バエルvsバルガロギア
その昔、一柱の最上級悪魔は自分を召喚した人間に勝負を挑んだ。
勝負を挑んだ理由は単純。その人間が持つ力を見極めるため。
ちなみに最上級悪魔を呼ぶことは簡単ではない。
最上級悪魔召喚にはまず第一に膨大な魔力が必要なため、召喚魔術を使える魔道士数十人が集まって漸く召喚できるのだ。
といってもその驚異的な強さから召喚を試みる者は少ない。
稀に軍事利用のために召喚されることもあるが悪魔は狡猾で残忍な生き物。自尊心も高く、自分よりも劣る存在に従おうなどとは考えない。
故にその悪魔──バエルは自分を呼び出した召喚主に勝負を挑んだのだ。
偶然であろうと弱者であれば迷うことなく殺す。
最上級悪魔だからと油断はしない。いや、油断出来ない存在だったからというのが正しいだろう。
それに気づいたのは呼び出された時。
周囲を確認しても居るのはたった一人だけ。
最上級悪魔を一人の魔力で呼び出すなど不可能に近い。他の種族よりも魔力量に長けている種族でも難しいだろう。
だが実際に起きていることを否定することもできない。事実、自分を呼び出した召喚主は一人でやり遂げたのだから。
世界に初めて誕生した最上級悪魔。
いつしか悪魔の王と呼ばれ、他の最上級悪魔も誕生していった。
中には同じ王の素質を持つ者も現れるが興味がなかった。勝負を挑まれることも少なからずあったが負けることはない。
つまらない毎日。強いて言えば暇つぶしになるような分野の研究をするだけ。
そんな日々を送ってきたバエルが出会った、初めて興味が尽きないと思える不思議な存在。
まずは小手調べ。
そう思って挑んだ勝負の結果は惨敗。
決して慢心していたわけではない、驕っていたわけではない。ただその召喚主がバエルよりも圧倒的に強かっただけ。
(あの頃の私は愚かでしたね。私ごときがあの方に勝てるはずもないのに)
圧倒的な強さに尊敬の念を抱き、バエルは忠誠を誓い約束をした。
それがバエルともう一人のリリィの出会いだった。その後、もう一人のリリィはバエルにとある約束をし、バエルのもとから消えた。
そして時は流れ、かつて忠誠を誓った主君が再び自分の前に現れた。
容姿は多少幼くなれど忘れもしないその魔力。
あの日の主君と比べればまだ成長途中ではある。
弱くなったからといって侮ることはない。彼女の奥深くに眠る力はバエルにも計り知れなかったのだから。
それに、成長途中だからこそ楽しみも増えた。
つまりそれは彼女の側でその成長を見届けることが出来るということ。
自分が知る限り最強と呼んでも過言ではないもう一人のリリィを見てきたバエルにとって、あの強さはどうやって手に入れたのか興味があった。
(同一人物であろうと必ずしも同じ力を手にするわけではないでしょう。ですがリリィ様はあの方の強さに達するだけの力が奥底に眠っている。それを側で見届けることができるなど……)
思わず邪悪な笑みがこぼれる。
こればかりは悪魔だから仕方ない。といっても同じ悪魔族であるグラシャラボラスはこんな邪悪な笑みをこぼさないが。
「さて、お待たせしました」
悠然と歩きバルガロギアに近づくバエルは部屋の中央で止まった。
未だバルガロギアは動かず。そんなバルガロギアを見てバエルは──
「私とリリィ様の邪魔をしなかったことは評価しましょう。しかし──」
言葉を続けようとした時、バルガロギアが突如動き出した。
重厚感ある巨体からは想像もできない速さで間合いを詰めると叩き潰すように装甲で包まれた腕を振り下ろす。
繰り出される速度と重量が掛け合わさった重い一撃を正面から防ぐのは誰であろうと厳しい。反応できるのであれば回避一択なのだがバエルは回避する素振りは見せない。
成す術なくそのまま直撃──することはなく、バエルはその拳を軽々と片手で受け止めていた。
「まったく、利口な魔物かと思いきや最後まで話を聞かずに仕掛けてくるとは。まあいいでしょう。言語を喋れず理解もできない魔物に何を言っても仕方ありませんからね」
受け止めていた腕を離すと即座にバルガロギアの腹部に拳を振るう。
それによりバルガロギアの腹部を守る装甲は既に半壊した。
「なるほど、自身の攻撃力と魔力を同時乗せる。これは便利ですね。さすがはリリィ様、素晴らしいスキルを持っていらっしゃる。そしてそのスキルを私にも与えてくださるとは」
