100年後 とある街にて
瞼を閉じればあの日のことを思い出す。
愛する国は燃え、国民や家族は豹変した。
自分の体──『不老不死』の力を手に入れようと躍起になり結果的には命を落としてしまった。
瞼を閉じれば苦しむ国民の声が聞こえる。
お前だけ病に苦しまなかった。お前だけ生き延びるなんて卑怯だ。何故助けてくれなかった。血を寄こせ。肉を寄こせ。全てを寄こせ。
忘れてしまいたいと思うこともあった。だが、毎日毎日瞼を閉じれば、あの時の記憶が蘇るのだから忘れることなんて出来なかった。
そんな日々が続いたせいか、エルトリアはここ100年、ろくに眠ることができなかった。
時折激しい睡魔に襲われ眠ってしまうことがあるが、あの日のことが思い出され、30分もせずに起きてしまう。
もともと吸血鬼族は寿命が長い種族であるため、100年なんて当然のように生きる。
しかし、他の吸血鬼族が、彼女と同じ生活を送るのは不可能。身体を壊し、最悪命を落とす可能性だってある。
だが、エルトリアは死なない。身体や脳が悲鳴をあげ、限界を迎えても、気付いたときには回復している。それに関しては感謝すべきなのだろうか。いや、こんな呪いの力に感謝する必要はない。
眠れないのはいつものことと思いながらエルトリアは窓から外を見ると朝早くだというのに多くの人が歩いていた。
彼女は今とある街を訪れ、その宿の一室を借りている。
100年も生きていれば色々な街を訪れる。その中でもこの街は平凡といったところだ。これといって珍しいものはないし、商業や農業など何かに特化した街でもない。しかし、この街に住む人々は皆幸せそうな表情をしている。
幸せというものはとうの昔に忘れてしまった。
美味しいものを食べれば幸福感に満たされる。だがエルトリアは何を食べても美味しいとは感じなかった。それに空腹で死ぬこともない。だから食事を取る必要もない。
新しい知識を得ることに喜びを覚えていた読書も今ではしなくなった。昔なら手に取ってたであろう本を見つけても興味が湧かない。
本当に、何のために生きているのか。
いい加減引き摺るのは止めにしよう。
何度もそう思ってきたが、あの一件で死んでいった者たちが許してくれない。何度だって呪うように告げてくる。
だからといってどうすることも出来ない。このまま一生呪われ続けながら眠れない毎日を過ごすことになるのだろう。
「んぅ~。おはよう、エルちゃん。今日も眠れなかったの?」
別のベッドで寝ていたアスモデウスが目覚めた。
100年も共に過ごしていけばそれなりに信頼関係は築ける。いつの間にかエルトリアはアスモデウスに愛称で呼ばれていた。
と、それはさておき。
悪魔族には睡眠を必要としない個体も存在するが、アスモデウスは人間と同じように眠る時は眠る悪魔だとエルトリアは聞いていた。
安眠できるアスモデウスをたまにだが嫉妬し羨むこともある。そんなことしたところで安眠できるわけないと知っていながら。
「……眠れないのはいつものことじゃ。睡眠不足で死ぬわけじゃないのだから睡眠などいらん」
「そうは言うけどさぁ……。まあ事情が事情だし、仕方ないと言えばそうなんだけど従魔としては凄く心配なのよね。それに最近また痩せてきてない? 死なないとはいえもう少し食べた方がいいと思うよ」
「……うむ。善処する……」
「それ何回も聞いた気がするけど。まあいいや。今日はどうする? そろそろこの街ともおさらばする? 私たちにしたら結構長い間いたようね」
「……いや、今日は冒険者ギルドの方で仕事を頼まれておる。ここを旅立つにしてもその仕事を終えてからじゃ」
エルトリアは一国の王女であるがそれは過去の話。今では自分で働いて稼がなければならない。
