『聖魔女の楽園』(第三章エピローグ)
私は、人を殺せない。
アルゴギガースの中に入り、カルロスさんが心臓部分と繋がっていたのを見た時、私は「アルゴギガースを止めるにはカルロスさんを殺さなければいけない」と考えました。
実際そうです。
カルロスさんが最初居た心臓部分に戻ると脈を打っていた肉塊は止まっていた。本当にあの部分が心臓の役割をしていて、心臓を持つ生物と変わらなければ、心臓が止まったアルゴギガースはもう動いていない。
もう大丈夫なのでしょう。テルフレアはアルゴギガースに踏みつぶされずに済みました。
でも、止めたのは私ではなくカルロスさんです。
最初から殺さなければいけないとわかっていたのに、それでも私は最後まで殺せなかった。カルロスさんが自害しなければ今頃どうなっていたことか……。
あの時、私に語り掛けてきた私と同じ声。
あの声の言う通りなのでしょう。
人を殺したくないのは自分の手を人間の血で汚したくないから。
私が言っていることは綺麗ごとであり偽善。それは何となくわかっています。
冒険者をやっていればこの先盗賊などの討伐依頼を任されることがあるかもしれません。盗賊の被害に遭った人からすれば彼らは死んで当然と思うでしょう。
それでも私は怖いのです。魔物は散々殺しておいて人間だけ殺せないのか、と思われるでしょうけど……。
だったらそんな依頼なんて受けなければいい。でも、被害に遭った人を放ってはおけない。盗賊を野放しにすれば新たな被害が出る。
自分でも面倒くさい性格をしていると思いますよ。
罪人であろうと人を殺せない。でも被害に遭っている人は救いたい。
救うためには戦わなければいけません。
今の私には殺さずに拘束できる力があります。それでも自分より弱い人限定になりますけど。
拘束し、生け捕りにして渡しても結局過去の行いから死刑という判決が下るでしょう。
状況次第では現場で殺しても構わない。それでも殺さないのは私が自分の手を汚したくないから。綺麗なままでいたいから。
(リリィ様、今宜しいでしょうか?)
バエルからの念話です。
無視するわけにもいかないので私は返事をします。
すると魔法陣が浮かび上がりその奥からバエルが来ました。
「リリィ様、お見事です。無事にアルゴギガースは動きを停止し、テルフレアは守られました。流石はリリィ様です」
「……止めたのは私ではないんですけどね……」
「……ええ、そうですね。しかし、リリィ様が止めたと言っても過言ではないと私は思います」
どうやらバエルは途中から私を通して見ていたようです。
おそらく初めてテルフレアに来た時にデオンザールの気配を悪魔界に居ながら感じ取ったのと同じ原理なのでしょう。
ただ、途中からと言ってもカルロスさんがちょうど自害した時みたいなのでそれより前のことは知らないと言っていました。
バエルが見ていたのであればあの時の私のことをどう感じたか聞こうと思っていましたが、見ていないのであれば聞いても無駄ですよね。
私は、あれがバエルたちの言っていた"もう一人の私"ではないかと考えていました。でも別で存在しているみたいなので違うのでしょう。
……今はあの時の私のことを考えるのはやめましょう。今はそれ以外のことで頭の中がいっぱいなので……。
「……バエルは、私が最後までカルロスさんを殺せなかったところを見ていたんですよね……」
「はい。この目で直に見たわけではないですが」
「な、情けないですよね。あなたの主人が人を殺すのが怖いってだけで手が震えていたんですから。カルロスさんも、私のためじゃない、利用されたくないからって言ってましたけど、多分私が殺せないから自害したんだと思います」
「…………」
「で、でも、もう大丈夫です。これ以上あなたたちの主人である私が情けない姿を見せるわけにはいかないですから。それに、私が躊躇うことであなたたちを危険にさらすかもしれない。みんなのためにもちゃんと……覚悟を決めて……罪人は……私の手で……私の……」
声が震える。体が震える。涙もこぼれる。
誓わなければいけないことなのに、まるで自分の体ではないかのようにその先の言葉が言えません。
何度も。何度も。声を出そうとしても声が出なかった。
あの時の私が再び体を乗っ取っているわけではありません。私の心がその先を言わせないようにしている。
「私が……やらないといけないのに……」
私は覚悟を決められない自分が嫌になります。