バエルは『聖魔女の恩恵』によりリリィが持つスキルの一部を習得している。
その中にはエルトリアより教わった、あの『魔闘法』もあった。
実際にバエルが『魔闘法』を使用したことはない。
このスキルはもう一人のリリィでも所持していなかった未知のスキル。故にどのような効果なのか知らなかった。
だが直感が最適解を告げていた、このスキルを使えと。
あとはスキルを使いこなせるかのセンスの問題。そして見事バエルは一回で『魔闘法』を物にした。
(……まさか今のは『魔闘法』? そういえば私の従魔になってスキル欄にも『魔闘法』はありましたが……これは何というか複雑な気持ちですね)
自分は習得のために一生懸命頑張っていたのにこうもあっさり使われるのは少しだけ納得がいかない。しかしバエルの力になれたのならいいことかもしれないと思うリリィであった。
バエルの一撃で壁まで飛ばされたバルガロギア。
ダメージを食らったのか動かない。だからといって倒したわけではない。
リリィには実力の半分も見せていないが、実のところ、このまま本気を出すべきか悩みどころだった。
バルガロギアは最後のフロアボスだけあって他の魔物よりも上等な素材が取れる。時間をかけすぎて素材が使い物にならなくなるのは避けたい。
本気を見せるのは、また別の機会にしよう。
そう考え、とどめを刺しに行こうとするバエルだったが、バルガロギアの様子がおかしいことに気づく。
半壊した腹部の装甲から別の金属が覗いていたのだ。
そして、バルガロギアの分厚い装甲は剥がれていき、崩れ落ちた装甲の上に立っていたのは漆黒の機械人形。
それは一回りほど小さくなっているがバルガロギアで間違いなかった。
「本体は装甲の中にいたというわけですか。確かにあれで最後の番人と呼ぶには弱い。これでやっと少しは楽しめそうですね」
その言葉に応えるようにバルガロギアはバエルに殴りかかる。
装甲を捨てて身軽になったバルガロギアの動きは武術を極めた人間と同じようなものだった。
更にスピードもパワーも上昇している。数分前のものとは別の存在と見ていいだろう。
バルガロギアのラッシュを見事に受け流していくバエル。
流石は任せてほしいと言うだけあるな、と後ろで観戦しているリリィは思っていた。それにあれだけの動きが出来るのであればエルトリアたちと別れた時も『魔闘法』を用いた修行の練習相手にもなる。
互角、もしくはバエルの方が若干優勢。
──だがその時は突然来た。
攻撃を全て受け流してきたバエルだったが、次のバルガロギアの拳を受けたその時──バエルの左腕が砕けた。
散らばるは砕かれた左腕と機械の部品のようなもの。
これにはリリィにも驚きと焦りが生まれた。
予想外の緊急事態にリリィはすぐさま加勢に行こうとしたがバエルは焦りの表情見せずに──
「リリィ様、私は大丈夫なのでご心配には及びません。ただ、このことは事前に伝えるべきだったと反省しております。私から説明したいところですがその暇は無さそうなので詳しいことはグラシャラボラスからお聞きください」
実を言うと悪魔族というのは肉体を持たない。
謂わば精神生命体なのだ。
彼らの住む悪魔界はリリィや他の種族が住む世界とは作りが異なるため肉体が無くとも問題なく活動は可能である。
しかし悪魔界から他の世界に呼び出された場合。
その場合は悪魔族が持つ特有のエネルギーが安定せず、最上級悪魔ですら精神生命体の状態では十五分も持たず強制的に悪魔界へと戻される。
これを解決するには生贄もしくは依り代を用いて受肉させる必要がある。
生贄であれば生命の魂数十個、高位の悪魔族を呼ぶには数百個必要であり、その魂のエネルギーを使い呼び出された世界に適応した肉体を作るのだ。
だが悪魔族を召喚するために数十、数百と言った魂を用意するのは非人道的な行為で集めない限り難しい。
その手間を省いたのが依り代を用いた受肉方法。
肉体を作るのに必要な魂のエネルギーは不要で必要なのは魔道士の膨大な魔力と精神生命体として召喚された悪魔族が入る器だけ。
もう一人のリリィもこの方法を用いた。
彼女の場合は自らの手で造った特別な機械人形を依り代として使いバエルをこの世界に顕現させた。
しかしこの方法にも難点が存在する。