といっても食料は無くても生きていけるし、野宿でも生活できる。街に入って宿を利用するのはアスモデウスが「野宿は嫌だ」と駄々をこねるからだ。
従魔は『召喚魔術』で呼ぶことができ、契約者に呼び出されるまで待機できる別空間が存在するが、そこへ行くつもりもないと言う。
宿を利用するにはお金がいる。お金は働かなければ手に入らない。
目的はないが旅を続けるなら冒険者になっておいた方が身分を証明するものも手に入るからいいと判断した。
この時は冒険者プレートは存在せず、冒険者には首にかけられる小さな金属プレートが渡されていた。それが冒険者であることの証明となる。
プレートに用いられる金属は様々あり、ギルド側から認められる実力と多くの功績を残した者ほど希少価値の高い金属が使われている。
エルトリアは100年間で力をつけた。もともとあった魔術の才能もあり、強くなることにそう時間もかからなかった。そこにアスモデウスも加われば敵なしという感じだ。
それもあってかエルトリアは冒険者でも数少ない最上位に位置する存在となっていた。彼女の実力で100年近く冒険者を続けていれば当然かもしれない。
しかし、他の街へ行くごとにプレートを提示するとちょっとした騒ぎになってしまうのがエルトリアの悩みでもあるのであった。
支度を済ませてエルトリアたちは冒険者ギルドへと向かった。
ちなみにアスモデウスは街の人々を驚かせないようにとスキルを使用して羽などを隠しているため、外見で彼女が悪魔族だとバレることはない。
ただ、街中では人間で通しているので冒険者ギルドに入り、エルトリアと一緒に依頼を受けるとなるとプレートの提示が必要となる。
従魔はプレートを取得できないので、それがきっかけでアスモデウスが悪魔族だとバレる可能性があった。
その時は事情を説明すれば納得してくれるだろうが、事あるごとに説明するのは面倒。だから冒険者ギルド内ではスキルで完全に気配を消すようにアスモデウスに命じている。
冒険者ギルドに到着して中にはいるといくつか視線を向けられた。
それはエルトリアの服装が王宮にいた時と違って小汚いボロボロのローブだから。深くフードを被りなるべく周りと目を合わせないようにしている。
頼まれた仕事を引き受けるべく受付に向かうエルトリア。
視線は集まり、いつしかほとんどの冒険者に見られている。
それでもエルトリアは気にせず歩いていたが、その途中で男性冒険者三人組が目の前に現れた。大柄で筋骨隆々な男性たちだ。エルトリアがか弱い少女なら気圧されているかもしれない。
しかし、腰を低くしているのは男性たちの方だった。
「お嬢、おはようございます。今日は依頼を受けに来たのですかい?」
実を言うと、エルトリアが初めてこの街の冒険者ギルドに訪れた時は彼らの態度は真逆だった。ここは子供が来る場所ではないと絡まれた。
確かにエルトリアの容姿はあの日から何も変わっていない。子供と間違えられても仕方がないことだ。
面倒だからと絡んでくる彼らを無視していたが、それでもしつこく絡んできたため少しだけ相手をした結果今に至る。
いつの時代もこういう輩がいるのだろう。それを知るのはもう少し先の話である。
「……そうじゃ。だからそこを退いてくれ……」
「すみません。お嬢の姿を見かけたので挨拶だけでも、と」
男性冒険者たちは道を譲るとエルトリアは受付まで一直線に進み頼まれていた依頼を受けるために手続きを済ませた。
主な内容は他の冒険者が苦戦する魔物討伐。あとは採取の依頼、こちらはついでみたいなもの。素材が足りなくて困っているらしいとのことだ。
難易度はそれほど難しいものではない。討伐対象の魔物は夜魔王国ヒューゼンベルグ周辺に生息する魔物に比べれば大したことなかった。これなら今日の夕方までには余裕で帰れる。
