追憶 エピローグ
道中の記憶はあまり覚えていない。
合流したカルナと共に街へ向かったが、言葉を交わすことはなかった。
仲間の遺体は厚手の布を巻いてカルナが回収。フィードルはシャーリーンが背負い、街にはちょうど正午を回った頃に到着する。
今回の一件は当然報告しなければならない。
フィードルの状態。仲間たちの死については、一晩経たずして街全域に広がっていた。
「…………」
ダンジョンから帰還して3日後。
生き残ったシャーリーンは、借りている宿の一室から一度も出てきていない。
宿の従業員が用意してくれた食事も手をつけず、ベッドに横たわっているフィードルを見つめるだけの生活。
度合いで言えば、あの日以上の絶望かもしれない。再び前を向いて歩き出すには、まだまだ時間がかかる。
「あ、あの、こちらのお客様は──」
「事情は知ってる。別れる前に少し話がしたくて」
部屋の中が無音に等しい状態だから、扉の向こうから話し声が鮮明に聞こえる。
一人は宿の従業員の声。もう一つも知っている声だ。
会いたくはないが、追い返そうにも無駄に終わるだろう。短い付き合いだが、カルナはそういうやつだと知った。
「……何の用?」
ゆっくりと開かれた扉からシャーリーンが現れる。
声に覇気がなく、髪は乱れていて目の下には酷い隈が出来ていた。とても人前に出られる姿ではないが、事情が事情なため、致し方ないだろう。
「……ダンジョンから帰ってきて一度も話をしなかったでしょ? この街に滞在するのも今日で最後だから、出発する前にシャーリーンと少し話がしたいと思って。中に入っていい?」
シャーリーンの容姿については何も言わず、カルナが部屋の中へ入っていいか問う。
問われたシャーリーンは踵を返し、フィードルが横たわっているベッドとは別のベッドに腰を下ろした。
嫌なら拒否されるだろう。それがなかったということは了承してくれたと捉えたカルナは部屋の中に入る。
日中だというのに、部屋はカーテンが閉められていて薄暗い。周囲を見渡してみると、物がいくつか散乱していた。
「……で? 話って何?」
「……これからどうするの?」
ベッドに横たわるフィードルを見ながらカルナが聞く。
ダンジョンで合流した時に聞くつもりだったが、その時はシャーリーンと話せる雰囲気ではなかった。だから、大まかな情報は冒険者ギルドで聞いた。
原因までは聞いていなかったが、フィードルが一切の反応を示さなくなったのは、おそらくエスメラルダの『時魔術』が関係しているだろうとカルナは考える。
確認のためにフィードルのステータスを『鑑定』で確認するが、特に異常はなかった。
これが呪いや状態異常の類であれば、まだ希望はあったかもしれないが、そうでないのなら手の打ちようがない。『時魔術』のスキルを所持していたら話は変わっていたかもしれないが。
「……どうしてアンタに言わないといけないのよ」
「……いいじゃない、教えるくらい。フィードルがこうなったのは、元はと言えば、私がエスメラルダを──」
「……アンタは関係ない!!」
怒号が虚しく響き、気まずい空気が室内を満たしていた。
シャーリーンは魔物や魔族を嫌っている。今回の一件で、憎しみは更に強くなっただろう。
本当ならカルナと同じ空間に居たくないし、話だってしたくない。
カルナもシャーリーンの雰囲気で察していた。それなのに、こうして付き合ってくれているのだからカルナは感謝している。
そして、同時にカルナは後悔をしていた。シャーリーンの顔を見ると、その後悔がより強くなっていく。
エスメラルダがカルナの前から消えた時、当然すぐに追いかけようとしたが、あの場所には彼女の手によって結界が張られていた。
エスメラルダが去り際に張ったもので、強度に特化した結界かつ、あの空間には転移妨害も施されていた。
カルナでも破壊には時間がかかるものだったが、結界は十分足らずで自然消滅した。結界はカルナを足止めするための時間稼ぎ。