それは器として用意した依り代が悪魔族のエネルギーに耐えられるかということ。
仮に依り代がエネルギーに耐え切れなかったら普通に召喚した時と同じようにエネルギーが安定せず時間経過で悪魔界へと戻されてしまう。
最上級悪魔であるバエルなのだから依り代もかなり上等なものでなければエネルギーに耐えることはできないだろう。
だがもう一人のリリィが造った機械人形はバエルのエネルギーに耐えきれるほどのものであった。
あの日から壊れることなく使い続けてきた依り代だったが、とうとうその依り代の一部が先の攻撃により壊れてしまった。
(もう一人のリリィ様が与えてくれた完璧な依り代に私如きが手を加えるわけにはいかないと手入れだけは怠りませんでしたが、依り代そのものに限界が来ていた。思い返せば、最近は動きが鈍いと薄々感じていた時もありましたし……今後のことを考えると全体的に見直さないと駄目かもしれませんね。まあ、形あるものはいずれ壊れると言いますから気にしても仕方ない。ちょうどいい機会と考えましょう。問題はこれによって制限時間が出来てしまったことですか)
依り代が壊れたことでエネルギーが安定せず悪魔界へ戻ってしまう。
多少はエネルギーの制御できるため暫くはここに留まれるがそれでも応急処置をしないとエネルギーが漏れていく一方だ。
と、バエルは考えていたが実際それはどうでもよく別のことを懸念していた。
(悪魔界へ戻されたとしても依り代の修復と強化を終わらせてリリィ様に召喚魔術で呼んでいただければ再びこの地に戻ってこれる。しかし、私が不在になるとリリィ様の側にいるのはタルト殿とグラシャラボラスだけ。そうなるとリリィ様とグラシャラボラスが過ごす時間が長くなる)
契約を交わしたためリリィは召喚魔術にて悪魔界に繋がる魔法陣を作成すればバエルを無条件で召喚することが可能になっている。
故に心配する必要はないのだが問題は後者。
非常にどうでもいいことだがバエルにとっては重大なことだった。
(タルト殿は仕方ありません。あの方はリリィ様の一番。どう足掻いたって私や他の者が敵うことはなかった。おそらくこれからも。ですがグラシャラボラスが私を差し置いてリリィ様と親密な関係になるのはいただけませんね。ただ、悪魔界へ連れて帰るとリリィ様の護衛がいなくなってしまう。タルト殿もいることですしリリィ様であれば問題ないとは思いますが万が一の時も考えると……)
バルガロギアなど構わず放って熟考するバエル。
タルト殿を除き、リリィに仕える従魔の中では一番でありたいと思いながら出した結論は──
(……仕方ないですがグラシャラボラスにはリリィ様の護衛に回ってもらいましょう。ただし、私以上に親密な関係にならないように釘を刺しておきます)
しかし、後に「そんな脅迫みたいなことしてグラを困らせるのは駄目ですよ」と怒られることをこの時のバエルは知らない。
制限時間が出来てしまったためここからは時間を掛けてはいられない。
左腕の破損はハンデを与えたと考えればいい。
ただ、殴打ではバルガロギアよりもバエルの依り代が壊れる可能性が高い。既に壊れているとはいえ、これ以上、自分に与えてくれた依り代が壊れるのは心苦しい。
(暇つぶしに何となく作成していた武器でも使ってみましょうか)
バエルはそう思い空間魔術を使用して魔法陣を出現させた。
(しかし、出来の悪い武器を使って壊してしまうような事があればリリィ様に不安を与えてしまう)
それだけはあってはならないと。
只でさえ任せてほしいと言っておきながらこの有様。そこに更なる不安と心配を与えてしまうなど、戦いに勝利しても顔向けできない。
そしてこれは信頼に関わる問題にもなる。
自分ではなくこの先再会するであろう他の従魔たちを優先的に頼られるのは納得いかない。
リリィの一番──タルトを除き──の従魔でありたいバエルの願望。
そのために今すべきことは目の前の魔物を倒すこと。それも不安を与える暇も与えず圧倒的な差で倒す。
バエルは魔法陣から一本の直剣を取り出した。
刃は紫色に妖しく光り、無駄を削ぎ落としたシンプルなデザインの直剣。
暇つぶしのためにバエルは魔物の素材を使っていくつもの武器を作っていたが、これはその中でも傑作に近い出来だった。
他にもこの直剣と同等かそれ以上の性能を誇る武器もあるが今回はこれで十分。