そんな私の姿を見たバエルが目の前で片膝をつきました。そして私の右手を優しく握り──
「リリィ様が無理をしてまで変わる必要はございません。人間を殺せない。それは同じ人間として当然だと思います。特にリリィ様は誰にでも優しい御方ですのでその想いは人一倍強いでしょう。ですので、リリィ様が出来ないことは私たちに任せていただけないでしょうか」
「バエルたちに……?」
「人間を殺すことに関して悩んでいらっしゃるリリィ様にこのようなことを言うのは如何なものかと思いますが、敢えて言わせてもらうと私は人間を殺すことに感情を持ちません。それは私が悪魔であり魔物だからでしょう。ただ、そんな私でも失いたくない人間がいることも知りました。この街ではカリーナ殿やエドガー殿たち。当然のことながらリリィ様もです。その方々のためであれば私はいくらでも自分の手を汚しましょう。タルト殿やデオンザールも同じ気持ちだと思いますよ」
「でも、みんなに全て任せるわけには……」
「リリィ様ならそう仰ると思いました。なので私たちに出来ないことはリリィ様にお任せしたいのです」
私に出来ないことはバエルたちが。
バエルたちに出来ないことは私が。
そうやって支え合うのが主人と従魔の正しき関係だと思います、とバエルがそう私に言いました。
私は覚悟を決められない未熟者。優秀過ぎる従魔たちに誇れる強さもない。本来なら私よりもずっと強い。
彼らに出来なくて私が出来ることがあるのかわかりません。もしかしたら私はこの先ずっと彼らのことを頼ることになるかもしれません。
だけど、不甲斐ない私をそれでも彼らが支えてくれるのであれば、今だけは──
「……なら、頼ってもいいですか? タルトやバエル、デオンザールにサフィーたち、みんなを頼っても……いいですか?」
「はい。是非とも私たちを頼ってください。リリィ様に頼られること。それが私たちの喜びですから」
結局私はバエルたちに甘えて逃げているだけで何も変わっていません。
でも、だからこそ彼らが出来ないことを私がやって支えなければいけない。ならば今はそれに全力を尽くします。それが私にできる唯一のこと。
少しだけ気持ちが楽になった気がします。
だけど、いつかはこんな甘えたことも言っていられない時が来るはず。その時までには私も覚悟を決めなければいけません。
「さて、皆さんも待っていることです。ここから脱出を──とその前に。リリィ様、こちらを」
バエルは私にハンカチを渡してくれました。
「リリィ様が涙を流していては皆さんが心配してしまいます。なのでこちらで拭いてください」
「ありがとうございます」
「いえいえ、礼には及びません」
「ところで、バエルは別の用事で何処かへ行っていたみたいですけど、それは終わったんですか?」
「はい。実はアルゴギガースを守っていた魔術を無効化する障壁ですが、あれは魔物たちの生命力や魔力を使って造られたものでした。なのでそれらを供給している部分を探し出して破壊して参りました」
「魔物たちの生命力と魔力を……。その魔物たちはどうなりましたか?」
バエルはすぐには答えてくれませんでした。
バエルの気が進まない様子を見れば理由は何となく察することが出来ます。私のためを思って報告するか悩んでいるのでしょう。
「私なら大丈夫です。なので教えてください」
「……わかりました。あの障壁を展開するために生命力や魔力を奪われた魔物たちですが、半分近く、数にして150体ほどは既に亡くなっていました。調べてみたところ時間的にもかなり前のことでした。おそらく1、2週間は前のことかと」
「150……そんなに……」
「残る魔物たちは辛うじて息があったのでリリィ様のもとへ行く前に『治癒魔術』で治療しておきました。ひとまずその魔物たちは安全地帯にて保護しております。あと、誘拐された従魔たちもそこへ捕らわれておりまして──」
「その子たちは!? その子たちも無事ですか!?」
誘拐された従魔の中には串焼きのおじさんのゴーレムさんもいるはずです。
私が助けると言いましたが、その子が亡くなっていると聞いたらおじさんがどれだけ悲しむか……。でも、恨まれても仕方ないですがもしそうだとしてもちゃんと伝えないといけないですよね。
ですが、その心配は必要ないみたいでバエルが報告してくれました。
「ご安心を。ウォルフ殿から誘拐された従魔の特徴を聞いていましたが、多少弱っていたものの命に関わるほどでもなく全員無事でした。彼らにも『治癒魔術』を施して安全地帯で休ませています」