結界が消滅し、急いで駆け付けても遅い。エスメラルダの魔力は消え、シャーリーンたちに合流した時には、全て終わっていた。
エスメラルダとの戦いを早く終わらせていれば、シャーリーンの仲間たちを救えたかもしれない。
それ以前に、エスメラルダが現れた時に拘束できていれば──なんて、今更無意味な後悔を帰ってきてから、ずっとしていた。
だが、後悔を口に出したって、失った仲間は帰ってこないし、言ったところでシャーリーンの機嫌が悪くなる一方だろう。
しばらく沈黙が続き、質問に答えてくれないとカルナは諦めかけていたが、ゆっくりとシャーリーンの口が開く。
「……少ししたら、この街を出るわ。……ここには楽しかった思い出がたくさんあるから」
この街に居続けても、仲間と過ごした思い出が胸を苦しめるだけ。目覚めないフィードルを側で世話しながら、そんな環境で生活し続けるのは、絶対に耐えられないと確信していた。
「フィードルはどうするの?」
「……彼は孤児院出身で両親は既にいないって言ってた」
「……そう、だったのね」
「……彼だって仲間を失った。みんなとの付き合いも私より長い。……目が覚めた時、共に過ごした仲間が一人もいなかったら辛いでしょ? ……だから、彼も一緒に連れていく。……移動はどこかで車椅子でも調達すれば何とかなる」
俯きながらシャーリーンはそう答える。
「……話って、それだけ? ……だったら、もう部屋から出てって。……本当はアンタと話したくもないんだから」
普段なら不機嫌な顔かつ怒りが混じった声で言うだろう。だが、傷心しきったシャーリーンは抑揚のない声で、カルナに言う。
「……わかった。シャーリーンは望んでいないだろうけど、またいつか、どこかで会いましょう」
別れの言葉を残し、カルナは部屋を去る。
後日、シャーリーンのもとへ高品質の車椅子が送られてきた。その話をしたのは一人しかいないのだから、誰が送ってきたのか考えずともわかる。
魔族からの贈り物など捨ててやりたかったが、自分で調達した車椅子と見比べ、フィードル優先で考えた結果、仕方なく贈り物の方を選んだのだった。
それから1週間ほどが経過し、シャーリーンはフィードルと共に街を発つ。
一部の者は、シャーリーンがフィードルを連れていくのに反対だったが、最終的には押し通した。
反対していた者たちは、主に貴族たちだ。意思疎通は出来なくても『勇者』という存在に価値があるから手放したくなかったのだろう。
街を出発してから、更に1か月後。シャーリーンたちは別の街を訪れる。
身動きが取れないパートナーとの旅は大変だが、苦ではなかった。
旅の途中も仲間の死を思い出し、胸が苦しくなったりしたが、それでもまだフィードルが側に居るという現実が救いになっていた。
そして、その街で数日経ったある日。
シャーリーンは冒険者ギルドで依頼を受ける。
内容は、街から少し離れた洞窟の調査。多くの行方不明者が出ており、同じく調査に向かった冒険者も帰ってこないという。
だが、内容に関してはシャーリーンには、どうでもいいこと。ただ報酬金が他の依頼より何倍も多い。受ける理由はそれだけだった。
もちろんフィードルは置いていく。連れて行っても守り通せる自信はあったが、わざわざリスクが高い方を選ぶ必要はない。
フィードルには借りた宿の部屋で帰りを待っててもらい、念のため、部屋に誰も入れないよう結界を張ってから、シャーリーンは目的地に向けて出発した。
「おいおい。こいつはツイてるぜ。女一人だけか」
洞窟に到着し、探索をしていると、言語を話せる生き物に遭遇する。
その生き物を見た瞬間、シャーリーンは顔を顰めた。
全身を覆うように生えた体毛。人族にはない獣の耳と尻尾に長い鼻。それでいながら、人族と同じように二本の足で立っている。
シャーリーンの前に現れたのは、獣要素の方が多いオオカミの獣人だった。