久し振りに握る直剣の重さや感触を確かめ問題ないと判断した時、バエルはその場から姿を消した。
凄まじい速度だった。
次にバエルを視界に捉えた時にはバルガロギアの左肩関節が綺麗に切断されており、その左腕は宙を舞っていた。
偶然か狙ったのか。
それはバエルにしかわからないがそんなことはどうでもいい。
驚くべきはあの装甲を物ともしない切れ味を誇る直剣か。それともその武器を使いこなすバエルか。いや、両方に違いないだろう。
「今までは少々遊びすぎたところがありました。これは私の悪いところであり、反省すべき点ですね。ここからは一方的になりますが覚悟してください。あと可能な限り綺麗に切り落としたいので動かないでいただけると助かります」
バルガロギアが動くよりも速くバエルは斬る。
主に関節を狙って動きを封じていくバエル。
無論バルガロギアも抵抗はした。フロアボスの意地というやつだろう。
だが斬られる前に攻撃を仕掛けようとするも容易く回避され気づけば斬撃を食らっている。
本当に一方的だった。
最初からバエルが本気を出していればステータスが弱体されていようが関係なくバルガロギアを瞬殺していただろう。
そうしなかったのは実際どれだけ出来るのかを見極めたかったから。
戦いにおいてステータスだけが全てではない。
当然完全に無関係ではないがステータスを過信するのも良くないということだ。それはバエル自身も良く分かっている。
あとは当初の目的であるリリィに自分の力を見せたかったのもある。どちらかといえばこちらが本命だ。
そうしている間にもバルガロギアはバエルの直剣によって綺麗に切り刻まれていき、バルガロギアの抵抗も虚しく戦闘は終わった。
言うまでもなくバエルの勝利。
無事に勝利したバエルはリリィに歩み寄るがすぐに片膝を着き第一に発した言葉は謝罪の言葉だった。
「リリィ様、申し訳ございません! あれだけのことを言っておきながら結果はこの有様です」
思わぬ言葉にリリィは戸惑った。
どうして勝ったのに謝るのだろう、と。
結果的には勝ったわけだし、グラシャラボラスから依り代のことも聞いた。
壊れても修理すればいい話なのだからそこまで謝る必要はない。
それに左腕の破損は事故みたいなものだろう。
おそらく原因は『魔闘法』による攻撃。
依り代に予想以上の負荷が掛かったため壊れてしまったと考える。『魔闘法』は時に自分でも驚くほど力が増幅するスキルなのだから。
反省して頭を下げるバエルにリリィは──
「顔を上げてください。バエルはよくやりましたよ。流石は私の従魔です。これからも私の力になってください、よろしく頼みますよ」
今回は何もしていないしこれは偉そうかなと思いながらもリリィはバエルにそう告げた。
それを聞いたバエルに笑みがこぼれる。
主君に褒められる。それだけでバエルは十分に幸せだった。
そしてバエルは再び頭を下げた。
「はっ! 今後ともリリィ様の御力になれるように尽力します!」
「はい。ところで左腕についてですが……」
肉体ではなく機械の体。
生身の体であれば死んでいない限り治すことは可能だが、いくら何でもこればかりはリリィの治療魔術でも治すことはできない。
「そのことですが一度悪魔界へ戻ろうかと思っております」
「やはり戻っちゃうんですか……」
「私としてもやっと再会を果たしたリリィ様と一時的とはいえ再び別れることになるのが辛いですが仕方ありません。ですが必ずや戻ってきますので暫しお待ちください」
改修の際にバルガロギアの素材を使用していいかリリィに許可を取り、了承してもらえたバエルはバルガロギアの素材を空間魔術で回収する。
その時にリリィから彼女が集めていた機械人形の素材も受け取った。
実を言うとリリィは機械のことを学んであわよくば機械人形を作ってみようかなと考えていた。
だが、独学で学ぶよりも機械を熟知しているであろうバエルに教えてもらえばいい。それよりも集めた素材がバエルの役に立つのであれば使ってもらう方が断然良かった。
もしかすると、バエルの依り代が機械人形だったのもリリィの思考が関係しているかもしれないがそれが真実かはわからない。
かくしてリリィたちの『機神の塔』攻略は無事に終了したのであった。
これにて第二章リリィ編終了です。
次回からは第二章ロザリー編を始める予定です。





