全てを失った日
体が重い。足も重い。
疲労困憊だったエルトリアの体はとうの昔に限界を迎えていた。
それでもエルトリアは走り続ける。
エルトリアを見つけようと王宮内にはたくさんの人が探し回っていた。彼らに見つかってはおしまい。そうならないように逃げるエルトリア。
だが、彼女の脳裏には後ろ向きな考えしかなかった。
安全な場所など存在するのか。これだけの人数を相手に王宮から逃げるのもほぼ不可能と言える。
仮に安全地帯を見つけて身を隠しても、王宮内を隈なく探し回る者たちに見つかるのは時間の問題だ。捕まればエリスが身命を賭して稼いでくれた時間も無駄になってしまう。
それだけはあってはならないと思っていても、どうしてもここから逃げ出すのは無理だと心は悟っていた。
更に、絶望に包まれた彼女の前に立ちはだかる者たちが現れる。
王宮に仕える兵士や従者、国民であれば咄嗟に踵を返して他の道を探すだろう。しかし、エルトリアの前に現れた者たちを見た瞬間、彼女はその場に留まるように足を止めた。
「……兄上たち……」
そう。エルトリアの前に現れたのはエルリックとガイアス。彼女は兄たちの姿を見て立ち止まってしまったのだ。
彼らもまた酷く疲弊している。特に前々から病に苦しんでいたエルリックは歩くのも困難そうに見えた。それでもその体を動かすのには理由があるのだろう。
「見つけたぞ……。あれを食えば俺は生き延びれる……」
「……ガイアス、協力もここまでだ。ここからはどちらが先にあれを手に入れるかの勝負──ごほっ」
「おいおい、その体で無理すんなよ。まあ俺も兄貴も生きるのに必死だからなぁ。残ったらあとは兄貴にやるよ」
二人はエルトリアを病を治す薬としか見ていない。そして、エルトリアはエリス以外の家族は自分の名前すら呼んでくれないことに気付いた。
本当に薬としか見ていないのだろう。完全に物扱いだった。
彼らから守ってくれる者はもういない。
一人だけ心当たりはあるが、エルトリアのお世話係であるレナもまたヴェルダや兄たち同様におかしくなっているのだろう。彼女が駆け付けてきたとしてもそれはエルトリアを助けるためではなく、彼女を狙う者として襲い掛かってくる。
考えようによってはレナがいなくて良かったのかもしれない。それでも危機的状況には変わりないが。
兄たちに背を向けて走るエルトリア。それを追いかけるエルリックとガイアスだが、限界を迎えているエルトリアの足は重く、その距離は徐々に狭まっていった。
そして遂には廊下で躓き転んでしまう。
立ち上がろうにも腕や足に力が入らず立てない。
転んだところでエルリックとガイアスが足を止めることはなかった。むしろ絶好のチャンスと言わんばかりにエルトリアに迫る。
為す術がない状況にエルトリアは絶望し、諦め始めていた。
(父上も兄上たちもおかしくなってしまった。治療薬など意味はなかったんじゃろうな……。この身を捧げたところで兄上たちが治るかはわからない。でも、もう疲れた……)
肉体の大部分を失っても『不死』は機能するのか。いや、どちらにせよ意識が鮮明なまま二人に食われるのだろう。
抵抗する気力は湧かない。どうにでもなれと思っていた。
……だが、エルトリアはこの場の異変に気付いた。
耳を澄ませても周囲の音が聞こえない。何より先程まで迫ってきていたエルリックとガイアスが止まっているのだ。
「何じゃ、これは……?」
動けるのはエルトリアだった。それでも逃げようとする意志はあれど体がそれに応えることはない。
(おそらくこれは魔術の一種……。しかし、誰が? 時間を止めるほどの魔術、かなりの使い手であることは間違いないのじゃが……)
そのような魔道士は夜魔王国ヒューゼンベルグにいない。魔術だけで言えばエルトリアが一番なのだから。
魔術を発動したということは使用者が何処かにいる。
そう思い辺りを見渡す。
すると何処から現れたのか。気配すら感じ取らなかったが黒を基調としたローブを纏い、黒のベールをかけた人物がエルトリアの隣に立っていた。
「御主はいったい……」
そう問うたがその人物が答えることはなかった。
その人物はうつ伏せになっているエルトリアをじっと見つめた。
「……覚醒まであと少しといったところですね」
「──ッ!?」
女性の声だった。優しさを一切感じない冷たい声。
エルトリアは彼女の声を聞いた瞬間、悪寒が走った。
(何じゃ……声を聞いただけで……)
初めて、そして今後これ以上のものはないと思えるほどの恐怖。体の震えが止まらず、息が詰まり呼吸が出来なくなりそうだった。
そんなエルトリアをもう一度見つめる女性。
「怖がらせてしまいましたか。怯えなくても……いや、怯えていても構いませんか。どうせすぐ終わること。そして私の存在はあなたの記憶から抹消される。その恐怖も忘れてしまうのですから」
「何を、言って……」