(……獣臭くて我慢ならない。……目撃者なんて何処にも居ないし、こんなやつ──)
その時、微かに香る不愉快な獣臭ではない匂いがシャーリーンの鼻を刺激した。
これは……血の匂いだ。匂いの発生元は目の前の獣人から。よく見れば、顔や腕に血が付着している。
これが何の血なのかは本人に聞く以外にわからない。
洞窟内にいた魔物を殺し、その返り血なのか。はたまた、行方不明者となった者たちの血なのか。
まあ、シャーリーンはどちらでもいいことだ。
魔物の返り血ならシャーリーンと出会ったのが運の尽き。行方不明者の血なら当然の報いを受けるだけ。
何も言わずにシャーリーンは剣を抜き、目にも止まらぬ速さで獣人の四肢を切断する。
一瞬の出来事で獣人は理解できなかったが、次第に想像を絶する痛みが全身を駆け巡った。
「ぎゃあぁぁぁぁ!!」
激痛により視界が涙で霞むなか、獣人は身体から離れた四肢を見た後、シャーリーンの顔を見る。
「ひっ……!」
その時には既に、無表情のシャーリーンが剣を振り上げていた。
予想はしていたが、獣人には仲間がいた。
殺した獣人の悲鳴を聞き、仲間が駆け付けるも、全員最初の獣人と同じように成す術なくシャーリーンに殺されてしまう。
地面に広がる獣人たちを見ても何も思わなかったが、ふとあの時のエスメラルダの言葉が彼女の脳裏を過る。
しかし、今のは世界に不要な害獣を駆除しただけ。そもそも、エスメラルダが何と言おうが、シャーリーンの信念は変わらない。
洞窟内にいた害獣を駆除した後、シャーリーンは引き続き探索を続ける。
そして、獣人たちが拠点として使っていた部屋を見つけ、その奥には行方不明者らしき人物たちもいた。
「…………」
だが、シャーリーンが部屋を見つけた時には手遅れで、中にいた者は全員この世を去っていた。
何度も暴力を振るわれたのだろう。遺体には多数の痣が残っている。
遺体の中には女もいたが、同じく身体中に痣があり、服は全て脱がされていた。その光景を見ただけで、彼女たちがどんな最期を迎えたのか容易にわかる。
「……街に連れて帰ることくらいしかできないけど、許してちょうだい」
シャーリーンは遺体を大きな布で包んで【異次元収納箱】に入れる。
全ての遺体を回収し、その場を去ろうとするシャーリーンだったが──
「……そこに隠れてるのはわかってるわ。……いい加減出てきなさい」
部屋の隅に置いてあった大きな木箱。今までずっと出てこなかったが、その後ろから気配を感じていた。
相手が魔族であれば、シャーリーンは部屋に入った時点で殺しているだろう。そうしなかったのは、感じ取った気配は魔族ではなかったからだ。
「…………」
「…………」
木箱の後ろから出てきたのは、ボロ雑巾のような服を着た、酷く痩せこけた人族の少年と少女だった。髪色等の容姿から判断するに、二人は兄妹のように見える。
彼らの身体にも殴られたような痕が残っているが、回収した遺体ほどではない。
人族の子供であれば、どんなに抗ったところで獣人の膂力には到底敵わない。
そして、大人よりも子供の方が暴力や恐怖で支配しやすい。彼らは何処かで拉致されて雑用係にでもされていたのだろう。
「……あ、あいつらは?」
震える声で少年がシャーリーンに問う。
「……害獣たちのこと? ……あいつらなら全員殺したわ」
少女の方は今も少年の服を強く握って怯えているが、少年はシャーリーンの言葉を聞いて安堵した様子を見せた。
「……話したくないなら別にいいけど、あなたたちはどうしてここに?」
二人から話を聞き、彼らは旅行中に獣人たちに襲われ、彼らの両親は二人を絶望のどん底へ突き落すために殺されたことを知る。
拉致された後は、奴隷のような扱いを受け、獣人たちの機嫌が悪い時は暴力を振るわれた。身体の打撲痕は、それでできたものだ。当然『治癒魔術』をかけてもらうこともない。
「………………」