「そうですか。良かった……」
バエルの報告を聞いて一安心です。
誘拐された従魔たちを主人と再会させたいので一刻も早くここから脱出します。
アルゴギガースの口まで戻って飛び降りるのも考えましたけど、そこまで行くのに時間がかかるし大変です。
しかし、外へ出る手段はそれしかないので仕方なく来た道を戻ろうとした時、バエルが魔法陣を展開させていました。
「では行きましょうか。足元にお気を付けてください」
「えっ、はい……」
私はバエルの後ろをついていきます。
そして、魔法陣を抜けると私たちは崖の上から大自然を見下ろしていました。風も清々しくて気持ちいいですし、お日様もポカポカで外で昼寝するには完璧な環境です。
って、そんなこと言っている場合ではありません。
ここ何処ですか? こんな場所、私は知りません。
バエルが出口を間違ったとか? いやでも、あのバエルがミスをするようにも見えませんし……。
「まだ空間を広げようと思えば可能ですが、最初から広すぎるのも不便だろうと思い、ひとまずはこれで完成とさせていただきます。ご要望があればいつでも変えられますのでいつでもお申し付けください」
「えっと……」
「覚えていませんか? リリィ様がサフィーたちを救い出した後に話したことですよ。流石にあの数を連れて移動するのは周りを委縮させてしまうので、彼女たちが待機且つ修行できる場所を用意すると申したはずですが……」
………………。
ああ! あれですか。内容は忘れていましたけど。
そうですか、これを作るためにバエルはあの晩居なかったと。
まさかこんなものを作っていたとは思ってもいませんでしたよ。広さはかなりあります。全てを探索するには1か月以上は普通に必要ですね。もしかしたらそれでも足りないかも。
ちなみに、この場所は従魔たちが主人の呼び出しが来るまで待機している異空間をバエルが改良して作ったものらしいです。改良したから主人である私もこの空間に居られるのでしょう。
バエルはこんなものまで作れるのですか。凄いですね。
と、呑気なことを言っていいのか。流石にこれはいくら何でもやり過ぎなのではないでしょうか。
以前にも似たようなこと──『機神の塔』でバエルに案内された開放感あるあの場所です──をやったので簡単でしたと言っていますが……まあ、やってしまったことをどうこう言っても仕方ありませんし、何よりこれは私のためにやったことですよね。ならバエルを悪く言うのは止めましょう。
ただ、崖の上から見て気づいたのですが、あれは間違いなく──
「村、ですよね?」
スキルで視覚を強化しないとはっきり見えない距離にありますが、確かにそこには何軒か家のような建物がありました。街というには数が少なすぎるので村と言うべきでしょう。
「後々ここには多くの魔物や人間が住むことになるでしょうから居住区は必要かと。村を発展させていくのも面白みがあると思いますよ」
「魔物なら未だしも人間も、ですか。流石に魔物が住んでいるのであれば人間が住もうとしないんじゃないですか?」
「ではリリィ様に聞きます。リリィ様はサフィーたちを救いました。ですが今後同じような境遇に遭う者たちを見たらどうしますか?」
「た、助けると思います……」
多分人間であろうと魔物であろうと私は救いの手を差し伸べてしまう。これはおそらくこの先も治らないでしょう。
「その中には身寄りのない者だっているはずです。救ったのであれば責任を取らなければいけない。衣食住の保証はこちらでします。ただ、それだと穀潰しが現れるので代わりに魔物と共に手を取り合って村の発展を手伝ってもらいましょう」
私みたいな人間が全てではないので、魔物と手を取り合って生活できる人間がいるのか、問題が起きないか不安になりますが、そうなる前にルールなどを作れば問題ないでしょう。
それに、私自身ちょっと面白そうだなと思っています。自分の村──後々街になるでしょうけど──を持てるなんて生涯無いことですし。
バエルに今の空間を案内された後、私たちはテルフレアの近くに出ました。
あの空間は私と私の従魔であればいつでも扉を開けるみたいです。なので今は私とタルト、バエルにグラだけですね。
その後カリーナさんたちと合流。話を聞くと従魔誘拐事件とエドガーさんを刺殺しようとしていたのはカリーナさんが言っていたドリュゼラさんが犯人でした。
