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3(初めての来館者)

 閲覧室に入ってきたのは、二人の若い男の人だった。たぶん、大学生くらいの年齢だろう。顔にはまだ幼さがあって、地表に出たばかりの鉱物みたいなところがあった。これから、長い風化作用を受けていくのだ。

 二人とも、まるで何かに追われているみたいな慌てぶりだった。転がりこんでくる、という表現が近い。部屋に入ってくるなり、入口すぐ横の壁に身を隠し、緊張した面持ちで外の様子をうかがっている。

 その手には、銃が握られていた。

 わたしはイスから立ちあがって、レコードの針を上げ、スイッチを切った。音楽が消えてしまうと、絵が一瞬でモノクロになってしまうみたいに世界の形が変わる。本当の姿がどっちなのかは、よくわからなかったけれど。

「――ようこそ、いらっしゃいました」

 わたしは気合十分の、にこやかな笑顔を浮かべてそう言った。本来ならわざわざ声をかける必要なんてないのだけど、何しろ百年ぶりの、初めての来館者である。それくらいのことはしてもいいだろう。

 二人はわたしの声を聞いて、ぎょっとしたようにこっちのほうを見た。少し、傷つくくらいの驚きかただった。幽霊を見たとしても、こんなにはならないかもしれない。

 とはいえ、わたしはそんなこと気にしなかった。何しろ、ようやく本来の役目をはたせるときがやって来たのだから。

「心配しなくても大丈夫です」

 と、わたしは同じ笑顔のまま言った。

「当館では昔と違って、来館者の身ぐるみを剥いで、無理やり本を奪いとるなんてことはしませんから」

「……?」

 二人の顔には、戸惑いの表情が浮かぶだけだった。

 どうやら、わたしの冗談は通じなかったらしい。古代アレクサンドリアから続く、由緒正しい冗談のはずだったのだけど。わたしは思わず赤面してしまう。やはり、慣れないことはするものじゃない。

 二人のうち一人が、わたしに銃口を向けた。特殊金属で作られているらしいその銃は、たぶん本物みたいに思える。玩具と言われても、信じてしまいそうではあったけれど。

「誰だ、お前は?」

 と彼は言った。少しも冗談の混じっていない、純度の高い誰何だった。

 もう一人のほうも、外を警戒しながらわたしのほうをうかがっている。どうも、初めての来館者としては、あまり記念碑的にはなりそうもなかった。

「わたしは当館の司書です」

 ちょっとだけため息の混じったような声で、わたしは答える。

「〝シショ〟?」

 と彼は怪訝そうに言った。「何だ、それは」

「司書というのは、図書館で本の管理や貸し出し業務を行う者のことです」

 二人は顔を見あわせた。短いアイコンタクトと、それが伝える短い言葉。

「あんたが何を言っているのかわからない」

 彼は無慈悲にもそう言った。

「〝トショカン〟というのは、何のことだ?」

 残念ながら、記念碑を立てるどころか、この二人が来館者と言っていいのかどうかさえ怪しいみたいだった。

「図書館というのは――」

 わたしはあくまで根気強く、めげることなく説明した。

「書籍や文書を収集、保管、整理し、それを誰でも利用できるような形にしておく施設のことです」

 わたしの説明を聞いても、彼はやはり怪訝な表情を浮かべるだけだった。

「本というのは、情報端末で見るもののことだ。それなのに、何故こんな建物や場所が必要なんだ?」

 彼の疑問はもっともだった。

 本と呼ばれるものがすべて電子化され、情報データとしてしか存在しなくなって、すでに何世紀も過ぎ去っていた。それもみんな、この図書館ができるずっと前のことだ。人は情報センターにさえアクセスすれば、どんな本でもその場で読むことができる。

