<夜が明けて>
私はベッドの上で目覚めました。
王都の公爵邸のベッドではありません。
生まれ育った国ですらない、お父様の姉君に当たる伯母様が嫁いだ隣国の都にある小さな家のベッドです。
あの夜、一年前、窓から飛び降りた私は一命を取り留めました。
同じ部屋にいた王太子アレクサンドル殿下よりも早く駆けつけてくれたお父様が、私に応急手当てをして王都の公爵邸へ連れ帰ってくれました。幸い、打ち身以外はありませんでした。
死ぬ気だった私は家族が言うまま、死んだ振りをすることにしました。
葬儀に来てくださったアレクサンドル殿下は飄々とした表情で、特に悲しんでいらっしゃる様子はありませんでした。
なにを考えていたのでしょう、私は。はっきり愛せないと言われたのではありませんか。私はミュゲ様ではないのです。私が生きようと死のうと、公爵家の後ろ盾さえあれば殿下は満足なのです。優しい態度も言葉もすべて、そのためにくださっていたのですから。
今の私は平民です。
この国の第二王子殿下と結婚して大公妃になった伯母様に引き取っていただくという話もあったのですが、死んだ振りをして逃げ出した王太子妃が隣国の社交界で顔を見せるわけにはいきません。
公爵令嬢だったときに嗜んでいた刺しゅうの腕を活かして仕立て屋で働いています。お父様達には公爵令嬢として育んでくださったことへのお返しは、幸せになることでいいと言われました。
「起きたのか、カロル」
「ジロー」
隣に寝ていた夫が、逞しい腕を伸ばして私を抱き寄せます。
私は昨日結婚したのです。
夫のジローは勤務先の仕立て屋に出入りしている行商人です。少しぶっきらぼうなところはありますが、真面目な仕事ぶりで信頼されています。
「……泣いていたのか?」
「朝日が眩しかったの」
「そうか」
太い指で涙を拭って、ジローがキスを落としてきました。
昨日の結婚式は神殿で親しい人に挨拶するだけで、一昨年アレクサンドル殿下としたような荘厳な式ではありませんでした。そして、白い結婚でもありません。
お父様へは伯母様経由で手紙を送って許可を得ています。
「カロル。君は二度目の結婚なんだよな?」
「ええ、そうよ」
「しかし、君はその……」
「うふふ」
ジローにはいろいろと隠していることがあります。
話せないことがあると最初から言っていたのですが、彼はそれでもいいと受け入れてくれたのです。
子どもが出来たら、また伯母様経由でお父様に手紙を送って、それを最後にするつもりです。私は行商人ジローの妻で仕立て屋で働く刺しゅうが得意なカロルとして生きていくのです。
どうしてこんな大切な昨夜にアレクサンドル殿下の夢を見たのかわかりません。
お父様が、私がいなくなって一年経ったら教員の遺書を殿下に見せるとおっしゃっていたからでしょうか。
あれは私のためにミュゲ様の事件を調べていたお父様が、殿下の卒業直後に手に入れたものでした。ミュゲ様を愛する殿下を傷つけたくなくてお父様を止めましたが、もっと早く渡していたら、なにかが変わったのでしょうか。そんな気持ちが、昨夜の夢を生み出したのでしょうか?
でも夢は夢です。
いいえ、あれが本当に過去に戻っていたのだとしても今は変わらないでしょう。
明けない夜は終わり、新しい朝がやって来ました。私はきっとなにがあってもこの朝に辿り着くのです。
「まあ、いいか。……愛しているよ、カロル」
「私も愛しているわ、ジロー」
だって愛してくれる人がここにいるのですから──