《side『勇者』アドル》 絶体絶命
──突然視界に血飛沫が映った。
地面に落ちているのは……カリアの左腕と大楯なのか……?
いったい何が……起こった……!?
考えようにも思考が追い付いてこない。頭の中は真っ白になって自分が何を考えれば良いのかわからない。
「………ああああああッ!! いだッ……いだいよぉッ……」
カリアの嗚咽と痛みに苦しむ姿を見て我に返った。
何が起こったのかなんて今でも理解できない。
けどわかることは一つだけある。
あの空間の歪みから出てきた黒い奴だ。
アイツがカリアの左腕を斬り飛ばした。
しかしあの距離からどうやって? その場から一歩も動いていないだろ? 攻撃した動作もなかった。
黒い奴は関節が外れたように両手をぶらぶらと揺らしている。ケタケタと笑いながらこちらを見つめて次の標的でも決めてるのか?
いや、今はそんなことどうでも良い。
優先すべきはカリアの治療だ。
さっきの一撃で生命力はかなり削られた。
そして断面から吹き出る血液。このままだとカリアは出血による継続ダメージでそう時間も経たずに死ぬ。
こんな時こそシャルの出番だ。
シャルの持つ治療魔術──【最上級治療】があれば例え欠損した部分でも元に戻せる。
「シャル、頼む! 早くカリアを治してくれッ!」
俺はシャルに叫びながら頼んだ。しかし──
「そ、そんな……カリアさんの腕が……ああ……いやああああああああッッッ!」
シャルはカリアの近くにいたせいで怪我はしていないものの血液が顔や服にベッタリとついていた。
しかも信じがたい光景に取り乱している。冷静さを欠いたこの状態では治療も出来ないだろう。
どうする?
相手はそう長く待ってくれない。こうしている間にも次の標的が決まる。思考が追い付かなくても死ぬ気で考えろ。
シャルの治療魔術は使えない。カリアの防御力が紙のように破られたんだ、俺が黒い奴を相手しても確実に負け──いや殺される。
だがこのまま何もしないまま黙っていればそれこそ全員殺されて終わりだ。
何なんだよ! なんでこんな化物が存在するんだよ!
先程まであった万能感は消え、今ではアイツから感じる恐怖に身を震わせることだけしか出来ない。
「アドル! 転移装置は使える! とりあえずここから離れるわよ。カリアの治療はその後でもギリギリ間に合う! シャルもしっかりしなさい! カリアを救えるのは貴女しかいないの!」
クオリアが大声で叫んだ。
助かった、転移は使えるんだな。
ってことはアイツはフロアボスとは別の存在か。
おそらくイレギュラーの存在なんだろうが今はそんなことどうでも良い。
次の階層に向かっても追いかけてくるかもしれないから転移してこの場から去る。
だが、あの黒い奴が俺たちを簡単に逃がすとは思えない。
気付かぬ間にカリアの左腕を斬り飛ばした攻撃。
目で捉えることすら不可能だった。あれがもう一度来たら今度は誰が犠牲になる?
仲間を失うわけにはいかない。
俺たちはまだまだ冒険を続けなければいけないんだ。それにここで死んだら俺を育てた師匠の名が廃る。
「クオリア、ゼペット。カリアとシャルを連れて先に行け」
「はぁ? アドルがどうするのよ!? まともに戦って勝てる相手じゃないってわかるでしょ?」
「ああ。だから時間は多く稼げない。でもお前らが逃げるだけの時間は稼いでやるさ。心配しなくても俺は死なない。いいところで撤退するからな」
クオリアは俺の言葉に怒っているようだが言い返すことはなかった。
誰かが足止めしないと逃げ切れないとクオリアもわかっているのだろう。
「………死なないでよ」
そう言い残しクオリアはカリアの肩を担いで走っていく。ゼペットも放心状態のシャルを連れて転移装置へ向かった。
さあ、『勇者』としてカッコつけさせて貰うぜ。
「うおおおおおおおッ!」
俺は恐怖で竦んだ体を奮い立たせるように雄叫びを上げながら黒い奴に向かって走り出す。
黒い奴もニヤけた面してこっちに向かってくる。
そこから繰り出される不可視の攻撃だが、鎧を掠めるだけで奇跡的に回避できた。
掠めただけで鎧は抉れている。直撃したらどうなるかは既に目に焼き付いているから想像したくない。
多分もう二度と回避することはできないだろう。だからこそ、これが最初で最後の一撃になる。
俺は黒い奴の胴体目掛けて剣を振り下ろす。
俺の剣──『聖剣エリュンザルド』は何だって斬れる。
この黒い奴が高い防御力を持っていても無視して生命力を削れる。
俺の斬撃で黒い奴にもダメージを与えたぞ。傷口から血液が溢れているから間違いない。
このまま行けば倒せるか? 倒せるなら押し切るべきだ。
そう思い追撃を始めようとしたのだが──
「■◆▽≒!↓、△□─∥」
剥き出しの歯が動き、謎の言語を発した。
なんて言ったんだ? そもそも会話が可能なのか?
俺の脳内に生まれる様々な疑問。その疑問が俺の動きを鈍らせる。
黒い奴が繰り出した攻撃は俺の右横腹を穿つ。
一度距離を取って、現状を確認してみたが握り拳ほどの大きさの穴が空いていた。
ヤバい。これはヤバすぎる。
脳が致命傷を認識した。更に血を流しすぎて意識が朦朧としてきた。クオリアとゼペットが遠くから何か言っているようだが鮮明に聞こえない。
俺はここで死ぬのか?
アイツを──リリィを見殺しにしたこの場所で?
きっとリリィが俺を殺したいほど恨んだ結果なのかもしれないな。
けど間違った判断ではなかった。あれがあの場所で取れる最適な判断だったんだからな。
しかし俺は『勇者』だぞ?
リリィと違って優秀だ。努力してここまで来た。こんなところで死ぬ人間じゃない。
そう思っても迫り来る圧倒的存在に俺は何もできない。
ただただ己の死を待つのみ。
クオリアたちに約束したのに結局破ってしまった。
俺に向かって何か叫んでいるようだがうまく聞き取れないな。
俺は受け入れたくない運命を受け入れるしかなかった。
もうダメだ……。
しかし、受け入れたはずの運命は簡単に覆された。
「──【最上級治療】」
シャルの魔術ではない別の誰かが使用した治療魔術。
俺の失われた右横腹は元に戻り、減少し続ける生命力も完全に回復していた。
いったい誰が──?
その答えは俺の目の前に。
そこにいたのは黒い仮面を着けた謎の人間だった。