シャーリーンは少年の話を聞いて何も言わなかった。
ここで安易に慰めの言葉をかけたところで、心に負った深い傷は簡単に治らないのだから。
「……とりあえず近くの街まで送るわ。……今度のことは、街に着いてから考えましょう」
獣人たちから解放されて彼らは自由になった。しかし、こんなところで「じゃあ、さようなら」というわけにはいかない。
再び自由を手に入れても、戦う力もない子供二人が、魔物が徘徊する洞窟から外へ出るなんて、まず不可能。魔物に見つかって食われるのも時間の問題だ。
こうして出会った以上は、責任を持って街へ送り届けなければならないだろう。ただ、その後がかなり面倒だと思わず溜め息が出そうになる。
「……はぁ。……困ったわ」
宿のベッドに座ってシャーリーンは深く溜め息を吐いた。
二人を連れて街へ戻ったシャーリーンは、宿へ戻らず依頼の報告のために冒険者ギルドへ直行する。
そして、報告を済まして遺体をギルドへ渡した後、街に孤児院がないか聞いた。
結論から言うと、この街に孤児院は存在する。
だが、問題があった。
問題というのは、院長が獣人だったということ。
滞在している街は獣人やそれ以外の種族も訪れるため、街中を歩いていれば、他種族とすれ違うことも多々ある。店の従業員として働いているものもいた。
それらを見る度にシャーリーンは不愉快な思いをしているが、先程の獣人たちと違って、いきなり斬り殺せば、ただの犯罪者だ。ストレスは溜まるが、仕方なく我慢している。
で、一応ギルドで話を聞いたが、その孤児院の院長は周りからの評判もよく、種族問わず優しく接してくれる獣人らしい。
しかし、彼ら──特に少女の方は、まだ幼く、獣人に植え付けられたトラウマがある。ギルドまでの道のりですれ違った獣人にも酷く怯えていた。
そして、シャーリーンはシャーリーンで忌み嫌う魔族に彼らを託したくなかった。シャーリーンの考え以前に、少女の方が行きたくないと言い出しているので、孤児院に入れることは無理だろうが。
だから、彼女は深く溜め息を吐いて頭を悩ませているのだ。
今日はひとまず隣の部屋も借りて、二人を休ませているが、この先もずっと二人を養うつもりはない。
フィードルのこともあるし、人族で彼らを受け入れてくれる場所が見つけるまでなら──と、考えていると扉の向こうからノックをする音が聞こえた。
扉を開けると、そこには隣の部屋にいた二人がいた。
「……どうしたの?」
「あの……お願いがあって……」
何となく予想はついているが、シャーリーンは二人を部屋に入れる。
部屋に入ってすぐ、二人の視線は自然とフィードルの方へ行った。
「この人は……?」
「……訳あってずっと眠ったままだけど、彼は私の大切な人よ。……それで、お願いというのは?」
「お姉さんは、あの獣人たちを殺せるくらい強いです……。俺もお姉さんみたいな強さがあれば、父さんと母さんを守れたかもしれない……。妹だって酷い目に遭わずに済んだ……」
「…………」
「弱いままでいるのは嫌だ! お姉さんみたいに強くなりたいんです! 何でもします! 俺を強くしてください!」
真っ直ぐな瞳でシャーリーンに言った後、少年は頭を深く下げて彼女に頼む。
シャーリーンは一緒に連れて行ってほしいと予想していた。鍛えてほしいという頼みは、予想からは外れていたが、大体似たようなものだろう。
強くなりたい。その気持ちは痛いほどわかる。シャーリーンだって、魔物なんかに負けないために、憎悪を力に変えて血の滲むような努力をしてきた。
少年は目の前の『剣聖』に憧れと尊敬の念を抱き、冒険者になるつもりだろう。
勝手にそう思うのは自由だ。でも、強くなるのは簡単じゃない。楽しいことより辛く苦しいことの方が多い。
断ることも考えた。少年を鍛えるなど時間の無駄。フィードルのこともあるし、少年に構っている暇はない。
