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目覚めたのは王都にある公爵邸の自室でした。
カーテンの隙間から差し込んだ光が煌めいています。私は朝に辿り着いたのでしょうか。
どれくらい眠っていたのでしょう? 窓から飛び降りて自殺しようとする妃など不要だと離縁されて実家に戻されたのでしょうね。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう……ふふっ」
メイドの言葉に笑みがこぼれてしまいます。
だって一度は王太子妃になった女をお嬢様だなんて。
でも公爵家ではそうなのでしょうね。恵まれた生活を甘受しておきながら公爵令嬢としての務めを果たせなかった私ですが、お父様達は受け入れてくださったのですね。
「良い夢でもご覧になったのですか?」
「いいえ、嫌な夢よ。でもやっと目覚めることが出来たわ」
「それはなによりです。学園に入学されてからはずっと夢見がお悪かったようで、みなが心配しておりました」
「ありがとう」
そうですね。学園に入学してから六年間、ずっとずっと悪い夢を見ていたのでしょう。
公爵令嬢として甘受していた豊かな生活と学園や王宮で受けた教育の代償は、これからひとりの国民として国のために尽くすことで返しましょう。
ベッドから出た私は、なんだか違和感を覚えました。……まあ当然ですね。一年ぶりの我が家ですもの。
「っ?」
ベッドの横に置かれた鏡台に自分の姿を映して、私は絶句しました。
「お嬢様? どうなさったのです、お嬢様! お顔が真っ青ですよ!」
鏡に映ったあどけない面影から目を逸らし、私は床に膝を落としました。
メイドが駆け寄って来ます。
「お体の調子がお悪いのですか? すぐに主治医を呼びます。学園には欠席の報告をしておきましょう」
「……お願い……」
メイドの言葉に頷きながら、彼女に支えられてベッドへ戻ります。
──私は六年前、学園の生徒だったころに戻っていたのです。
どうしてこんなことになったのでしょう。ミュゲ様はお亡くなりになってもアレクサンドル殿下に愛されているのに、私は自殺することさえ許されず明けぬ夜に戻されたようです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
今は学園に入学して半年ほど経ったところでした。
アレクサンドル殿下とミュゲ様の関係には不快感を抱いていましたが、相談を受けているだけだという言葉を信じ込もうとしていたころです。
時間が巻き戻っただなんて、私はだれにも言いませんでした。主治医は私の不調は学園入学による集団生活疲れだろうとおっしゃいました。
「……」
ベッドの中に横たわり、天蓋の天井を見つめて考えます。
私はどうしたら良いのでしょうか。
このまま過ごしても殿下に愛されないことはわかっています。ミュゲ様の死を食い止めることが出来たら、少しはマシな状況に辿り着けるでしょうか。
でもマシな状況ってなんでしょう?
私が形だけの王妃になって、ミュゲ様が殿下の愛妾になることでしょうか。
それなら、少なくとも殺人犯だと思われることはありませんね。だけど……それが私の幸せなのでしょうか?
私は王太子殿下の婚約者で公爵令嬢です。
平民はもちろんほかの貴族よりも恵まれた暮らしをしてきました。高貴なものの義務を果たさなくてはなりません。
なのに私は、さっき離縁されて実家に戻されたと思い込んでいたときの解放感を忘れられないでいるのです。殿下の愛を求めていたころには、ひとかけらも感じることのなかった素敵な気持ちでした。
「……お嬢様」
部屋の扉を叩く音がして、メイドの声がしました。
「なぁに?」
「王太子殿下がお見舞いにいらっしゃっているのですが、いかがなさいますか?」
「アレクサンドル殿下が?」
一瞬意外に思いましたが、考えてみればそうでした。
殿下はいつも優しく、ミュゲ様を恋慕の瞳で見つめる以外は良い婚約者でした。誕生日の贈り物も夜会のエスコートも忘れたことはありません。
私が浮気だと泣き叫んでも声を荒げることもなく、友達の相談に乗っているだけなんだと繰り返されるだけでした。
応接室でお待ちの殿下に会うために着替えたいと、私はメイドに告げました。