「あなたは不老不死の体を手に入れた。不老不死の体はとても魅力的で多くの者があなたの体を手に入れようと必死になっている。厳密に言えば不死の力を、ですが。それを無駄であることと知らずに必死になっている。愚かですよね。でもおかげで円滑に事を運べています」
そう言うと女性は前進した。同時に持っていた杖を振ると時間も動き始めた。
目の前にいる者が魔術を使用した張本人だったとエルトリアは思う。
一目見ただけで異質な存在であった。この者であれば時間を止めるといった常識外れの魔術を使えても納得できる。
「誰だ、あれ? 急に現れたぞ」
「……誰でも構わないさ」
時間が動き出したことでエルリックとガイアスも女性の存在に気付いた。だがその勢いを止めることなく接近する。
「ま、待て! 兄上たちに何をするつもりじゃ!」
いち早く異変に気付いたのはエルトリアだった。
女性は持っている杖をエルリックとガイアスに向けていた。そして、その杖の先端に魔力が集結していた。
脳裏に過る最悪な未来。その未来は現実となる。
集結した魔力は光線の如くガイアスの心臓を射抜いた。
空いたのは小さな穴だが死に至るには十分すぎる無駄のない一撃。
心臓部分に熱を感じ、咄嗟に手を当てるガイアス。
血で塗られた手の平を視認し、心臓を穿たれたと脳が認識するや否や崩れるようにその場に倒れた。
「ガイ──ッ!」
倒れた弟に声を掛ける暇も与えず、エルリックは脳天を射抜かれた。
両者共に絶命していた。こうなっては『不死』の力を分け与えようとしたところで生き返ることはない。『不死』のスキルは生きている者にしか効果が発揮されないのだから。
兄たちの死を目撃したエルトリアは悲しみ声を上げて泣き、怒りを原動力として起き上がると女性に魔術を放った。
圧倒的な力の差を目の当たりにして敵うはずないとわかっていた。全力で放った魔術も通用しないだろう。
その考えは正しく、エルトリアの魔術を受けた女性はまったくの無傷でその場に立っていた。
「今のあなたでは私に傷一つ付けられませんよ」
「黙れ! よくも兄上たちを……ッ!」
「遅かれ早かれ消えていた命です。助からないのであれば長く苦しんで死ぬより楽に死んだ方が彼らのためでしょう。それに、彼らが亡くなったことであなたが痛みに苦しむ必要はなくなりました」
告げられた言葉は正論なのだろう。
エルトリアの血肉を食らったところで病が治るわけではない。エルリックとガイアスに助かる道など最初からなかった。
だからといって、目の前で家族を殺されて激怒しないはずもない。
無意味だとわかっていてもエルトリアは次の魔術を発動させようとする。
しかし、突如として激しい睡魔が彼女を襲った。
眠るわけにはいかないと必死に抗うエルトリアだったが、抵抗虚しくその場に倒れ眠ってしまった。
(……これでエルトリアの覚醒は終わった。次に目を覚ました時にはユニークスキルを獲得しているでしょう。あとは共に行動する魔物を召喚するだけ。この国の民全ての肉体を贄にすれば問題ないでしょう)
女性は小さな笑いを残し、その場を去ったのだった。
悪い夢を見た。
病により国は滅亡の危機に陥り、父と兄たちは豹変した。母だけは普段と変わらなかったが、戦いの果てに命を落とした。
だがこれは全て夢。悪い夢だ。目を覚ませば平和な日常が待っている。
最近は読書ばかりしていたが、たまには父や兄たちの稽古を見学しよう。いつもは興味ないと言って断っているが見学したいと言えばきっと喜ぶだろう。
でも、その前に母との散歩があった。清々しい風を肌で感じながら朝食が出来るまで母と散歩するのは毎朝の楽しみになっている。
今まで母が迎えに来てくれたが今日は自分から行こう。
そうと決まれば早く起きなければ。
少女は瞼をゆっくりと開ける。
最初に移ったのは見慣れた天井。普段は何も思わないのに何故だか今日は見ただけで安心する。
体を預けていたのはずっと使い続けていた自分のベッド。寝る前はベッドの上に大好きな本たちを広げて怒られるまで読んでいた。
ベッドから降りると少女は扉には向かわずゆっくり窓の方へ近づいた。
見てはいけない。外を見てしまえばきっと後悔するだろう。
それでも少女は進んだ。現実を受け止めるために。
「……やはり、夢では……ないのじゃな……」
外に広がる景色は凄惨なものだった。
見るに堪えないほど破壊された街並み。活気に溢れていた街中も今では誰一人として歩いておらず閑散としていた。
自室の扉を開けて廊下に出てみたが、王宮内は酷く荒れていた。病が流行る前の綺麗だった王宮内の面影は一切ない。
そして、気持ち悪いほどに静かだった。まるで誰もいない──いや、本当に誰もいなかった。
もし外に出て誰かと出会えば再び襲い掛かってくるのではと不安になりながら王宮内を探索したが一人も見つからなかった。いつもなら挨拶をしてくれたり、楽しそうな話し声が聞こえたりするのに。