だから、シャーリーンは少年の覚悟を今一度確かめることにした。
「……私みたいにって、つまり冒険者になりたいってこと?」
「ず、ずっと冒険者には憧れていました」
「……そう。……あなた、歳は?」
「7歳です」
「……自分の『職業』がわかるまで、あと5年。……今頑張っても『職業』が判明した時、それが戦闘向きじゃない可能性は十分にある」
「その時は諦めます……。でも、今よりは強くなってるだろうし、頑張ったことは無駄にはならないと思います!」
「…………」
シャーリーンは少年の言葉に感心した。
冒険者ギルドの依頼とフィードルの世話。無論それ以外にもやることはあるが、少年は何でもすると言ったのだ。
自由に使える駒が増えるなら空いた時間に鍛えてやってもいいかと、この時のシャーリーンは思う。
「……いいわ。……そこまで言うなら鍛えてあげる」
「やっ──」
「……ただし条件がある。……それを破ったり、途中で泣き言を言うようなことがあれば、すぐにどこかの孤児院に入れる」
喜ぼうとしたのも束の間、シャーリーンの言葉を聞いた瞬間、それは冗談ではない本気のものだと感じた少年は息を飲んだ。
「……条件というのは、訓練には二人とも参加すること」
「あ、アルマもですか?」
「……競い合える相手がいれば、成長も速いわ。……それに、両方とも恵まれて冒険者向きの『職業』なら、依頼も楽にこなせる。……まあ、当然その逆──両方とも冒険者に向かない『職業』の可能性もあるけど」
他にも少年の妹──アルマも鍛える理由はある。
今の彼らに金を稼ぐ力はない。
だが、少年を鍛えることになれば、彼らの食費や宿代、その他諸々の費用がかかる。それはいったい誰が出す?
暫くの間、面倒を見ることになるシャーリーンだ。
少年の『職業』が判明するまで金を肩代わりするつもりはない。戦闘技術が身につけば、さっさと魔物を狩って生活費を稼いでもらう予定である。
しかし、少年だけでは妹の分まで稼ぐのは難しい。
かといって、少年よりも年齢が低く、ろくに食べ物も与えられず痩せ細った妹を、雇ってくれる仕事場はあるだろうか。まず戦力にならないと追い返されるのが目に見えている。
故に、妹の方も鍛えることにした。
もし彼女の『職業』が冒険者に向かないものだったとしても、少年が言ったように、護身術程度には役立つだろうから無駄にはならない。
「……アルマ、だったわね。……あなたも彼と一緒に私の指導を受けることになる。……断るなら、彼を鍛える話もなくなるわ」
「指導って、痛いの……?」
「……そうね。……先に言うけど、今までと同じ生活ができるとは思わない方がいいわ。……毎日傷だらけになるだろうし、辛く苦しいものになる。……きっと何回も止めたいって思うはずよ」
「……痛いのは、もういやだよぉ……」
アルマの瞳からボロボロと大粒の涙がこぼれる。
家族と幸せな生活を送っていたのが一変して、辛く苦しい生活を送るようになった。そこへ追い打ちをかけるような言葉を聞いたのだ。年相応の反応だろう。
少年が慰めようと声をかけようとしたが、シャーリーンと目が合い、その瞳に気圧されてしまい声が出なかった。
こうなることはわかっていた。シャーリーンは慰めの言葉をかけようとしない。ただ、代わりに彼女は──
「……私だって涙を流すことはある。……だから泣くなとは言わない。……でも、何もせず泣き続けたところで何かが変わるわけではないし、失ったものだって戻ってはこないわ」
「うぅ……ひっぐ……」
「……二度とあんな思いをしたくないのなら、大切なものを守りたいのなら、これ以上自分たちの幸せを奪われたくないのなら、必死になって強くなるしかないの。……弱者のまま生き続けてもいいことなんてないわ」
幼いながらも、それは例えばなしではなく、実際にシャーリーンが体験してきたことなのだろうとアルマは感じる。