急ぐ必要はないが、この場に留まると先程の男性冒険者たちに声を掛けられるだろう。特に話すこともないし時間の無駄であるとエルトリアは足早に冒険者ギルドを出た。
あれからかなりの時間が経過した。
空は夕暮れ色に染まり、そう時間もかからずに辺りは真っ暗になるだろう。
思いの外、時間がかかってしまった。
自分が強すぎると生息している魔物は恐れ逃げてしまう。故に討伐対象の魔物を見つけるのに苦戦した。
エルトリア自身もそれは何度も経験していたためわかっていた。魔物を倒すことは簡単。一番の敵は危険を察知し避けようとする魔物の本能や直感。気配を隠していても何となく自分の命が狙われているということに気付くのだろう。
しかし、毎度のことだが結果的には全ての依頼を達成することができている。
時間は無限にある。別に効率を重視しているわけではないのだからとりあえずはそれでよしとする。
依頼を終えたエルトリアたちは街に戻ってきた。
そのまま冒険者ギルドに向かい、依頼達成の報告と魔物や採取した素材の納品を終えて一日を終える。いつもの流れだ。
だが、今日は街に戻ってきた時に何かが違うと感じた。
普段よりも街中が活気に溢れている。特に冒険者たちがいそいそと何処かへ向かっていた。大方冒険者ギルドだろう。
その予想は正しく、冒険者ギルドの中はたくさんの人で溢れかえっていた。中には冒険者ではない一般の者まで混じっている。
夕方の時間はエルトリアと同じように依頼を終えて帰ってきた冒険者たちが報告などを済ませるために混雑しているが、今までこんなことはなかった。
何かあるのかと思いながらもまずはやるべきことを済ませようと受付の方へ向かい、ちょうどいい機会だからとこの状況は何なのか聞いてみた。
「……これから何かやるのか?」
「そういえばエルトリア様は初めてでしたね。実は少し前に"カルナ"さんという冒険者さんが帰ってきたんですよ。本当はここへすぐ来る予定だったんですが、ちょっとした用事があって遅れてしまうみたいで。皆さん、カルナさんが冒険者ギルドに来るのを待っているんですよ」
カルナ──本名 カルナ・ヴァーミリオン。
役員曰く、彼女がこの街を訪れたのは5年前。そしてこの街で一番の実力の持ち主だった。もしエルトリアと戦っても勝つのはおそらくカルナだと言われる。
本人を前にして言うことではないと思うが、エルトリアは力比べに微塵も興味なかった。その者がいくら強かろうと自分には関係ない。
それでも冒険者からすればどちらが強いか見てみたい者も多いかもしれない。しかし、当然のことながらエルトリアは無駄な戦闘をするつもりはない。たとえ挑まれても勝負する前に負けを認める。
ただ、一個人の帰還がこれだけの人数を集めることに少々驚いていた。
カルナはあの日からあらゆることに興味を持たなくなったエルトリアでも一目ぐらいなら見てみようかと思わせるほどの人物だった。
そして、10分後。冒険者ギルドに一人の女性が入ってきた。
紅蓮色の長髪に一部白のメッシュが入った髪を腰まで伸ばしている女性。整った顔立ちにスラッと長い脚。橙色の瞳で周囲を見つめニヤリと笑っていた。
「たっだいまッ! カルナさんが無事に帰ってきましたよ!」
「「「カルナッ!!」」」
「おおっ、少年少女たち。ちゃんとお母さんやお父さんの言うこと聞いていい子にしていたかな?」
「してたよ!」
「たくさんお手伝いした!」
「そっかそっか。ならそんなお利口さんたちには後で今回の冒険譚でも語ってあげましょう」
そう言うと子供たちは大喜びだった。
そして子供たちだけじゃない。この場にいる誰もがカルナの帰りを喜んだ。それだけ彼女はこの街の人たちに慕われ愛されているのだろう。
その後、冒険者ギルドが経営している酒場にて宴の準備が始まる。