それでも誰かいないか探そうとするエルトリアだったがその前にとある場所に寄ることにした。
その場所とはエリスがいる場所である。
あの後エリスがどうなったのかエルトリアは知らない。だが、ヴェルダとの戦いの末に亡くなってしまったのだろうと思っていた。
最後にエリスと別れた場所に到着したエルトリア。
しかしながら、そこにエリスの遺体はなかった。あるのは壁やカーペットに付着しているエリスのものであろう血痕のみ。病で命を落とした者は王宮内でも少なからずいるはずなのに道中他の遺体も見つからなかった。
明らかにおかしいと思ったが、エルトリアは精神に大きな傷を負っている影響か思考が纏まらない。今は何も考えたくなかった。考えれば考えるほど昨日のことが思い出される。
足に力が入らず、ふらつきながらもエルトリアは自室へ戻ることにした。
扉を開けて中に入る。するとそこには一人の女性が窓の外から景色を眺めていた。
エルトリアの存在に気付いたのか振り返ったのは月白色の肌に紫紺の髪を腰まで伸ばし、背中には悪魔のような翼が生え、美しくも妖艶さがある女性だった。
「……誰じゃ、御主は……? 見たことないな……」
「私? 私はアスモデウスっていうの。こう見えてあなたのような幼い女の子を頭から食べちゃうこわーい悪魔なのよ。どう? 怖くて足が震えちゃう?」
そう告げるアスモデウスにエルトリアは虚ろな瞳で見据えて答えた。
「……そうか。ならそのまま食い殺してくれ……。無理だと思うがな……」
「ちょっ、冗談だってば。本気にしないで。私、人なんて食べたことないから。それに怖い悪魔ってわけでもないし」
「……冗談か。本当なら良かったのにな……」
思わぬ返答に焦って答えたアスモデウスを見てエルトリアは落胆した。
逃がそうとしてくれたエリスはそれを望まないだろう。
だが一人残されたエルトリアは違う。
誰でもいいから殺してくれれば家族のもとへ行けるのにスキルのせいでそれが出来ない。これほどまでに己の死を願ったことはなかった。
「まあ、いきなりこんなこと言っても理解できないと思うけど、私とあなたは契約によって繋がってるの。全部じゃないけどだいたいの事情は知ってる。あなたの口から言わせるのは酷よね」
「……契約とは何じゃ……? 悪いが、覚えがない……」
「私は悪魔界ってところから召喚されてあなたと契約を交わした。つまり私はあなたの従魔になったわけ。で、召喚に必要な供物のことなんだけど──」
アスモデウスの言葉を遮るようにエルトリアはゆっくりと口を開いた。
「……悪魔の召喚。召喚に必要なのは他者の肉体と魂。あとは、召喚者の魔力。実際にやろうとは思わなかったが前に本で読んだことがある……。御主を召喚するに要した供物はこの国の全ての民なんじゃろ……?」
そう問うとアスモデウスは間をおいて頷いた。
悪魔と聞き、人の気配が一つもない閑散とした王宮内を探索していたエルトリアは察していた。街にいた国民も含めアスモデウス召喚の供物として使われたのだろう。エリスの遺体が無くなったのも納得できた。
「……母上も御主を召喚するための供物になったのか……」
「全て把握しているわけじゃないけど、多分あなたのお母さんも私の召喚に使われてしまった。ただ、そうなるとあなたのお母さんや国の人たちを使って私を召喚したのは誰なのか」
エルトリアもそれがわからない。
アスモデウスは自分を召喚したのはエルトリアだと言ったが、当の本人は召喚した記憶はない。彼女の記憶はエルリックとガイアスに見つかったところで途切れている。
(……いや待て。なら誰が妾をベッドの上まで運んだのじゃ……? それに兄上たちがその後どうなったのかもわからない……)
あの状況で無事なはずない。再び目覚める間に絶対何かがあった。それなのに思い出せない。忘れてはいけない重大な何かを忘れてしまっている。
「あなたもわからないんでしょ? 私もわからないの。この世界に足を踏み入れた時には誰もいなかったからね。召喚したのがあなたでなければ第三者しかいない。けど使われた魔力はあなたのものだった。だから契約はあなたとの間で成立した。本来なら従魔になるにしても私が認めなきゃなれないんだけど何故か強制的に従魔にさせられたのよね。第三者に召喚されて、強制的に従魔にさせられた。同族に知られたら笑われそう。まあ、契約破棄も出来ないからなっちゃったものは仕方ないけど。というわけで、とりあえずこれからよろしくって言っておくわ。エルトリア」
名前を知っているのは従魔だからなのだろう。だが今のエルトリアにはそんなことどうでもいいことだった。
それよりも"これから"か。
家族や国民の全てを失った今、未来永劫死なない体で生き続けることに意味はあるのだろうか。
エルトリアはその意味を見つけ出すことが出来ないでいた。
──そして時は彼女がもう一人の『魔王』と出会う100年後へと進む。
やっと外伝前半が終了。