そして、何かを決意したかのように両腕で涙を拭い、溢れ出そうな涙を必死にこらえ、アルマは真っ直ぐシャーリーンを見つめた。
「強くなったら、お兄ちゃんを守れる……?」
「……出来るとは言わない。……あなたの頑張り次第よ」
「じゃあ……頑張る。お兄ちゃんを守れるくらい強くなる」
アルマの瞳からは少年と同じくらいの覚悟が見て取れた。この様子だと、訓練の辛さに泣くことはあっても途中で投げ出すことはないだろう。
「……決まりね。……訓練は五日後に始めるわ」
「明日からじゃないんですか?」
「……まともに食べてない身体で訓練なんて出来ないでしょ? ……それに道具を揃えたり、いろいろ準備もあるし。……だから訓練は五日後に始める」
「わ、わかりました」
「……そういえば、あなたの名前、聞いてなかったわね」
「フェグルスです」
「……シャーリーンよ。……さっきも言ったけど、泣き言は許さないから。……覚悟しておくことね」
それから約470年後の現在。
シャーリーンはカーテンから差し込む朝日で目を覚ます。
(昔の夢を見るなんて、いつ振りかしら……。きっと、クソカルナが来たせいね)
二人に出会って以降のことは鮮明に覚えている。
厳しい訓練に泣き言一つ言わずについてきたフェグルスとアルマ。
結局、彼らは冒険者に向いた『職業』を授かり、二人とも冒険者の道を進むことになった。
しかし、フェグルスとアルマは冒険者になっても、シャーリーンと共に旅することを選ぶ。
シャーリーンは「好きにしなさい」と彼らの同行を了承し、彼らは生を全うする日まで彼女に尽くした。
昔を思い出しながら、シャーリーンは寝間着から仕事着へ着替えを始める。
すると、机に置いていた手の平に収まるサイズの水晶玉が光り出した。シャーリーンがそれに触ると、水晶玉から声が聞こえた。
「「シャーリーン様。おはようございます」」
声の主はシャーリーンに仕えている二人の側近だ。
「おはよう。フェグリア、アルマーニ。早速だけど、人工ユニークスキルの方はどう? 昨日の段階だと、今日には一つできる予定だけど」
「はい。ちょうど今朝『正義』という人工ユニークスキルが完成しました」
これで通算10個目の人工ユニークスキルが完成するも、そのうちの9個がエスメラルダに奪われている。
過ぎたことに腹を立てても仕方ないが、エスメラルダに対しての怒りや憎しみは増す一方だ。
「そう。なら、あとで私のところに持ってきて。また奪われるわけにはいかないし、私の方で管理するわ」
「かしこまりました。それでは──」
「あ、そうだ」
通信を切ろうとした二人だが、何かを思い出したようにシャーリーンが呼び止めた。
「どうかなさいましたか?」
「別に大したことじゃないわ。あとで街に行く予定があるから、ついでに何か甘いものでも買ってきてあげる。二人とも好きでしょ?」
「そ、そんな──」
「我々なんかのために──」
水晶玉の向こう側から慌てている二人が容易に想像でき、シャーリーンは微笑を見せる。
あの子たちもそうだった。それぞれの血を受け継いできた子孫たちも。側近として仕えるだけでなく、甘党というところも、先祖から代々受け継がれている。
「日頃頑張っているあなたたちへ、皇帝からのささやかな褒美なんだから、何も言わず素直に受け取りなさい」
「そういうことでしたら……」
「ありがたく頂戴いたします……」
「アステレシア~? 起きてる~? 朝ごはん食べに行こ~」
「それじゃあ、またあとでね」
通信を切り、身支度を済ませたシャーリーンは部屋の外へ向かう。扉を開けると、そこには同じ医務室で働く仕事仲間がいた。
「おはようございます!!」
シャーリーンはアステレシアに切り替えて仕事仲間に挨拶をする。当然、相手は彼女が初代皇帝だなんて思いもしないだろう。
シャーリーン自らが己の正体を、これ以上誰かに明かすことはない。──人類生存をかけた大きな戦いが来る、その日までは。





