<ラグナロク>と『フェンリル』
「な、なんだこれは……」
「これは……日本の妖怪ではないようね。いや、妖怪なんて生ぬるい。神話の化け物かな」
「当たっていマス。これは北欧神話に登場する、『フェンリル』。北欧神話での最高神、オーディンと対峙してそれすら飲み込み、ラグナロクを迎えたと言われていているデス」
「あのオーディンを……暁月さんが言っていることが事実なら、尊君に関係なくこの世界を終焉に誘うことも出来るって訳ね」
リアンの額には、汗が滲んでいる。
あのリアンに。
常に冷静で、軍用ヘリの機関銃をものともしなかった彼女が、だ。
ウオオオオオオォォォォォォォ
街全体に響き渡るかのような遠吠えをあげるフェンリル。
赤く血のような血走った眼光を俺達に向ける。
到底和解できるような状況でもない。
倒すしか、道はない。
勝てるのだろうか。
――いや、勝つしかないんだ。
俺達にはそういう道しか用意されていない。
皆、頼むぞ。
「なあ、神代……これ、夢だよな。皆おかしくなっちまっただけなんだよな?」
「……武藤、安心しろ。お前の中では、これは夢で終わる。だからこそ、しっかりと焼き付けてくれ、三人の勇姿を」
戦いは、始まった。
「私がサイコキネシスで足を抑える。その間に二人は、フェンリルの首を落としてくれ」
うん、と二人が頷く。
「Curre, Hermes. Per meae! ..(駆けろ、ヘルメス。我が命により!。)」
リアンは魔法陣とともに飛んだ。
「来て『青龍』!」
その言葉とともに、朱莉は目の前から消えた。
蒼く揺らめく炎を全身に纏い、碧眼の瞳にもその炎は宿っていた。
「Atmosphaera, nunc tempus est catenare.(大気よ、今こそ鎖たる時。)」
すると空中には十個ほどの金色の魔法陣が展開され、そこから大量の鎖が出現する。
その鎖はフェンリルの胴体に、尾に、首にと絡まりガッチリと動きを固定する。
消えた朱莉はどこかと探したところ、胴体の下に立っていた。
途端、目の前に血しぶきが飛ぶ。
その元は、フェンリルの大きな首。
そこから円形に、血が散っていた。
斬ったのか……今の一瞬で。
なにも見えなかった。
俊足の白い炎をまとう『朱雀』も使っていない、そして『青龍』は違った力を持つはずだ。
その力の仕組みは理解できないが、確実に急所を狙って攻撃に成功していた。
ウオオオオオオォォォォォォォ
再び響き渡る咆哮。
まだ、死んでいない。
首の傷が、どんどん再生していく。
「なんで……『青龍』で仕留めきれなかった……あたしの力持ってしても。東洋の神獣の力では、西洋の神獣は倒すことはできないっていうのっ」
『朱莉君、考えるのは後だ。まだサイコキネシスは効いている、次の手を打つんだ!』
「なら、『白虎』!」
胴体の下に居た朱莉は、強靭な力を授ける『白虎』を憑依させ腹を掻っ捌いていく。
一瞬にして胸から尻の方までまるで、鋭いメスで切ったような切り傷を与える。
するとフェンリルは、傷が痛むのか柊のサイコキネシスを振り払い、朱莉に噛みつこうとする。
しかしリアンの鎖によって、その距離はギリギリ届かない。
『鎖? そうだ……! リアン君、フェンリルの正体がわかるか?』
空中に鎮座しているリアンが答える。
「正体……? あ、なるほどデス! そういうことデスね。アカリ! 一旦退いて下さい!」
「わかった! 『朱雀』!」
その声を聞いた朱莉は、一度の跳躍で相当な距離をとる。
一体今ので、なにがわかったというのか。
「神代、今『フェンリル』って言ってたよな皆」
呆気にとられていた武藤が急に口走る。
「そうだけど、なにか知っているのか?」
「あぁ、『フェンリル』っていうのとあの見た目が確かなら、<北欧神話>に登場する、そこの最高神である『オーディン』を<ラグナロク>の際に飲み込んだと言われる伝説上でも最強クラスの生き物だ」
「おま、なんでそんなの詳しいんだ? 今までそんな事、一回も言ってなかっただろう」
「ふっ、俺の中二時代の傷が痛むぜ」
単なる中二病で得た知識かよ……
でも今の状況でその知識は正直助かった。
「今しがたリアンが言ってた正体ってなんのことか分かるか?」
「さてな、それは判らないが、俺の予測が確かなら次は<ドローミ>じゃなくて<グレイプニル>が出るだろうな」
「なんだよ、その名前」
すると突然、リアンが放っていた鎖が消えた。
無防備になるフェンリル。
俺達の方を向いている。
「全く少年は、神獣にも好かれるようだな。安心しろ、私のサイコキネシスの壁でどんな攻撃からも守ってやる」
――ウオオオオオオォォォォォォォ
咆哮が聞こえる。
その瞬間、口から赤い炎が見える。
「キョウカ、時間を稼いで下さい。今詠唱を始めマス!」
強力な炎が視界一面に広がる。
柊のお陰で、こちらには一切被害はない。
そこでリアンの呪文が聞こえる。
「『Secundum nomen meum Skírnir. Da mihi filum gladii.(我が名に応じよ、スキールニル。爾の紐を、貸したまえ。)』」
上空には再び翡翠色の魔法陣が展開され、そこから光る太い縄のようなものが伸びる。
それがフェンリルに纏わり付く。
――ウオオオオオオォォォォォォォ
再び咆哮が聞こえる。
縄が巻き付いてからは、炎も止まり、力も抑えられているようだった。
「あれは、ドワーフによって作らせた特別な縄だ。それによって、『フェンリル』は拘束されたと言われているんだ。流石暁月さん、どういう原理かは知らないが、やりますね!」
「武藤くん、だったら私も褒めて欲しいところだね」
「ええ、素敵ですよミス柊」(キラーン)
どうやら武藤はこの状況を楽しんでいるようだ。
大体お前が招いた凶運だろうに……
まあどうせ記憶は消されるんだ、好きにさせておくか。
「そういうことね、あたしもやっと意味が理解できたわ。でもあたしでは、北欧神話に干渉することができないの! なんとかあたしの『朧月』にその神を宿すことはできない?」
「わかりマシタ! このロープは召喚しても少し時間が経たないと消えマセン。今、切り替えマスヨ~」
朱莉は刀を構える。
「暁月さん、準備ができたわ。来て!」
「いきマス!『Nomen senis Vidar. Othinus patris sui potestatem hæredit. Da potestatem illi gladio.(爾の名はヴィーザル。父オーディンの力を受け継ぐもの。其の刀へ、力を宿し給え。)』」
朱莉の下に、魔法陣が生成される。
そしてその力を受け取ったのか、黄金に光る『朧月』
「霊能力者として、『フェンリル』貴方を<ラグナロク>へと導きます。ヴィーザルの剣を受けなさい! はぁぁぁっ」
朱莉は跳ぶ。
フェンリルの首にめがけて放った一撃は、刀身の距離よりも非常に長く、大きな首を一刀両断にした。
その断面は、血液が出ることもなく、光に満ちていた。
落下した頭部も、光に包まれて消えていく。
「マジかよ……」
そのセリフを言ったのは俺じゃない。