 まったくのところ、物理的に本を収める図書館という施設は、無用の長物以外の何ものでもないのだ。

「ここでは、本は紙媒体に印刷されています」

 と、わたしは辛抱強く説明した。

「そのため、広いスペースが必要になるのです。紙には厚さがあるし、インクの文字には判読可能な大きさが必要です」

「紙ってのは、あれか。()()()を拭くときなんかに使うやつのことか?」

 向こうから、もう一人が言った。声の感じからして、こちらのほうは冗談の濃度が高い。もっとも、あまり気持ちのいい冗談ではなかったけれど。

「原料も材質もまったく違いますが、基本的にはその通りです」

 わたしはため息混じりにうなずいた。

「……何故、紙なんかで本を作る?」

 最初の一人が言う。銃はきちんと、わたしに向けられたままだった。

「そんなことをしても、不合理なだけだろう。コストも高くつく。扱いも面倒だし、バックアップもとりにくい」

「今時のかたはご存知ないでしょうが、昔はそれが普通だったんです。……何百年も前のことですが」

 彼は鋭い視線で、すばやく周囲を観察した。空間に切れ目ができそうな鋭さだった。

「あの棚に並んでるのが、そうなのか?」

 彼に訊かれて、わたしはうなずく。彼はなおも納得のいかない顔つきで、広い閲覧室や、並んだ机、壁際の本棚を見つめていた。疑り深い肉食獣が、平原の草むらに目を凝らすみたいに。

 とはいえ、ある程度の警戒は解いたみたいだった。彼は銃口を下ろし、あらためてわたしのほうに向きなおった。

「誰でも利用できる、と言ったな」

 彼の声はあくまで硬質で、純度が高そうだった。

「ここにはよく、人が来るのか?」

「開館以来、一般の来館者はあなたたちが初めてです」

 わたしは正直に言った。「――もっとも、あなたたちが来館者なら、ですけど」

「何故、こんな施設があるんだ?」

 ほとんどわたしの発言なんてなかったみたいに、彼は言った。

 わたしは少しむっとしながらも、礼儀正しく答える。

「一種の歴史遺産です。今でこそ存在はしなくなりましたが、紙を媒体とした本は、過去何千年も人類の貴重な資産でした。ここはそれを記念するための場所なんです」

「あんたは司書だと言ったな?」

「はい」

「記念するだけなら、何故そんなものがいる? 現にここを利用する人間などいないんだろう」

「図書館というシステムそのものが、遺産だからです」

 と、わたしは言った。

「図書館というのは、ただ本を集めておくだけの物置じゃありません。そこは誰もがアクセスできる、知の集積場なのです。わたしはそのアクセスを助けるために、ここにいます」

「利用者が一人もいないのに、か?」

 なかなか痛いところだった。

「例え十分に活用されないとしても、残しておくべきものはあります」

 わたしは一応、節度をもって、控えめに抗弁した。

「〝マキナ〟も妙なことをするものだな」

 彼はやはり、わたしの言葉なんて聞いていないかのように、少し呆れた顔で周囲を見渡している。

「完全な合理性実現のためのシステムが、こんな無意味な場所を残しておくとは」

「けど、人が来ないっていうなら俺たちには好都合だぜ」

 もう一人が言った。外はもう大丈夫と判断したのか、壁際から離れてこちらに近づいてくる。

「まあ、そうだな」

 最初の一人もそれに同意した。

「ここには単純な作業ロボットしかいないみたいだし、〝マキナ〟とはつながっていない。とりあえず、身を隠しておいても問題はないだろう」

 二人は相談して、何やら勝手に決めてしまっているみたいだった。

 けど、どうやらこの二人は勘違いしているところがあるらしい。

「――あの、〝単純な作業ロボットしかいない〟とおっしゃいましたが、それは間違ってますよ」

 わたしがそう言うと、二人は怪訝そうな顔でわたしのことを見た。

 それからわたしが次のことを発言すると、彼らは最初に負けず劣らずのぎょっとした表情を浮かべる。

「だって、わたしもロボットですから」

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