何故そうなるのかエルトリアは理解できないまま強制的に参加させられることになった。だが話によるとこれが初めてではなく、長期の依頼から帰ってくる度に行っているらしい。
呆然している中で渡されたのは飲み物が入った樽のジョッキ。この場にいる全ての者に行き渡ったジョッキはカルナの奢りだった。テーブルにはたくさんの料理も並んでいる
これら全てが奢りとなるとかなりの金額にはなるだろうが今回の依頼で手に入った大金を使えば問題ない。それに、どうせ使うならこの街の者たちと楽しいことを共有できた方がいいに決まっているとカルナは常々思っている。
「さてさて、皆の衆。飲み物は行き渡ったかな? お酒はまだ子供には早いからね。もしお酒の入ったジョッキを持ってたら親かお酒が大好きなおじさん冒険者にあげること。代わりの飲み物は用意してあげるからー」
「おーい、カルナ。今日もあのルールが適応されるのか?」
「もちろん。私の奢りは今出ているものまで追加注文は自腹になるけど、私と勝負して勝てたらそれも全部奢ってあげる。私に勝つ自信がある奴はかかってきなさい! っと、それじゃあこれ以上話したらせっかくの料理が冷めちゃうし、皆今日もお疲れ様! この後もたくさん楽しんでいって!」
こうして宴は始まった。
冒険者や一般人、冒険者ギルドの役員たちも仕事に支障をきたさない程度に楽しんでいた。
そんな中、一人の男性冒険者──エルトリアを「お嬢」と呼ぶ冒険者がカルナに勝負を挑んだ。
「カルナの姉御。今日こそは勝たせてもらいませうぜ」
「おっ、ゴリアス君。今日も挑んでくるとは君も懲りないねぇ」
「惜しい! 俺はゴレアスです。いい加減名前覚えてくださいよ」
「アッハッハ! ごめんごめん。それじゃあ一勝負しようか」
カルナとゴレアスの勝負は言うまでもなくカルナの勝利に終わった。
そこから今日こそはとカルナに勝負を挑む者が続々と現れるが結局一人も勝つことはできなかった。
勝負を終えれば子供たちに捕まる。約束していた冒険譚を聞かせると目をキラキラと輝かせて話を聞き入っていた。
和気藹々としているこの時間がカルナにとって一番幸せな時間。こうやって周りと一緒に笑ったり楽しんだりできる時間が好きだった。
そんな宴も終盤に近付き、子供たちは親と一緒に家に帰った頃。
カルナは壁際にある椅子に座った。
そして、隣にはもう一つ椅子があった。
「はぁ~、楽しかったなぁ。あなたはずっとここに居て気配を消してたみたいだけど、こういうのは苦手だった?」
「……気づいておったのか?」
「まあね。他の冒険者たちから姿を隠せても私には通用しないよん。私の名前はカルナ。あなたの名前は?」
「…………エルトリア」
「エルトリアね。うん、覚えた。可愛い子の名前はすぐに覚えられるんだけど、ゴリアス……じゃなかったゴレアス君みたいな人の名前は覚えられないんだよねぇ」
「……それで何か用か? 用がなければ妾はもう帰る。飲み物に関しては一応礼を言っておく」
「いえいえ、どういたしまして。この街のお酒は口に合ったかな? まあ私が造ったわけじゃないんだけどね」
「……美味しいかそうでないかと聞かれれば、美味しい酒なのだと──」
エルトリアは言葉を止めた。
本当はお酒の味はわからない。だがそれよりも今カルナは「お酒は口に合ったか」と聞いてきたことに引っかかった。
初めてエルトリアを見た者は体の成長が止まってしまった彼女を大人だと見抜くことは難しいのではないか? ゴレアスのように子供だと思ってしまうだろう。
「何故御主は妾が酒を飲める歳だと……」
「まあそこも含めてさ、似た者同士仲良く話さない?」
「似た者、同士……?」
「そう。私こう見えて結構長生きしてるんだよ。あなた以上に、ね」





