて白い長手袋と、白いストッキングが現れる。最後に沢山の赤いリボンと何層もの白いフリルがあしらわれた桃色のワンピースに覆われて、変身は完了したようだった。

 変身したということは俺は魔法少女になったということだ。それならば確認したい、いや、確認しなければならないことが一つある。

「少し手を洗ってくる」

 そうペトロンに声をかけて、俺は公園内のトイレへと駆けた。

 しかし目前にしてはたと立ち止まる。右は男子トイレ、左は女子トイレ。今の俺はどちらに入ればいい? 右往左往しながら、真っ白になりそうな頭を必死に回転させる。そうだ、最悪の事態を想定しよう。男子トイレに女性が入っていたというより女子トイレに男性が入っていたという方が問題だ――一般的に考えて。

 結論を出してからは早かった。俺は一目散に男子トイレへと駆ける。そして個室の鍵をかけ、股下を確認した。

 はたしてそれはついていた。俺はほっと胸をなでおろす。俺は最後の誇りを守ったのだ。個室の鍵を開け、俺は洗面台へと向かう。鏡に映し出されたのは、赤い頬、つぶらな瞳、潤った唇、艶やかな黒髪……、どこからどう見ても美少女だった。

「これが……俺……」

 俺は右頬に触れてみる。鏡像も同じく右頬に触れた。俺はそのまま頬をつねってみる。痛い。鏡像も頬をつねっている。どうやらこれは現実のようだ。

 その時突如として蛇口という蛇口から水が噴出した。

「な、なんだ!?」

 突然のことに混乱していると、ベンチからペトロンが駆け寄ってくるのが見えた。

「実近、魔物が現れたんだ! この水の噴出は魔物の仕業なんだ!」

 俺はステッキを握りしめる。初陣の火蓋が切られようとしていた。

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