ドリュゼラさんとカリーナさんたちが戦っていましたが、苦戦していたみたいでそこにデオンザールがやってきて活躍していたみたいです。
デオンザールにはカウントの途中で私をアルゴギガースの口へ投げ飛ばしたことで説教しようと思いましたが、二人とその従魔たちを助けたのと今後も彼に頼ることになるということから説教は止めにしました。
そして、誘拐された従魔たちは主人のもとへと帰しました。
多くの人からお礼の言葉を受け取りましたが、彼らを見つけて助けたのは私ではなくバエルですので複雑な気持ちでしたね。
私が説明する前にバエルが「今回の件は全てリリィ様が解決しました」と言っちゃうんですから。更にテルフレアに住む人たちもバエルの言葉を聞いて私のことを英雄だとか褒め称えるものですから真実を言うにも言えなくて……。
その後テルフレアでは色々と質問攻めにあいましたが、何とか抜け出して今はバエルが作った先程の空間にいます。
でも今度は崖の上ではなく村にいます。
村にある家は木材で造られており、結構頑丈そうです。それに一つ一つが大きいのでたくさんの人が利用できると思いますね。
「リリィ様、こちらにいましたか」
「ええ。今テルフレアにいると疲れちゃうので……。それよりバエル、私に何か用事ですか?」
「はい。この村にいる魔物たちはまだリリィ様の顔と姿を見ていない者も多いので紹介した方がいいかと思いまして」
「なるほど。わかりました」
私はバエルと共に村の中心へと向かいます。
そこにはたくさんの魔物たちがいました。彼らがアルゴギガースの魔術無効障壁──名前がないので私が勝手にそう呼んでいます──を展開するために生命力や魔力を吸われていたのですね。
それにしても、バエルから聞いていましたけど数が多い。150体ほどと言っていましたが体の大きさもあるので1体で3体分の体を大きさを持つ者もいます。
バエル曰く、「人間と違って魔物は自然の中で生きるので野生に帰そうともしましたが妙に懐かれました」と。なので彼らはここで生活することを望んでいるみたいです。
土地は広く余裕があるのでここで生活しても問題はないと思います。でも、生活するのであれば呼びやすいように名前を考えなければいけませんね。適当につけるわけにはいかないので暫くの間の宿題になりそうです。
私がみんなの前に立つとタルトとデオンザールが私の横へ来ました。
これで私の従魔のうち半分が集まったわけですか。何と言いますか、他の子たちと比べて存在感が違いますね。
ちなみに、最前列にはグラと残る最上級悪魔たち3人がいます。グラは勿論のこと、特に彼ら3人とは魔物の軍勢を全て倒してくれたこともあるのでお礼をしたいですが終わってからでいいでしょう。
さて、こうして前に出て来たわけですが、何をすればいいのかわかりません。何か喋ればいいんですかね? 魔物たちもざわめき始めています。
何を話せばいいか困っていると毎度のことながらバエルが先に口を開きました。
「静粛に」
その一言でざわめきが収まります。
「こちらに御座すのが我らが主君であり、この村を統べる者であるリリィ・オーランド様です。あなた方がここへ住むことを望むのであればリリィ様を王として敬うように。いいですね?」
知らぬ間に私は王様になっていました。しかも魔物たちはそれを認めて頭を下げていますし。なんか最近はバエルの思い通りに事が進んでいる気がします。
でも、みんなを従えることになるわけですし、王様になるのも必然だったのかな? なんて考えています。
「それではリリィ様」
何か一言、みたいな空気だったので私は一歩前に出ます。
「えっと、初めまして。私がリリィ・オーランドです。今日からここの王様になるみたいです。でも、そんなこと気にしなくていいですよ。私を見かけても気軽にしてください。それでみんな仲良く、そして楽しく、ここを発展していきましょう」
こんな感じでいいですかね?
一応バエルの方を見ると大きな拍手をしていました。それに続くように魔物たちも拍手をしたり遠吠えをしたりしています。
どうやらこれで問題ないようです。こんなことあまりやったことないので緊張しましたよ。
こうして私は自分の村を手に入れました。
予想外の出来事ではありましたね。人生何が起こるかわかりませんよ、本当に。
そして、この村の名前は私が統べる村ということもあり『聖魔女の楽園』と決まったのでした。
これにて第三章『従魔激闘杯&古の巨人復活編』完結となります。





